File41:フェイタルデュエル(Ⅰ) ~皆を守る為に
文字数 3,670文字
エリオットがその長い両腕で振るう鉤爪攻撃の前に、ジェシカは一方的に追い詰められていた。折角あのいきなり現れた修道服姿の少女の不思議な力で傷や体力が回復したのに、再び傷だらけの状態で身体のあちこちから流れ出る血が止まらなくなっていた。中にはかなり深い傷もある。
一方のエリオットはジェシカの死に物狂いの反撃で多少は傷を負っているものの、彼女に比べればまだまだ軽傷だ。
(くそ……強い! アタシはこいつに勝てないのか……?)
疲労と消耗に霞む視界の中、ジェシカは悔しさに歯噛みする。あの市庁舎でのフランシスとの戦いを思い返す。
もうあんな無様な敗北を喫するのは御免だ。それによってローラ達に迷惑を掛けるだけでなく、今はマリコ達がいる。ここで自分が負ければ、この怪物は必ずマリコをその手に掛けるだろう。それだけは絶対させる訳には行かない。
(私が……マリコを……皆を守るんだ……!)
「ガウゥゥゥッ!!」
一瞬絶望しかけた己の心を叱咤して、ジェシカは気合の唸り声を上げて再び戦闘態勢を取る。
「グ……?」
エリオットがそんな彼女を見て怪訝そうに首を傾げるが、彼女が追い詰められても諦めずに歯向かう気だと悟って、その獣の双眸が怒りと不快さに歪んだ。
「グルルルゥッ!!」
エリオットが再び飛び掛かってきた。先程までより更に速い動きだ。怒りから完全に本気を出したという所か。
凄まじい勢いで鉤爪が振り下ろされる。ジェシカは相手の攻撃に意識を集中させていた為に、辛うじてその爪撃を回避する事に成功した。
(よし! 今だ……!)
エリオットは大振りの攻撃をすかして体勢が崩れている。反撃のチャンスに逸ったジェシカは、奴の心臓を貫いてやる勢いで貫手を繰り出す。だが……
「ググッ……!」
「……ッ!?」
何と奴は体勢を崩していたのが嘘のような軽快な動きで、ジェシカの攻撃を躱してしまう。それで彼女にもこれが罠で自分がまんまと誘い込まれた事に気付いたが、もう後の祭りであった。
エリオットのもう一方の鉤爪が逆にジェシカの胴体をぶち抜いた!
「……ッ!!!」
(あ……)
一瞬何が起きたのか解らなかった。彼女は不思議な物でも見るかのような目で、自分の腹を深々と貫いて背中から抜けた エリオットの腕を眺めた。奴の腕を濡らす大量の自分の血液 も。
ゴブッ!! と口からも大量の血が溢れ出る。損傷が余りにも激しすぎて、むしろ痛みを感じなかった。
ジェシカは人狼だ。強靭な肉体と生命力は持っているが、吸血鬼のように不死身という訳ではない。そして今彼女が受けた傷は……明らかに致命傷 であった。
(そんな……嘘だろ。マリコ……皆……。ローラさん……!)
彼女の脳裏にこれまでの人生で出会った人々の顔が次々に浮かび上がる。そして、大切な人の顔も。
(い、嫌だ……嫌だ! 嫌だぁ! 死にたくない! 死にたくないっ! アタシは、まだ……!!)
濃厚に迫る死の感覚に、ジェシカは恐怖からパニックに陥る。これまでローラ達と共に多くの戦いを潜り抜けてきた。死んでもおかしくないような戦いも多かった。だがどんな強敵との戦いも、何だかんだ言いながら生き延びてきた経緯があった。
それはいつしか、自分は絶対に死なない、という根拠のない自信にすり替わっていた。重傷は負っても死ぬ事はない。最後には色々な事が起こって何とかなる。
だが……これまでがそうだったからと言って、今回もそうなるとは限らない……。彼女は今、その当たり前の世の無常さを思い知らされていた。
「グッグッグ……!」
エリオットがまたあの不気味な笑い声を上げて、その狼の口を大きく開く。無数に生え並んだ牙が見えた。あれでジェシカの喉笛を噛み砕く気だ。このままでも既に彼女の死は避けられないが、それで完全に止めだ。
このまま緩慢な死の苦痛と恐怖を感じ続けるくらいなら、むしろ一思いに殺してくれた方がありがたい。そんな境地に陥るジェシカだったが、
「ジェシカ!? ジェシカァァァァーーーッ!!!」
「……ッ!!」
マリコの甲高い悲鳴。ナターシャ達が逃がしたのではなかったのか。エリオットもその叫び声に反応し、共に視線を巡らせる。そこにはやはり青ざめた表情でジェシカの惨状を見つめるクレアに抱きかかえられたマリコが、手だけをこちらに伸ばして泣き叫んでいた。恐らくクレアが逃がそうとしたが、それに逆らって戻ってきてしまったのだろう。
泣き叫ぶ彼女の姿を見たジェシカは、カッと目を見開いた。
(そうだ……マリコを……皆を守らなきゃ……)
ここで彼女が負けて死ねば、それは彼女だけの問題ではない。マリコやナターシャ達も当然この化け物に殺されるし、こいつが野放しになれば今必死に戦っているだろうローラ達もまた危機的な状況に陥る。
(それだけは……させるかよ……!)
