File8:過ぎし日の思い出
文字数 2,504文字
ナイトクラブ『アルラウネ』は以前ローラが訪れた時と同様、ナイトクラブというイメージからすると落ち着いた内装と雰囲気であり、店内には緩やかな音楽が流れ、客達は皆思い思いに夜の一時を楽しんでいた。
テーブル席は奥まったスペースにある上に、席と席が離れていて半ば個別ブースのような状態となっているので、『密談』をするにはもってこいと言える。だからこそミラーカもかつてローラをここに呼び出したのだろう。
ローラはここで初めてミラーカから吸血鬼の話を聞かされた時の事を思い出していた。あの時はまさか自分が、その後も様々な怪物達に狙われる事になるとは思ってもみなかった。そしてまさか自分が他人をここに呼び出す日が来ようとも……
「ローラ、緊張しているの?」
そんなテーブル席の一つを借り切って座すローラに、ミラーカが横合いから声を掛けてくる。出会った時から何一つ変わっていないその妖艶な姿で、しなだれかかるようにゆったりと席に腰掛ける彼女の姿は、見慣れているはずのローラもついドキリとしてしまう魔性の色香に満ちていた。
「まあ、正直に言うと……そうね。何しろこんな経験初めての事だし、ナターシャを上手く『説得』できるのか自信が無いのよ。もし失敗すれば街は大パニック。ナターシャは最悪消される可能性があるし、私達も今まで通りの暮らしが出来なくなる。そう思うとどうしてもね……」
これは一種の賭けなのだ。失敗すれば最悪全てを失う可能性だってある。やっと一緒になれたミラーカと引き離されるような事になったら、耐えられるか自信がない。
昨日は自分の思い付きに自信があったし、恐らく問題は無いはずだとも思うのだが、やはりいざその時になってみると弱気が首をもたげる。
「ローラ、大丈夫よ。その為 に私を呼んだのでしょう?」
「ミ、ミラーカ……」
「私は過去の500年間の中で、自分の正体が露見しそうになった経験は何度も体験してきている。そしてその都度乗り越えてきたのよ。100年以上前だけど、フランスでやはり熱血な新聞記者に吸血鬼だと露見しかけて、しつこく追い回された事もあったわね」
その時の事を思い出しているのか、ミラーカが少し懐かしそうな目になる。
「そ、そんな事が!? それで、どうなったの!?」
「ふふ……彼 もやはり真実を明らかにするまでは絶対に引かないという強い信念を持っていたわ。でもそんな彼を疎ましく思う者達も大勢いてね……。とある大物の汚職政治家がマフィアに依頼して彼を亡き者にしようとしたの」
「え……まさか、その抗争に関わったなんて言わないわよね?」
ミラーカは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ふふ、そのまさかよ。マフィアの刺客に襲われる彼を放っておけなくて、つい助けてしまったのよ。そこで吸血鬼だと完全にバレてしまったのだけれど……」
「ええ!?」
(過去にミラーカが吸血鬼である事を知っている人がいた? あのエルンストでさえ知らなかったのに。でも……)
ローラの思考を読んだかのように、ミラーカが笑みを深くする。
「そう。でも吸血鬼が実在したなんて報道の記録は無いわよね? 彼は結局私の正体を黙っていてくれたのよ」
「ど、どうして……?」
ナターシャのようなタイプの記者だったなら、例え脅されてもそれに屈する事はしないだろう。だからこそローラも頭を悩ませているのだが。
「まあ、彼とはその後も色々あってね……。命を狙ってくるマフィアと戦い、汚職警官達まで巻き込んで、最終的に彼は遂にその大物政治家のスキャンダルの証拠を掴みそれを白日の下に晒して、その政治家を失脚させる事に成功した。私の警告も聞かずに突き進む彼を助ける為に、結局私もその『戦い』に協力したのよ」
恐らくマフィアや汚職警官との戦いで大活躍した事だろう。ミラーカが当時の情景を思い出したのか、少し楽しそうな表情となる。
「彼は私に深く感謝し、吸血鬼の秘密を墓場まで持っていく事を約束してくれた。そして事実その後もフランスの新聞に吸血鬼の話題が載る事はついぞ無かったわ……」
「…………」
思いがけず、ミラーカの過去のエピソードの一つを聞いてしまった。まるで映画の題材にでも出来そうな劇的な体験だ。ローラは途中からどうしても気になっていた事を聞く。
「そ、それで……その、『彼』とは何も無かったの……?」
「あら……妬いてくれてるのかしら?」
「……ッ! そ、それは、まあ……どうしたって気になるでしょう?」
「ふふ、そうね……。結論から言えば、『何か』はあったわ。彼はちょっと暑苦しいけどいい男だったし、あの時はお互いに気持ちが盛り上がっていたものだから……」
「そうなんだ……」
元がヴラドの愛妾だったことからも解るように、ミラーカは基本的にはバイセクシャルである。過去、今のように風俗産業が多様化する前は、欧州で普通に男性相手の娼婦として稼いでいた時期もあったらしい。
勿論ローラが生まれるよりも遥か前の事にあれこれ言うつもりはない。ローラはミラーカのそういう奔放な所にも惹かれた訳であるからして。
だがやはり恋人の過去の交際関係 は知っておきたいというのが本音だ。
「でももう100年以上も前の事だし、その後彼も家庭を築いて、最後は第一次大戦で戦地の取材に行ったまま行方不明になったわ。恐らく戦闘に巻き込まれて亡くなったんでしょう」
「あ……ご、ごめんなさい」
「ふふ、いいのよ。多分彼も最後まで自分らしく生きて本望だったでしょうし。……まあ、ちょっと脱線してしまったけど、要は色々な状況を体験して、その都度潜り抜けてきているという事。だから今回の事もあくまでその一つに過ぎない。私に任せておきなさい」
