File32:業炎魔
文字数 7,424文字
深夜0時。大都会ロサンゼルスは例え深夜になろうとも完全に寝静まる事は無いが、それでも人通りは明らかに少なくなる。そして夜の闇はビルやその他の建物、そして街路樹や公園の木々の間に蟠る闇を形作り、確実に人々の視界や意識を遮る効果を果たす。
「やった……!」
見ていたジェシカとヴェロニカが思わず歓声を上げるが、
「いえ、まだよ」
ミラーカ達の表情はまだ厳しいままだ。よく見ると刎ね飛ばされたジョフレイの身体からは、血が一滴も流れ落ちていなかった。いや、血の替わりに強烈な炎がその身体から噴き出す。
『おぉ……やってくれたねぇ……下等な虫けら共が……! 君達は楽には殺さないよ。地獄の業火で永遠に焼かれる苦しみを味わわせてやる』
「……!」
一塊になった炎の中からジョフレイの声が響いた。いや、口調からするとジョフレイなのだろうが、それは元の声からはかけ離れた人外の音声であった。
炎の塊を割るようにして、中から燃え盛る人型が床に降り立った。体長は7フィート(2メートル以上)は優にあり、体重も600ポンド(250キロ以上)はありそうな巨体。その身体ははち切れんばかりの筋肉と赤銅色の肌に覆われており、まるで髪や体毛のように全身に炎を纏わせていた。
「それが……貴様の正体 か。霊魔 ではないな……?」
現れた炎の魔人に対して油断なく曲刀を構えながらセネムが問い掛ける。
『当然。僕はシャイターンの上……霊王 だ。これが強さを願った僕が契約と共にマリードから貰った力の正体さ!』
「霊王 ……!! どおりで手強い訳だ」
セネムが表情を歪める。彼女には炎の魔人の正体が分かっているようだ。口ぶりやセネムの言葉から判断すると、シャイターンよりも上位の魔神という事のようだ。やはりジョフレイは完全に人間を辞めていたのだ。
『ここまで力を解放するのは初めてだ。存分に楽しませてもらおうか。ああ、安心していいよ。この部屋はマリードの結界に覆われていて、僕の炎で燃焼したり酸欠になったりする心配はないから』
そう笑った炎の魔人は両手を前に突き出す。すると炎の塊が形成され、それがまるで爆ぜるようにして拡散放射された!
「……っ!」
さながら炎のショットガンという所か。高速で迫る無数の炎の散弾にローラは思わず硬直してしまう。
「危ない!」
ミラーカが身体ごとローラを押し倒して庇ってくれた事で辛うじて難を逃れた。しかし代わりにミラーカが背中に炎を受けてしまう。
「うっ!」
ミラーカの美しい顔が苦痛に歪む。セネムは何とか自力でやり過ごしたようだ。
「ミラーカ! くそ……!」
ローラは炎の魔人に向けてデザートイーグルを発砲する。着弾し炎の魔人がよろめくがそれだけだった。
「……!」
『ははは、無駄だ! イフリートである僕にそんな物は効かないよ』
炎の魔人は哄笑すると今度は片手を頭上に掲げた。その手の先に巨大な火球が形成された。炎の魔人が手を振り下ろすのに合わせて火球が轟音を上げてローラ達に迫る。
「く……!」
ミラーカはローラを抱えて再び跳ぶ。直後に背後で爆発。着弾した火球が破裂し熱波と衝撃を撒き散らす。
「うぅぅ……!」
再びローラを庇って熱に炙られたミラーカが苦鳴を上げる。
「ミラーカ、大丈夫!?」
「う……へ、平気よ。これくらい……償い には丁度良いわ」
「……!」
ローラが言葉に詰まる。その間にもセネムが果敢に炎の魔人に攻め掛かっていたが、奴は手を薙ぎ払うだけで強大な炎を発生させ、迂闊に近付く事ができない。
炎で視界を遮られて一瞬隙が出来る。そこに爆炎を割るようにして炎の魔人が突進してきた。
「何……!?」
セネムは咄嗟に曲刀をクロスさせて閃光を発するが、同時に炎の魔人も燃え盛る拳を撃ち込んできた。
「あぐぅ……!!」
閃光で多少怯ませたものの、それは攻撃の威力を僅かに軽減させたに過ぎない。ガードの上から炎の拳を叩きつけられてセネムが吹き飛ぶ。
彼女はそのままローラ達の横まで吹っ飛んできた。
「セネム!」
「ぐ……くそ……歯が立たん」
セネムが身を起こすが、その両腕は惨たらしく火傷を負っていた。
『ははは、無様だねぇ。さっきまでの勢いはどこへ行ったのかな?』
「くっ……」
盛大な嘲笑にローラは唇を噛み締める事しかできない。奴の炎の力は強大だ。接近戦では手が出せない。デザートイーグルも通じない以上攻撃する手段がない。
(いや……)
一つだけもしかしたらと思う手段がある。しかしまだ試してもいない事で、本当に出来るかすら解らない。だがそれでも状況を打破する為には賭けてみるしかない。
