File11:吸血鬼vs狼男

文字数 5,046文字

「ミ、ミラーカ……ッ!!」


 ローラの声が涙で崩れる。どうやら彼女を安心させるという目的は成功したようだ。だが本番はこれからだ。次はカーミラ自身が生き残る為に全力を尽くさねばならない。


「うふふ、坊や。そんな女よりも私の方が食べてみたくない? それとも簡単に狩れる獲物じゃないと怖くてアソコが委縮しちゃうのかしらね?」


 まずは組み伏せている女からこちらに注意を逸らさせるのが先決だ。何しろこんな化け物だ。今までの獲物は恐怖に震えるか泣き叫ぶか、命乞いをするか程度の違いしか無かっただろう。こんな風に抵抗の意思を示して挑発されるなど初めてのはずだ。

 カーミラの思惑は当たった。狼男は組み伏せていた女を離すと立ち上がった。デカい。優に2メートルを超えている。体重ももしかすると300キロくらいはあるかも知れない。正面からぶつかったら一溜まりもないだろう。


「グゥオォォォォォォォッ!!」
「く……!」


 再びの威嚇。離れていた場所、しかも自分に向けられた物ではなかった最初のそれとは異なり、近距離で真正面から叩き付けられる咆哮は、最早物理的な圧力すら伴う程だった。衝撃で身体が金縛りになりかける。

(なんて衝撃……! でも、引けない……!!)

 ここで自分も倒れたら、ローラ達は確実に助からない。絶対に引く訳には行かなかった。

 本能的な恐怖を気合で強引にねじ伏せる。止まっていたら不利になる一方だ。狼男は自分の威圧にカーミラが耐えきったのを見て、その獣の目を見開いて驚いているようだ。仕掛けるなら今しかない。

「――ふっ!」

 刀を構えて一気呵成に斬り込む。胴を薙ぎ払う軌道で迫る刀を、狼男は後ろに飛び退いて躱した。これで女からは完全に引き離せた。


「逃げなさい! 早くっ!」
「う……あ……」


 だが女は呻くばかりで起き上がる事すら出来ないようだ。先程の威圧の影響か。ローラも同じようにへたり込んだ姿勢のまま動けないようだ。

「ちっ!」

 舌打ちする。こうなったらどんどん攻めるしかない。攻撃こそ最大の防御だ。カーミラは即座に地面を蹴る。とにかく息つく間もなく攻め立てて、奴に反撃に転じる機会を与えない事が重要だ。そう思っての速攻だったのだが――


 狼男の姿が一瞬でカーミラの視界から消えた。


「ッ!?」

 消えた、と思った瞬間には、カーミラの頭上からの月明りが遮られた。カーミラは物も考えずに、生存本能に任せて身体を前に投げ出した。

「――っぁ!」

 その次の瞬間には、それまでカーミラの頭があった空間を巨大な鉤爪が薙いでいた。カーミラは身を投げ出した勢いで素早く前転して向きを変えながら立ち上がる。が、その時には既に黒っぽい剛毛に覆われた巨体が至近距離まで迫っていた。

「くぅ……!」

 無造作に振るわれる鉤爪を辛うじて飛び退って躱す。体勢を立て直す暇も無く狼男が追撃してくる。あっという間に攻守が逆転してしまった。

 次々と襲い掛かる狼男の猛攻を凌ぐので精一杯になる。このままでは遠からず致命的な一撃をもらってしまうだろう。ここは多少強引(・・・・)にでも流れを変えるしかない。カーミラは意を決した。

「……ッ!」

 狼男が鉤爪を尖らせて貫手を放ってきた。チャンスだ。カーミラは……躱さずに前に出る(・・・・)。貫手は狙い過たずカーミラの心臓ごと胴体をぶち抜いた!