「ミラーカ……」
過去の数々の経験に裏打ちされた泰然とした自信。その頼もしい姿を見ている内に、ローラも心に落ち着きを取り戻していた。
「うん……ありがとう、ミラーカ。頼りにしてるわ」
テーブル席は奥まったスペースにある上に、席と席が離れていて半ば個別ブースのような状態となっているので、『密談』をするにはもってこいと言える。だからこそミラーカもかつてローラをここに呼び出したのだろう。
ローラはここで初めてミラーカから吸血鬼の話を聞かされた時の事を思い出していた。あの時はまさか自分が、その後も様々な怪物達に狙われる事になるとは思ってもみなかった。そしてまさか自分が他人をここに呼び出す日が来ようとも……
「ローラ、緊張しているの?」
そんなテーブル席の一つを借り切って座すローラに、ミラーカが横合いから声を掛けてくる。出会った時から何一つ変わっていないその妖艶な姿で、しなだれかかるようにゆったりと席に腰掛ける彼女の姿は、見慣れているはずのローラもついドキリとしてしまう魔性の色香に満ちていた。
「まあ、正直に言うと……そうね。何しろこんな経験初めての事だし、ナターシャを上手く『説得』できるのか自信が無いのよ。もし失敗すれば街は大パニック。ナターシャは最悪消される可能性があるし、私達も今まで通りの暮らしが出来なくなる。そう思うとどうしてもね……」
これは一種の賭けなのだ。失敗すれば最悪全てを失う可能性だってある。やっと一緒になれたミラーカと引き離されるような事になったら、耐えられるか自信がない。
昨日は自分の思い付きに自信があったし、恐らく問題は無いはずだとも思うのだが、やはりいざその時になってみると弱気が首をもたげる。
「ローラ、大丈夫よ。
「ミ、ミラーカ……」
「私は過去の500年間の中で、自分の正体が露見しそうになった経験は何度も体験してきている。そしてその都度乗り越えてきたのよ。100年以上前だけど、フランスでやはり熱血な新聞記者に吸血鬼だと露見しかけて、しつこく追い回された事もあったわね」
その時の事を思い出しているのか、ミラーカが少し懐かしそうな目になる。
「そ、そんな事が!? それで、どうなったの!?」
「ふふ……
「え……まさか、その抗争に関わったなんて言わないわよね?」
ミラーカは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ふふ、そのまさかよ。マフィアの刺客に襲われる彼を放っておけなくて、つい助けてしまったのよ。そこで吸血鬼だと完全にバレてしまったのだけれど……」
「ええ!?」
(過去にミラーカが吸血鬼である事を知っている人がいた? あのエルンストでさえ知らなかったのに。でも……)
ローラの思考を読んだかのように、ミラーカが笑みを深くする。
「そう。でも吸血鬼が実在したなんて報道の記録は無いわよね? 彼は結局私の正体を黙っていてくれたのよ」
「ど、どうして……?」
ナターシャのようなタイプの記者だったなら、例え脅されてもそれに屈する事はしないだろう。だからこそローラも頭を悩ませているのだが。
「まあ、彼とはその後も色々あってね……。命を狙ってくるマフィアと戦い、汚職警官達まで巻き込んで、最終的に彼は遂にその大物政治家のスキャンダルの証拠を掴みそれを白日の下に晒して、その政治家を失脚させる事に成功した。私の警告も聞かずに突き進む彼を助ける為に、結局私もその『戦い』に協力したのよ」
恐らくマフィアや汚職警官との戦いで大活躍した事だろう。ミラーカが当時の情景を思い出したのか、少し楽しそうな表情となる。
「彼は私に深く感謝し、吸血鬼の秘密を墓場まで持っていく事を約束してくれた。そして事実その後もフランスの新聞に吸血鬼の話題が載る事はついぞ無かったわ……」
「…………」
思いがけず、ミラーカの過去のエピソードの一つを聞いてしまった。まるで映画の題材にでも出来そうな劇的な体験だ。ローラは途中からどうしても気になっていた事を聞く。
「そ、それで……その、『彼』とは何も無かったの……?」
「あら……妬いてくれてるのかしら?」
「……ッ! そ、それは、まあ……どうしたって気になるでしょう?」
「ふふ、そうね……。結論から言えば、『何か』はあったわ。彼はちょっと暑苦しいけどいい男だったし、あの時はお互いに気持ちが盛り上がっていたものだから……」
「そうなんだ……」
元がヴラドの愛妾だったことからも解るように、ミラーカは基本的にはバイセクシャルである。過去、今のように風俗産業が多様化する前は、欧州で普通に男性相手の娼婦として稼いでいた時期もあったらしい。
勿論ローラが生まれるよりも遥か前の事にあれこれ言うつもりはない。ローラはミラーカのそういう奔放な所にも惹かれた訳であるからして。
だがやはり恋人の過去の
「でももう100年以上も前の事だし、その後彼も家庭を築いて、最後は第一次大戦で戦地の取材に行ったまま行方不明になったわ。恐らく戦闘に巻き込まれて亡くなったんでしょう」
「あ……ご、ごめんなさい」
「ふふ、いいのよ。多分彼も最後まで自分らしく生きて本望だったでしょうし。……まあ、ちょっと脱線してしまったけど、要は色々な状況を体験して、その都度潜り抜けてきているという事。だから今回の事もあくまでその一つに過ぎない。私に任せておきなさい」
「ミラーカ……」
過去の数々の経験に裏打ちされた泰然とした自信。その頼もしい姿を見ている内に、ローラも心に落ち着きを取り戻していた。
「うん……ありがとう、ミラーカ。頼りにしてるわ」