File16:別れの予感
文字数 3,754文字
しかしその晩餐の約束は果たされる事がなかった。
(……遅いですね。夕方には戻ると仰られていたのに)
屋敷で主の帰りを待つシグリッドは、壁の時計を見やった。既に時刻は午後の9時を回っていた。
今まで帰ると言った時刻から30分以上も遅れる場合は必ず連絡があった。これほど時間を超過しても連絡が無いという事は未だかつてなかった。
「…………」
シグリッドは何とはなしに落ち着かない不安な気持ちとなった。今朝のルーファスの意味深な言葉が思い起こされる。あんな話をしたその日に、連絡も無く家に帰ってこないルーファス。
ルーファスの携帯に掛けてみようかとも思ったが、もしかしたら雑誌社の取材が余程長引いていてそれで帰れないだけかも知れない。その可能性もある以上、仕事の邪魔になるかも知れないと思うと迂闊に掛けられなかった。
そんなまんじりともしない時間がしばらく過ぎ、午後10時になろうとした時だった。
「……!」
シグリッドの鋭敏な感覚は、正面玄関に誰かが入ってきたのを察知した。
(ルーファス様! やっとお戻りに……!)
冷静に考えれば色々と不審な点があるにも関わらず、ルーファスの帰宅を待ち望んでいたシグリッドはそんな事に気付く余裕も無く、半ば飛び出すような勢いで玄関ホールに駆け向かう。そして……
「……っ!?」
その脚が止まった。目が大きく見開かれ、顔が強張る。
そこには全く見知らぬ男性が2人並んで立っていたのだ。どちらも20代くらいの若い男で、街中にいそうなカジュアルな服装をしている。
だが男達の外見などどうでもいい。問題は彼等が玄関を跨いで屋敷の中に立っているという事だ。
当然だがインターホンが鳴った形跡はないし、ルーファスからこのような客人が訪ねてくるという話も聞いていない。つまりこの男達は不法侵入者という事になる。
「なんですか、あなた達は? 出て行かないと警察を呼びますよ?」
また昨夜のような輩だろうか。だがいくら何でも連日というのは異常だし、こうやって玄関から堂々と入ってきているのもおかしい。そもそもオートロックが掛かっているドアをどうやって開けたのか。
シグリッドの警告に男達は一切動じる事無く、逆に一歩踏み出す。
「『特異点』の影響を受けた者は排除する」
「な、何ですって……?」
シグリッドは眉を顰めた。『特異点』などという言葉は初めて聞いた。それに影響を受けた? 状況的に彼女の事を言っていると思われるが、勿論何の事かさっぱり解らない。
しかしどうやらこの男達は尋常な存在ではないようだ。よく注意すると微かにその身体から魔力が発散されているのが解る。明らかに人間ではない。
「……!!」
シグリッドのその確信を裏付けるように、2人の男達の姿が変化 した。まるで卵の殻を割るように表皮が剥がれ、その中から異形の存在が姿を現したのだ。
怪物じみた顔に背中には皮膜翼を備え、先端が鏃のように尖った尻尾。そして牙や鉤爪を備えたその姿は伝承上に登場する『悪魔』そのものであった。
一瞬唖然としてしまうシグリッドだが、『悪魔』達が容赦なく襲い掛かってきたので、強制的に対処せざるを得なくなる。
『悪魔』のうち一体の手にはいつの間にか、サーベルのような形状の剣が握られていた。その剣を薙ぎ払ってくる。かなり鋭い斬撃だ。
「く……!」
シグリッドは咄嗟に跳び退ってその剣を躱した。悪魔がそのまま追撃してくるので、体勢を立て直す間もなく防戦に回らされてしまう。
その時視界の隅に、もう一体の悪魔がこちらに向けて掌を掲げているのが見えた。それを訝しむ暇もあればこそ、その掌にスパークのような物が発生し一条の電撃が放たれた。
「なっ!?」
驚愕。しかしもう一体の悪魔の斬撃を躱すので精一杯だったシグリッドは反応が遅れ、その電撃は狙い過たず彼女の身体を撃ち抜いた!
