File21:聖水
文字数 3,486文字
翌日。『アルラウネ』の前でミラーカと待ち合わせたローラは、彼女と連れ立ってウォーレンの教会へと車を走らせていた。車の中でローラはウォーレンとの関係についてミラーカに語っていた。
「私は14の時に両親を事件で亡くしているの。それ以来両親と親交のあった神父様が、半ば親代わりとなって面倒を見てくれたの。ハイスクールを卒業できたのも、アカデミーに入って今の市警に就職出来たのも、全部神父様の後押しがあっての事なのよ」
ウォーレンにどれだけ世話になって来たかを語るローラの姿を、ミラーカは何故かちょっと面白くなさそうに聞いていた。
「ふぅん……大層ご立派な神父様なのねぇ。でもあなたへの援助って、全部善意からだけなのかしら?」
「どういう意味よ?」
「そのままの意味よ。14歳って言ったらもう身体は充分大人でしょう。あなたはこんなに可愛いんだし、不純な動機は本当に無かったのかしらね?」
ミラーカに面と向かって可愛いと言われた事に胸の高鳴りと喜びの感情が湧き上がり掛けるが、同時に間違った認識は正しておかなければと思った。
「その心配なら無用よ。私だって女だし、男性にそうした感情を向けられれば何となく肌で解るものだけど、この10年神父様からそうした不純な感情を向けられた事なんて一度も無かったと断言出来るわ。地元の住民にも慕われているし、本当に素晴らしい人よ」
「ふぅん、10年間あなたを見守ってきて何も感じないだなんて、本当に男なのかしら? 去勢でもしているんじゃなくって?」
「どう答えれば満足なのよ……」
呆れながらも、もしかしてミラーカが嫉妬してくれているのだろうか、と若干嬉しさを感じてしまうローラであった。
****
やがて車は教会の前に到着した。
「着いたわ。……あの、今更なんだけど十字架とか平気なの?」
「本当に今更ね……」
ミラーカは呆れながらも、クスッと笑う。
「十字架も讃美歌も平気よ。ニンニクだって食べられるし、そもそも今の時刻は?」
「……あ」
言われて気付いたが、今は朝と言って良い時間帯だ。この乾燥地帯特有の強烈な日差しが既に強くなり始めている。なのにミラーカは平然としている。
「もしかして……日光も平気?」
「ええ。ただし吸血鬼としての本来の力は制限を受けてしまうけどね。それだけよ。灰になる事もないし、棺桶で眠ったりもしない。それらは全て後世の脚色よ。色々弱点がある方が物語としては面白いでしょう?」
「そ、それじゃあ、殆ど無敵って事じゃない!」
銃弾で脳や心臓を貫かれても平気、人間離れした身体能力、翼の生えた怪物化、そして伝承で伝わっているような弱点も無い。
「そういう事になるわね。そもそもそんな解りやすい弱点があったら、ワラキアの民だって反乱を起こしていたはずよ。それにあの子が犠牲になる事もなかった。無敵の怪物だからこそ誰も逆らえず、殺せずに封印するしかなかったのよ」
「…………」
言われてみればその通りだ。だから今ローラ達はこうして再封印の手段を模索して行動している訳だ。
「でもヴラドも今はあの頃とは時代が違うという事を理解しているんでしょう。そうでなければとっくに彼自身が表に出てきて、私を殺すなり何なりしていたはずよ。彼は今の人間達に自分の存在が公になる事を怖れている。少なくとも今の時代であれば、ヴラドは決して『無敵』とまでは行かないはずよ」
以前にもミラーカはそれを匂わせた事がある。このアメリカという国が持つ軍事力の前ではヴラドとて殺せない存在ではない。
ただそれは『軍事力』と呼べる程の戦力をぶつけた場合の話だ。ヴラドが表に出てきて好き勝手に人間を虐殺すれば、この国は彼の脅威を正確に認識し、排除の為に遺憾なくその『軍事力』をぶつけるだろう。
だがこうして裏に隠れられているとどうだ。誰も強大な怪物がすぐ身近に潜んでいる事に気付かず、その脅威を認識できない。先のローラの報告が黙殺されたのと同じで、そもそも軍事力を発揮できる所まで行かない。裏からいいようにジワジワと削られていくだけだ。
