File44:地底湖の怪物

文字数 4,486文字

「ジェシカ、無事だったようで何よりだわ」

「あ、ありがとう。ミラーカさんのお陰だよ。でも……他には誰も? ローラさんは?」

 当然と言えば当然のジェシカの質問にカーミラはかぶりを振る。こっちが聞きたいくらいだが、この様子ではジェシカも何も知らないようだ。

「ここがどこなのかは解らないけど、魔力が充満していてローラも含めて他の面々の気配を感知できないのよ。あなたは偶々近くだったから辛うじて解ったけど」

「そ、そうか……皆、心配だな」

 ジェシカは気味悪そうに周囲の風景を窺う。天井は高く広いとはいえ、空の見えない閉鎖空間はそれだけで何となく息が詰まる感覚を与える。

 迷宮で視界が遮られている上、至る所に魔力が漂っているので魔力感知が働きにくく、これでは仲間達を見つけるのは至難の業だ。

(ん? 魔力探知なら……?)

 そこまで考えてカーミラは手を叩いた。最初にジェシカと合流できたのはむしろ僥倖だったかも知れない。


「ジェシカ……他の皆の臭いは憶えてる(・・・・・・・)?」


「え……あ! そ、そうか! ああ、ローラさんと先輩が一番だけど、他の皆の臭いも大体解るよ!」

 カーミラが何を言いたいかを悟ったジェシカも、自分の能力を思い出して手を叩く。そして勢い込んで請け負ってくれた。


 善は急げという事で早速再び変身したジェシカが、その優れた嗅覚に全神経を集中させて臭いを嗅ぎ分け始める。カーミラはそれを邪魔しないように一切声を掛けずに、ただ周囲に再び怪物が寄ってこないように警戒する。

 優に10分以上の時間が経過する。ジェシカは目を固く閉じて集中する姿勢のまま動かない。鼻に全神経を集中させているようだ。それでも中々容易ではないらしく、時折表情を歪めていた。

 だが20分が経過した辺りで、ジェシカが目をカッと見開いた。

「ガゥッ!!」

「……! 何か見つけたのね?」

 ジェシカは頷くと、地を這うような低い姿勢で走り出す。カーミラもそれに続く。迷宮の回廊は複雑に分岐していたが、ジェシカはどのような嗅覚か正確に道筋が解っているようで、迷いなく進んでいく。

 途中であの化け蜘蛛や化けムカデなどと遭遇したが、少数の化け蜘蛛はカーミラが露払いして、ジェシカの追跡を邪魔させないようにする。ムカデに関しては少々手強いので、カーミラが戦闘形態になってジェシカを抱えて一時的に飛行する事でスルーした。



 そしてそんな追跡劇を数十分ほど続けた後、2人はかなり広い空間に出ていた。天井は更に高く、広さもちょっとした屋内スタジアムくらいの面積がありそうだ。またこの空間には今までの回廊のような石壁が殆ど無く、剥き出しの地面や岩盤で構成され、所々に大きく突き出た岩も存在していて起伏に富んだスペースとなっていた。

 そしてそれだけでなく()があった。それもただの水たまりではない。あの岩盤の発光によって青白く光る何とも幻想的で巨大な地底湖が存在していたのだ。

 カーミラもジェシカも一瞬その幻想的な光景に目を奪われたが、すぐにそんな場合ではないと意識を切り替える。

 その地底湖の向こう側では激しい戦闘(・・)の真っ最中であった。先程ジェシカと合流した時と同じような状況だ。


 まず目に付いたのは、身体が岩か鉱物で出来ているかのような外見の超巨大ワニであった。背中からはやはり青白く発光する鉱物の塊が何本も突き出ている。

 ざっと見でも体長は優に20メートルを超えている化け物ワニであった。勿論その顎も牙も相応に巨大だ。あの顎に挟まれたらどうなるか、カーミラは余り想像したくなかった。


 しかし重要なのはそこではない。その巨大ワニと戦っている人物達(・・・)こそが重要だ。


 1人は黒髪に褐色の肌を紫の露出鎧に包んだ女戦士、セネムだ。鉱物ワニを神霊光で怯ませつつ、両手に持った二刀で斬り付けている。

 そしてもう1人は……銀髪に真っ白い肌の格闘メイド、シグリッドだ。ワニの噛み付きを躱しつつ反撃で蹴りや拳を撃ち込んでいる。

 どうやら2人はカーミラ達と同じように独自に合流していたようである。しかし水を求めてあの地底湖に近寄った所で、そこに潜んでいた巨大ワニの襲撃を受けたという所だろうか。