(『ローラ』……私もあなたを信じるわ。お願い、私達に力を貸して)
「……2人とも聞いて。もう一度だけ、何とか奴の隙を作って欲しいの。私と……『ローラ』を信じて」
「……! 解った。あなた達 を信じるわ」
ミラーカが即座に反応した。
「ロ、『ローラ』……? 何か解らんが、解った。私も君を信じてみよう」
セネムも若干戸惑いつつも、ローラを信じて立ち向かう決意を固める。
『作戦会議は終わったかな? なにをしようと無駄だ。君達は僕に勝てないのさ!』
炎の魔人が口を大きく開くと、火炎放射を吐き出してきた。ローラは距離を取って後ろに飛び退る。ミラーカとセネムはそれぞれ左右に回避して、挟み撃ちをするように斬りかかる。
『馬鹿めっ!』
だが炎の魔人は自らを取り巻くように球状の炎の膜を発生させる。全方位を覆っていて隙が無い。
「く……!」
ミラーカもセネムも悔し気に唸って足を止めざるを得ない。そこに炎の魔人が両手を左右に広げて突き出すと、それぞれの掌から小型の火球が何発も発射されて2人に撃ち込まれる。
ミラーカもセネムも逃げ回る事しか出来ない。正面に位置しているローラもまた悔し気に顔を歪める。これでは隙にならない。
彼女がやろうとしている攻撃には、『ローラ』の力を再び引き出す必要がある。今の状況でそれをやると確実に炎の魔人に気付かれて警戒される。そうなったら万事休すだ。
だがミラーカとセネムだけでは炎の魔人の注意を完全に引き付ける事が出来ない。しかし悠長にしている暇は無い。このままではミラーカ達はすぐに限界を迎えてしまう。
(くそ……どうすれば……!)
内心で焦るローラ。だが彼女は……いや、彼女だけでなくミラーカもセネムも、激しい闘いの中で、この部屋には他にも味方 がいる事を半ば失念していた。
****
(ロ、ローラさん、すげぇ……いつの間にあんな力を……。て、感心してる場合じゃねぇ! 何かヤバそうだ。それに……このままじゃアタシ達も格好が付かないぜ!)
炎の魔人と戦うローラ達を見つめるだけだったジェシカが内心で唸った。ローラやミラーカを助けるつもりで乗り込んできたのに、無様に敵に敗北して捕らわれの身となり、肝心のローラ達が必死で戦っているのをただ見ているだけの状態となっていた。
納得できるはずがない。このままで良いはずがない。
幸いというか、自分達を捕らえているシャイターン達も戦いに夢中になっているので、その隙を突けば脱出する事は出来そうだった。だがあの炎の魔人の力からしてジェシカとは相性が悪い。接近できない以上、ジェシカが加わっても殆ど何も出来ない。
デザートイーグルの銃撃すら効かない相手では怪力で物を投げつけた所で無意味だろう。だが……
(先輩の力だったら……)
ジェシカは目の怪物の触手に囚われているヴェロニカの方にチラッと視線を向けた。ヴェロニカの力なら炎の魔人とも比較的相性が良さそうな気がする。直接は斃せなくともその動きを束縛して隙を作るだけなら、少なくとも他のメンバーに比べたらかなりやりやすそうだ。
この時点でジェシカの方針が決まった。彼女が向かうべきは炎の魔人ではなく……
彼女は自分を押さえつけているフランシスに気付かれないように、少しずつ力を溜めていた。そして、
「グルルルルゥゥッ!!」
『何……こいつ!?』
フランシスが気付いた時には既に変身を完了させていたジェシカは、一気に力を解放して背中を押さえつける犬の足を跳ね除けて飛び出していた。狙うは目の怪物の触手だ。
ヴェロニカを拘束している触手に狙いを定めて鉤爪を振るう。
『いぎゃッ!?』
目の怪物が怯んで拘束が弱まる。その隙を逃さずに引っ掻きや噛み付きを繰り返して、ヴェロニカを解放する事に成功した。
「ジェ、ジェシカ……」
「ガルルルルゥゥゥッ!!」
「……!」
呆然としているヴェロニカに炎の魔人の方を指し示し、自らはシャイターン達からヴェロニカを庇うような姿勢と位置取りで意思表示を行う。
変身すると声帯も変化して言葉が喋れなくなるのが難点だが、付き合いの長いヴェロニカにはそれだけで充分伝わったようだ。彼女の美しい顔が引き締まった。
立ち上がると炎の魔人に向けて力を集中し始める。
『この、くたばり損ないが! もう容赦はせんぞ!』
『横槍を入れる気かい!? そうはさせないよ!』
2体のシャイターンがヴェロニカを阻止せんと襲い掛かってくる。ジェシカは彼女を守るように両手を広げて真っ向から敵を迎え撃った!
