File14:妄執の終わりと始まり
文字数 3,474文字
ローラはまさかのタイミングで現れたミラーカの姿に目を丸くしていた。だが、ある意味でローラ以上に驚いている人間がいた。
「ば……馬鹿、な……。その姿……その声……それに、ミラーカ 、だと……?」
「ええ、私よ。久しぶりね、エルンスト。最後に会ったのはもう70、いえ80年近く前の事だったかしら?」
「……!」
エルンストの目が見開かれる。その口から引きつったような声が漏れる。
「……あり得ん。あり得るはずがない! 何者だ!?彼女 の子孫か!? 私の事を聞いていたのか!?」
「そう思うのは当然ね。でも残念。ミラーカ・スピエルドルフ本人 よ」
ミラーカはそう言って吸血鬼の牙を剥き出しにした。エルンストの目が更に開かれる。
「それは……」
「解ったでしょう? 私は吸血鬼。人間ではないの。……エルンスト、もうこんな事は止めなさい。ナチスはとうの昔に滅んだ。あなたのやっている事は誰も幸せにならないわ」
エルンストはヨロッと何歩か後ずさった。そして手を額に当てて呻く。
「は、はは……吸血鬼だって? ミラーカ……。だったら、何で俺 の前から居なくなった!? 君 がずっと側に居てくれれば俺だってこんな事には……!」
ミラーカが済まなそうに顔を伏せる。
「それは……ごめんなさい。私は当時まだ人間をそこまで信じる事が出来なかったの。歳を取らない事を……吸血鬼だと知られたら、あなたにも恐れられ忌避される。それが怖くて逃げてしまったの」
「そ、そんな……そんな事、俺は気にしなかった……! 君は君だろう!」
エルンストはミラーカの正体を知っても何ら態度が変わらなかった。ローラはこんな時ながら、かつての2人の関係が気になった。
「……! そう、ね。当時の私は愚かだった。あなたを信じられず、あなたの苦しみを知っていながら、あなたを捨てて逃げた。何を言われても仕方ないわ。でも責めを負うべきは私であって、今の時代の罪も無い人々ではないわ。エルンスト、お願い。もうこんな事は止めて自首するのよ。あなたにこれ以上罪を重ねて欲しくないの」
「お……おぉ、俺は……俺は……!」
エルンストが明らかに動揺していた。先程までローラ達が感じていた頑迷なる狂気と妄執が薄れている。そう感じた。彼にとってミラーカとの唐突な再会はそれ程の衝撃をもたらしたのだ。
しばらく何か考え込んでいる様子だったエルンストが顔を上げてミラーカを見た。その目には先程までは無かった理性と……どことなく穏やかさすら漂っているように見えた。
「ミラーカ……今度は俺を見捨てずにいてくれるか?」
「ええ……勿論よ。もう私はどこにも行かない。あなたの最後まで見届けるわ」
「そう、か……。解った。もう一度だけ君を信じるよ。君が望むなら全ての研究を破棄して、自首しよう。『完成体』に関しても、許されるなら人間に戻す方法を探ってみる」
「エルンスト……ありがとう。よく決断してくれたわ」
ミラーカが微笑む。ローラは思わぬ展開に未だ信じられないような思いであった。
(う、嘘……。本当にこれで終わるの? 私達、助かったの?)
――パァンッ!!