「かはっ……!」
青白いスパークに包まれ、物凄い電圧と電熱が彼女の身体を駆け抜ける。当然だがスタンガンなど比ではない。
衝撃で吹き飛ばされた彼女は床に倒れ込んで、勢い余ってそのまま何度か床を転がる。
「ぐぅ……がぁ……!」
床に突っ伏したまま呻く。着ていたメイド服は見るも無残に焼け焦げていた。しかしその下の肉体は電圧によるダメージは受けたものの、特に大きな火傷などは負っていなかった。トロールの強靭な身体のお陰だ。
しかし呻きながらも辛うじて顔を上げると、悪魔達が今度は2体共がその掌にスパークを発生させているのが目に入った。
「……っ!!」
シグリッドの目が限界まで見開かれる。再びあの電撃をしかも2本同時に喰らったりしたら、いくらトロールの肉体とはいえ保たない。
次の瞬間には容赦なく発射された2条の電撃が、シグリッドの倒れていた場所に撃ち込まれる。着弾 の衝撃によって簡易的な爆発が発生し、その粉塵によって一時的に視界が覆われる。
しかしその粉塵が晴れた時、そこには……
『……!』
悪魔達が若干動揺した気配を見せる。そこには両腕をクロスした防御態勢を取って、悪魔達が放った電撃を耐え忍んだシグリッドの姿があった。
ただしその額からは2本の角が生えて、瞳の色が金色に輝いていた。トロールハーフとしての力を全開にした証拠だ。そうしなければ耐え切れなかった。ただし服は完全に焼け焦げ千切れ飛んであられもない姿になっていたが、それを気にしている余裕はない。
だがこのトロールの姿になってさえ、こんな電撃を後何発も浴びたらどうなるか解らない。ならばこちらから攻撃を仕掛けて短期決着を図るのみだ。
「ふっ!!」
鋭い呼気と共に一気に踏み込む。攻撃こそ最大の防御だ。悪魔達が再び電撃を放ってきた。しかし充分に警戒していたシグリッドは、今度は最小限の動きだけで電撃を回避。そのまま勢いを止める事無く悪魔達に肉薄した。
悪魔達はシグリッドの突進の勢いを見て距離を離せないと判断したらしく、その手に剣を作り出して迎撃してきた。
トロールとしての力を全開にした今のシグリッドにとっては見切れない速さではない。斬撃を躱しざまに相手の腕を取って、昨日暴漢の腕を折ったのと同じ要領で抱え込むようにしてへし折る。
シルエットが人間に近い分関節などの構造も似ているらしく、軍隊格闘術で悪魔の腕を折る事に成功した。
悪魔が痛みに絶叫する。もう一体の悪魔が剣を突き入れてきたが、シグリッドは身を捻るようにしてそれを躱して、カウンターで相手の腹に蹴りを叩きこむ。蹴りの衝撃で悪魔が吹き飛ぶ。
腕の折れた悪魔はその間にシグリッドから離れようとするが、勿論逃がさない。素早く接近すると背後に回り込み、その頭を抱えて捻じるようにすると、悪魔の首がおかしな方向に折れ曲がった。
急所の概念も人間に近いようで、悪魔はそれで絶命したようだった。その死体が空気に溶け込むように蒸発しながら消えていく。その現象に驚く間もなく、吹っ飛んでいたもう一体の悪魔が体勢を立て直して、今度は掌からバスケットボールくらいの大きさの火球を発射してきた。
「……!」
躱す事は出来たが、それによって屋敷への延焼を厭うたシグリッドは、そのまま両腕をクロスさせて自ら火球に向かって突進、正面衝突する。
火球が炸裂して爆炎によって肌が炙られるが、その苦痛を押し殺して強引に悪魔へと肉薄した。悪魔は慌てたように剣を薙ぎ払ってくるが、それを屈むようにして躱すと、貫手を作って悪魔の喉元に全力で突き入れた。
トロールの膂力で突き込まれた貫手は悪魔の喉を陥没させ、その頸椎ごと砕き割った。もう一体の悪魔も同じように消滅していく。
それを見届けるとシグリッドはようやく一息吐いた。そしてトロールの変身を解除した。一体こいつらは何だったのだろうという当然の疑問が湧く。少なくとも彼女には全く心当たりがなかった。だが……
(すぐにでもルーファス様の安否を確認しなければ)
ルーファスの元に引き取られて14年。事前の予定や連絡も一切なしに彼が帰ってこないという事は一度も無かった。そしてまるでそれに合わせたかのような、先程の『悪魔』達の襲撃。
シグリッドには何となく、この2つの事象は繋がっているのではないかという予感がしていた。
最低限の身なりだけ整えるとすぐにルーファスの携帯に電話を掛けた。もう迷惑かもと言っている場合ではない。
しかし無情にも電波が繋がっていないという機械音声が流れるだけであった。急速に嫌な予感が膨れ上がったシグリッドは、ルーファスのマネージャーや彼が取材を受ける予定だった雑誌社などにも電話を掛けてみた。だがやはりどれにも繋がらなかった。
(……! ルーファス様……!)
シグリッドは顔を青ざめさせて唇を噛み締めた。ルーファスの失踪 に今の『悪魔』達が関わっているなら、ただ警察に通報しても恐らく無駄だ。それに失踪確認から24時間以上経過しないと事件として扱ってもらえない。
(……そうだ。彼女達 なら……!)