ジョンに指定された通りリンカーン・パークの前の道路に車を止めたクレアは、公園の中に踏み込む。深夜という事もあって都心の只中にありながら、公園は不気味な程に静まり返り、街灯の光も木々に遮られてそこかしこに漆黒の闇が作られていた。
クレアは何となく落ち着かない気分で辺りを見渡す。周囲に他の気配はない。
「……ジョン? いるの?」
声も若干震えてしまう。先の見通せない闇は人間の根源的な恐怖を揺り起こすものだ。彼女はそれを実感していた。だが……人間ではない 存在は、むしろその闇こそを好む。
「……クレア」
「っ!?」
いきなり間近で聞こえた男の声に、クレアは思わずビクッと身体を震わせて慌てて振り返った。
そこに、まるで身体が闇に溶け込んでいるかのように佇む黒い影があった。その血の気が感じられない病的に白い顔だけが闇の中に浮き上がっている。それは人間ではあり得ない魔性の気配を纏っていた。
クレアは改めて彼等 が人間ではない、魔物なのだという事実を意識した。
「ジョ、ジョン……! び、びっくりさせないで頂戴」
内心の動揺と、僅かな怖れを抱いてしまった事を誤魔化すようにクレアは殊更大仰に溜息を吐いた。
「悪かったな。ちょっと他に誰も連れてきていないか確かめてたんでな」
ジョンは肩をすくめて闇の中から出てきた。
「誰も連れてきてないわよ。現時点ではニックの件を他の人には知られたくないし」
「そうだな。じゃあ行くとしようか」
ジョンが車のある方に顎をしゃくったので、クレアは特に疑問を抱かずに頷いてから、踵を返してジョンに背を向けて車に戻ろうとする。そして……
「俺達 のアジトにな……!」
「――っ!!?」
異変を感じた時にはもう手遅れだった。物凄い力で後ろから抱きすくめられ、抵抗する間もなく首筋に牙が突き立てられる感触。
そして自身の血を吸われていく感覚に、クレアはようやく自分が罠に嵌った事を悟った。
(ロ、ローラ……ミラーカ……。ごめんなさい……私が馬鹿だった)
何をさておいてもまず彼女達に相談すべきだったのだ。しかしニックへの愛から冷静さを欠いていた彼女は判断を誤った。その思考を最後に彼女の意識は闇に沈んでいった。
*****
「……ぅ…………はっ!?」
意識が覚醒すると見慣れない天井が視界に映った。何か寝台のような物に寝かされているようだった。クレアはそこで急激に記憶を取り戻し、ガバッと跳ね起きた。
「おう、起きたな」
「……っ!」
すぐ横にジョンの顔があった。ベッド脇に置かれた椅子に座って、面白そうに彼女の顔を覗き込んでくる。
「ジョ、ジョン! あなた、これは一体どういう事!?」
「もう察しは付いてるんだろ? 俺はニックの仲間なんだよ。他にも同志 は沢山いる。お前さんが怪しんでたムスタファの野郎を含めてな。知ってるか? あいつの正体は霊魔 なんだよ」
「……!」
彼に襲われた時点で、ジョンとニックが通じている事は解っていた。だがそれ以外の話は想定外であった。
「な、何なの? あなた達は一体何が目的なの?」
〈従者〉のニックと吸血鬼であるジョンが手を組んでいるだけでも脅威だというのに、ムスタファを含めて他にも仲間がいるという。それだけの戦力 を集めて何を企んでいるというのか。
「――その質問には僕が答えよう」
「……!!」
聞き慣れた落ち着いた声音の男性の声と共に、部屋の扉が開かれた。そこには彼女の予想通りの人物が佇んでいた。
「……ニック」
「やあ、クレア。こんな事になって残念だよ」
部屋に入ってきたニックは、ジョンが立ち上がって譲った席に座ってクレアと向き合う。
「これは……あなたの意思なの?」
「そうだよ。君にはこの争い に関わってほしくなかったんだけど、こうなった以上は仕方がない」
ニックは悲し気に嘆息した。
