File19:完敗

文字数 4,476文字

 敵が待ち構えているのは市長室……ではない。二階の多目的ホールだ。カーミラがそこまで駆け付けると、広いホールの中央に一人の男が悠然と佇んでいた。 

「やあ、よく来たね。エイダンは市庁舎(ウチ)の優秀な職員だったのに残念だよ」

 男がかぶりを振った。エイダンというのは恐らく先程ロビーで倒した肉の怪物の事だろう。

「心配しなくてもすぐにあなたも同じ所に送ってあげるわ、ジョフレイ市長」

 カーミラはそう言って男――ジョフレイに刀を突きつける。ジョフレイが薄く笑う。

「一人でシャイターンを倒したのには驚いたよ。他の連中をぶつけても同じ結果になるかなと思って、ここまで黙って通したんだよ」

「賢明な判断ね。あなたの事はある程度調べさせてもらったわ。あなたに力を与えた存在……マリードとやらを出しなさい」

「……!」
 ジョフレイが眉をピクッと上げる。しかしすぐに興味深そうな表情になる。

「へぇ……シモンズ君を斃した、あのペルシア人の女に聞いたのかな? ……マリード。ご指名だけど、どうする?」

 ジョフレイが虚空に向かって話しかける。すると……

「……!」

 どこからともなく煙が立ち込めて、それが虚空で一塊になり、やがて人型を形作っていく。そして完全に輪郭が固定される。そこに浮かんでいたのは、紫色の毒々しい肌に筋肉の盛り上がった体躯。全身に無数の傷と思われる線が刻まれた、魁偉な姿の魔人であった。

(こいつが……マリード!)

 カーミラが吸血鬼化する……そして結果的に『ローラ』があのような形で死ぬ事になった全ての元凶……!


『……シャイターンの目を通して見ていた。お前……お前は、吸血鬼、なのか?』

 信じられない物を見るような目と口調のマリード。今度はカーミラが冷笑する番だった。

「ええ、そうよ。それもあなたの野望とやらを阻んだヴラドによって直接作り出された眷属の生き残りよ」

『……ッ!!』
 マリードがその金色に輝く目を見開く。それからワナワナと震え出した。それは……怒り(・・)故か。その視線がジョフレイを向く。

『……契約者よ。吾はお前に命令はできぬ。あくまで要請(・・)となるが……あの吸血鬼は殺さずに生け捕りにして欲しい。吾の力が及ぶ程度に弱らせるのだ』
 
「ふふ、君がそんなに感情を露わにするとは、余程この吸血鬼とやらが憎いんだね? お安い御用さ。僕達の関係はギブアンドテイクなんだからね」

 ジョフレイが何てことはないように気軽に頷く。生け捕るというのは単に殺すよりも難易度が高い。殺さないように加減しなければならないからだ。そして一対一という条件下では、余程力の差がなければ出来ない芸当だ。それを事も無げに請け負うジョフレイ。

 その態度はカーミラのプライドを刺激するには充分過ぎた。 


(私を生け捕るですって? 随分舐められたものね……。お前が私達を恨んでる以上に、私はお前を憎んでいるのよ。小賢しい企みなど、まとめて斬り伏せてやるわ!)


 カーミラは刀を構えると、再び戦闘形態へと変身した。最初から全力だ。そして翼をはためかせると、凄まじい勢いでジョフレイに斬りかかった! 

 一撃で首を刈り落とす勢いで刀を薙ぐ。カーミラの持つ刀は、これまでの幾多の怪物達との戦いを通してカーミラ自身の魔力が染み渡り、強靭な魔物にも有効な無類の切れ味と刃こぼれする事のない強度を与えていた。この刀でまともに斬り付ければどんな怪物にも刃が通る。カーミラはそう確信している。だが……

「……っ!?」

 必殺を期した一撃はあっけなく弾かれた。確かに刀はジョフレイの首に当たったはずなのに、まるで何か大きな金属の塊に斬り付けたかのように弾かれたのだ。腕が痺れる。

「ん? どうしたのかな? まさか今のが全力じゃないよね?」

「く……!」

 悠然と佇んだまま首を傾げるジョフレイ。掛け値なしの全力の一撃だった。それが掠り傷一つ負わせられていない現実にカーミラは動揺するが、それを振り払うように刀を握る手に力を込め直す。

「はあぁぁぁっ!!」

 下のロビーでエイダンを切り刻んだ時のように気合を発しながら連撃を仕掛ける。首筋だけでなく人体のあらゆる急所に凄まじい速度の斬撃が叩きつけられる。

 ……そしてその全てが、やはり掠り傷一つ負わせる事も出来ずに虚しく弾かれて終わった。

「そんな……!」

 動揺を隠しきれないカーミラが呻く。掠り傷、どころかよく見ると着ている服すら無傷だ。仮に恐ろしく強靭な肉体だったとしても服も切れていないというのは不自然だ。それでカーミラは、恐らくジョフレイのこの『防御力』は肉体の強靭さというよりも、身体全体を覆う不可視の障壁的なものだと推測した。

 だがそれが推察できた所で攻略法が見いだせる訳では無い。

「気が済んだかい? じゃあそろそろ僕の番だけどいいよね?」

「……っ!!」
 カーミラが警戒しようと身構えた時には既にジョフレイの姿が至近距離にあった。反応する間もなかった。咄嗟に後ろに飛び退って距離を離そうとするが、その前にジョフレイが彼女の刀を持つ右手首を掴み取った。

「離しなさいっ!」

 左腕で殴りつけるが、やはり見えない障壁に弾かれる。掴まれている右腕を渾身の力を込めて引くが、ジョフレイの手はビクとも動かなかった。

「う!? あ、あぁ……! あ、熱っ!!」

 掴まれている右手首に凄まじい熱を感じた。思わず刀を取り落としてしまう。だがジョフレイの手は離れない。カーミラは左手で必死に引きはがそうとするが、その左手首も掴み取られてしまう。

