File20:攻略への布石

文字数 3,234文字

 ローラは名残惜しく感じながらもミラーカから離れて、改めて彼女の顔に視線を向ける。ミラーカも既に涙を引っ込めており、その視線を正面から受け止める。

「……見苦しい所を見せたわ。忘れて頂戴」

「絶対に忘れてなんかやらないわ。その『ローラ』って底抜けのお人好しの事も、あなたがその子の為に涙した事も絶対に忘れないわ」

「ロ、ローラ……」


 ミラーカの顔が再び歪む。だが彼女は驚異的な自制心で持ち直すと、いつものように艶然と微笑んだ。


「それで? 私の長話に付き合った甲斐はあったかしら? 何か現状を打破するヒントはあって?」

「……答える前に聞きたいんだけど、封印に必要な残り2つ……魂を封じる器と、肉体を焼く聖木と言うのは、何か条件があるの? まさかその辺の水差しや枯れ枝を持ってくればいいって訳じゃないでしょう?」

 それを聞いたミラーカが小さく吹き出した。実際にその場面を想像したのかも知れない。

「いえ、ごめんなさい。そうね……。ある意味ではあなたの言う通りなの。物自体は何でもいいの。何でもいいと言うと語弊があるけど、魂を封じる器は、何の念も込められていない真新しい物体であれば何でもいいわ」

「真新しい物体?」

「作られたばかりで一度も本来の用途で使用されていない物品よ。あの子は製本されたばかりで何も書かれていない白紙の本を利用した。詳しい理屈は私も解らないのだけど、一度でも誰かに使用されると、余計な念が込められてしまって使えないそうよ」

「使用されていない物品……」

 それだけでいいなら、ショップに行けばいくらでもありそうだ。

「ただ重要なのが、『閉じられる』もしくは『蓋が出来る』ような物品でないと駄目という所ね。だからその辺の水差しでは多分無理よ。後余り大きすぎたり、逆に小さすぎるのも駄目みたい。私も細かい条件までは解らないけど、まあそこは常識の範囲内という事でいいんじゃないかしら?」

「なるほど……」


 何でもいいと言いつつ、やはり多少の条件はあるようだ。


「肉体を焼く聖木の方は?」

「こちらは本当にその辺の枯れ枝でも大丈夫よ。物自体はね……」


 奥歯に物が挟まったような言い方に引っかかりを覚えた。


「こっちにも何か他の条件がありそうね」

「ええ……重要なのはそれに『神の祝福』を掛ける必要がある、という事。そしてそれが条件を困難にしている理由でもあるのよ」

「か、神の祝福? それって一体……」

「あの子は自らの祈りを込めた『聖水』を枯れ枝に予め振り掛けていたわ。『聖水』を作るには、真に神に祝福された徳の高い聖職者の祈りが必要なの。それも魔の者――今回で言えばヴラドね――を封印するという明確な意思を持って祈らなければならない。文明の進んだ現代社会に於いて、そこまで徳の高い聖職者自体が滅多にいない存在なのよ。ましてや仮にいたとしても、ヴラド達の事を話してまともに取り合ってもらえると思う? 最初から詰んでいるという訳。私が封印はニ度と不可能だと言ったのは、これが理由でもあるのよ」

「…………」

 ローラは考え込んだ。と言っても、打開策が無くて考え込んでいるのではない。実はローラには、今ミラーカが言っていた条件に当てはまる人物に心当たりがあった。心当たりがあるどころではない。つい先刻(・・・・)その人物と話したばかりなのだ。

 彼より徳が高いと思える人物をローラは知らなかった。彼で駄目だったら、恐らく他の誰であっても駄目だろう。しかも偶然だがミラーカやヴラドの事も既に話してあり事情も知っている。条件は完全に満たしていた。だが……


(神父様をこの件に巻き込んでしまうかも知れない……)