「君が僕に不審を抱いて連邦刑務所に行った事は解っていた。ついでに〈信徒〉が死んだ事は主人 である僕にはすぐに解るんだ。だから君がミラーカ達に相談してしまう前にジョンに頼んで先手を打たせてもらったのさ。僕が直接電話したら君は怪しんで、こんな簡単に罠に掛からなかっただろうからね」
「……っ」
全ては彼の計画通りだったのだ。ニックが非常に頭の切れる男だという事を誰よりも知っていたはずなのに、まんまと罠に嵌ってしまった。だがまさか裏でジョンと手を組んでいたなどと予想できるはずもない。
「あ、あなた達は何が目的なの? 異なる魔物同士で手を組んでまで、一体何を為そうとしているの?」
結局最初の質問に戻ってくる。ニックが解っているという風に頷く。
「君には事 が済むまでここに滞在してもらうから、僕達の目的を話しても問題ないね。僕達の目的は……ミラーカを排除する事さ」
「……っ!」
何となく予感はしていたものの、直接それを聞かされるとやはり動揺してしまう。
「僕達は魔物としての本能に従って、既に大勢の人間を殺めている。だからミラーカとは決して相容れないんだ。彼女は僕達の存在を知ったら、必ず僕達を粛清 しようとするはずだ。和解の余地はない。僕達が滅びるか、彼女が滅びるかのどちらかしかないんだ」
「……! ジョン、あなたはそれでいいの? あなたはミラーカの眷属なんでしょう?」
クレアが壁にもたれかかって話を聞いているジョンに問い掛けるが、彼は邪悪な表情で口の端を吊り上げた。
「いいも何も、元々は俺がこの話をニックに持ちかけたんだぜ? 吸血鬼同士はヴラド様を除けば完全な主従関係って訳じゃねぇ。吸血鬼ってのは本来欲望の赴くままに人間を狩る魔物なんだよ。だがあの女 は俺にそれを禁じた。この先永遠にあの女に監視されて、人間を殺す事も出来ずに生きろってか? 冗談じゃねぇぜ」
「……っ!」
その憎しみに歪んだ顔と声音はどう見ても本心だ。ミラーカの事を知っているだけについ失念してしまいがちだが、ヴラド達に代表されるように吸血鬼とは本来極めて邪悪で危険な魔物なのだ。
そもそもあのミラーカとて、中世の聖女に浄化されるまでは同じような邪悪な魔物だったという。その眷属であるジョンが邪悪であっても何らおかしい事ではないのかも知れない。
「まあ、そういう訳さ。他のメンバー達も皆利害の一致から手を組んでいる者が殆どだ。ミラーカだけじゃない。ローラや彼女の仲間達に関しても、確実に僕等の敵になるだろうという意味では同じ排除対象 なんだけどね」
「……っ。あ、あなたは、ジェシカやヴェロニカ達も手に掛けるつもりなの!?」
ギョッとして信じられない物を見るような目でニックを見やるクレア。だがニックは酷薄な笑みを浮かべるのみだ。
「それが僕等が生きる為に必要な事であれば、彼女達を殺す事に何の躊躇いも無いよ。だがやはりまずはミラーカだ。彼女を殺さなければならない。今その為の準備を整えている最中なんだ。君がローラやミラーカに僕の事を話して彼女達に直接警戒されてしまうのは、今の段階では少々都合が悪いんでね。だから君は僕達がこの争いに勝利するまでの間、ここで大人しくしていてもらうよ」
それだけを告げるとニックは、話は終わったとばかりに立ち上がった。ジョンが再び部屋の扉を開ける。
「ま、待って! 待ちなさい、ニック!」
クレアは必死に呼び止めるが、ニックとジョンは無情にも部屋から出ていき扉を閉めてしまう。外から鍵がかかる音が響く。扉に駆け寄ったクレアは中から開けようと頑張るが、頑丈な扉はビクともしなかった。
扉の小窓から外を覗くと、廊下の挟んでいくつも同じような部屋の扉が並んでいるのが見えた。どこか解らないが昔の精神病棟のような構造だ。部屋の中はベッドとトイレと、テーブルと椅子が1セットあるだけの極めて殺風景な内装であった。
携帯は当然取り上げられているので助けも呼べない。ニック達がミラーカ達を殺そうと計画を練っているのを解っていながらここに囚われているしかないのか。
(ローラ……ミラーカ……皆、お願い、どうか無事でいて……!)
