File40:死に至る寄生虫

文字数 4,427文字


「ロ、ローラさん……」

 ヴェロニカは早くも泣きそうになっている。泣きたいのはローラも同じだが、やるしかないのだ。

「ヴェロニカ、しっかりして! 私達ならやれるわ! 何としても生き残るのよ!」

「……っ! 来ます!」

 モニカの警告とほぼ同時にラージャの巨体がこちらに向けて突進してきた。物凄い迫力だ。


「モニカとゾーイは奴を足止めして! ヴェロニカは『障壁』で皆を守るのよ! 私が攻撃するわ!」


 素早く指示する。現状ではこれが最善のはずだ。というより他に選択肢がない。

「わ、解ったわ!」
「大地の精霊よっ!」

 指示を受けたゾーイとモニカが砂と土の防壁を作り出してラージャを足止めする。

 Gyugiiiiiiiiii!!!

 ラージャは恐ろしい叫び声を上げて鎌を振り回す。すると強固なはずの、しかも二重の防壁が紙のように綺麗に切り裂かれた。

 だが前回と同じように崩れた防壁はまだ力を失ってはおらず、ラージャの身体に纏わりついて動きを阻害する。しかしラージャはお構いなしに強引に肉薄してくる。ローラは舌打ちした。

「ヴェロニカ! 『衝撃』よ!」

「は、はい!」

 ヴェロニカの力はあの溶解液の防御にとっておきたかったが、背に腹は代えられない。何といってもローラ達後衛組は敵に接近されたらおしまいなのだ。

 ヴェロニカが『衝撃』を放つと敵は巨体なのでまともに喰らって、僅かに体勢をよろめかせる。本当は完全に動きを止めたかったが贅沢は言っていられない。


(お願い、当たって……!)

 ――ドウゥゥゥゥンッ!!


 ラージャの頭部に狙いを定めて、デザートイーグルの引き金を引く。頭部に神聖弾が命中すれば倒せるはずだ。だが……

「……!」

 ラージャは完全に動きを止められた訳ではない為、本能的に危険を察したのかカマキリの上体を反らせるようにして神聖弾の直撃を回避してしまった!

「……ッ! チクショウッ!!」

 巨体の割に素早い動きを見せたラージャの反応に、ローラは激情から悪態を吐く。だがそれで事態が好転する事など無い。

「そ、そんな……!」

 ヴェロニカが絶望に呻く。ゾーイとモニカは全霊を込めた防壁が破られたばかりで、すぐには次の力を使用する事ができない。ローラもラージャの甲殻を突き破るほどの霊力はすぐには再填できない。ヴェロニカは『衝撃』なら連発できるが、この状況では焼け石に水だ。


 為す術なくなった無力な女達。ラージャはそんな彼女達の儚い抵抗を突き破って肉薄してくる。走って逃げた所で到底逃げ切れる速さではない。

「……っ」

 モニカが思わずといった感じで先頭に躍り出て、ローラ達を庇うように両手を広げる。ローラは驚いて目を見開くが止めるのは間に合わない。そしてラージャの巨大な鎌が容赦なくモニカの華奢な身体ごと両断しようと振り下ろされ――


「モニカァァァァァッ!!!」


 ――る直前で、ピタッと止まった。


「「…………え?」」

 ローラもヴェロニカも、モニカも……全員が唖然とした表情で、目の前で起きている現象(・・)を眺めていた。

 ラージャの全身に砂の塊(・・・)が纏わりついていた。それも先程のゾーイが作った砂の防壁よりも遥かに大量の砂だ。それでいてその大量の砂はこれまでとは比較にならぬ強固さで、ラージャの動きを完全に止めてしまっているのだ。

「……ゾーイ?」

 3人の視線がラージャから……この砂を操っているだろうゾーイに向けられる。砂を操る力は彼女しか使えない。しかしローラの知る限りゾーイにここまで強い力は無かったはずだ。


