File34:ヘル・ハザード

文字数 5,211文字

 最初はさざ波のような物だった。LAPDの本部や各分署に、道で人が何かに襲われているという通報が何件か入ってきた。

 通報者の言葉は要領を得ないものの、何か事件が起きているらしい事は確かのようなので、警察としては勿論放置もできずパトカーを何台か派遣する。通り魔的な犯行であれば、これだけでもう大抵は片が付く。そう……普通(・・)であれば。

 普通ではないのはここからだった。現場に派遣された警官達は確かに犯人(・・)と遭遇した。そしてその直後、例外なく連絡が途絶えた。いや、一部消息が途絶える前に、錯乱した様子で本部に応援を求める無線を寄こし、その直後に音信不通となる者もいた。

 一箇所だけならともかく、各通報現場で同様の事態が相次いだ。これは何かがおかしいと本部が判断する暇もあればこそ、間を置かずひっきりなしに通報の電話が相次ぐようになった。

 場所はLA全域。ダウンタウンなどの通りや路地裏だけでなく、住宅街からも通報が相次ぐ。それも相当に逼迫した通報だ。

 やがて街から火の手などが上がるようになり、LAPDも何らかの非常事態が起きている事を認識して厳戒態勢となる。そして被害はLAだけでなくパサデナなどの周辺都市にまで及ぶようになり、それらの街の自治体警察もひっきりなしの通報に総動員を余儀なくされていた。

 更に不可解な事にそれらの全ての通報内容に共通しているのは、犯人が人間ではなく異様な化け物だと訴えている点だ。1件2件ならドラッグのやり過ぎか悪戯目的と判断する所だが、優に100件以上に昇る全ての通報でやはり化け物に襲われていると訴えられれば、これは本当かも知れないと判断せざるを得なかった。

 そして当然通報を受けて現場に急行した警官達は例外なく、その通報内容が真実(・・)であった事を一足先に思い知っていた。


*****


 ――Gie! Gieeee!!

 翼をはためかせた悪魔(・・)のような生物が、こちらに向かって両手を翳す。その掌の先にスパークが発生するのを見たリンファ(・・・・)は、

「……っ! 伏せてっ!!」

 相棒の黒人刑事であるアマンダ・ベネットの頭を押さえつけて、無理やり自分達が乗ってきた車の陰に伏せさせる。直後に怪生物の手から電撃が迸った。

 リンファ達の他にもう一台、応援に駆け付けた刑事達が乗ってきた車があり、2人の刑事が開いた車のフロントドアを盾代わりにその生物に銃撃をしていたが、その車に電光が直撃する。

「……!!」

 電撃は車のボンネットを突き破って内部のタンクに到達したのか、車が小規模な爆発を起こして炎上する。当然刑事達は爆発に巻き込まれて吹き飛ばされていた。安否は不明だが、下手をすると即死しているかもしれない。リンファ達は伏せていたお陰で爆発に巻き込まれずに済んだ。

 だがこれでこの場にいるのはリンファとアマンダだけになってしまった。周囲には既に巻き込まれて殺害されたと思しき市民達の死体が横たわっている。

 悪魔は奇怪な笑い声を上げて、そこら中の建物や車にその手から放った電撃や火球などを飛ばして被害を拡大させていた。その度に建物や車から火の手が上がり、人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 それはもうさながら内戦のようであった。

 この光景だけでも信じがたいが、どうもここだけでなく街の至る所で同様の被害が発生しているらしい。つまりこの化け物は1体ではなく、他にも沢山いるという事だ。


「ひ……な、何なんですか、アイツ。このままじゃ私達もヤバいですよ! 早く逃げないと! それか応援を呼びましょうよ!」

 アマンダが恐怖に引き攣った顔と声でリンファを促す。その気持ちはよく分かる。だが彼女はかぶりを振った。

「それは無理よ。多分、今LA中であいつの仲間が暴れてるみたいだし、恐らく本部もここに応援を寄こす余裕はないでしょうね。それに今現在も目の前で市民が襲われてるのに、それを放って私達だけ逃げる訳には行かないでしょ?」

「そ、それは、そうですけど……。で、でも……」

 アマンダの声が尻すぼみになる。彼女の目はつい先程爆発炎上した仲間の刑事達の車に向けられている。リンファの言っている事は正論だが、現実問題として自分達に何が出来るとも思えない。あの化け物を逮捕する事なんてどう考えても不可能だし、射殺しようにも彼女達は自前の拳銃しか持っておらず、明らかに火力不足だ。