何とか脱出の手段が無いか模索する傍ら、クレアは友人達の無事をひたすらに祈り続けていた……
「やった……!」
見ていたジェシカとヴェロニカが思わず歓声を上げるが、
「いえ、まだよ」
ミラーカ達の表情はまだ厳しいままだ。よく見ると刎ね飛ばされたジョフレイの身体からは、血が一滴も流れ落ちていなかった。いや、血の替わりに強烈な炎がその身体から噴き出す。
『おぉ……やってくれたねぇ……下等な虫けら共が……! 君達は楽には殺さないよ。地獄の業火で永遠に焼かれる苦しみを味わわせてやる』
「……!」
一塊になった炎の中からジョフレイの声が響いた。いや、口調からするとジョフレイなのだろうが、それは元の声からはかけ離れた人外の音声であった。
炎の塊を割るようにして、中から燃え盛る人型が床に降り立った。体長は7フィート(2メートル以上)は優にあり、体重も600ポンド(250キロ以上)はありそうな巨体。その身体ははち切れんばかりの筋肉と赤銅色の肌に覆われており、まるで髪や体毛のように全身に炎を纏わせていた。
「それが……貴様の
現れた炎の魔人に対して油断なく曲刀を構えながらセネムが問い掛ける。
『当然。僕はシャイターンの上……
「
セネムが表情を歪める。彼女には炎の魔人の正体が分かっているようだ。口ぶりやセネムの言葉から判断すると、シャイターンよりも上位の魔神という事のようだ。やはりジョフレイは完全に人間を辞めていたのだ。
『ここまで力を解放するのは初めてだ。存分に楽しませてもらおうか。ああ、安心していいよ。この部屋はマリードの結界に覆われていて、僕の炎で燃焼したり酸欠になったりする心配はないから』
そう笑った炎の魔人は両手を前に突き出す。すると炎の塊が形成され、それがまるで爆ぜるようにして拡散放射された!
「……っ!」
さながら炎のショットガンという所か。高速で迫る無数の炎の散弾にローラは思わず硬直してしまう。
「危ない!」
ミラーカが身体ごとローラを押し倒して庇ってくれた事で辛うじて難を逃れた。しかし代わりにミラーカが背中に炎を受けてしまう。
「うっ!」
ミラーカの美しい顔が苦痛に歪む。セネムは何とか自力でやり過ごしたようだ。
「ミラーカ! くそ……!」
ローラは炎の魔人に向けてデザートイーグルを発砲する。着弾し炎の魔人がよろめくがそれだけだった。
「……!」
『ははは、無駄だ! イフリートである僕にそんな物は効かないよ』
炎の魔人は哄笑すると今度は片手を頭上に掲げた。その手の先に巨大な火球が形成された。炎の魔人が手を振り下ろすのに合わせて火球が轟音を上げてローラ達に迫る。
「く……!」
ミラーカはローラを抱えて再び跳ぶ。直後に背後で爆発。着弾した火球が破裂し熱波と衝撃を撒き散らす。
「うぅぅ……!」
再びローラを庇って熱に炙られたミラーカが苦鳴を上げる。
「ミラーカ、大丈夫!?」
「う……へ、平気よ。これくらい……
「……!」
ローラが言葉に詰まる。その間にもセネムが果敢に炎の魔人に攻め掛かっていたが、奴は手を薙ぎ払うだけで強大な炎を発生させ、迂闊に近付く事ができない。