「……何をしておる、うつけ共が。早くこやつを始末せぬか」


「……っ!?」

 ゾーイが苛立ったようにローラ達に止めを促す。だがその口調は明らかにゾーイの物ではない。ヴェロニカとモニカは未だに呆気に取られて突如豹変したゾーイを眺めていたが、ローラだけは辛うじて優先順位を判断して行動できた。

「く……!」

 ラージャが唯一自由になる口から、こちらに向かって溶解液を吐き付けようとしてきたのもあって、ローラは反射的に銃口を向けて再度デザートイーグルの引き金を絞った。

 今度は完全に動きが止まっていたのもあって、神聖弾は狙い過たずラージャの頭部に命中し爆散させた。

 砂の拘束が解除されるとラージャの巨体が地響きを立てて地に沈んだ。しかしローラ達の注意と視線はゾーイに向けられたままだ。


「ゾーイ……じゃないわね? あなたは、まさか……」

 ゾーイより遥かに強力な砂を操り、彼女とも深く関連していた存在。しかもローラは今の『ゾーイ』の口調と……何よりも圧倒的に膨れ上がったこの禍々しい魔力に覚えがあったのだ。

 果たして『ゾーイ』は酷薄な笑みを浮かべた。

「ああ……この『魔界』とやらは素晴らしいな。僅か数時間で()が表に出て来れるだけの魔力を吸収できてしまったぞ」

「……っ!」

 その正体を半ば看過していたローラと異なり、ヴェロニカとモニカは驚きに目を瞠る。


メネス王(・・・・)ね?」


 ローラが努めて冷静に告げると、特にヴェロニカの顔が見る見る青ざめていく。『バイツァ・ダスト』事件の折に、彼女がメネス達から受けた仕打ちはトラウマになっていてもおかしくない。

 『ゾーイ』――メネスは再び薄く笑って肯定した。

「いかにも。久しぶりだな、女よ。以前には見ない顔もあるようだな」

「……っ」

 メネスの妙にねっとりとした視線を受けてモニカが怯む。彼女とヴェロニカを庇うようにローラは前に進み出る。勿論いつでも神聖弾を撃てるように警戒しながらだが。

「……まさかゾーイが力を使えるようになったのは?」

「無論、余が力を貸し与えていたからだ。偶然余の力が使えるようになるなど、そんな都合の良い事が起こるはずあるまい?」

「……!」

 メネスの揶揄するような言葉にローラは唇を噛み締める。そうだ。言われてみればその通りだ。だがローラを始め誰もそんな「都合の良い偶然」を疑わなかった。

 実際はゾーイの力には極めて重い代償(・・)が存在していたのだ。


「ゾーイは? 彼女はどうなったの!?」


「今までは余の影響力は小さく、あの女が意識を失った時くらいしか表には出れなかったが……最早この身体は余の物(・・・)だ。あの女はたった今……死んだ(・・・)


