Ｆｉｌｅ２１：小手調べ

「……先に行きます！」

　じっと魔力を高めて機会を窺っていたシグリッドが先陣を切った。既にトロールハーフの姿に変じている彼女は、まるで大砲のような速度と突進力でデュラハーンに肉薄する。

　デュラハーンが馬上から剣を薙ぎ払ってくる。シグリッドは優れた反応でその斬撃を躱して相手に拳を撃ち込もうとする。

「……っ！？」

　しかし彼女の拳が当たる直前、デュラハーンの鎧との間に黒い煙状の霧のような物が発生した。その黒い霧にシグリッドの拳が接触する。すると普通なら気体の霧など貫いて吹き飛ばしそうなものだが、何故かシグリッドの拳が止まる。

「な……！？　……ッ！！」

　動揺したシグリッドが拳を引き抜こうとするが、何故かそれも出来ないらしい。直後にその霧がまるで帯状に変化して、シグリッドの拳だけでなく腕にまで巻き付いてきた！　

「うぐっ！？　が、ああああぁぁぁぁっ！！」

　シグリッドが普段の彼女からは考えられないような苦鳴を上げて、その場に膝を着いてしまう。黒い霧に覆われた右腕に何が起きているのか解らないが、凄まじい激痛を感じているようだ。そんな無防備な彼女に対してデュラハーンが剣を振りかぶる。

「させないっ！」

　そこに戦闘形態のミラーカが割り込む。デュラハーンの斬り下ろしを自らの刀で受ける。

「ぐぅ……！！」

　そして刀越しの凄まじい衝撃に抗えずに、両足に力を込めてその場に踏ん張る。彼女を上から押さえつけているデュラハーンの剣からも同じように黒い霧が発生した。

「う……！？」

　黒い霧は刀を伝ってミラーカの腕に巻き付こうとしてくる。逃げようにもデュラハーンの剣で押さえつけられていて動けない。

「ミラーカッ！！」

　だがそこにローラのデザートイーグルから神聖弾(ホーリーブラスト)が撃ち込まれる。放たれた神聖弾はやはりデュラハーンの周囲を覆う黒い霧に阻まれるが……

『……！！』

　黒い霧は激しく明滅すると乱れて霧散した。神聖弾も打ち消されてしまったようだが、黒い霧を消滅させる事ができたのだ。デュラハーンが若干だが動揺したような気配を見せる。

　その隙にミラーカは未だに苦しんでいるシグリッドを抱えて、大きく飛び退って敵から距離を取る。


「ミラーカ、大丈夫っ！？」
「ええ、私は大丈夫。あなたのお陰よ。でもシグリッドが……」

　ミラーカに抱えられたままのシグリッドは、苦し気な表情で大量の脂汗を掻いていた。右腕の黒い霧はいつの間にか消えていたが、その下の腕は皮膚が溶けて無残に焼け爛れていた。一部骨と思しき組織が露出している部分もあった。

「う……！　ひ、酷い……！」

　その惨状を見たローラは青ざめる。命には別条ないようだが、もう彼女の右腕は使い物にならないだろう。

「ぐ、く……だ、大丈夫、です。まだ、戦えます……！」

　シグリッドは脂汗を流したまま気丈に立ち上がろうとするが、明らかに激痛を堪えている様子だ。この状態では当然だろう。むしろ気を失っていないだけでも驚嘆に値する。

　だがとても戦うどころではない。そもそも激痛に苛まれ、利き腕である右腕も使えない状態では戦力は激減だ。

　セネムの霊力で治す事は出来るかも知れないが、ただでさえ時間が掛かる上に魔力と霊力が相反し合ってしまう為、その効果は限定的な物にならざるを得ないだろう。


「くっ……わ、私の、力さえ使えれば……」

　その様子を後ろから見ていたモニカが、未だに青い顔のまま唇を噛み締める。精霊の力を借りられれば、シグリッドの負傷も短時間で治す事が出来るはずだ。だがセネムの霊力による賦活で疲労は回復してきたものの、相変わらず自分の力を使う事はできない。