炎で視界を遮られて一瞬隙が出来る。そこに爆炎を割るようにして炎の魔人が突進してきた。
「何……!?」
セネムは咄嗟に曲刀をクロスさせて閃光を発するが、同時に炎の魔人も燃え盛る拳を撃ち込んできた。
「あぐぅ……!!」
閃光で多少怯ませたものの、それは攻撃の威力を僅かに軽減させたに過ぎない。ガードの上から炎の拳を叩きつけられてセネムが吹き飛ぶ。
彼女はそのままローラ達の横まで吹っ飛んできた。
「セネム!」
「ぐ……くそ……歯が立たん」
セネムが身を起こすが、その両腕は惨たらしく火傷を負っていた。
『ははは、無様だねぇ。さっきまでの勢いはどこへ行ったのかな?』
「くっ……」
盛大な嘲笑にローラは唇を噛み締める事しかできない。奴の炎の力は強大だ。接近戦では手が出せない。デザートイーグルも通じない以上攻撃する手段がない。
(いや……)
一つだけもしかしたらと思う手段がある。しかしまだ試してもいない事で、本当に出来るかすら解らない。だがそれでも状況を打破する為には賭けてみるしかない。
(『ローラ』……私もあなたを信じるわ。お願い、私達に力を貸して)
「……2人とも聞いて。もう一度だけ、何とか奴の隙を作って欲しいの。私と……『ローラ』を信じて」
「……! 解った。
ミラーカが即座に反応した。
「ロ、『ローラ』……? 何か解らんが、解った。私も君を信じてみよう」
セネムも若干戸惑いつつも、ローラを信じて立ち向かう決意を固める。
『作戦会議は終わったかな? なにをしようと無駄だ。君達は僕に勝てないのさ!』
炎の魔人が口を大きく開くと、火炎放射を吐き出してきた。ローラは距離を取って後ろに飛び退る。ミラーカとセネムはそれぞれ左右に回避して、挟み撃ちをするように斬りかかる。
『馬鹿めっ!』
だが炎の魔人は自らを取り巻くように球状の炎の膜を発生させる。全方位を覆っていて隙が無い。
「く……!」
ミラーカもセネムも悔し気に唸って足を止めざるを得ない。そこに炎の魔人が両手を左右に広げて突き出すと、それぞれの掌から小型の火球が何発も発射されて2人に撃ち込まれる。
ミラーカもセネムも逃げ回る事しか出来ない。正面に位置しているローラもまた悔し気に顔を歪める。これでは隙にならない。
彼女がやろうとしている攻撃には、『ローラ』の力を再び引き出す必要がある。今の状況でそれをやると確実に炎の魔人に気付かれて警戒される。そうなったら万事休すだ。
だがミラーカとセネムだけでは炎の魔人の注意を完全に引き付ける事が出来ない。しかし悠長にしている暇は無い。このままではミラーカ達はすぐに限界を迎えてしまう。
(くそ……どうすれば……!)
内心で焦るローラ。だが彼女は……いや、彼女だけでなくミラーカもセネムも、激しい闘いの中で、この部屋には他にも
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(ロ、ローラさん、すげぇ……いつの間にあんな力を……。て、感心してる場合じゃねぇ! 何かヤバそうだ。それに……このままじゃアタシ達も格好が付かないぜ!)
