File31:月下の死闘

文字数 3,909文字

「さあ、ヴラド。前戯はもう充分。本番(・・)を始めましょう? それとも500年眠っていて使い物(・・・)にならなくなったかしら?」

「くくく、強がりはやめた方がいいぞ、カーミラ。その武器……後どれくらい斬れる(・・・・・・・・・)?」

「……!」
 ミラーカの表情が厳しくなる。

 言われてローラもその事実に気付いた。どんな名刀であっても実際に人体を斬り続ければ、血糊や脂、骨に当たった衝撃などで切れ味は鈍くなっていく。ミラーカは卓越した技術の持ち主だが、同時に人間離れした身体能力の持ち主でもある。元々人間用に造られた武器である以上、ミラーカの膂力で振るい続ければそれだけ痛みも早くなる。

 勿論血糊を落として砥ぎを入れれば切れ味は戻るだろうが、ここでそんな事をしている余裕は無い。


「我々の力に耐えられる武器などそうは無いから、予備もあるまい。私と戦う前に牙をもがれた気分はどうだ?」


 その事実を前にして、しかしミラーカは静かな口調で返す。


「……可哀想な人。そんなに死ぬのが怖い?」

「……何だと?」

「それだけの力を持ちながら、私の武器を怖れてこんな姑息な手段に頼る。曲がりなりにも自分の下僕であった吸血鬼がそんなに怖いかしら? 500年の封印でかつての覇気はすっかり衰えたようね。哀れな人」


 その瞬間ローラは周囲の空気の温度が下がったような錯覚を味わった。いや、それは果たして錯覚だったのだろうか。横にいるヴラドの身体から、微かに冷気のようなものが漏れ出ているのをローラは感じた。

 ローラは思わず首だけ動かしてヴラドの顔を見た。

「ひっ!?」

 そしてその口から押し殺した小さい悲鳴を漏らしてしまう。

 ヴラドが……笑っていた。それでいて怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える不気味な表情であった。


「く、く……500年の歳月で耄碌したのはお前の方ではないか? まさかこの私の恐ろしさを忘れるとは、な――!」

「――ッ!?」


 その瞬間ローラの視界からヴラドの姿が消えた。と、同時に何かが激突する音が響き、ローラは慌ててそちらに視線を向ける。

 先程までミラーカがいた位置に、拳を振り下ろした姿勢のヴラドの姿があった。そして遥か後方の墓石に背中から叩き付けられて呻くミラーカの姿。激突音は墓石が破壊される音だった。


「哀れなのはお前の方だ! こんな小娘1人見捨てられずに、負けると解っていながら自ら死地に飛び込む。これが哀れでなくて何だと言うのだ?」

「あなたには……解らない、でしょうね……!」


 身体をふらつかせながらも、何とか起き上がるミラーカ。たった一撃であのミラーカが、かなり深刻なダメージを負っているようだ。


「ああ、解らんね。だから私に教えてくれ。何故勝ち目のない戦いを敢えて挑むのか、ね」

「……言われなくても!」


 ミラーカが刀を手に突っ込む。凄まじい速さで振り下ろされた刃がヴラドの身体に届くかと思われた瞬間、何かによって受け止められた。

「……!」
「ふんっ!」

 ヴラドはその手に持った何かを横薙ぎに振るった。堪らずミラーカは後方へ跳んで回避する。


「くく……こうして我が愛剣を振るうのも500年ぶりとなる訳か。かつて幾多のオスマン兵やワラキアの反抗的な貴族や民の血を吸ってきたこの剣が、早くお前の血も吸いたいと訴えておるわ」


 ヴラドの手にはいつの間にか大振りの西洋剣が握られていた。柄に髑髏(どくろ)の装飾が施された禍々しい印象の肉厚の剣で、斬ると言うよりは叩き斬る(・・・・)という感じの武器である。そういう意味ではミラーカの持つ細身の刀とは対極的な武器と言えそうだ。

 ヴラドが剣を片手に突進する。大上段に振りかぶった剣を叩き付けてくる。ミラーカはそれを刀で受け……ずに、身を逸らして躱す。

 轟音。凄まじい衝撃に曝された地面が大きく抉り削れる。あんな物をまともに受けようとしたら、刀ごとミラーカの身体は両断されるだろう。

「ぬぅんっ!」

 ヴラドが間断なく連撃を放つ。一撃でも当たったら致命傷の暴威の前にミラーカは防戦一方となる。躱した隙にカウンターで反撃を入れようとするが、ヴラドは馬鹿げた身体能力で強引に隙を殺し反撃の暇を与えない。