自分はもう助からないだろう。だが文字通り例え死んでも、目の前のこいつだけは道連れにしてみせる。
「グ……ガアアアァァァァァァッ!!!」
死に瀕し、そして自らの死を受け入れたからこその爆発的な力が発揮される。やはりマリコの方に注意が逸れていたエリオットは、ジェシカの最後の反撃に対する反応が遅れた。
ジェシカはエリオットに胴体を貫かれたまま両手を左右に広げると、その鉤爪を全開にして左右から挟み込むようにして、噛み付きの為に顔を近づけていたエリオットの首筋目掛けて、両の鉤爪を突き入れた!
「グッ!? ゴアアァッ!!?」
驚愕、動揺したエリオットは空いている方の手を振り回し、ジェシカを引きはがそうと暴れる。既に致命傷を負っている彼女の身体に、更に無数の傷が刻まれる。だがどうせ死ぬのなら同じ事だ。
ジェシカは文字通り死んでも離さないという執念で、両の鉤爪を更に深く潜り込ませ、そして……
「ウガアァァァァァァァァァァァッ!!!」
血を吐くような叫びと共に、全力で振り抜いた!
――首を半ばから引き千切られたエリオットの傷口から、冗談のような大量の血液がまるで噴水のように飛び散る。
ジェシカの胴体を貫いたまま、エリオットの両膝が地面に落ちる。そしてそのままゆっくりとうつ伏せに倒れ伏した。
剛毛に覆われた、獣と人間が融合したような歪な肉体が、徐々に萎んで人間の姿に戻っていく。そして完全に人間の姿に戻ると、後には全裸で首を殆ど引き千切られた美青年の死体だけが残されていた。
「ジェシカ! ジェシカ、しっかりシて、ジェシカッ!!」
マリコがエリオットの死体には目もくれずに、やはり倒れ伏したジェシカの元まで駆け寄る。当然ながらクレアも一緒だ。
「ジェシカ! 目を開けなさい、ジェシカ!」
「う……へ、へへ……。マリコもクレアさんも……皆、無事だったんだな? あ、あいつは……?」
人間に戻ったジェシカが、クレアに抱きかかえられて薄っすら目を開ける。その痛々しい傷跡は勿論そのままだ。マリコだけでなく、クレアの目からも涙が溢れる。
「ええ! ええ! 奴は死んだわ! 私達も皆無事よ! 全部あなたのお陰よ!」
「へ、へ……そ、そうか……。そいつは良かった……。これで、ローラさん、達も、きっと……勝てる……」
血の気が無い顔に死相を浮かべながら、それでもジェシカは微笑んだ。最後に自分の役目を全う出来た事への安堵の笑みだ。
「ジェシカ! ごめンなさい! 私が馬鹿だっタわ! あなたハ何も悪くナかったのに! ごめンなさい! ごめンなさい!」
滂沱と涙を流し、髪を振り乱して半狂乱で謝罪するマリコ。既に彼女にとってジェシカが人狼だった事などどうでも良くなっていた。大事なのは、彼女は最初から最後まで自分を守ろうとしてくれていたという事。そして実際にエリオットの魔の手から助けてくれたという事実のみだった。
ジェシカはマリコの様子を見て薄っすらと微笑んだ。そして彼女の顔に震える手を伸ばす。
「へ、へ、い、いいんだ……。なあ、マリコ……。また一緒に、バンド、出来るよな……? ローレルの新曲、みんな、で、一緒に……」
「ジェシカ! ええ、勿論よ! 必ず皆で一緒にやりましょう! 約束よ! ジェシカ…………ジェシカ?」
マリコが問い掛けるが、反応が無い。ジェシカが伸ばした手は力なく地面に落ち、薄っすらと微笑んだ表情のままその瞳は既に何も映していなかった。
「……っ!!」
クレアは涙を流したまま信じられないという風に両手で口を覆った。そしてマリコは……
「ジェシカ! ジェシカッ! 何か言っテよ、ジェシカァァッ! いやアぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
悲痛な叫びが、夜の森にいつまでも木霊していた……
一方のエリオットはジェシカの死に物狂いの反撃で多少は傷を負っているものの、彼女に比べればまだまだ軽傷だ。
(くそ……強い! アタシはこいつに勝てないのか……?)