炎の魔人と戦うローラ達を見つめるだけだったジェシカが内心で唸った。ローラやミラーカを助けるつもりで乗り込んできたのに、無様に敵に敗北して捕らわれの身となり、肝心のローラ達が必死で戦っているのをただ見ているだけの状態となっていた。
納得できるはずがない。このままで良いはずがない。
幸いというか、自分達を捕らえているシャイターン達も戦いに夢中になっているので、その隙を突けば脱出する事は出来そうだった。だがあの炎の魔人の力からしてジェシカとは相性が悪い。接近できない以上、ジェシカが加わっても殆ど何も出来ない。
デザートイーグルの銃撃すら効かない相手では怪力で物を投げつけた所で無意味だろう。だが……
(先輩の力だったら……)
ジェシカは目の怪物の触手に囚われているヴェロニカの方にチラッと視線を向けた。ヴェロニカの力なら炎の魔人とも比較的相性が良さそうな気がする。直接は斃せなくともその動きを束縛して隙を作るだけなら、少なくとも他のメンバーに比べたらかなりやりやすそうだ。
この時点でジェシカの方針が決まった。彼女が向かうべきは炎の魔人ではなく……
彼女は自分を押さえつけているフランシスに気付かれないように、少しずつ力を溜めていた。そして、
「グルルルルゥゥッ!!」
『何……こいつ!?』
フランシスが気付いた時には既に変身を完了させていたジェシカは、一気に力を解放して背中を押さえつける犬の足を跳ね除けて飛び出していた。狙うは目の怪物の触手だ。
ヴェロニカを拘束している触手に狙いを定めて鉤爪を振るう。
『いぎゃッ!?』
目の怪物が怯んで拘束が弱まる。その隙を逃さずに引っ掻きや噛み付きを繰り返して、ヴェロニカを解放する事に成功した。
「ジェ、ジェシカ……」
「ガルルルルゥゥゥッ!!」
「……!」
呆然としているヴェロニカに炎の魔人の方を指し示し、自らはシャイターン達からヴェロニカを庇うような姿勢と位置取りで意思表示を行う。
変身すると声帯も変化して言葉が喋れなくなるのが難点だが、付き合いの長いヴェロニカにはそれだけで充分伝わったようだ。彼女の美しい顔が引き締まった。
立ち上がると炎の魔人に向けて力を集中し始める。
『この、くたばり損ないが! もう容赦はせんぞ!』
『横槍を入れる気かい!? そうはさせないよ!』
2体のシャイターンがヴェロニカを阻止せんと襲い掛かってくる。ジェシカは彼女を守るように両手を広げて真っ向から敵を迎え撃った!
ジョンに指定された通りリンカーン・パークの前の道路に車を止めたクレアは、公園の中に踏み込む。深夜という事もあって都心の只中にありながら、公園は不気味な程に静まり返り、街灯の光も木々に遮られてそこかしこに漆黒の闇が作られていた。
クレアは何となく落ち着かない気分で辺りを見渡す。周囲に他の気配はない。
「……ジョン? いるの?」
声も若干震えてしまう。先の見通せない闇は人間の根源的な恐怖を揺り起こすものだ。彼女はそれを実感していた。だが……人間
「……クレア」
「っ!?」
いきなり間近で聞こえた男の声に、クレアは思わずビクッと身体を震わせて慌てて振り返った。
そこに、まるで身体が闇に溶け込んでいるかのように佇む黒い影があった。その血の気が感じられない病的に白い顔だけが闇の中に浮き上がっている。それは人間ではあり得ない魔性の気配を纏っていた。
クレアは改めて
「ジョ、ジョン……! び、びっくりさせないで頂戴」
内心の動揺と、僅かな怖れを抱いてしまった事を誤魔化すようにクレアは殊更大仰に溜息を吐いた。
「悪かったな。ちょっと他に誰も連れてきていないか確かめてたんでな」
ジョンは肩をすくめて闇の中から出てきた。
「誰も連れてきてないわよ。現時点ではニックの件を他の人には知られたくないし」
「そうだな。じゃあ行くとしようか」
ジョンが車のある方に顎をしゃくったので、クレアは特に疑問を抱かずに頷いてから、踵を返してジョンに背を向けて車に戻ろうとする。そして……
「
「――っ!!?」
異変を感じた時にはもう手遅れだった。物凄い力で後ろから抱きすくめられ、抵抗する間もなく首筋に牙が突き立てられる感触。
そして自身の血を吸われていく感覚に、クレアはようやく自分が罠に嵌った事を悟った。
(ロ、ローラ……ミラーカ……。ごめんなさい……私が馬鹿だった)
何をさておいてもまず彼女達に相談すべきだったのだ。しかしニックへの愛から冷静さを欠いていた彼女は判断を誤った。その思考を最後に彼女の意識は闇に沈んでいった。
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「……ぅ…………はっ!?」