「ミラーカ……!」

 その光景を見ている事しか出来ないローラは焦燥に悶える。やはりヴラドの戦闘能力はケタ違いだ。このままではミラーカは負ける。彼女が死んでしまう。

 その思いに身を焦がしながら死闘を見つめていたローラは、この場に忍び寄ってくる者の存在に気付かなかった。


「――むぐぅ!?」


 突然何者かの手によって口を覆われた。驚き慌てたローラは咄嗟に身を捩らせてくぐもった呻き声を上げるが、その口を塞いだ何者かに制止される。

「シッ! 静かに……!」
「……ッ!?」

 ローラは自分の耳を疑った。それは彼女が良く知る声であり、尚且つここで聞くとは予想だにしていなかった声であったからだ。


「無事だったようだな……ギブソン。いや、ローラ」
「け、警部補……?」


 それは紛れもなくローラの上司である、ロス市警の警部補リチャード・マイヤーズであった。


「な、何でここに……!?」

「色々あってね。話は後だ。まずは君をこいつから解き放たねばな……ダリオ!」

「……!!」


 更に予想もしていなかった人物の名が出てきてローラは増々驚愕する。マイヤーズの後ろから現れる浅黒い肌の男は、ローラの天敵(?)ダリオ・ロドリゲス。ローラは状況も忘れて目を丸くする。


「よう、ギブソン。いい格好だな……て、本当にすげぇ格好だな……」


 ダリオにまじまじと見つめられてローラは今の自分が、胸と腰に簡素な白い布を巻き付けられただけの姿だった事を思い出す。

「そ、そんなに見ないで……!」

 可能なら自分の身体を覆い隠したかったが、磔になっている身ではそれも叶わない。ローラは急速に羞恥が湧き起こって来た。ダリオが少し慌てたように目を逸らす。


「ば、馬鹿、色気づいてんじゃねぇ! お前の裸なんざ見たくもねぇし……!」


 ローラがムッとし掛けると、マイヤーズが取り成す様に割り込んだ。


「おい、今はそんな場合じゃないだろう。ミラーカだってそう長くは持たん。今の内にローラを解放するぞ」

(ッ! そうだ! ミラーカは……!?)


 マイヤーズ達がミラーカの名を知っている事に驚きながらも、ローラはミラーカの様子を確認する。ヴラドの猛攻は続いており、何とか持ちこたえているといった有様だ。マイヤーズの言う通り余り時間は無さそうだ。幸いと言うかヴラドはミラーカを追い詰めるのに夢中でこちらの動きに気付いていない。脱出するなら今しかない。


「て言っても、どうやって外すんですか、これ?」


 ローラの手首と足首を縛めている金具はそれなりに頑丈そうな作りで、試しにダリオが引っ張ってみるが全く緩みそうな気配はない。ローラも今までに散々身体をもがかせたが微動だにしなかったのだ。

「これを使え」

 そう言ってマイヤーズがダリオに投げて寄越したのは、大工仕事などで使うような厚めのバールであった。


「君が捕まっていると聞いて、或いはこういう事態もあり得ると思って持参していたのだ。梃子を使えば外せるかも知れん。やってみろ。私は周囲を警戒――」

「――この羽虫共が。よくも私の目を掻い潜ってくれたわね」

「……っ!」


 (あで)やかだか憤怒に満ちた声。アンジェリーナだ。暗闇から鮮やかな赤い髪とその美貌が浮かび上がる。本来なら優美なその美貌が声と同じく憤怒と憎悪とに歪んでいた。その口から長い牙が剥き出される。

「ちっ!!」

 マイヤーズが躊躇わずに発砲する。3発の銃声と共にアンジェリーナがよろめく。だが……

「ほ、ほ……そのような豆鉄砲で私を殺す事は――」
「ダリオ! 早くローラを助け出せっ!」
「――!?」

 そこでマイヤーズは、アンジェリーナの意表を突く行動に出た。何と銃を下すと直接彼女にタックルを仕掛けたのだ。油断を突かれたのか、タックルをまともに喰らって吹き飛ばされるアンジェリーナ。

「おのれっ! 人間風情が!」

 怒りに燃えながら身を起こした所に再び銃声。2発の銃弾が彼女の眉間と心臓の位置に銃創を穿つ。アンジェリーナは衝撃で仰け反りながらも、重力を無視した挙動で強引に身を起こす。


「この……許さんっ! 殺す! 殺してやる!」


 怒り狂った彼女は完全にターゲットをマイヤーズに固定したらしい。油断していたとは言え人間に遅れを取った挙句、ダメ押しの攻撃を喰らった事で我を忘れた状態になっている。赤い髪が逆立ち目が真紅の輝きを帯びる。それを見たローラは、ミラーカやシルヴィアの怪物化を思い出した。


「ッ! マズい! 警部補、逃げてっ!」


 アンジェリーナの背中から白い皮膜翼が生える。牙を剥き出しにして完全に怪物化を終えたアンジェリーナが吼えた。ダリオは思わず手を止めて唖然とした。


「ダリオ! ローラを頼む……!」


 マイヤーズはローラ達から離れる方向に走り出しつつ、更に牽制の銃撃をアンジェリーナに加える。多少は痛痒を感じるのか増々猛り狂ったアンジェリーナは、翼をはためかせると猛スピードでマイヤーズの後を追跡していった。
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