シグリッドは自分の数少ない友人達の顔を思い浮かべる。魔物絡みの事件なら彼女達ほど頼りになる存在はいない。
事は一刻を争う。シグリッドは夜遅い時間に申し訳ないと思いつつも、友人のミラーカ の携帯番号に電話を掛けるのだった……
(……遅いですね。夕方には戻ると仰られていたのに)
屋敷で主の帰りを待つシグリッドは、壁の時計を見やった。既に時刻は午後の9時を回っていた。
今まで帰ると言った時刻から30分以上も遅れる場合は必ず連絡があった。これほど時間を超過しても連絡が無いという事は未だかつてなかった。
「…………」
シグリッドは何とはなしに落ち着かない不安な気持ちとなった。今朝のルーファスの意味深な言葉が思い起こされる。あんな話をしたその日に、連絡も無く家に帰ってこないルーファス。
ルーファスの携帯に掛けてみようかとも思ったが、もしかしたら雑誌社の取材が余程長引いていてそれで帰れないだけかも知れない。その可能性もある以上、仕事の邪魔になるかも知れないと思うと迂闊に掛けられなかった。
そんなまんじりともしない時間がしばらく過ぎ、午後10時になろうとした時だった。
「……!」
シグリッドの鋭敏な感覚は、正面玄関に誰かが入ってきたのを察知した。
(ルーファス様! やっとお戻りに……!)
冷静に考えれば色々と不審な点があるにも関わらず、ルーファスの帰宅を待ち望んでいたシグリッドはそんな事に気付く余裕も無く、半ば飛び出すような勢いで玄関ホールに駆け向かう。そして……
「……っ!?」
その脚が止まった。目が大きく見開かれ、顔が強張る。
そこには全く見知らぬ男性が2人並んで立っていたのだ。どちらも20代くらいの若い男で、街中にいそうなカジュアルな服装をしている。
だが男達の外見などどうでもいい。問題は彼等が玄関を跨いで屋敷の中に立っているという事だ。
当然だがインターホンが鳴った形跡はないし、ルーファスからこのような客人が訪ねてくるという話も聞いていない。つまりこの男達は不法侵入者という事になる。
「なんですか、あなた達は? 出て行かないと警察を呼びますよ?」
また昨夜のような輩だろうか。だがいくら何でも連日というのは異常だし、こうやって玄関から堂々と入ってきているのもおかしい。そもそもオートロックが掛かっているドアをどうやって開けたのか。
シグリッドの警告に男達は一切動じる事無く、逆に一歩踏み出す。
「『特異点』の影響を受けた者は排除する」
「な、何ですって……?」
シグリッドは眉を顰めた。『特異点』などという言葉は初めて聞いた。それに影響を受けた? 状況的に彼女の事を言っていると思われるが、勿論何の事かさっぱり解らない。
しかしどうやらこの男達は尋常な存在ではないようだ。よく注意すると微かにその身体から魔力が発散されているのが解る。明らかに人間ではない。
「……!!」
シグリッドのその確信を裏付けるように、2人の男達の姿が
怪物じみた顔に背中には皮膜翼を備え、先端が鏃のように尖った尻尾。そして牙や鉤爪を備えたその姿は伝承上に登場する『悪魔』そのものであった。
一瞬唖然としてしまうシグリッドだが、『悪魔』達が容赦なく襲い掛かってきたので、強制的に対処せざるを得なくなる。
『悪魔』のうち一体の手にはいつの間にか、サーベルのような形状の剣が握られていた。その剣を薙ぎ払ってくる。かなり鋭い斬撃だ。
「く……!」
シグリッドは咄嗟に跳び退ってその剣を躱した。悪魔がそのまま追撃してくるので、体勢を立て直す間もなく防戦に回らされてしまう。
その時視界の隅に、もう一体の悪魔がこちらに向けて掌を掲げているのが見えた。それを訝しむ暇もあればこそ、その掌にスパークのような物が発生し一条の電撃が放たれた。
「なっ!?」
驚愕。しかしもう一体の悪魔の斬撃を躱すので精一杯だったシグリッドは反応が遅れ、その電撃は狙い過たず彼女の身体を撃ち抜いた!