巧妙になっているのだ。ヴラドは決して力押しだけの暴君ではない。
「……少し暗い話になったわね。さあ、私にその素晴らしい神父様を紹介してくれるんでしょう?」
「あ……そ、そうね。それじゃ行きましょうか」
ローラは本来の目的を思い出すと、ミラーカを促して車を降りた。
****
聖堂の扉を潜ると……居た。祭壇付近を掃除しているウォーレンの姿が目に入った。
「神父様!」
ローラの声にウォーレンが振り返る。
「やあ、ローラ。この所毎日来てくれているね。不謹慎だけどたまには休職も良い事……で……」
ウォーレンの声が尻すぼみになる。当然その目はローラと一緒に入って来たミラーカの姿に釘付けだ。
「ロ、ローラ。まさかその女性は……」
「ふふ、はい、彼女がミラーカです。連れてきて欲しいって仰ってましたよね?」
「ああ、いや、うん……確かにそう言ったね……」
まだ若干目の前の女性が実在の存在なのか疑っている感じのウォーレンが、呆けたように返事した。ミラーカがすっと前に進み出る。
「あなたが噂の『神父様』ね。初めまして、ミラーカよ。聞いてると思うけど私、人間じゃないの」
「あ、ああ……聞いている。聞いているとも。私はウォーレンだ。こちらこそ初めまして」
2人が握手をする。ウォーレンが再びビックリしたように目を瞠ったのがローラには解った。きっとミラーカの手から体温が感じられない事に驚いたのだろう。ローラにも経験済みだ。
「おほん! あー……君の事はローラから聞いているよ。彼女の危ない所を助けてくれたみたいで、私からも礼を言わせて欲しい。ローラは私にとって……娘みたいなものだからね」
一回咳払いして気を取り直したウォーレンは改めてミラーカに礼を述べた。ミラーカは肩を竦める。
「別に礼を言われる事ではないわ。私自身がもうこれ以上『サッカー』の被害を出したくないというだけ」
そっけない態度のミラーカだが、ウォーレンは苦笑しただけだ。どうやら早くもミラーカの性格が解って来たようである。
「それで……2人して教会に何の用だい? 日の光も効かない吸血鬼相手に私が出来る事なんて何も無さそうだが」
「いえ、それがそうでもないんです、神父様」
ローラは大雑把に事情を説明し、ヴラドを封じる為の一環として『聖水』が必要である旨を伝えた。
「聖水、か……。ローラがそのように私を買ってくれている事は誇らしいけど、果たして私の祈りなんかで効果があるものかどうか……」
自信なさげに考え込むウォーレン。だがそんな彼だからこそいいのだ。自分の徳の高さがどれ程かなんて解る人間はいないだろう。もしこの場面で、自分なら絶対大丈夫などと太鼓判を押す人間がいたら、却って信用できない。
「神父様の徳の高さは私が保証します。お願いします神父様。ミラーカを助ける為に……そして私を含めるこの街の住民達を『サッカー』の脅威から解放するのに、何としても神父様の協力が必要なんです!」
「ローラ……」
ローラの説得を受けたウォーレンは、それでもしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて力強く頷いた。
「……解ったよ。私にどれだけの事が出来るか解らないけど、それで君の力になれるなら、やれるだけの事はやってみよう」
「神父様、ありがとうございます!」
ミラーカから手順を聞いたウォーレンは再度頷く。
「解った。明日のこの時間までには用意しておくと約束するよ。……ミラーカ。どうかローラの事を宜しく頼む。昔から進んで危険に身を突っ込むような危なっかしさがあってね」
「ええ、それは私も身に染みて実感しているわ……」
何故か2人から生暖かい視線を向けられてローラは怯む。
「な、何よ2人して……。自分の身くらい自分で守れるわ!」
「吸血鬼相手じゃそうも行かないだろう……。私との約束、忘れてないだろうね?」
「も、勿論です、神父様。可能な限り無茶はしないし、自分の身を大切にすると約束します!」
「頼むよ、本当に……」
