Interlude:呪縛(前編)

文字数 4,932文字

 ここはアメリカより遠く離れた地、エジプト。首都カイロより南に百キロ以上下った場所。三大ピラミッドで有名なギーザより更に何十キロも南へと下るとそこはもう不毛の荒野、砂漠地帯である。

 ただでさえ暑いアフリカの灼熱の日差しが容赦なく照り付け、農業にも向かずまともに定住する者は皆無である。それでもナイル川に沿った地域では細々と定住する者もあり、ダム関連の人工(にんく)や業者なども行き来する事がある。

 しかしいざナイル川の恩恵を預かれる範囲を越えた内陸部となると、最早人の姿を見る事さえ稀な無人の砂漠、渓谷が広がるばかりである。


 しかしそんな不毛の大地の一点に、この日は大勢の人間の姿があった。荒野の奥、せり立った渓谷の大きな岩山の麓にキャンプのような物が設営され、その岩山に張り付くようにして大勢の男達が額に汗しながら何らかの作業を行っていた。男達の殆どは現地のエジプト人及びスーダン人のようであった。

 設営されたキャンプ内。何十人もの男が汗だくになって働くむくつけき現場にその作業を監督している、この場で唯一の女性がいた。茶色っぽい髪の若い白人女性で、尚且つ人目を惹く美しい容姿をしていた。

 しかも灼熱の気候故か女性の服装はかなり開放的で、その豊かな胸が一目瞭然のタンクトップに上からグレーの半袖ジャケットを羽織っており、下はやはりグレーのショートパンツに(すね)までの作業用ブーツという出で立ちであった。

 その大きな胸元や程よく日焼けして引き締まった健康的な太ももがむき出しになっており、この場にいる全ての男達の目の保養……否、作業の効率という意味では目の毒となっていた。

 同じアメリカ人(・・・・・・)の学生達はまだしも、普段このような服装の女性を見る事はまずない現地の作業員達の視線を大いに集めていたが、女性はそれらの反応に何ら構う事無く、作業の進捗にのみ気を取られていた。


 実際その女性――ゾーイ・ギルモアは、激しい昂揚と精神的緊張によって、とてもそんな周囲の些事(・・)に気を配っている余裕はなかった。


(もう大学からの予算が底を付く……。今回の発掘で何も成果を上げられなかったら、私は……!)


 未だ墳墓の発見されていない、いや、それどころか実在すら疑われている古代エジプト王朝最古のファラオ・メネス王。ゾーイの恩師であるダンカン・フェルランド教授が偶然、その墳墓の在り処を示すヒエログリフを発見した事が始まりだった。

 アメリカでは近年、経営学部や工学部など実践的な学部の人気が高く、また進化論を否定する考えも根強い為、考古学を始めとした社会学部はお世辞にも盛んとは言えず、縮小の一途を辿っているのが現状であった。

 もし自分達の手でこの歴史的発見の成果を上げる事が出来れば、その流れを変える事が出来るかも知れない。そんな期待にダンカンやその助手であったゾーイらは沸き立つ。

 大学側を説得し、何とか予算を出させる事に成功したダンカンだが、ヒエログリフの記述は曖昧で、場所の絞り込みも含めて調査は遅々として進まなかった。だがそれ自体は発掘調査では珍しい事ではない。ましてや完全に未知の遺跡を探そうというのだ。経験豊富な考古学者であるダンカンの指揮の元、根気強く発掘調査を進めていけば必ず成果は出るはずだった。

 しかしある時ダンカンは突然「もっと手っ取り早く富と名声を得る方法がある」と言い出して、単身インドへと渡ってしまった。以前から教授が個人的に追っていたインドの神獣伝説の調査に、別口で進展があったらしい。ここの発掘調査をまだ助教授になりたてだったゾーイに丸投げして、あっさりと旅立ってしまったのだ。

 呆気に取られた彼女だったが、同時に降って湧いたチャンスだとも思った。彼女にも人並みに野心はある。また自分の若さや美貌も自覚していた。この調査を成功させれば、彼女個人の名声となる。若き美貌の考古学者として一躍有名人になれるのは間違いない。そうなれば個人的にもっと大きなスポンサーが付いて、どんな研究も思いのままだ。