疲労と消耗に霞む視界の中、ジェシカは悔しさに歯噛みする。あの市庁舎でのフランシスとの戦いを思い返す。
もうあんな無様な敗北を喫するのは御免だ。それによってローラ達に迷惑を掛けるだけでなく、今はマリコ達がいる。ここで自分が負ければ、この怪物は必ずマリコをその手に掛けるだろう。それだけは絶対させる訳には行かない。
(私が……マリコを……皆を守るんだ……!)
「ガウゥゥゥッ!!」
一瞬絶望しかけた己の心を叱咤して、ジェシカは気合の唸り声を上げて再び戦闘態勢を取る。
「グ……?」
エリオットがそんな彼女を見て怪訝そうに首を傾げるが、彼女が追い詰められても諦めずに歯向かう気だと悟って、その獣の双眸が怒りと不快さに歪んだ。
「グルルルゥッ!!」
エリオットが再び飛び掛かってきた。先程までより更に速い動きだ。怒りから完全に本気を出したという所か。
凄まじい勢いで鉤爪が振り下ろされる。ジェシカは相手の攻撃に意識を集中させていた為に、辛うじてその爪撃を回避する事に成功した。
(よし! 今だ……!)
エリオットは大振りの攻撃をすかして体勢が崩れている。反撃のチャンスに逸ったジェシカは、奴の心臓を貫いてやる勢いで貫手を繰り出す。だが……
「ググッ……!」
「……ッ!?」
何と奴は体勢を崩していたのが嘘のような軽快な動きで、ジェシカの攻撃を躱してしまう。それで彼女にもこれが罠で自分がまんまと誘い込まれた事に気付いたが、もう後の祭りであった。
エリオットのもう一方の鉤爪が逆にジェシカの胴体をぶち抜いた!
「……ッ!!!」
(あ……)
一瞬何が起きたのか解らなかった。彼女は不思議な物でも見るかのような目で、自分の腹を深々と貫いて
ゴブッ!! と口からも大量の血が溢れ出る。損傷が余りにも激しすぎて、むしろ痛みを感じなかった。
ジェシカは人狼だ。強靭な肉体と生命力は持っているが、吸血鬼のように不死身という訳ではない。そして今彼女が受けた傷は……明らかに
(そんな……嘘だろ。マリコ……皆……。ローラさん……!)
彼女の脳裏にこれまでの人生で出会った人々の顔が次々に浮かび上がる。そして、大切な人の顔も。
(い、嫌だ……嫌だ! 嫌だぁ! 死にたくない! 死にたくないっ! アタシは、まだ……!!)
濃厚に迫る死の感覚に、ジェシカは恐怖からパニックに陥る。これまでローラ達と共に多くの戦いを潜り抜けてきた。死んでもおかしくないような戦いも多かった。だがどんな強敵との戦いも、何だかんだ言いながら生き延びてきた経緯があった。
それはいつしか、自分は絶対に死なない、という根拠のない自信にすり替わっていた。重傷は負っても死ぬ事はない。最後には色々な事が起こって何とかなる。
だが……これまでがそうだったからと言って、今回もそうなるとは限らない……。彼女は今、その当たり前の世の無常さを思い知らされていた。
「グッグッグ……!」
エリオットがまたあの不気味な笑い声を上げて、その狼の口を大きく開く。無数に生え並んだ牙が見えた。あれでジェシカの喉笛を噛み砕く気だ。このままでも既に彼女の死は避けられないが、それで完全に止めだ。
このまま緩慢な死の苦痛と恐怖を感じ続けるくらいなら、むしろ一思いに殺してくれた方がありがたい。そんな境地に陥るジェシカだったが、
「ジェシカ!? ジェシカァァァァーーーッ!!!」
「……ッ!!」
マリコの甲高い悲鳴。ナターシャ達が逃がしたのではなかったのか。エリオットもその叫び声に反応し、共に視線を巡らせる。そこにはやはり青ざめた表情でジェシカの惨状を見つめるクレアに抱きかかえられたマリコが、手だけをこちらに伸ばして泣き叫んでいた。恐らくクレアが逃がそうとしたが、それに逆らって戻ってきてしまったのだろう。
泣き叫ぶ彼女の姿を見たジェシカは、カッと目を見開いた。
(そうだ……マリコを……皆を守らなきゃ……)
ここで彼女が負けて死ねば、それは彼女だけの問題ではない。マリコやナターシャ達も当然この化け物に殺されるし、こいつが野放しになれば今必死に戦っているだろうローラ達もまた危機的な状況に陥る。
(それだけは……させるかよ……!)