乾いた音が響いた。これは……銃声だ。ローラは音の発生源 を見やる。そこには拳銃を構えたクラウスの姿。そしてその銃口が向けられている先には……
「……がはっ!」
後ろから背中を撃ち抜かれたエルンストが吐血して崩れ落ちる。
「エルンストッ!」
ミラーカが駆け寄って抱き起すが、エルンストの顔は土気色になっており、明らかに致命傷であった。
「……遂に耄碌しやがったかよ、爺い。昔の女だか何だか知らんが、ちょっと説得されただけであっさり日和やがって……! 俺は捕まるのなんて御免だぜ!? 巻き添えになってたまるか!」
クラウスが喚く。進退窮まって暴発したようだ。
「……ふ、ふ……ぐふっ! 狂った、科学者には、相応しい最後かも知れんな……。ミ、ミラーカ……最後に、君に会えて……良かった……」
「エルンスト……ごめんなさいっ!」
「…………」
既に返事は無かった。エルンストは……半世紀以上を己の妄執に費やした狂気の科学者は、最後に愛した女に看取られながら、全ての妄執から解放された穏やかな顔で息を引き取った。
「は……! 爺いが死んだ時点で、『創造主』としての権限 は全部俺に移譲される。『完成体』……いや、『ディープ・ワン』よ! こいつらを皆殺しにしろっ!」
「……!」
クラウスの……新たな『創造主』の命令に、それまで大人しくしていた『ディープ・ワン』が動き出す。『ディープ・ワン』はその自己判断で、ミラーカを最も大きな障害と認識したようだ。彼女に向かって明確な敵意が放たれる。
「……エルンスト、せめて安らかに眠って。……ローラ、少しだけ待っててね? すぐにこのデカブツを片付けちゃうから」
ミラーカは刀を構えて立ち上がる。その目が真紅に輝き、黒髪が逆立ち、そして背中からは一対の白い皮膜翼が飛び出る。戦闘形態。最初から一切の油断は無しという事のようだ。
「ひっ!? な、何だ、この化け物は! ホ、ホントに吸血鬼だって言うのか!? 『ディープ・ワン』! 早くこいつを殺せぇっ!」
ミラーカの戦闘形態を見たクラウスが動転して、『ディープ・ワン』を嗾 けてくる。『ディープ・ワン』が片手を上げて毒針を射出してくる。ここには『創造主』もいるので、毒ガス攻撃はしてこないようだ。
「ふっ!!」
ミラーカは飛んでくる毒針を正確に刀で斬り飛ばす。更に追撃で放たれる毒針も防ぎきると、刀を構えて一気に距離を詰める。『ディープ・ワン』は鉤爪の生えた手を振り上げて迎撃してくるが、その動きはあの『ルーガルー』に比べれば鈍重そのものだ。ミラーカは容易く掻い潜って懐に飛び込むと、『ディープ・ワン』の胴体に刀で斬り付ける。
「……ッ!」
だが硬い鱗に阻まれて痛打を与える事が出来なかった。逆にミラーカの方が弾かれて隙を作ってしまう。『ディープ・ワン』が再び鉤爪を振るってきたので、大きく飛び退って躱す。
「馬鹿みたいな硬さね……だったら!」
ミラーカが戦法を変えて、斬り付けては即座に距離を取るの繰り返し……いわゆるヒット&アウェイで攻め立てる。一撃ではダメージを与えられない敵でも、執拗に何度も繰り返し攻撃し続ければいずれ綻びが出る。また鱗は硬くとも、その隙間を巧みに狙う事でダメージを蓄積させていく。
『ディープ・ワン』の主武器である毒針を使わせない距離を保ちつつ、散発的に振るわれる鉤爪を掻い潜って斬り付ける。『ディープ・ワン』の動きは鈍いので、ミラーカのスピードに付いてこれない様子だ。
(凄い、ミラーカ……! これなら、勝てる……?)
「くそ……! 何してる、『ディープ・ワン』! お前の力はこんな物じゃないはずだ! 早くそいつを排除しろ!」
その様子を見て焦ったクラウスが喚く。その『命令』によってという訳でもないだろうが、『ディープ・ワン』が両手を広げた。するとその掌の中心に小さな穴のような物が開き、そこから何条もの白い『糸』のような物が射出される。
「……!」
大半の『糸』は咄嗟にミラーカによって斬り払われたが、残った2、3条の『糸』がミラーカの手首や腕に絡みつく。
「これは……!?」
ミラーカの戸惑ったような声。その『糸』は何らミラーカに痛痒を与えていない様子だ。だがその時ローラは、確かに『ディープ・ワン』の表情のない鮫のような貌が笑った ように見えた。
「ミラーカッ! すぐにその『糸』を切って――」
「――ッ!?」
叫んだ時には手遅れだった。『ディープ・ワン』は180度方向転換すると、研究室の後方にあった大きな池……つまりは外海と繋がっているであろう大きな水路に向かって一目散に走り出し、そのまま飛び込んだ。
――『糸』に繋がれたミラーカを、その恐ろしい膂力で牽引したままに、だ。
「――っぁ!」
「ミ、ミラーカァーー!!」
『ディープ・ワン』の怪力で引っ張られたミラーカは、『糸』を切り裂く暇もなく、つんのめるように体勢を崩して……水路の中へと引きずり込まれた!