「ぐ……ああぁぁぁぁっ!!」

 両腕を焼き切られるような痛みに苦悶の叫びを上げる。

「ふんっ!」
「ぐぇっ!!」

 その体勢からジョフレイが叩き込んできた前蹴りがカーミラの腹にヒットした。その美貌に似つかわしくない無様な苦鳴を上げて身体を前に折る。間髪入れずにジョフレイの手がカーミラの喉を掴み上げて、そのまま片手で宙吊りに持ち上げる。 

「あ……が……ぁ」

 両手は自由になっていたが、両手首とも焼き尽くされたように炭化していて使い物にならなくなっていた。無様に脚をバタつかせる以外に何の抵抗も出来ずに喉を締め上げられる。

 するとジョフレイがもう一方の手を貫手の形にして、カーミラの胴体に突き入れた!

「……!! ……ぁっ!」

 カーミラの身体ガビクンと跳ねる。そして胴体の中に突き入れられた手がやはり熱を帯び始める!


「あ! あがぁっ! ぎゃあああぁぁぁっ!!」


 聞くに堪えないような悲鳴がカーミラの口から漏れ出る。生存本能から全力で暴れるが、ジョフレイの膂力は容易くそれを抑え込んだ。

「あぁぁぁ……ううぅぅぅぅ……」

 やがてカーミラの悲鳴が弱々しいものに変わってくる。体力が尽きかけているのだ。


「……ま、こんな所かな?」

 それを認めてジョフレイが腕を引き抜いた。それと同時に喉を掴んで吊るし上げていた手も離す。カーミラの身体は力なく床に崩れ落ちた。

「う……あ……」

 文字通り虫の息といった体で床に転がるカーミラ。それを見下ろして嘲笑いつつ、マリードの方に視線を向けるジョフレイ。

「お待たせ、マリード。お望み通り弱らせておいたよ。これなら大丈夫じゃないかな?」

『感謝する、契約者よ』

 マリードは床に倒れるカーミラの上まで移動してくる。そしてカーミラの頭の上に手を翳す。

『……お前は楽には殺さん。さあ、お前の望みを吾に見せるがいい』

「あ……あ……」

 憎き仇が目の前にいるというのに、ズタボロのカーミラには何も出来ない。心を覗かれる奇妙な感覚。カーミラが心の奥底で望む物。それは……



****



「………………はっ!?」
「きゃっ!?」

 がばっと寝台から身を起こした。自分に何が起きたのか解らなかった。しかしすぐ横で可愛らしい悲鳴が聞こえて、カーミラは咄嗟に振り向いた。そしてその目が限界まで見開かれる。

「び、びっくりしたぁ! 急に跳ね起きるんだもん! いつもは起こしたって全然起きないのに今日はどうしたの、ミラーカ?」

「ロ、ローラ……?」

 簡素な造りの部屋と寝台。そして何よりも部屋の中で立ち尽くしてこちらをびっくりしたように見つめていたのは、500年という年月の中でも決して色褪せる事の無かった記憶通りの姿の……修道服の少女。

「ロ、ローラ……本当にあなたなの?」

「ど、どうしたの、ミラーカ? 起きた拍子にどこか頭でも打った!?」

「…………」

 いつか見た明晰夢とは違う。何故なら……直前までジョフレイ達と戦っていた記憶があるから……! 視覚だけでなく、音も匂いも、そして肌に感じる空気やシーツの感触……。カーミラの五感が、これは本物(・・)だと告げていた。

(何!? 何が起きたの!?)

 考え得るのは勿論、これはあのマリードが見せている幻覚という可能性だ。だがそれにしても余りにリアルに過ぎた。そして何よりも……

「だ、大丈夫? もしかして熱でもあるんじゃ……?」

 眼前に立つ『ローラ』が心配げな表情になって手を伸ばしてくる。カーミラは一瞬ビクッと硬直する。

「ロ、ローラ……。あなた……あなたもマリードが見せている幻なの?」

「マ、マリード? 一体何の事? さっきから変だよ、ミラーカ? やっぱりどこか悪いの?」

 そして『ローラ』はそのまま手を伸ばして、ミラーカの額に触れる。

(あ……)

 暖かい手。その手から体温をはっきりと感じる。

「……ッ!」
「きゃ! ミ、ミラーカ!?」

 その瞬間、堪え切れなくなっていた。カーミラは両手を広げてシスターの少女をその胸に掻き抱いていた。『ローラ』の姿、『ローラ』の顔、『ローラの声、ローラの匂い、ローラの感触……。全てが記憶の通りだ。これが偽物なんてありえない……!

「ローラ……ローラ、ローラ、ローラ……!!」

「……あらあら、どうしたの? 熱は無いみたいなのに。今日は随分甘えん坊さんね?」

 訳が分からない様子ながら、カーミラが狂おしく自分を求めて涙を流す姿に何かを察して、少女は年に似合わぬ聖女の如き慈愛の微笑みを浮かべて、カーミラの頭を優しく撫でる。


「大丈夫……もう大丈夫だから……。ここにはあなたを傷つけるモノなんて何もない。だからあなたが落ち着くまでこうしてるよ」


 その優しい声にカーミラの心は、かつてない程の安心と安堵に包まれた。同時に今これこそが現実で、今まで500年以上生きてきた記憶は全て悪い夢(・・・)だったのだ、と確信していた。

 昼下がりの修道院の寝室で、カーミラは少女に取り縋ったまま声が枯れるまで泣き続けるのだった……
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