心配そうなウォーレンに見送られて、ローラとミラーカは教会を後にするのだった……
「私は14の時に両親を事件で亡くしているの。それ以来両親と親交のあった神父様が、半ば親代わりとなって面倒を見てくれたの。ハイスクールを卒業できたのも、アカデミーに入って今の市警に就職出来たのも、全部神父様の後押しがあっての事なのよ」
ウォーレンにどれだけ世話になって来たかを語るローラの姿を、ミラーカは何故かちょっと面白くなさそうに聞いていた。
「ふぅん……大層ご立派な神父様なのねぇ。でもあなたへの援助って、全部善意からだけなのかしら?」
「どういう意味よ?」
「そのままの意味よ。14歳って言ったらもう身体は充分大人でしょう。あなたはこんなに可愛いんだし、不純な動機は本当に無かったのかしらね?」
ミラーカに面と向かって可愛いと言われた事に胸の高鳴りと喜びの感情が湧き上がり掛けるが、同時に間違った認識は正しておかなければと思った。
「その心配なら無用よ。私だって女だし、男性にそうした感情を向けられれば何となく肌で解るものだけど、この10年神父様からそうした不純な感情を向けられた事なんて一度も無かったと断言出来るわ。地元の住民にも慕われているし、本当に素晴らしい人よ」
「ふぅん、10年間あなたを見守ってきて何も感じないだなんて、本当に男なのかしら? 去勢でもしているんじゃなくって?」
「どう答えれば満足なのよ……」
呆れながらも、もしかしてミラーカが嫉妬してくれているのだろうか、と若干嬉しさを感じてしまうローラであった。
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やがて車は教会の前に到着した。
「着いたわ。……あの、今更なんだけど十字架とか平気なの?」
「本当に今更ね……」
ミラーカは呆れながらも、クスッと笑う。
「十字架も讃美歌も平気よ。ニンニクだって食べられるし、そもそも今の時刻は?」
「……あ」
言われて気付いたが、今は朝と言って良い時間帯だ。この乾燥地帯特有の強烈な日差しが既に強くなり始めている。なのにミラーカは平然としている。
「もしかして……日光も平気?」
「ええ。ただし吸血鬼としての本来の力は制限を受けてしまうけどね。それだけよ。灰になる事もないし、棺桶で眠ったりもしない。それらは全て後世の脚色よ。色々弱点がある方が物語としては面白いでしょう?」
「そ、それじゃあ、殆ど無敵って事じゃない!」
銃弾で脳や心臓を貫かれても平気、人間離れした身体能力、翼の生えた怪物化、そして伝承で伝わっているような弱点も無い。
「そういう事になるわね。そもそもそんな解りやすい弱点があったら、ワラキアの民だって反乱を起こしていたはずよ。それにあの子が犠牲になる事もなかった。無敵の怪物だからこそ誰も逆らえず、殺せずに封印するしかなかったのよ」
「…………」
言われてみればその通りだ。だから今ローラ達はこうして再封印の手段を模索して行動している訳だ。
「でもヴラドも今はあの頃とは時代が違うという事を理解しているんでしょう。そうでなければとっくに彼自身が表に出てきて、私を殺すなり何なりしていたはずよ。彼は今の人間達に自分の存在が公になる事を怖れている。少なくとも今の時代であれば、ヴラドは決して『無敵』とまでは行かないはずよ」
以前にもミラーカはそれを匂わせた事がある。このアメリカという国が持つ軍事力の前ではヴラドとて殺せない存在ではない。
ただそれは『軍事力』と呼べる程の戦力をぶつけた場合の話だ。ヴラドが表に出てきて好き勝手に人間を虐殺すれば、この国は彼の脅威を正確に認識し、排除の為に遺憾なくその『軍事力』をぶつけるだろう。
だがこうして裏に隠れられているとどうだ。誰も強大な怪物がすぐ身近に潜んでいる事に気付かず、その脅威を認識できない。先のローラの報告が黙殺されたのと同じで、そもそも軍事力を発揮できる所まで行かない。裏からいいようにジワジワと削られていくだけだ。
巧妙になっているのだ。ヴラドは決して力押しだけの暴君ではない。