 甘い未来図に浸ったゾーイは嬉々としてダンカンの後を引き継いで調査を継続させたが、現実はそう甘くはなかった。

 まだまだ考古学者としての経験が浅いゾーイは、この規模の調査隊を率いた経験がなく、また現地で雇ったスタッフの中には若い女であるゾーイを軽く見て露骨に手を抜いたり、時には好色な目で見てきたリで、たたでさえスローペースだった調査は増々何の進展もない泥沼と化してしまっていた。

 当初は10人以上はいた学部の学生達も嫌気が差してしまったのか離脱する者が続き、今では半分以下の人数しか残っていない。


(クソ、あいつら……発掘調査を旅行かなにかと勘違いして……。脱落した連中は当然、全員落第よ。……見てなさい。連絡一つ寄こさない教授も、私を置いて帰っていった不良学生共も、皆吠え面掻かせてやるわ! 後になって私にすり寄ってきても、その時には手遅れよ!)


 憤懣やるかたない彼女はその怒りを原動力に変えて、様々なトラブルに見舞われながらも、これまで何とか調査を継続させてきたのだ。だがそれももう限界に近づいてきていた。

 大学側が進展のない調査にこれ以上の予算を割けないと、追加の資金提供を拒否したのである。まだ何の実績もないゾーイに他にスポンサーの当てがあるはずもなく、さりとて今更教授に泣きつくのは彼女のプライドが許さない。

 その為何としても今回の調査で、何らかの成果を出さなくてはならなかった。いつにも増して精神的余裕の無くなっているゾーイであった。


 祈るような心持ちで作業を監督する彼女だが、無情にも時ばかりが過ぎていく。やはりダメだったのか、と虚脱しかけた時、

「助教授!」

 残っていた数少ない学生を1人が、勢い込んでキャンプに駆け込んできた。

「何なのよ。また馬鹿な現地人同士の喧嘩か何か?」

「ち、違います! な、何か、明らかに加工された形跡のある、人工の入り口のような痕跡を見つけたと……!」

「……ッ!?」
 ゾーイは思わず飲んでいたスポーツ飲料を噴き出しかけた。慌てて簡素な折り畳み椅子から立ち上がる。

「あ、案内しなさい! すぐに!」


 学生に案内させた先には、岩山の奥まった窪みに隠れるようにしてひっそりと佇む、門の一部(・・・・)と思しき構造体であった。まだ大半が岩山に埋没するように埋まっている為全体像は見えないが、それは明らかに自然の岩や土砂とは異なっていた。


「こ、これは……まさか……。クソ! これだけじゃ文字の類いは見当たらないわね。大至急掘り出しなさい! 大至急……かつ慎重に、丁寧にね!」


 ゾロゾロと集まってきて騒めいていた現地人のスタッフ達に大声で指示する。ここから先は繊細な発掘作業となるので、ここで直接指揮を取るつもりだった。これまでの努力が報われる時が遂に来たのだ。

 ゾーイは期待に胸を高鳴らせながら、発掘作業の準備に取り掛かるのだった。


****


 数日後。

 ゾーイの前に、遂に巨大な構造物がその全容を露わにしていた。それは……まさしく『門』であった。それも一部は埋没して長い年月で風化しているものの、その凝った装飾の痕跡がしっかりと読み取れるかなり立派な作りの門であった。

「おぉ……つ、ついに……ついにこの時が来たのね」

 発掘作業の傍ら、徐々にその全容が明らかになってくるにつれて、門に施されていた装飾や文字の痕跡の解読作業も進められ、ここが紛れもなくメネス王の墓である事の確信をゾーイは得ていた。

 だが……だが、まだだ。やはりここは確たる証拠(・・・・・)を発見しなくてはならない。万が一だが中に何も無かったり、自然の浸食などで破壊されていたら目も当てられない。因みに盗掘の心配はしていなかった。何せこのように岩山に埋もれていたのだ。