「――――っ!!」

 あっさりと告げられる残酷な現実。別離の言葉も、その死を看取る事もない。否、彼女が死んだ事にさえ気づかずいつの間にか消えていた。

 それが……高校時代からの旧友であるゾーイとの最後であった。こんな最後は想像すらしていなかった。

 【悪徳郷】との戦いに代表されるような激しい死闘の末の別離であれば、まだ心の整理も付けられる。だがこれは、余りにも……


「ロ、ローラさん……」

「ぅ……うぁぁ……」

 ヴェロニカが気遣わし気な様子でローラを仰ぎ見るが、込み上げる名状しがたい感情に支配されたローラは……


「――ぁぁあああっ!! お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」


 絶叫と同時にデザートイーグルの銃口をメネスに向ける。だがその引き金を引こうとする指が動かない事に気付いた。

「……っ!?」

 いつの間にかトリガーに砂が纏わりついて引き絞る事が出来なくなっていた。焦ったローラはデザートイーグルから手を離して、懐からグロックを引き抜こうとするが……

「うぐっ!?」

「うるさいぞ、女。余は女の金切り声がこの世で最も嫌いな音なのだ」

 砂の帯は銃だけでなく彼女の腕や、そして首にも巻き付いて、彼女を中空に吊り上げてしまう。ローラは必死にもがくが当然砂の拘束が緩む事は無い。

「ローラさん!?」「今、助けます!」

 ヴェロニカとモニカは驚愕が抜けきらない中、それでもローラの危機に正気を取り戻して彼女を助けようとする。

 ヴェロニカはメネスに『衝撃』を飛ばす。メネスは反射的に砂の防壁を形成して『衝撃』を防ぐ。一時的にメネスの視界が覆われる。

「風の精霊よ! 不可視の刃をっ!」

 その隙にモニカがローラを拘束している砂の帯に真空刃を放つ。それほど強い魔力は込めていなかったのか、風の刃によって容易く裁断された砂の帯が霧散する。


「ぐぅ……! げほ! げほっ!」

 拘束から解放されて地面に落下したローラは激しく咳き込む。モニカが即座に駆け寄って介抱してくれる。ヴェロニカはそのままメネスを牽制している。

「ローラさん、大丈夫ですか!?」

「う……あ、ありがとう、2人共。お陰で……目が覚めたわ」

 礼を言ってローラは改めてデザートイーグルを手に立ち上がった。その言葉に嘘は無く、一時の激情からは醒めていた。だがゾーイを利用された挙句に殺された怒りは消える事なく燻っており、何としても旧友の仇は討たねばならなかった。

 ヴェロニカも下がってきて、3人でメネスと対峙する。


「ふ……愚かな女共よ。お前達だけで余に勝てるはずもなかろう?」

 3人が臨戦態勢となってもメネスの余裕は崩れる事なく、両手を広げて天を仰ぐような姿勢になる。

「ふぁはは、素晴らしい。素晴らしいぞ、この『魔界(ゲヘナ)』とやらは。後から後から魔力が染み込んでくる。この女を操って(・・・)ここに来させた甲斐があったというもの。余はもうじきこの女の()を破り、完全なる復活を遂げる。さすれば元の世界に凱旋する事も容易いだろう。お前達の役目は終わった。偉大な王の復活を讃える贄となるがいい」

「……っ!」

 哄笑するメネスはローラ達に視線を戻す。彼女達は一様に気圧されて無意識に後ずさる。その言葉通りメネスの魔力が急速に膨れ上がっている。奴が完全に復活するのは時間の問題だ。

 ローラ達3人だけでこの化け物を倒すのは至難の業だ。先程のラージャの比ではない。しかもゾーイが抜けた事でこちらの戦力は更に低下しているのだ。

 絶望的な状況にローラは唇を噛み締める。


(ミラーカ……私に勇気と力を貸して頂戴!)

 今どこか別の場所にいるだろう恋人の顔を思い浮かべながら、ローラは絶望的な戦いに踏み出そうとする。モニカとヴェロニカもそれに続く。

 メネスは虚しく抗おうとする生贄達に嘲るような嗤いを上げる。そして両者の戦端が開かれようとしたその瞬間――



  ――突如不気味な赤黒い天空に雷鳴が轟き、黒い落雷が4人の近くに落ちた!



「……っ!?」「何……!」

 黒い極光と轟雷の音に、ローラ達もメネスも一旦戦闘を中断して視線を向ける。落雷による爆煙は速やかに晴れ、代わりにそこには先程までは確かに居なかったモノ(・・)が存在していた。

「な…………」

 その姿を見た全員が一様に驚愕に目を見開いたが、誰よりも驚いていたのはローラであった。

 不気味な荒野とドームを背景にそこにうっそりと佇むのは……闇を吸収するかのような漆黒のローブ、そしてそこから覗く……髑髏(どくろ)の面貌。やはり骨だけの漂白された手には人の首など一撃で刈り取れそうな長大な鎌。

 髑髏の眼窩の奥には、禍々しい赤い光が揺らめいている。


 それはまさしく、これまでの事件でローラ達に様々なアドバイスを啓示してきた、あの『死神』であった!
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