「ば……馬鹿、な……。その姿……その声……それに、
「ええ、私よ。久しぶりね、エルンスト。最後に会ったのはもう70、いえ80年近く前の事だったかしら?」
「……!」
エルンストの目が見開かれる。その口から引きつったような声が漏れる。
「……あり得ん。あり得るはずがない! 何者だ!?
「そう思うのは当然ね。でも残念。ミラーカ・スピエルドルフ
ミラーカはそう言って吸血鬼の牙を剥き出しにした。エルンストの目が更に開かれる。
「それは……」
「解ったでしょう? 私は吸血鬼。人間ではないの。……エルンスト、もうこんな事は止めなさい。ナチスはとうの昔に滅んだ。あなたのやっている事は誰も幸せにならないわ」
エルンストはヨロッと何歩か後ずさった。そして手を額に当てて呻く。
「は、はは……吸血鬼だって? ミラーカ……。だったら、何で
ミラーカが済まなそうに顔を伏せる。
「それは……ごめんなさい。私は当時まだ人間をそこまで信じる事が出来なかったの。歳を取らない事を……吸血鬼だと知られたら、あなたにも恐れられ忌避される。それが怖くて逃げてしまったの」
「そ、そんな……そんな事、俺は気にしなかった……! 君は君だろう!」
エルンストはミラーカの正体を知っても何ら態度が変わらなかった。ローラはこんな時ながら、かつての2人の関係が気になった。
「……! そう、ね。当時の私は愚かだった。あなたを信じられず、あなたの苦しみを知っていながら、あなたを捨てて逃げた。何を言われても仕方ないわ。でも責めを負うべきは私であって、今の時代の罪も無い人々ではないわ。エルンスト、お願い。もうこんな事は止めて自首するのよ。あなたにこれ以上罪を重ねて欲しくないの」
「お……おぉ、俺は……俺は……!」
エルンストが明らかに動揺していた。先程までローラ達が感じていた頑迷なる狂気と妄執が薄れている。そう感じた。彼にとってミラーカとの唐突な再会はそれ程の衝撃をもたらしたのだ。
しばらく何か考え込んでいる様子だったエルンストが顔を上げてミラーカを見た。その目には先程までは無かった理性と……どことなく穏やかさすら漂っているように見えた。
「ミラーカ……今度は俺を見捨てずにいてくれるか?」
「ええ……勿論よ。もう私はどこにも行かない。あなたの最後まで見届けるわ」
「そう、か……。解った。もう一度だけ君を信じるよ。君が望むなら全ての研究を破棄して、自首しよう。『完成体』に関しても、許されるなら人間に戻す方法を探ってみる」
「エルンスト……ありがとう。よく決断してくれたわ」
ミラーカが微笑む。ローラは思わぬ展開に未だ信じられないような思いであった。
(う、嘘……。本当にこれで終わるの? 私達、助かったの?)
――パァンッ!!