 その懸念がある故の、沈思黙考であった。シルヴィアの下僕となったトミーの姿が思い出される。最後には塵となってこの世から消えてしまったトミー。もしウォーレンもトミーのようになってしまったら? そうでなくとも、単純に事件に巻き込まれて被害に遭う可能性もある。

 もしそんな事になったら、きっとローラは自責の念に耐えられなくなるだろう。だが現状、他に良い方法がある訳でもない。自分はミラーカの力になり、彼女を助けると決めたのだ。

 ローラはミラーカの顔に視線を戻す。

「……実はあなたの言っている条件に当てはまる聖職者を1人知ってるわ。しかも彼は私の話を信じてくれた。あなたやヴラドの事も含めてね。彼に……頼んでみるわ」

 ミラーカが驚きに目を見開く。

「そんな人物が本当にいるの? しかも私達の事を信じたですって? 何だか都合が良すぎる気がするけど……大丈夫かしら?」

「どういう意味? 神父様の事は私が保証するわ。私が小さい時から知っているの。彼以上に徳が高い聖職者を少なくとも私は知らないわ」



 都合が良すぎるというミラーカの懸念の真の意味をローラが理解するのは、これよりずっと……ずっと先の事であった。今はまだローラの、そしてミラーカでさえ知る由もない事である。



「……そう。まああなたが保証するというのであれば、私があれこれ言うことじゃないわね。『聖水』の作り方は、汲んできた水に手をかざしてその祈りを込めるだけよ。少なくとあの子はそうしていた。後はそれを直接使うなり、瓶に詰めるなりすればいいわ」

「実際にはどう使うの?」

「それも難しい事じゃないわ。ただその『聖水』を満遍なく、持ってきた燃料に染み込ませればいいだけよ。勿論その後乾かさないと燃えないけど、『聖水』による祝福はちゃんと残っているから問題ないわ」

「なるほど……大体の所は解ったわ。で、最初の質問だけど、話を聞いた甲斐があったって事なら、間違いなくあったと答えておくわ」

「そうかしら? 今言った2つの条件は整えられたとしても、最後の一つ……新鮮な人間の心臓はどうするの? 私はもう誰も人間を手に掛けるつもりはないし、あなたが自己犠牲になるというのも絶対に無しよ」 


 相当に警戒した口調である。先程語った事でトラウマを思い出したミラーカは、同じ名前を持つローラも『ローラ』のように、自らの身を投げうってヴラドを倒そうとしているのでは、と怖れているようだ。それを感じ取ってローラは苦笑した。


「心配しないで。誰も犠牲にするつもりはないし、私も勿論お断りよ。今は中世とは違うのよ。そんな事しなくても新鮮な心臓を手に入れる事は出来るわ」

「人を殺さずに、自分も死なずに心臓を手に入れる方法? そんなものが……あるの?」

「そりゃ普通じゃ難しいけど、忘れたの? 私は警察官よ? それも日々色んな犯罪が起きる大都市の市警察に務める身よ。尤も今は休職中だけどね。まあだから普通の人にはない伝手があるって訳。なのでこっちの件については任せてもらっていいわ」


 ローラは手を叩いた。過去を振り返るのはもう終わりだ。これからは未来に目を向けなければならない。


「そんな訳で私は明日から早速素材集めに取り掛かりたいと思う。ミラーカは奴等の居場所を探して……」

「いえ、私もあなたに付いていくわ。休職中のようだし、構わないでしょう?」


 ローラの言葉を遮ってやはり艶然と微笑みながら、そんな風に宣言してくる。ローラは戸惑う。


「え、私は別にいいけど……いいの?」

「いいのよ。どっちみち私が探してすぐに尻尾を掴めるような相手じゃないわ。シルヴィアが滅びた事で向こうも警戒してるでしょうし、そう簡単に見つかるとは思えないわ。それならあなたと一緒の方が何かと面白そうだと思って……」

「そ、そういう事なら……解ったわ」

 思いがけずミラーカと共に行動する事になったローラは、まるでデートみたいじゃない? と少し浮ついた気持ちになってしまうのであった。
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