　デュラハーンが展開しているこの霧の結界によって、森羅万象の精霊が締め出されてしまっているのだ。ここは何の精霊の力も感じられない異質な空間であった。何とかしてこの結界が解除されるか破られない限り、モニカはただの無力な少女に過ぎない。



『……一部とはいえ私の力を相殺するとは。やはりその力は危険だ。500年前の聖女から受け継いだその力は……』

　デュラハーンがこちらに向けてゆっくりと馬を進めてくる。ローラは警戒しながらも訝し気に眉を顰める。神聖弾は連発では撃てないので出来るだけ時間を稼ぎたいという気持ちもあった。

「……！　500年前ですって？　何故その事を知っているの？」

　『ディザイアシンドローム』事件における市庁舎での戦い。あの時ローラは確かに500年前の過去に跳んで、『ローラ』からこの浄化の力を分け与えられた。だがその事実を知る者は仲間達だけのはずだ。

『当然知っている。そもそも『ディザイアシンドローム』も、それ以外の人外の事件も、全ては我等が仕組んだ物なのだからな。あの【悪徳郷】という連中だけは計画外ではあったが』

「な…………し、仕組んだ、ですって？　まさか……あなたが『黒幕』！？」

　ローラの脳裏にマイヤーズ警部補を唆した謎の人物、イゴール達にヴラドの封印の在り処を教えたと思われる人物の存在が浮かび上がる。

　まさかこのデュラハーン……ドレイク本部長こそが『黒幕』だったと言うのか。


「で、でも、どうやって？　『ディープ・ワン』以降の事件には、裏に怪しい人物の関与は認められなかったはずよ」

　後ろで話を聞いていたナターシャが疑問を呈する。彼女は既に終わった事件についても徹底的に調査して裏を取っていたはずだ。それだけに尚更疑問が強いのだろう。

『さて、どうやってだろうな？　お前達がここでそれを知る意味は無い。今から私の手に掛かって全員死ぬのだからな。いや、殺してはならん者もいるので、ほぼ全員(・・・・)が正しいか』

「……！？」
　デュラハーンの言い方を訝しむローラだが、奴はこれ以上会話をする気はないらしく、殺気を漲らせながら近付いてくる。時間稼ぎはここまでのようだ。

　だがシグリッドは利き腕の重傷で戦力低下、実質ローラとミラーカの2人だけというのはかなりマズい状況だ。身構えるローラの額を冷や汗が伝う。


　――ブオォォォッ！！

『……！』

　しかしその時、空気を割く音と共に大きな砂の槍(・・・)がデュラハーンに向かって射出される。その槍はデュラハーンの周りに再び出現した黒い霧によって阻まれてしまうが……

「ゾーイッ！？」
「ローラ、私も加勢するわ。セネムのお陰で大分体力も回復してきたし」

　ゾーイが自分の足で立って戦闘態勢を取っていた。


「セ、セネムさん、私達はもう大丈夫ですから、ローラさん達の加勢を……」

　モニカも心苦しい表情でセネムに訴える。この局面で力になれない事が悔しいのだろう。ナターシャも何度も頷いてセネムを促す。

「む……そうだな。済まん、2人共。出来るだけ離れていてくれ」

　2人の心情を汲み取ったセネムは頷き返すと、曲刀を手に立ち上がった。そして素早くミラーカと並んでローラ達を庇う位置に出る。

「セネム……！」

「待たせたな、ミラーカ。共に奴を食い止めるぞ。ローラの力なら奴に効くようだ。私達は何としてもローラ達を守り、奴の隙を作るのが役目だ」

「……！　ええ、そうね。頼りにしてるわ」

　セネムに発奮されミラーカも闘気を高める。


「私も、戦います……！　もう絶対に、不覚は、取りません」

　右腕が無残に破壊されたシグリッドも、脂汗を大量に掻きながら辛苦の表情のまま前衛に並び立つ。恐らく誰が何を言っても大人しく後ろに下がる事はないだろう。