 あのワニはその見た目に違わずかなり外皮が固いらしく、高い攻撃力を誇るはずのセネムやシグリッドが有効なダメージを与えられない様子だ。逆に暴れ回る巨大ワニの猛攻に押されて、次第に厚い岩盤が聳える壁際に追い詰められている。明らかに旗色が悪そうだ。

 カーミラはジェシカと目線で頷き合うと、即座にセネム達の加勢に入るべく駆け付ける。


「セネム! シグリッド! 加勢するわ!」

「……!! ミラーカ!? それにジェシカも!? ……ありがたい! 奴の後ろから攻撃して注意を逸らせてくれ!」

 セネムはカーミラ達の姿を見て一瞬瞠目するが、そこは優れた戦士たる彼女の事、すぐに頭を切り替えてまずは窮地を切り抜ける事を優先させる。シグリッドも同様の反応で、無言のまま戦闘を継続させる。


「ガゥゥゥゥッ!!」

 ジェシカは唸り声を上げながら、巨大ワニの尻尾に飛びついて取り付くと、鉤爪を振るって攻撃するがやはり奴の強固な皮膚に弾かれてしまう。しかしワニの注意をセネム達から散らせる効果はあった。

 ワニは煩わしそうな様子で尻尾を振り回すが、ジェシカは必死にしがみ付いて振り落とされまいとする。カーミラはその隙に暴れ回るワニの背中に空中機動で回り込むと、連続して刀を煌めかせる。

「……ッ! 何て硬さ……!」

 刀越しに伝わる衝撃に顔を顰める。魔力で強化された刀身が刃こぼれしそうな程だ。と、その時ワニの背中から突き出ている巨大な鉱物のような物体が激しく明滅した。そしてワニが僅かに背中を丸めるような姿勢になる。

 何か剣呑な予感を覚えたカーミラは翼をはためかせて離脱しようとするが、それより一瞬早くその鉱物状の器官から、強烈な電撃(・・)が全方位に向かって一斉に放射された!

「なっ!? ぐぅ……!」
「ガァッ!!」

「ミラーカ!? ちぃ……!」
「……っ!!」

 予想外の攻撃に、特に発生源から近い距離にいたカーミラとジェシカは電撃を避けきれずに、被弾して吹き飛ばされてしまう。セネムとシグリッドは地面を転がるようにして電撃を回避する事ができた。


「ミラーカ! ジェシカ! 大丈夫か!?」

 電撃で吹き飛ばされて地面に転がった2人にセネムが大声で安否を確認する。

「く……あ、余り、大丈夫とは、言えないわね……」

「グゥ……」

 カーミラ達は苦し気に身を起こす。即死する程の威力が無かったのは不幸中の幸いだったが、正直かなりのダメージを負ってしまった。セネム達は元々苦戦して傷ついていたので、これで全員無傷ではない状態だ。

 鉱物ワニはダメージを受けて弱った獲物達を捕食せんと、その巨体を揺らしながら肉薄してくる。ターゲットは電撃を受けたばかりで動きの鈍いカーミラ達だ。

「ち……!」

 カーミラはふらつく身体に鞭打って立ち上がる。近くではジェシカも同様に苦心して立ち上がっていた。だがその時には鉱物ワニが彼女の間近まで迫って来ていた。

「ミラーカ、逃げろっ!」

 セネムが叫ぶ。だが彼女は敢えて逃げなかった。ここで逃げても奴の硬い表皮を破る手段が無ければジリ貧だ。そして彼女には唯一思いついた方法があった。というよりそれしか思いつかなかったという方が正しいか。