「かはっ……!」
青白いスパークに包まれ、物凄い電圧と電熱が彼女の身体を駆け抜ける。当然だがスタンガンなど比ではない。
衝撃で吹き飛ばされた彼女は床に倒れ込んで、勢い余ってそのまま何度か床を転がる。
「ぐぅ……がぁ……!」
床に突っ伏したまま呻く。着ていたメイド服は見るも無残に焼け焦げていた。しかしその下の肉体は電圧によるダメージは受けたものの、特に大きな火傷などは負っていなかった。トロールの強靭な身体のお陰だ。
しかし呻きながらも辛うじて顔を上げると、悪魔達が今度は2体共がその掌にスパークを発生させているのが目に入った。
「……っ!!」
シグリッドの目が限界まで見開かれる。再びあの電撃をしかも2本同時に喰らったりしたら、いくらトロールの肉体とはいえ保たない。
次の瞬間には容赦なく発射された2条の電撃が、シグリッドの倒れていた場所に撃ち込まれる。
しかしその粉塵が晴れた時、そこには……
『……!』
悪魔達が若干動揺した気配を見せる。そこには両腕をクロスした防御態勢を取って、悪魔達が放った電撃を耐え忍んだシグリッドの姿があった。
ただしその額からは2本の角が生えて、瞳の色が金色に輝いていた。トロールハーフとしての力を全開にした証拠だ。そうしなければ耐え切れなかった。ただし服は完全に焼け焦げ千切れ飛んであられもない姿になっていたが、それを気にしている余裕はない。
だがこのトロールの姿になってさえ、こんな電撃を後何発も浴びたらどうなるか解らない。ならばこちらから攻撃を仕掛けて短期決着を図るのみだ。
「ふっ!!」
鋭い呼気と共に一気に踏み込む。攻撃こそ最大の防御だ。悪魔達が再び電撃を放ってきた。しかし充分に警戒していたシグリッドは、今度は最小限の動きだけで電撃を回避。そのまま勢いを止める事無く悪魔達に肉薄した。
悪魔達はシグリッドの突進の勢いを見て距離を離せないと判断したらしく、その手に剣を作り出して迎撃してきた。
トロールとしての力を全開にした今のシグリッドにとっては見切れない速さではない。斬撃を躱しざまに相手の腕を取って、昨日暴漢の腕を折ったのと同じ要領で抱え込むようにしてへし折る。
シルエットが人間に近い分関節などの構造も似ているらしく、軍隊格闘術で悪魔の腕を折る事に成功した。
悪魔が痛みに絶叫する。もう一体の悪魔が剣を突き入れてきたが、シグリッドは身を捻るようにしてそれを躱して、カウンターで相手の腹に蹴りを叩きこむ。蹴りの衝撃で悪魔が吹き飛ぶ。
腕の折れた悪魔はその間にシグリッドから離れようとするが、勿論逃がさない。素早く接近すると背後に回り込み、その頭を抱えて捻じるようにすると、悪魔の首がおかしな方向に折れ曲がった。
急所の概念も人間に近いようで、悪魔はそれで絶命したようだった。その死体が空気に溶け込むように蒸発しながら消えていく。その現象に驚く間もなく、吹っ飛んでいたもう一体の悪魔が体勢を立て直して、今度は掌からバスケットボールくらいの大きさの火球を発射してきた。
「……!」
躱す事は出来たが、それによって屋敷への延焼を厭うたシグリッドは、そのまま両腕をクロスさせて自ら火球に向かって突進、正面衝突する。
火球が炸裂して爆炎によって肌が炙られるが、その苦痛を押し殺して強引に悪魔へと肉薄した。悪魔は慌てたように剣を薙ぎ払ってくるが、それを屈むようにして躱すと、貫手を作って悪魔の喉元に全力で突き入れた。
トロールの膂力で突き込まれた貫手は悪魔の喉を陥没させ、その頸椎ごと砕き割った。もう一体の悪魔も同じように消滅していく。
それを見届けるとシグリッドはようやく一息吐いた。そしてトロールの変身を解除した。一体こいつらは何だったのだろうという当然の疑問が湧く。少なくとも彼女には全く心当たりがなかった。だが……
(すぐにでもルーファス様の安否を確認しなければ)
ルーファスの元に引き取られて14年。事前の予定や連絡も一切なしに彼が帰ってこないという事は一度も無かった。そしてまるでそれに合わせたかのような、先程の『悪魔』達の襲撃。
シグリッドには何となく、この2つの事象は繋がっているのではないかという予感がしていた。
最低限の身なりだけ整えるとすぐにルーファスの携帯に電話を掛けた。もう迷惑かもと言っている場合ではない。
しかし無情にも電波が繋がっていないという機械音声が流れるだけであった。急速に嫌な予感が膨れ上がったシグリッドは、ルーファスのマネージャーや彼が取材を受ける予定だった雑誌社などにも電話を掛けてみた。だがやはりどれにも繋がらなかった。
(……! ルーファス様……!)
シグリッドは顔を青ざめさせて唇を噛み締めた。ルーファスの
(……そうだ。
シグリッドは自分の数少ない友人達の顔を思い浮かべる。魔物絡みの事件なら彼女達ほど頼りになる存在はいない。
事は一刻を争う。シグリッドは夜遅い時間に申し訳ないと思いつつも、友人の