Epilogue:憤怒と情愛

文字数 4,856文字

 夜の森を、街に向かって駆け逃げる人影があった。金髪の派手な容姿の女性……ブリジット・ラングトンである。

 クレアに奇襲を見破られて気絶させられた彼女だったが、その後目を覚ますと【悪徳郷】とあの女達の戦いが激化しているのを見て危機感を覚えて、一早く廃病院の外に逃れていたのだった。

 その後すぐに病院内が戦場になった為に、彼女は自分の判断が正しかったと思った。そのまま安全な場所から戦いの推移を見守る。

 しかし事態は彼女の予想とは真逆に進み、何とニック達は戦いに敗れて全滅してしまったらしい事が解った。あのローラとかいう女のチームも無傷とはいかずに何人かの仲間が戦死したようだが、それでも彼女らが勝利したのは紛れもない事実であるようだった。

 彼女が色々な物を犠牲にして手に入れた非日常を、あの正義感気取りの女達が壊したのだ。ブリジットは怒りに歯軋りしたが、今はとにかく自分の身の安全を図る事が優先だ。


 あのクレアやナターシャ達は一度エリオット達に襲われたものの、ローラの仲間達が妨害に入る事で運良く生き延びていた。彼女達から自分が【悪徳郷】の一員だったと知れるのは時間の問題だろう。

 そうなればニック達との戦いで仲間を失っているローラ達は、ブリジット相手にも何をするか解らない。とりあえず奴等に見つかる前にこの場からは退散するのが賢明だろう。

 ここから逃げてさえしまえば、ブリジットが【悪徳郷】に関わっていたという証拠は一切ないし、そもそもローラ達が怪物の存在を公表するとも思えない。自分はひたすら知らぬ存ぜぬを通せば、何も問題なく日常に戻る事ができるはずだ。

 ……退屈で窮屈極まりない日常に。

 だが刑務所に入る気はないので、とりあえず今は我慢する他ないだろう。人外の怪物という物が実在する事は解ったのだ。宇宙人だって存在していた。生きてさえいれば再び非日常(・・・)に出会う事もできる。その確信があった。



 彼女はそのまま【悪徳郷】の墓標となった廃病院から遠ざかって、街へ下る道路に出た。このまま道を辿っていけば人里まで出る事ができる。車が通り掛かればヒッチハイクもできるかも知れないが、今ここではあまり人目に付きたくないので、面倒だが街に出るまでは歩くしかないだろう。

 ブリジットはそう決めると溜息を吐いて歩き出した。しかしいくらも進まない内に……

「……!」

 道路脇に一台の車が停まっているのが目に入った。車体が黒くライトも点いていないので分かりにくいが、よく見るとかなりの高級車だ。少なくともまだブリジットでは、気軽に購入して乗り回したりは出来ない車種だ。

(何なの? こんな時間に、こんな場所で……?)

 不審な物は感じたが、傍から見れば不審なのは自分も同じなので、なるべく関わり合いにならないように素早く通り過ぎようとする。しかし……


「やあ、ブリジット。そんなに急いでどこに行くんだ?」
「……っ!?」


 場違いに平常な声を掛けられてギョッとしたブリジットの足が止まる。しかも今の声には聞き覚えがあった。

 いつの間にか車にもたれるようにして1人の男が佇んでいた。先程車を見た時には確かに誰もいなかったはずだ。

「ル……ルーファス(・・・・・)?」

 そう。それはハリウッドスターのルーファス・マクレーンであった。映画やパーティーなどだけでなく、ここに来る前にも彼自身の自宅で短い会話を交わしているので、その声に聞き覚えがあったのだ。


「な、何でここに……?」

「こっちは自分の家のメイドも派遣してるんだ。様子を見に来たって別に不思議な事じゃないだろ?」

 ルーファスは肩を竦めた。

「しかし……君が脅されてではなく、進んであの連中に協力していたというのは意外だったよ。自分以外の女が何千人死のうが知った事じゃない? 喜んで生贄を捧げる? ……なるほど、大した悪女だよ、君は」

