Epilogue:異形の明日

文字数 3,171文字

 彼は夜の墓地の中を走り抜けていた。彼を追って迫ってくる者がいる。そいつに向けて持っていた銃の引き金を絞る。

 着弾に合わせてそいつの身体が仰け反るが、すぐに体勢を立て直す。そいつは嘲笑うように口の端を吊り上げる。口元から長い牙が覗く。


「ほほほ……! そんな豆鉄砲など効かんと言ったであろう? 人間風情が私を怒らせて只で済むと思うな、この下郎め!」


 その女(・・・)のボリュームのある赤い髪は逆立ち、その目は赤く不気味な輝きを帯びている。背中からは1対の白い皮膜翼が生え、全体的に怪物じみた姿となっている。

 吸血鬼。銃弾も物ともしない人外の怪物だ。ミラーカ(・・・・)の言う事を信じるなら500年前の貴婦人が吸血鬼化した存在らしい。全く馬鹿げた話だ。だが目の前の光景を見る限り信じる他なさそうだ。

 彼は更に後退しながら銃を撃ち続け、この化け物の敵意を煽る。少しでもローラ達(・・・・)から離れておく必要があった。

「逃がさんぞ、人間め!」

 激昂した女は、増々猛り狂って彼を追いかける。牽制の銃撃を続けながら後退する彼の口元は笑みの形に歪められていたが、勿論追いかけてくる女がそれに気付く事はなかった。



 そうしてしばらく後退戦を続けた所……遂に彼の持っている銃の弾薬が尽きた。カチッカチッと撃鉄が下りる音だけが虚しく響く。

 女の顔が残忍な悦びに歪む。


「ほ、ほほ……! 頼りの豆鉄砲もネタ切れのようじゃな? ……楽には殺さんぞ? 全身の血を一滴残らず吸い尽して醜いグールに変えて、死んだ後までこき使ってやるわ!」


 女が鉤爪の生えた手を握ったり開いたりしながらゆっくりと近付いてくる。その態度は余裕に満ちていた。唯一の自衛手段も失った哀れな獲物を追い詰めて、残忍に甚振って殺す。そんな嗜虐的な喜悦に酔っているようだった。


「ほほほ……ほれ、どうした! 命乞いでもして見せぬか! それとも無駄な抵抗でもしてみるか? どちらにせよ私を楽しませる事にしかならぬがの……!」


 彼はふぅっと一息吐いた。ローラ達のいた場所からは大分離れた。ここなら問題なし(・・・・)だ。


「……もうそろそろいいだろう」


 彼はそう言って銃を放り捨てた。それを見た女が嘲笑する。

「ほほ、今更降参などするつもりかえ? それをするには少し遅かったようじゃのう!」

 その言葉を聞いた彼は嗤う。愚かで……哀れな女だ。獲物を追い詰めているはずが、実はただ誘い込まれていただけだなどとは、想像すらしていないだろう。彼の表情に気付いた女が訝し気な様子になる。

「……何を笑っておる? 恐怖と絶望で気でも触れたか?」



 その声に構わず……彼は内なる衝動(・・・・・)を解放する。



 同時に、彼の肉体がバンプアップしたように一瞬で膨れ上がる。と言っても勿論空気による膨張ではない。それは……筋肉の隆起によるものだ。内側からの膨張に耐え切れず、着ていた服が破れて弾け飛ぶ。その代わりに全身を黒っぽい剛毛が覆い尽す。

 外側の変化に合わせて骨格も変形する。手と足には凶悪な太い鉤爪が生え、まるで四足獣のような形状になる。そして……顔もやはり剛毛に覆われ、鼻面が伸びていき耳の形状が変化し、口には武骨な牙が生え揃う。