「ジェシカ、協力しなさい! 奴の噛み付き(・・・・)を『止める』わよ!」


「……ッ!」

 ジェシカは目を見開いた。だが悠長に説明している時間は無い。先のムカデの時と立場が逆になった。

 そしてカーミラの目前まで迫ってきた巨大ワニが、その彼女の身長よりも大きい大顎を縦に開いて、彼女を噛み砕かんと横向きにかぶり付いてくる。カーミラは敢えて逃げずに刀を捨てるとその場で踏ん張って、噛み付きを正面から両手で受け止めた(・・・・・)

「ぐっ……うぅぅぅぅっ!!!」

 見た目通りの恐ろしい咬筋力にカーミラは戦闘形態になっているにも関わらず、あっという間に力負けしそうになる。そのまま為す術も無く噛み砕かれる寸前……

「ギャウッ!!」

 彼女の意図を察したらしいジェシカがカーミラに加勢して、やはり両手でワニの噛み付きを押さえる。

「ぐ……く……」
「ギ、ガァァ……!」

 恐るべき事に2人の人外が全力で踏ん張って抑えているというのに、巨大ワニの大顎はその抵抗さえ物ともせずに、徐々に上顎と下顎が近付いていく。このままでは2人共噛み殺される。想像以上のワニの咬筋力に焦るカーミラ達だが……

「加勢します」

「……!」

 同じようにカーミラの意図を察したのだろうシグリッドが、ジェシカと並ぶようにしてワニの上顎を押さえる。勿論全力を解放したトロールハーフの姿だ。彼女が上顎を押さえてくれるお陰で、ジェシカは下顎だけに全力を集中できるようになった。

 吸血鬼、人狼、トロール。

 3体の人外がその全力を解放して抗う事でようやく互いの力が拮抗し、ワニの大顎の挟み込みが止まる。だが見た目には止まっているように見えても、その実カーミラ達は3人とも必死であり、恐らく後10秒もこの拮抗状態を維持できないだろう。

 だが……10秒あれば充分であった。


「外が駄目なら内からか。後は私に任せろ!」

 この場で唯一自由が利くセネムが、カーミラ達3人が全力で抑え込む事で結果として開きっぱなし(・・・・・・)になっている、ワニの顎の間に潜り込む。

『نور فلش!!』

 半ば口腔内部という超々至近距離で神霊光を放ちつつ、霊力を帯びた二振りの曲刀を鉱物ワニの喉の奥に向かって限界まで突き入れた!

 どんな固い表皮を持つ怪物も、体内(・・)までは固くない。その性質はこの得体の知れない世界の生物であっても同じだったようだ。カーミラの目論見通りだ。

 魔物にとっては猛毒とも言える霊力を帯びた霊刀で弱点の体内を貫かれた鉱物ワニは、その場で激しく痙攣するとやがて全身を弛緩させて動かなくなった。同時にカーミラ達を挟み込まんとしていた恐ろしい圧力も消失する。


「死んだ……わよね?」

「……恐らくは」

 カーミラの問いに、シグリッドがやや自信なさげに答える。そこに刀をワニの体内から引き抜いたセネムが振り返る。

「手応えはあった。こいつは間違いなく死んだ」

 止めを刺した彼女がそう言うなら間違いない。カーミラ達はやっと緊張と力を抜いて、ふぅーー……と大きく息を吐きながらその場に座り込んでしまう。


 思いの外強敵であった。その巨体や固い表皮、咬筋力だけでなく、あんな電撃を放つ能力まで備えていたとは。少なくともこいつがもう一体現れたら、無理に戦うより間違いなく退避を選択するだろう。

 だが今の派手な戦いの最中にも、敵に援軍(・・)が現れる気配は無かった。とりあえずここはこのワニの縄張りか何かで、他の敵対的な生物はいないようだ。

「丁度いい水場があるし、ここで少し休憩しましょうか。今の状況も整理したいしね。勿論最低限の警戒は怠らないようにしてね」

「賛成だ」

 カーミラの提案にセネムが頷いた。勿論ジェシカとシグリッドも異存があろうはずもない。
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