 先程も他の刑事達が何発もの銃弾を当てていたのに、あの化け物は僅かに痛痒を感じた程度であったのだ。SWATにでも応援を要請するしかないのではないか。アマンダはそう考えた。

 だがリンファの言っている事が事実なら応援を要請しても、駆け付けてくれる可能性は低そうだ。


「……! マズい!」

 その時、リンファが目線を険しくする。見るとあの『悪魔』が逃げ遅れて転倒した市民の女性に向かって手を翳していた。その掌に火球のような物が発生する。

「やめなさい、化け物!」

 リンファが叫んで銃の引き金を連続して絞る。複数の銃弾が命中するが『悪魔』は少し怯んだだけで、煩わしそうな様子でこちらに顔を向ける。だが注意を市民からこちらに逸らす事はできた。

「ひぃ!? ど、どうするんですか!? あいつ、こっちに来ますよ!」

 『悪魔』のターゲットになった事でアマンダが引き攣った悲鳴を上げる。リンファは即決断した。

「くそ……こうなったらやるしかない! アマンダ、援護して!」

「え!? せ、先輩っ!?」

 アマンダが唖然とした様子になるが構っている余裕は無い。リンファは銃を放り捨てる(・・・・・・・)と、『悪魔』に向かって一直線に走り出す。


 当然『悪魔』は彼女に向かって手を翳して何かを飛ばそうとしてくるが、そこにアマンダからの援護射撃が入り、『悪魔』が僅かに体勢を崩した。それによってリンファが接近する時間を稼げた。

「ナイスアシストッ!」

 慌てふためきながらも咄嗟の状況に応じて援護射撃をしてくれた後輩を褒めつつ、リンファは両手をジャケットの中に潜り込ませ背中に回す。そして素早く二振りの近接武器……鴛鴦鉞(えんおうえつ)を抜き払った。

 『悪魔』は油断しているのか、積極的に迎撃なり防御なりを取ろうとしない。銃弾を何発当てても倒せない化け物だ。女が妙な武器で直接打ち掛かってきた所で取るに足らないと判断したのだろう。

 その判断は普通(・・)なら正しい。だが……

「ふっ!!」

 リンファは鋭い呼気と共に『気』を乗せて、両手の鴛鴦鉞を突き出す。

『……!』

 鴛鴦鉞が『悪魔』の身体に接触する際に『気』が弾けた。『悪魔』は予想外の衝撃に、身体を折り曲げて前のめりの体勢になる。リンファは間髪入れず『悪魔』の下顎目掛けて、その脚を限界まで開いて蹴り上げた。

 その蹴りにも少量の『気』が乗っており、顎を下から蹴り上げられた『悪魔』が怯んでたたらを踏んだ。そこへ更に追撃しようとするリンファだが……

『ギェェッ!!』
「……!」

 『悪魔』は奇怪な叫び声と共に翼をはためかせて、大きく後方へと飛び退った。すぐに追い縋れる距離ではない。仕切り直しを許してしまう。


「く……!」

 それでもリンファは歯噛みして突撃するが、彼女が油断ならない相手だと悟った『悪魔』も今度は迎撃を選択してきた。

 その右手にはいつの間にか剣のような武器が握られていた。さっきまでそんな物は持っていなかった。身に帯びてもいない。何か超常的な力で作り出したらしい。

 リンファは厳しい表情になるが今更退く事はできない。『悪魔』が剣を振り下ろしてくる。かなりの速さだ。リンファは辛うじて回避するが、『悪魔』は的確な斬り返しで追撃してくる。たちまち攻守が逆転して、リンファは防戦一方となってしまう。

(く……こいつ、肉弾戦も強い!)

 あの電撃や火球などの魔法のような遠距離攻撃は勿論、それを抜きにした接近戦でもあの霊鬼(ジャーン)や〈信徒〉などより余程強敵だ。


「……!」

 そしてついに『悪魔』の斬撃を躱し損ねてしまい、反射的に鴛鴦鉞を交叉させて受ける。『気』を乗せた武器が『悪魔』の剣と接触すると……

 ――ボォンッ!!

「……っ!」『……!』

 何か空気が弾けるような音と衝撃が発生し、リンファは大きく弾き飛ばされてしまう。『悪魔』の方はちょっとたたらを踏んだ程度で持ち直した。

 そして弾き飛ばされて仰向けに倒れ込んだリンファに向かって剣を振り上げて迫ってくる。彼女は必死に身を起こそうとするが、とても迎撃や回避は間に合わない。

(そ、そんな……!)

