File14:釣り餌

文字数 2,517文字

 翌日。捜査本部に顔を出したローラだが、昨日の話の影響が尾を引いていて、どうしても挙動がギクシャクしたものになってしまう。身内を……仲間を疑うなどと言う事に慣れていなかったし、それを知っているのが自分1人で、潜入捜査紛いの調査の経験も無かった。

 この中にあの化け物が人間の皮を被って身を潜めていて、今この瞬間もローラの事を獲物として狙っている……。その想像が増々ローラの緊張を強めていた。


 誰もかれもが怪しく見える。まさに自分こそが疑心暗鬼に陥っていた。そして……


「ローラ、調子はどうだ? 非番明けで少しはショックが収まったか?」

「……!」


 ローラに心配げな声を掛けてくるのは、彼女の上司である……マイヤーズ警部補。その姿はいつもと何ら変わりないように見える。彼女が尊敬している上司そのものの姿だ。


「あ……け、警部補。その、大丈夫です。ご心配をお掛けして済みませんでした」


 思わず下を向いて小さな声でモゴモゴ話すローラの姿を、まだショックが尾を引いていると勘違いしたのか、マイヤーズは優しい声で励ました。


「まあ、あまり無理はするな。何せFBIの連中すら皆殺しにされたような化け物が相手だったんだ。お前とジョンが助かったのは奇跡に近い。それだけの目に遭ったんだから、すぐに通常の捜査に戻れとは私も言わんさ。ジョンもまだ病院だしな」


 その労わりに満ちた声を聞くと、とても彼が残忍な化け物であるなどとは信じられない。それに勇気付けられたローラが顔を上げると、いつもと変わらないはずのマイヤーズの姿に、ふとある違和感を覚えた。よく観察してみるとその違和感の原因にはすぐに気付いた。


「あ、あの……警部補。その……左手(・・)はどうされたんですか?」

「ん? ……ああ、これか。いや、ちょっと家内に頼まれていた日曜大工で下手を打ってしまってね。慣れない事はする物じゃないな、全く」

「そ、そう……ですか」


 マイヤーズは左手に黒い革の手袋を填めていた。『日曜大工』で負った怪我を、外聞が悪いからと隠しているとの事だ。

 左手の傷……。あの夜ミラーカが『ルーガルー』に負わせた起死回生の一撃も、『ルーガルー』の左手を切り裂いていた。

 『ルーガルー』がどれくらいの回復能力を持っているのか解らないが、高い再生能力を持つ吸血鬼のミラーカでさえ、まだ傷が治りきっていないのだ。傷が残っている可能性は充分考えられる。


(ま、まさか……本当に警部補が……? そ、そんな事って……)


 その左手を注視していたのと、マイヤーズが犯人かも知れないというショックで、ローラはその時マイヤーズがどんな表情をしているのかを見逃してしまった。やや間をおいてマイヤーズが声の調子を変えて、小声で話し掛けてきた。


「ローラ……。じきにニュースでも知る事になるだろうが、君にだけは予め伝えておかなければならん事がある」

「え……」


 その真剣な響きに思わず顔を上げるローラ。マイヤーズは何やら酷く深刻そうな表情になっていた。


(つ、伝えておかなければ……? ニュースって……まさか本当に『ルーガルー』で、自白でもすると?)


 そう思ったローラだが、マイヤーズの口から出てきたのは予想もしない内容だった。 


「……ダリオの事だ」
「え……」


 一瞬頭が真っ白になる。ダリオ。重傷を負って入院しているローラの現相棒。何故今ここで彼の名が出てくるのだろう。マイヤーズの声の調子と表情からして、考えられるのは……


「ま、まさか、容体が……?」


 死、という単語を使う事を避けた。それを口にしたら現実になってしまいそうな気がしたから。だがマイヤーズはかぶりを振った。


「いや、そうではない……。むしろその逆だ。目が覚めた、らしい(・・・)

「らしい?」


 妙な言い回しだ。それならすぐに確認に行くべきだし、何故こんな表情になっているのだろう。それに先程じきにニュースになると……


「夜中に目が覚めたらしいのだが……そのまま病院を脱走(・・)してしまったんだ」

「……は?」


 何を言われたのかすぐには理解できなかった。脱走? ダリオが? 何故? ローラの頭の中に?マークが踊る。マイヤーズは構わずに続ける。


「詳しい事はまだ解っていない。だがダリオが脱走したのと同日同時刻帯、海に向かって一目散に駆け去る不審な人影が、多数の人間に目撃されている」

「う、海?」

「そうだ。それも何やら背ビレがあっただの、鱗が生えていただの人間離れした姿の目撃情報が多くてな。更にその人影が駆け去った進路上に、何者かによって食い荒らされたホームレスの死骸が見つかっている」

「く、食い荒らされた……」


 一瞬『ルーガルー』の仕業かとも思ったが、『ルーガルー』は男性は食わないはずだ。それに背ビレだの鱗だのは明らかにあの『ルーガルー』の特徴と異なる。


「警部からの命令もあって、とりあえずダリオが病院から脱走した事は伏せられている。だが露見するのも時間の問題だろう。そうなる前にダリオを発見か、出来ないまでも何らかの手がかりを得なければならん」

「……!」


 確かにこれは一大事と言っていいだろう。一刻も早くダリオを見つけなければならない。


「ほ、他に何か情報は!?」

「残念ながら無い。その人影が海へ到達したと思われる時点でパッタリと情報が途絶えている。なのでとりあえず現地に行ってみなければ始まらん。警部からはなるべく秘密裏に調査して欲しいと言われている。私が直に調査に向かうが、事は君の相棒の問題だ。君も同行して貰えるか?」

「は、はい! すぐに支度します!」


 マイヤーズから告げられた話のインパクトが大きすぎて、ローラは当初の目的をすっかり失念させられて(・・・・・)しまっていた。

 あたふたと支度に向かうローラの背中を見つめるマイヤーズの口の端が、残忍な笑みの形に歪められている事に彼女は気付く事が出来なかった…………
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