 数瞬の後、彼は完全に変化(・・)を遂げていた。彼は衝動の赴くまま天に向かって咆哮する。それは人間ではあり得ない、野獣の咆哮であった。


「ば……な、なん、何じゃ、お前は!?」


 女が驚愕したように後ずさる。その顔からは既に先程までの残忍な悦びは消え失せていた。無様なものだ。今や立場は逆転していた。彼が狩る側で、女は狩られる側だ。

「ちっ!」

 本能的にそれを理解したのだろう、女は咄嗟に翼をはためかせて宙に飛び上がろうとした。そうはさせない。今の彼からすれば女の動きは鈍重そのものだ。一瞬で飛び上がろうとしていた女の足にかぶり付くと、そのまま強引に地面へと引き倒した。彼の力に女は抗えず、翼ごと背中から地面に叩き付けられて呻いた。

 彼が上から圧し掛かろうとすると女は目を見開いた。


「お、おのれ! この化け物めがっ!」


 自分も人間から見れば化け物だろうに、女の声は恐怖に震えていた。女は無茶苦茶に手を振り回して抵抗してくる。今の彼にとってはそれは文字通り屈強な大男に組み伏せられた、かよわい女の抵抗程度にしか感じられなかった。

 全くもって弱すぎる。こんな奴等が超越者を気取って彼の『狩場』を荒らしていたのかと思うと、今更ながらに腹が立ってくる。

 彼はその顎を大きく開く。その中に並んだ凶悪な牙を見た女が悲鳴を上げる。そこには最早『サッカー』として多くの人間達を手に掛けて来た吸血鬼としての面影はなかった。ただの無力な1人の女に過ぎなかった。つまりは彼のいつも通りの獲物に過ぎない。

「ひぃっ! た、助け……あ、主様ぁっ!!」

 無様な悲鳴に構わず彼は女の喉にかぶり付いた。そしてそのか細い首を延髄ごと一瞬で噛み砕いた。念の為心臓も手で貫いておく。女の身体がビクンッと跳ねたかと思うとそのまま動かなくなり、やがてボロボロに崩れて塵となって消え去ってしまった。


 終わった。呆気ない物だ。塵になってしまったので食いでがない事だけが残念であった。


 向こう(・・・)はどうなっただろうか? 失敗(・・)していた場合はそのまま突入して、今度こそ文字通りの怪物大決戦となるだろう。まるで近年のCGを駆使した怪物映画のような光景になる事請け合いである。それはそれで面白そうだと彼は思った。

 ミラーカの口ぶりからすると、主人(・・)の方は先程の下僕の女より遥かに強いようだ。彼の中の人間としての闘争心が、『狩り』ではなく『戦い』を求めていた。


 今の彼は非常に夜目が利くので、少し離れた所から一部始終を観察していた。

 ミラーカを一方的に押していた男が、いつの間にか解放されていたローラが点火した炎を見て明らかに動揺した。そしてミラーカの挑発によって激昂した男が蝙蝠じみた怪物に変化した瞬間を狙って、彼女が小瓶を投げつける。悶え苦しむ男に向かってローラが松明と化した枯れ枝を投げつけると、火は一瞬で男の身体を包み込みローラが掲げていた小さな箱の中に灰になって吸い込まれていった。

「…………」

 何とも非現実的な光景であった。尤も今の彼に言えた義理ではないが。


 ともかく決着は着いたようだ。彼はやや残念な気持ちを抱きつつも、ローラ達に合流する為に服を調達し始めた。夜目によって抜け殻となった服の山がいくつかある事は見えていた。あの中から失敬すれば良いだろう。後は彼が先程の女を倒した事を怪しまれない言い訳を考えなければならなかった。

 全く面倒な事だ。だが今しばらくは必要な措置だろう。彼は最初にローラの元に駆け付けた時の事を思い出していた。白い布で胸と腰だけを隠した無防備な姿で磔となっている彼女の姿を見た時の衝撃たるや、思わずその場で変化(・・)してしまいそうになるのを全力で堪えねばならなかった程だ。

 あの時彼は確信した。やはりローラこそが、彼の最高のメインディッシュになる運命の女なのだと。だからこそ今は耐えねばならなかった。その時(・・・)は近い内に必ずやってくる。お預けを喰えば喰う程その味は極上となる。それまでは他の女を喰い散らかして凌ぐのだ。

 彼は人間の姿に戻ると奪った服を着込み、ローラにかぶり付いた時の味を想像しながら、彼女らの元へと走っていくのだった。




Case2に続く…………
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