意識が覚醒すると見慣れない天井が視界に映った。何か寝台のような物に寝かされているようだった。クレアはそこで急激に記憶を取り戻し、ガバッと跳ね起きた。
「おう、起きたな」
「……っ!」
すぐ横にジョンの顔があった。ベッド脇に置かれた椅子に座って、面白そうに彼女の顔を覗き込んでくる。
「ジョ、ジョン! あなた、これは一体どういう事!?」
「もう察しは付いてるんだろ? 俺はニックの仲間なんだよ。他にも
「……!」
彼に襲われた時点で、ジョンとニックが通じている事は解っていた。だがそれ以外の話は想定外であった。
「な、何なの? あなた達は一体何が目的なの?」
〈従者〉のニックと吸血鬼であるジョンが手を組んでいるだけでも脅威だというのに、ムスタファを含めて他にも仲間がいるという。それだけの
「――その質問には僕が答えよう」
「……!!」
聞き慣れた落ち着いた声音の男性の声と共に、部屋の扉が開かれた。そこには彼女の予想通りの人物が佇んでいた。
「……ニック」
「やあ、クレア。こんな事になって残念だよ」
部屋に入ってきたニックは、ジョンが立ち上がって譲った席に座ってクレアと向き合う。
「これは……あなたの意思なの?」
「そうだよ。君にはこの
ニックは悲し気に嘆息した。
「君が僕に不審を抱いて連邦刑務所に行った事は解っていた。ついでに〈信徒〉が死んだ事は
「……っ」
全ては彼の計画通りだったのだ。ニックが非常に頭の切れる男だという事を誰よりも知っていたはずなのに、まんまと罠に嵌ってしまった。だがまさか裏でジョンと手を組んでいたなどと予想できるはずもない。
「あ、あなた達は何が目的なの? 異なる魔物同士で手を組んでまで、一体何を為そうとしているの?」
結局最初の質問に戻ってくる。ニックが解っているという風に頷く。
「君には
「……っ!」
何となく予感はしていたものの、直接それを聞かされるとやはり動揺してしまう。
「僕達は魔物としての本能に従って、既に大勢の人間を殺めている。だからミラーカとは決して相容れないんだ。彼女は僕達の存在を知ったら、必ず僕達を
「……! ジョン、あなたはそれでいいの? あなたはミラーカの眷属なんでしょう?」
クレアが壁にもたれかかって話を聞いているジョンに問い掛けるが、彼は邪悪な表情で口の端を吊り上げた。
「いいも何も、元々は俺がこの話をニックに持ちかけたんだぜ? 吸血鬼同士はヴラド様を除けば完全な主従関係って訳じゃねぇ。吸血鬼ってのは本来欲望の赴くままに人間を狩る魔物なんだよ。だが
「……っ!」
その憎しみに歪んだ顔と声音はどう見ても本心だ。ミラーカの事を知っているだけについ失念してしまいがちだが、ヴラド達に代表されるように吸血鬼とは本来極めて邪悪で危険な魔物なのだ。
そもそもあのミラーカとて、中世の聖女に浄化されるまでは同じような邪悪な魔物だったという。その眷属であるジョンが邪悪であっても何らおかしい事ではないのかも知れない。
「まあ、そういう訳さ。他のメンバー達も皆利害の一致から手を組んでいる者が殆どだ。ミラーカだけじゃない。ローラや彼女の仲間達に関しても、確実に僕等の敵になるだろうという意味では同じ
「……っ。あ、あなたは、ジェシカやヴェロニカ達も手に掛けるつもりなの!?」
ギョッとして信じられない物を見るような目でニックを見やるクレア。だがニックは酷薄な笑みを浮かべるのみだ。
「それが僕等が生きる為に必要な事であれば、彼女達を殺す事に何の躊躇いも無いよ。だがやはりまずはミラーカだ。彼女を殺さなければならない。今その為の準備を整えている最中なんだ。君がローラやミラーカに僕の事を話して彼女達に直接警戒されてしまうのは、今の段階では少々都合が悪いんでね。だから君は僕達がこの争いに勝利するまでの間、ここで大人しくしていてもらうよ」
それだけを告げるとニックは、話は終わったとばかりに立ち上がった。ジョンが再び部屋の扉を開ける。
「ま、待って! 待ちなさい、ニック!」
クレアは必死に呼び止めるが、ニックとジョンは無情にも部屋から出ていき扉を閉めてしまう。外から鍵がかかる音が響く。扉に駆け寄ったクレアは中から開けようと頑張るが、頑丈な扉はビクともしなかった。
扉の小窓から外を覗くと、廊下の挟んでいくつも同じような部屋の扉が並んでいるのが見えた。どこか解らないが昔の精神病棟のような構造だ。部屋の中はベッドとトイレと、テーブルと椅子が1セットあるだけの極めて殺風景な内装であった。
携帯は当然取り上げられているので助けも呼べない。ニック達がミラーカ達を殺そうと計画を練っているのを解っていながらここに囚われているしかないのか。
(ローラ……ミラーカ……皆、お願い、どうか無事でいて……!)
何とか脱出の手段が無いか模索する傍ら、クレアは友人達の無事をひたすらに祈り続けていた……