自分はもう助からないだろう。だが文字通り例え死んでも、目の前のこいつだけは道連れにしてみせる。
「グ……ガアアアァァァァァァッ!!!」
死に瀕し、そして自らの死を受け入れたからこその爆発的な力が発揮される。やはりマリコの方に注意が逸れていたエリオットは、ジェシカの最後の反撃に対する反応が遅れた。
ジェシカはエリオットに胴体を貫かれたまま両手を左右に広げると、その鉤爪を全開にして左右から挟み込むようにして、噛み付きの為に顔を近づけていたエリオットの首筋目掛けて、両の鉤爪を突き入れた!
「グッ!? ゴアアァッ!!?」
驚愕、動揺したエリオットは空いている方の手を振り回し、ジェシカを引きはがそうと暴れる。既に致命傷を負っている彼女の身体に、更に無数の傷が刻まれる。だがどうせ死ぬのなら同じ事だ。
ジェシカは文字通り死んでも離さないという執念で、両の鉤爪を更に深く潜り込ませ、そして……
「ウガアァァァァァァァァァァァッ!!!」
血を吐くような叫びと共に、全力で振り抜いた!
――首を半ばから引き千切られたエリオットの傷口から、冗談のような大量の血液がまるで噴水のように飛び散る。
ジェシカの胴体を貫いたまま、エリオットの両膝が地面に落ちる。そしてそのままゆっくりとうつ伏せに倒れ伏した。
剛毛に覆われた、獣と人間が融合したような歪な肉体が、徐々に萎んで人間の姿に戻っていく。そして完全に人間の姿に戻ると、後には全裸で首を殆ど引き千切られた美青年の死体だけが残されていた。
「ジェシカ! ジェシカ、しっかりシて、ジェシカッ!!」
マリコがエリオットの死体には目もくれずに、やはり倒れ伏したジェシカの元まで駆け寄る。当然ながらクレアも一緒だ。
「ジェシカ! 目を開けなさい、ジェシカ!」
「う……へ、へへ……。マリコもクレアさんも……皆、無事だったんだな? あ、あいつは……?」
人間に戻ったジェシカが、クレアに抱きかかえられて薄っすら目を開ける。その痛々しい傷跡は勿論そのままだ。マリコだけでなく、クレアの目からも涙が溢れる。
「ええ! ええ! 奴は死んだわ! 私達も皆無事よ! 全部あなたのお陰よ!」
「へ、へ……そ、そうか……。そいつは良かった……。これで、ローラさん、達も、きっと……勝てる……」
血の気が無い顔に死相を浮かべながら、それでもジェシカは微笑んだ。最後に自分の役目を全う出来た事への安堵の笑みだ。
「ジェシカ! ごめンなさい! 私が馬鹿だっタわ! あなたハ何も悪くナかったのに! ごめンなさい! ごめンなさい!」
滂沱と涙を流し、髪を振り乱して半狂乱で謝罪するマリコ。既に彼女にとってジェシカが人狼だった事などどうでも良くなっていた。大事なのは、彼女は最初から最後まで自分を守ろうとしてくれていたという事。そして実際にエリオットの魔の手から助けてくれたという事実のみだった。
ジェシカはマリコの様子を見て薄っすらと微笑んだ。そして彼女の顔に震える手を伸ばす。
「へ、へ、い、いいんだ……。なあ、マリコ……。また一緒に、バンド、出来るよな……? ローレルの新曲、みんな、で、一緒に……」
「ジェシカ! ええ、勿論よ! 必ず皆で一緒にやりましょう! 約束よ! ジェシカ…………ジェシカ?」
マリコが問い掛けるが、反応が無い。ジェシカが伸ばした手は力なく地面に落ち、薄っすらと微笑んだ表情のままその瞳は既に何も映していなかった。
「……っ!!」
クレアは涙を流したまま信じられないという風に両手で口を覆った。そしてマリコは……
「ジェシカ! ジェシカッ! 何か言っテよ、ジェシカァァッ! いやアぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
悲痛な叫びが、夜の森にいつまでも木霊していた……