「がふっ……!」「ミラーカッ!?」


 カーミラの吐血混じりのうめき声とローラの悲鳴が重なる。だがローラは気が動転して忘れているようだが、カーミラは吸血鬼なのだ。これだけ(・・・・)では死なない。吸血鬼を殺すには心臓と延髄を同時に破壊する必要がある。

 カーミラは自分を貫いた狼男の右腕を掴む。そして自身の右手で刀を振りかぶる。


「ふ、ふふ……捕まえた、わ……よ?」


 敵はカーミラの正体を知らないのだ。心臓をぶち抜かれても生きていて反撃してくるなど思いもよらないはずだ。普通なら驚きで一瞬は必ず硬直する。その隙に至近距離から強烈な反撃を喰らわせてやるつもりだったのだが……

 狼男がその裂けた口の端を吊り上げた。それはまるで笑っているようにも見えた。その反応を不審がる暇もなく、狼男がカーミラのどこを見ている(・・・・・・・)かを察した。

「――ッ!!」

 狼男は確かにカーミラの喉元……延髄のある部分を見ていた。それに気付いた瞬間には狼男の巨大な顎が、カーミラの喉ごと延髄を噛み砕かんと大口を開けて迫っていた。

「ッ! ぐぅぅぅっ!!」

 ローラ以外にもう1人いる第三者の目など気にしている暇はない。比喩ではなく正真正銘、カーミラ自身の命の危機であった。咄嗟に刀を捨てて、狼男の顎を両手で受け止める。途轍もない咬筋力にあっという間に力負けしそうになる。


 カーミラの目が赤く光る。髪が逆立ち、背から一対の白い皮膜翼が生える。怪物化……戦闘形態だ。


「ぬ……う、ああぁぁぁっっ!!」


 だが戦闘形態になっても尚、オオカミの顎はカーミラの喉笛を噛み砕こうと、凄まじい力で挟み込んでくる。徐々に喉に近付く獣の牙。


(駄目……この姿になっても押し負ける! このままじゃ……!)


 死が目前に近付いていた。自分が死ぬのは構わない。もう500年以上も生きた。ヴラドの封印にも成功した。思い残す事はない。だが……


「ミ、ミラーカ!? ミラーカーーーッ!」
「……!!」


 そうだ。ローラがいる。自分がここで斃れれば、次は彼女が殺される。それだけは絶対にさせない。カーミラは諦めかけていた己の心を叱咤すると、目を見開き……両腕を全力で前に押し込んだ!

 普通なら押された物がそのまま吹き飛ぶのだが、この化け物はカーミラが全力で押した所で小動(こゆるぎ)もしない。するとどうなるか。

 カーミラ自身の身体が、反動で後ろへと(・・・・)押し出されるのだ。

「ぐふぅ……!」

 呻きながらも狼男の腕から自分の身体を引き抜く事に成功したカーミラ。後は……

「ふっ!!」
「……グッ!?」

 真下からの蹴り上げが狼男の顎にクリーンヒットする。奴が初めて痛痒を感じたかのように怯んだ。顎の力が緩む。その隙を逃さずカーミラは翼をはためかせて後方へ飛び退って、狼男と距離を取った。



「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」



 激しく息を切らせるカーミラ。ヴラドに挑んでいる時と同じ感覚だ。やはりまともに当たっても勝負にならない。だが……もうじき(・・・・)だ。あと少し時間を稼げれば自分達は生き延びられる。問題はこの化け物相手に如何にしてその時間を稼ぐかだが。

 狼男が一歩踏み出す。逆にカーミラは一歩後ずさる。心臓の傷は回復していない。次に仕掛けて来られたら果たして生き延びる事が出来るのだろうか……

 カーミラが弱気になり掛けた時だった。



「ローラァァァッ!!」



 叫び声と共に、連続して放たれる銃撃音。突然の銃弾の雨に晒された狼男が怯む。カーミラは咄嗟に距離を取った。見ると木立の向こうから、1人の男が自動小銃を連射しながら走ってくる。男の肩口には大きな傷があり、今も痛々しく血が流れている。だが激しく興奮状態にあるせいか、傷の痛みを物ともせずにライフルを構えて狼男に撃ちまくっている。


「ジョンッ!?」


 ローラの驚いたような声。どうやらローラの同僚の刑事のようだ。よく見るとそれはあのローラの部屋での襲撃時にグールに噛まれて、カーミラがその毒を取り除いてやった刑事だと気付いた。