 ゾーイの喉がゴクッと鳴る。つまり……自分が最初に足を踏み入れた人間となるのだ。

 そしてゾーイの指示の元、遂にその立派な門が実際に開かれようとしていた。ツタンカーメンの墓の例もあるので、ゾーイを始め中に踏み込む予定のメンバーは、顔の下半分を覆うタイプの防毒マスクを装着していた。何せ5000年もの間密閉されてきた閉鎖空間だ。どんな未知の病原体がいるか知れたものではない。

 重々しい音と共に門が開いていく。開いた先には暗闇が広がっていた。どうやらそれなりに奥行きがあるらしい。


「……行くわよ。足元に注意して。極力壁などにも触らないようにね」


 携帯用の照明器具とカメラを用意して、ゾーイは学生達と何人かの現地スタッフを伴って、遺跡の中へと足を踏み入れた。

 入ってすぐは狭い通路になっていた。高さは6フィート程、幅は4フィートもあればいい方だろう。壁にも天井にも何の絵や文字も描かれていない、殺風景な通路であった。

(閉所恐怖症の人間にはキツイかもね……)

 まあそんな人間はそもそも遺跡発掘に携わろうとはしないだろうが。

 またずっと密閉されていたせいか、外に比べると内部はかなりひんやりとしていた。門が発見されて以来、一心不乱に発掘作業を指揮していた為、服も着替えておらず相変わらず露出の多い服装のままだったので、むき出しの肌に内部の空気が冷たく感じた。だが一々上着を取りに戻るのも面倒だし気が逸ってもいたので、このまま進む事にした。

「無いとは思うけど、罠の類いに警戒して。不審な痕跡があったらすぐに止まって報告しなさい」

 先頭を歩く現地人のスタッフに警告する。そうして慎重に歩を進めた一行は、やがて通路の突き当りに到着した。体感時間では随分長く感じたが、実際は精々20ヤードも無いくらいの長さだったようだ。

 突き当りにはまた立派な装飾の扉が据え付けられていた。ゾーイは照明で扉を照らす。するとヒエログリフと思しき文字が描かれているのを発見した。


「これは……王……メネス。なるほど、『王の間』で間違いないようね。でも、その下の文字は……眠る? ……蘇る…………捧、げる……? ……駄目ね。これ以上はすぐには解読できない。写しを取っておいて。キャンプに……いえ、大学に帰ってからじっくりと解読するから」


 学生の1人に指示する。頷いた学生はカメラで扉の文字を撮影した。メモにも書き写していた。ゾーイ自身も念の為スマートフォンで撮影しておく。

 解読できた部分も何やら不穏な内容であったが、そもそもミイラ化された古代のファラオ達のほぼ全てが、そうした永遠の命や復活を願われて死体を保存処理されたのだ。これもそうしたお決まりの文言だろうと特に気にも留めなかった。現地人のスタッフに指示する。

「扉を開けなさい。壊さないように慎重にね」

 命令された現地人は一瞬嫌そうな顔をしたが、一応雇い主ではあるし、何よりも自身の興味が勝ったのか、頷くと慎重に扉を開いていく。万が一罠の類いがあったら困るので、念の為学生達と共に少し下がって様子を見守るゾーイ。

 果たして何事もなく扉は開いた。ゾーイはホッとしながら改めて部屋の中へと踏み込む。


「おぉ……す、素晴らしいわ……!」


 思わず感嘆の声を上げるゾーイ。他のメンバーも感心、または興奮したように周りを見渡していた。

 そこは円形の大きな部屋であった。5000年前に既にこのような円形の部屋を造る技術があった事も驚きだが、そこには壁一面に様々な文字や壁画などが所狭しと描かれていたのだ。

「これは……学術的資料の宝庫ね。うふふ……教授、あなたは馬鹿ですよ。メネス王発見の栄誉、そしてこの部屋の資料は全て私の物だわ。誰にも渡さない……!」

 その目に野望の炎を燃え立たせるゾーイ。もう栄誉は約束されたような物なのだ。自分をないがしろにした連中の悔しがる様が目に浮かぶようだった。

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