「っ!?」
 ブリジットはビクッと身体を震わせた。何故ルーファスがその事を知っているのか。しかもまるで廃病院でのやり取りを間近で聞いていたかのような……。カマを掛けているというには具体的過ぎた。

「ま、まさか、盗聴でもしていたの?」

「盗聴か。別に何も仕掛けてはいないが、まあやってる事だけ見れば似たようなものか」

 ルーファスが若干自嘲気味に苦笑する。

 ブリジットは激しい危機感を覚えた。著名人であるルーファスが彼女の悪行を知っているという状況は非常にマズい。ローラ達が何か騒いでも世間的に誤魔化せる自信はあるが、相手がルーファスとなると話は別だ。しかもルーファスのメイドはブリジットの仲間(・・)である【悪徳郷】との戦いで命を落としていた。それを知って怒り狂ったルーファスがその矛先を、唯一残った彼女に向ける可能性は大いにあり得る。


 素早く周囲に視線を走らせる。他に人の姿も気配もない。今ならやれる(・・・)


 ブリジットはハンドバッグに隠し持っていた予備の銃を抜き出した。そしてその銃口をルーファスに向ける。

「ほぅ……?」

「私は誰かに弱みを握られたままでいる女じゃないの。恨むならこんな人気のない場所で私に声を掛けてきた自分の馬鹿さ加減を恨むのね」

 冷酷とも言える表情で笑うブリジット。自動式拳銃なので引き金を引けば終わりだ。安全装置も解除してあるので、フィクションでよくあるあの台詞で注意を逸らそうとしても無駄だ。

 だが何故かルーファスは全く動揺する事なく、むしろ面白そうな表情さえ浮かべていた。そして彼は逃げる所か、逆にその場で両手を広げるポーズを取った。

「いいだろう。撃ちたければ撃つがいい」

「……っ!? 脅しだとでも思ってるの? 私は直接じゃなくても、もう何人も殺してるのよ?」

「勿論脅しじゃないと解っているさ。その銃が本物なのもね。その上で撃ちたければ撃てと言ってるんだ」

 そう言いながらもルーファスは余裕の態度を崩さない。もしかしたら防弾ベストなどを着ているのかも知れない。どの道殺す事に変わりはない。

 ブリジットはルーファスの頭に狙いを定めて、容赦なく引き金を引いた。乾いた銃声が夜の静寂に響き渡る。そして……

「――っ!?」
 ブリジットはこの日何度目になるか解らない驚愕に目を見開いた。自分は確かに引き金を引いた。発射された銃弾は間違いなくルーファスの額に命中したはずだ。なのに……


「やれやれ、本当に撃つとはな。まあどのみち君を生かして帰す気は無かったんだが」


 額をポリポリと掻きながらルーファスがこちらに歩み寄ってくる。その顔が徐々に不機嫌そうな憤怒に近い感情に染まっていく。

「……クズが。俺は実際には今非常に機嫌が悪いんだ。お前ら(・・・)のせいでな。戦いには介入するなという命令だったが、そこから逃げ出したゴキブリに関しては別だ」

「ひっ!? な、何? 何なのよ……!?」

 ルーファスの姿に名状しがたい恐怖を覚えたブリジットは、狂ったように銃の引き金を引く。その度に乾いた銃声が響き渡るが、ルーファスはまるで意に介した様子も無く迫ってくる。そして拳銃を握るブリジットの両手を、自らの片手で包み込むように握った。