 思わぬ援護射撃だ。カーミラは素早くローラともう1人の女の元に駆け寄った。


「ローラ!」

「あ、ああ……ミ、ミラーカ! だ、大丈夫なの!? ひどい傷……!」

「忘れたの? 私は吸血鬼なのよ? このくらいどうって事はないわ。さあ、それよりも、今の内に離れるわよ! 立てる!?」

「だ、駄目……足に力が入らなくて……」

「そう……じゃあちょっとごめんなさいね?」

「……!」


 カーミラはローラの身体を小脇に抱え込んだ。もう一方の腕で倒れている女も抱え込む。


「両手が使えれば前で抱えてあげたい所だけど……残念だわ」

「ミ、ミラーカ……」


 ローラがまるで小娘のように頬を赤らめる。少し調子を取り戻してきたようだ。


「さあ、ここで少しの間大人しくしていてね? 事情は後でゆっくり聞かせて貰うわ」


 安全な場所に2人を降ろすと、カーミラはすぐさま戦場へと戻る。狼男は早くも奇襲の衝撃から立ち直りつつある。げに恐ろしきは、自動小銃の乱射を喰らってもほぼ無傷である事か。真正の怪物だ。だが……


(怪物と言うなら……私だって同じなのよ……!)


 翼をはためかせながら加速し、途中に落ちていた刀を拾い上げる。狼男はジョンに敵意を向けて威嚇の咆哮をかまそうとしていた。一時的にカーミラの存在を忘れたようだった。隙だらけだ。

「う、おおぉぉぉっ!」

 気合と共に、奴の首を切断してやる勢いで刀を斬り払う。直前で気付いたらしい狼男が咄嗟に左腕を上げてガードしてくる。カーミラは構わず強引に刀を突き入れる。

「グガッ!?」
「ぬあぁぁぁぁっ!!」

 そのまま横一直線に切り裂いた! 狼男の左手から腕に掛けて深い裂傷が走る。奴がうめき声を上げる。どうやら多少は効いたらしい。

「ガアァァァァッ!」
「……ッ!」

 怒り狂った狼男が向きを変えて右腕を薙ぎ払う。丸太のように太い腕に鉤爪が生えた凶器だ。その凶器の全力のフルスイングをまともに喰らったカーミラは、左腕が引き千切られ更に胴体にも深い裂傷を負いながら弾き飛ばされた。


「ッ! ミラーカァーーー!!」


 遠くからローラの絶叫。10メートルは弾き飛ばされたカーミラはそのまま地面に打ち付けられた。

「がは……!」

 口から血が吹きこぼれる。余りの傷に咄嗟には立ち上がる事も出来ない。狼男がカーミラに止めを刺そうと迫ってくる。そのままではカーミラに抗う術は無い。勝負は奴の勝ちだ。だが……

 カーミラは血の滲んだ口を笑みに吊り上げる。試合(・・)は自分達の勝ちだ。



 ――ウウウゥゥゥゥゥーーー!



 遠くから徐々に大きくなってくる……パトカーのサイレン(・・・・・・・・・)。それも一台ではない。何十台ものパトカーが集結してくる大音量が迫ってくる。間違いなくここを目指している。


「ヌ……グッ……!?」

「う、ふふ……何十人もの警官相手に大乱闘でもしてみる? あなたなら勝てるかも知れないけど……それだと()が続かないわよねぇ?」


 人外の怪物がうろついている事が完全に公になった日には、街は大パニックだ。現代の魔女狩りが発生する危険すらある。このロサンゼルスから一般市民はどんどんいなくなっていくだろう。ロサンゼルスを餌場にしているらしいこの化け物にとって、それは望ましい展開ではないはずだ。

 姿を現す前に、事前に『ルーガルー』がギブソン刑事を襲っていると匿名で通報しておいたのだ。カーミラの目的は最初から奴を倒す事よりも、警察が駆け付けてくるまでの時間稼ぎにあった。

 現職の刑事の名前を出しておけば悪戯と判断される事も無い。そして『ルーガルー』は警察が現在、最優先確保対象としている凶悪犯のはずだ。場所がゴルフ場である事も伝えておけば、包囲の為に大勢の警官が押し寄せるはずだという確信があった。  

 
「グゥゥゥゥ……!」


 狼男はしばらく唸っていたかと思うと、カーミラを物凄い目つきで一睨みしてから身を翻した。跳躍しながら恐ろしい勢いで駆け去って行く。やがてその姿はゴルフ場を囲む周囲の木立に紛れて完全に見えなくなった。併せて強烈な陰の気も遠ざかっていく。


 狼男は……『ルーガルー』は完全にこの場からいなくなった。カーミラ達は何とか生き延びる事が出来たのだった。 

   
「ミラーカッ!」


 狼男が去った事で金縛りが解けたらしいローラが涙声で駆け寄ってくる姿を見ながら、カーミラはようやく人心地付いたのであった。
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