乾いた音が響いた。これは……銃声だ。ローラは音の
「……がはっ!」
後ろから背中を撃ち抜かれたエルンストが吐血して崩れ落ちる。
「エルンストッ!」
ミラーカが駆け寄って抱き起すが、エルンストの顔は土気色になっており、明らかに致命傷であった。
「……遂に耄碌しやがったかよ、爺い。昔の女だか何だか知らんが、ちょっと説得されただけであっさり日和やがって……! 俺は捕まるのなんて御免だぜ!? 巻き添えになってたまるか!」
クラウスが喚く。進退窮まって暴発したようだ。
「……ふ、ふ……ぐふっ! 狂った、科学者には、相応しい最後かも知れんな……。ミ、ミラーカ……最後に、君に会えて……良かった……」
「エルンスト……ごめんなさいっ!」
「…………」
既に返事は無かった。エルンストは……半世紀以上を己の妄執に費やした狂気の科学者は、最後に愛した女に看取られながら、全ての妄執から解放された穏やかな顔で息を引き取った。
「は……! 爺いが死んだ時点で、『創造主』としての
「……!」
クラウスの……新たな『創造主』の命令に、それまで大人しくしていた『ディープ・ワン』が動き出す。『ディープ・ワン』はその自己判断で、ミラーカを最も大きな障害と認識したようだ。彼女に向かって明確な敵意が放たれる。
「……エルンスト、せめて安らかに眠って。……ローラ、少しだけ待っててね? すぐにこのデカブツを片付けちゃうから」
ミラーカは刀を構えて立ち上がる。その目が真紅に輝き、黒髪が逆立ち、そして背中からは一対の白い皮膜翼が飛び出る。戦闘形態。最初から一切の油断は無しという事のようだ。
「ひっ!? な、何だ、この化け物は! ホ、ホントに吸血鬼だって言うのか!? 『ディープ・ワン』! 早くこいつを殺せぇっ!」
ミラーカの戦闘形態を見たクラウスが動転して、『ディープ・ワン』を
「ふっ!!」
ミラーカは飛んでくる毒針を正確に刀で斬り飛ばす。更に追撃で放たれる毒針も防ぎきると、刀を構えて一気に距離を詰める。『ディープ・ワン』は鉤爪の生えた手を振り上げて迎撃してくるが、その動きはあの『ルーガルー』に比べれば鈍重そのものだ。ミラーカは容易く掻い潜って懐に飛び込むと、『ディープ・ワン』の胴体に刀で斬り付ける。
「……ッ!」
だが硬い鱗に阻まれて痛打を与える事が出来なかった。逆にミラーカの方が弾かれて隙を作ってしまう。『ディープ・ワン』が再び鉤爪を振るってきたので、大きく飛び退って躱す。
「馬鹿みたいな硬さね……だったら!」
ミラーカが戦法を変えて、斬り付けては即座に距離を取るの繰り返し……いわゆるヒット&アウェイで攻め立てる。一撃ではダメージを与えられない敵でも、執拗に何度も繰り返し攻撃し続ければいずれ綻びが出る。また鱗は硬くとも、その隙間を巧みに狙う事でダメージを蓄積させていく。
『ディープ・ワン』の主武器である毒針を使わせない距離を保ちつつ、散発的に振るわれる鉤爪を掻い潜って斬り付ける。『ディープ・ワン』の動きは鈍いので、ミラーカのスピードに付いてこれない様子だ。
(凄い、ミラーカ……! これなら、勝てる……?)
「くそ……! 何してる、『ディープ・ワン』! お前の力はこんな物じゃないはずだ! 早くそいつを排除しろ!」
その様子を見て焦ったクラウスが喚く。その『命令』によってという訳でもないだろうが、『ディープ・ワン』が両手を広げた。するとその掌の中心に小さな穴のような物が開き、そこから何条もの白い『糸』のような物が射出される。
「……!」
大半の『糸』は咄嗟にミラーカによって斬り払われたが、残った2、3条の『糸』がミラーカの手首や腕に絡みつく。
「これは……!?」
ミラーカの戸惑ったような声。その『糸』は何らミラーカに痛痒を与えていない様子だ。だがその時ローラは、確かに『ディープ・ワン』の表情のない鮫のような貌が
「ミラーカッ! すぐにその『糸』を切って――」
「――ッ!?」
叫んだ時には手遅れだった。『ディープ・ワン』は180度方向転換すると、研究室の後方にあった大きな池……つまりは外海と繋がっているであろう大きな水路に向かって一目散に走り出し、そのまま飛び込んだ。
――『糸』に繋がれたミラーカを、その恐ろしい膂力で牽引したままに、だ。
「――っぁ!」
「ミ、ミラーカァーー!!」
『ディープ・ワン』の怪力で引っ張られたミラーカは、『糸』を切り裂く暇もなく、つんのめるように体勢を崩して……水路の中へと引きずり込まれた!