 リンファは間近に迫った死の気配に愕然とする。『悪魔』はそんな彼女の頭に容赦なく剣を叩き付けようとして……

「せ、先輩っ!」

 アマンダの声と共に銃声。何発かの銃弾が着弾し『悪魔』の攻撃の勢いが鈍った。

「……!!」

 リンファはその機会を逃さず自分の身体ごと鴛鴦鉞を回転させるように薙ぎ払い、『悪魔』を牽制しつつ距離を取る事に成功した。九死に一生を得た気分だ。

(あ、危なかった……! アマンダにお礼を言わないと……)

 自分で言うのもなんだが中国人が誰かに……ましてや目下の相手に礼を言う事など滅多にないのだ。アマンダは誇っていい。だがそれも全ては無事に現状を脱してからだ。


(でも、参ったわね。私達だけじゃこいつ1体にも勝てないわ)

 それが直接戦ってみてのリンファの結論だった。彼女の『気』も使えば消耗するし、そうなれば状況は余計厳しくなっていくだけだ。

 リンファが内心で冷や汗を掻きながら何とか打開策を模索していると……

「あ……!」

 アマンダが上空に目を向けて何かを指差す。それを目線で追ったリンファは驚愕と……絶望に顔を歪める。

 『悪魔』だ。今戦っているのとは別の個体(・・・・)が、翼をはためかせながら飛来してきたのだ。明らかにここを目指している。

「あ……あ……」

 リンファは絶望に呻く。1体でも勝ち目は薄いのに、更にもう1体。これで自分達の命運は完全に断たれた。相手は飛べるのでアマンダだけ逃がすのも不可能だろう。

 飛んできた『悪魔』は、先程までリンファ達が戦っていた『悪魔』の横に降り立つ。2体になった『悪魔』はこちらを嘲笑うように牙の生えた口を吊り上げる。

「……っ」

 リンファも後ろにいるアマンダも顔を青ざめさせて思わず後ずさるが、『悪魔』達は容赦なく距離を詰めてくる。


(せ、先輩……すみません。私は先輩のようにはなれませんでした)

 リンファは自分が尊敬する上司、ローラの事を想った。もし彼女がここにいれば、根拠はないにも関わらず何とかなるのではないか。そんな風に思えた。だが現在ローラは携帯も繋がらず完全に連絡が付かない状態になっていた。

 街がこんな騒ぎになって犠牲者も出ているのに、あのローラが現場に出てこないなどという事はあり得ない。

 何か嫌な予感がしていた。ローラの周りでは様々な超常犯罪が発生する。今回のこの『悪魔』達にしても、もっと中心的な事態に何かローラが関わっているのではないか。そんな気がしていた。

 彼女は恐らく今この時も、リンファには想像も付かない過酷な戦いの真っ最中なのではないか。そんな確信にも似た予感があった。

 であればこそ、せめて彼女の『留守を預かる』くらいの事はしたかったが、どうやらそれも適わないようだ。

 しかしこの上はせめてアマンダを逃がす時間稼ぎくらいはしてみせると、悲壮な覚悟で鴛鴦鉞を構えるが……


 ――バシュゥゥッ!!

 ライフルの銃撃音(・・・・・・・・)。同時に『悪魔』の1体が大きくよろめいた。

「……!?」

 リンファは咄嗟に何が起きたのか解らず、反射的に視線を巡らせた。そしてアマンダ共々大きく驚愕に目を見開いてしまう。

「な…………」

 そこには防弾ジャケットとヘルメットで身を固めアサルトライフルを構えた、30人以上はいると思われる武装集団の姿があった。

 一見SWATや警備部の部隊かと思ったが、彼等は他に被害が多発しているダウンタウン地区などの繁華街に派遣されており、ここのような郊外には来ていないはずだ。だからこそ自分達はこの地区の人々を守ろうと率先してこの場に駆け付けていたのだ。

 更に今目の前に現れた部隊の着用しているジャケットには大きく『FBI(・・・)』の文字が踊っていた。つまり彼等は……


「離れてっ!!」

「……!」

 部隊の中から聞き覚えのある声による警告。リンファは考えるより先に身体が動き、飛び退るように『悪魔』達から距離を取ってアマンダのいる所まで後退する。『悪魔』達の注意は既に現れたFBIの部隊に移っており追撃は無かった。

 ほぼ同時にFBIの部隊によるアサルトライフルの一斉掃射が始まった。『悪魔』達も電撃や火球で応戦するが如何せん数が違い過ぎる。

 『悪魔』達の攻撃で何人かの被害は出たものの、それ以上の反撃を許さず容赦ない集中砲火によって、2体の『悪魔』は文字通り蜂の巣になって地面に倒れ伏した。程なくしてその身体がまるで蒸発するように消えていってしまう。
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