「……少し暗い話になったわね。さあ、私にその素晴らしい神父様を紹介してくれるんでしょう?」
「あ……そ、そうね。それじゃ行きましょうか」
ローラは本来の目的を思い出すと、ミラーカを促して車を降りた。
****
聖堂の扉を潜ると……居た。祭壇付近を掃除しているウォーレンの姿が目に入った。
「神父様!」
ローラの声にウォーレンが振り返る。
「やあ、ローラ。この所毎日来てくれているね。不謹慎だけどたまには休職も良い事……で……」
ウォーレンの声が尻すぼみになる。当然その目はローラと一緒に入って来たミラーカの姿に釘付けだ。
「ロ、ローラ。まさかその女性は……」
「ふふ、はい、彼女がミラーカです。連れてきて欲しいって仰ってましたよね?」
「ああ、いや、うん……確かにそう言ったね……」
まだ若干目の前の女性が実在の存在なのか疑っている感じのウォーレンが、呆けたように返事した。ミラーカがすっと前に進み出る。
「あなたが噂の『神父様』ね。初めまして、ミラーカよ。聞いてると思うけど私、人間じゃないの」
「あ、ああ……聞いている。聞いているとも。私はウォーレンだ。こちらこそ初めまして」
2人が握手をする。ウォーレンが再びビックリしたように目を瞠ったのがローラには解った。きっとミラーカの手から体温が感じられない事に驚いたのだろう。ローラにも経験済みだ。
「おほん! あー……君の事はローラから聞いているよ。彼女の危ない所を助けてくれたみたいで、私からも礼を言わせて欲しい。ローラは私にとって……娘みたいなものだからね」
一回咳払いして気を取り直したウォーレンは改めてミラーカに礼を述べた。ミラーカは肩を竦める。
「別に礼を言われる事ではないわ。私自身がもうこれ以上『サッカー』の被害を出したくないというだけ」
そっけない態度のミラーカだが、ウォーレンは苦笑しただけだ。どうやら早くもミラーカの性格が解って来たようである。
「それで……2人して教会に何の用だい? 日の光も効かない吸血鬼相手に私が出来る事なんて何も無さそうだが」
「いえ、それがそうでもないんです、神父様」
ローラは大雑把に事情を説明し、ヴラドを封じる為の一環として『聖水』が必要である旨を伝えた。
「聖水、か……。ローラがそのように私を買ってくれている事は誇らしいけど、果たして私の祈りなんかで効果があるものかどうか……」
自信なさげに考え込むウォーレン。だがそんな彼だからこそいいのだ。自分の徳の高さがどれ程かなんて解る人間はいないだろう。もしこの場面で、自分なら絶対大丈夫などと太鼓判を押す人間がいたら、却って信用できない。
「神父様の徳の高さは私が保証します。お願いします神父様。ミラーカを助ける為に……そして私を含めるこの街の住民達を『サッカー』の脅威から解放するのに、何としても神父様の協力が必要なんです!」
「ローラ……」
ローラの説得を受けたウォーレンは、それでもしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて力強く頷いた。
「……解ったよ。私にどれだけの事が出来るか解らないけど、それで君の力になれるなら、やれるだけの事はやってみよう」
「神父様、ありがとうございます!」
ミラーカから手順を聞いたウォーレンは再度頷く。
「解った。明日のこの時間までには用意しておくと約束するよ。……ミラーカ。どうかローラの事を宜しく頼む。昔から進んで危険に身を突っ込むような危なっかしさがあってね」
「ええ、それは私も身に染みて実感しているわ……」
何故か2人から生暖かい視線を向けられてローラは怯む。
「な、何よ2人して……。自分の身くらい自分で守れるわ!」
「吸血鬼相手じゃそうも行かないだろう……。私との約束、忘れてないだろうね?」
「も、勿論です、神父様。可能な限り無茶はしないし、自分の身を大切にすると約束します!」
「頼むよ、本当に……」
心配そうなウォーレンに見送られて、ローラとミラーカは教会を後にするのだった……