「いぎっ!? ぎゃああぁぁぁぁっ!!」

 そしてそれだけで彼女の両手を、脆い紙細工のように握り潰してしまった。ブリジットの口から聞くに堪えないような絶叫が漏れ出る。ルーファスが顔を顰めた。

「うるさいぞ、馬鹿が。ローラ達に聞こえたらどうする」

 もう片方の手で今度はブリジットの頭を鷲掴みにする。彼が何をするつもりか悟ったブリジットが限界まで目を見開く。

「や、やめ――」

 彼女が命乞いの言葉を言い切る前に……その頭が地面に叩きつけたトマトのように砕け散った。

 頭部を失ったブリジットの死体がうつ伏せに地面に倒れる。ルーファスはたった今恐るべき殺人を犯しておきながら、その死体をゴミでも見るような目で見下ろしていた。



「……その女も哀れだな。愛娘(・・)を失った()の八つ当たりにされたのだからな。災害に遭ったような物だ」

 高級車のドアが開いて、中から新たな人影が地面に降り立った。LAPDの警察本部長、ジェームス・ドレイクその人であった。

「茶化すな、デュラハーン。ただ奴等の尻拭いをしただけだ。断じて八つ当たりなどではない。それに……シグリッド達はまだ死んではいない(・・・・・・・・・)。そうだろう?」

 水を向けられてドレイクは肩を竦めた。

「まあ確かにそうだな。正直……アレ(・・)は予想外だった。『特異点』の力は我等の想像以上に成長しているようだ」

 ドレイクはあの戦いの場に突如現れた、修道服の少女の姿を思い返していた。あれはまさに奇跡(・・)以外の何物でもない。つまり『特異点』の力の真骨頂という訳だ。あの光景を見て今頃自分達の()は、喜びで小躍りしている事だろう。

 ルーファスが頷いた。

「そうだ。だが……如何に『特異点』の力と言えど限界はある。それだけでは死者蘇生(・・・・)という真の奇跡は起こせん。そこで――」


「――私の出番という訳だね」


 再び車のドアが開いて、3人目の人物がその場に降り立った。落ち着いた声音の50絡みの壮年男性であった。2人からサリエルと呼ばれていた男性だ。

「私なら正体(・・)を現したまま、彼女達に近付いて協力(・・)が出来るからね」

「……済まん」

 ルーファスは短くそれだけを呟いた。それを聞いたサリエルは神妙な表情で頷いた。


「いいんだよ、オーガ。君の娘だけじゃない。ジェシカの事もそうだし……何よりも私自身、ローラ(・・・)の顔を悲嘆に曇らせたままにしておきたくないんだ」


 サリエルはそう言うと、その身体から膨大な魔力を立ち昇らせる。そして見る見る内に漆黒のローブを纏って大鎌を携えた骸骨……即ち『死神』の姿へと変じた。これがサリエルの本当の姿だ。

 そしてサリエルはそのまま闇に溶け込むようにして消えて行った。戦いが終わった廃病院へと向かったのだ。


 ドレイクがルーファスの方に振り返る。

「本当にこれで良かったのか? 閣下が何と言われるか……」

「構わんさ。サリエルの力でもそれだけでは死者の蘇生など不可能だ。もしそれが叶ったなら、やはり『特異点』の力という事になる。そもそも今回は『特異点』の影響の強さを推し量るのが目的なのだ。閣下の意思に反してはおらん」

「ふむ……確かにな」

 ドレイクは一応納得した。ルーファスが手を叩いた。

「さあ、後はサリエルに任せて、ローラ達に見つかる前にここから離れるぞ。もし蘇生が成功すれば、どのみちローラかミラーカから俺に連絡が入るだろうしな」

「ふ……出資者(パトロン)も大変だな。あの女達の医療費を全部肩代わりしていたら、金がいくらあっても足りなそうだ」

 ドレイクの揶揄に構わず車に乗り込むとエンジンを掛ける。すぐにドレイクも乗り込んでくる。


「おっと、あれをそのままにしておくのはマズいな」

 ドレイクが思い出したように呟いて、車の窓を開けると上体を外に乗り出す。そして道路に転がるブリジットの惨殺死体に向かって手を振る。

 すると死体の周囲に闇が意志を持ったかのような不定形の何か(・・)が現れ、ブリジットの死体をすっぽりと包み込んだ。

 闇の塊はしばらくモゾモゾと蠢いていたかと思うと、やがて蒸発するように空気に溶け込んで消えてしまった。後にはそこにあったはずのブリジットの死体が綺麗に消えた、何もない道路の風景だけがあった……



Last Caseに続く……
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