File7:生存競争

文字数 3,614文字

 深夜0時。大都会ロサンゼルスは例え深夜になろうとも完全に寝静まる事は無いが、それでも人通りは明らかに少なくなる。そして夜の闇はビルやその他の建物、そして街路樹や公園の木々の間に蟠る闇を形作り、確実に人々の視界や意識を遮る効果を果たす。

 ジョンに指定された通りリンカーン・パークの前の道路に車を止めたクレアは、公園の中に踏み込む。深夜という事もあって都心の只中にありながら、公園は不気味な程に静まり返り、街灯の光も木々に遮られてそこかしこに漆黒の闇が作られていた。

 クレアは何となく落ち着かない気分で辺りを見渡す。周囲に他の気配はない。


「……ジョン? いるの?」

 声も若干震えてしまう。先の見通せない闇は人間の根源的な恐怖を揺り起こすものだ。彼女はそれを実感していた。だが……人間ではない(・・・・)存在は、むしろその闇こそを好む。

「……クレア」
「っ!?」

 いきなり間近で聞こえた男の声に、クレアは思わずビクッと身体を震わせて慌てて振り返った。

 そこに、まるで身体が闇に溶け込んでいるかのように佇む黒い影があった。その血の気が感じられない病的に白い顔だけが闇の中に浮き上がっている。それは人間ではあり得ない魔性の気配を纏っていた。

 クレアは改めて彼等(・・)が人間ではない、魔物なのだという事実を意識した。


「ジョ、ジョン……! び、びっくりさせないで頂戴」

 内心の動揺と、僅かな怖れを抱いてしまった事を誤魔化すようにクレアは殊更大仰に溜息を吐いた。

「悪かったな。ちょっと他に誰も連れてきていないか確かめてたんでな」

 ジョンは肩をすくめて闇の中から出てきた。

「誰も連れてきてないわよ。現時点ではニックの件を他の人には知られたくないし」

「そうだな。じゃあ行くとしようか」

 ジョンが車のある方に顎をしゃくったので、クレアは特に疑問を抱かずに頷いてから、踵を返してジョンに背を向けて車に戻ろうとする。そして……

俺達(・・)のアジトにな……!」
「――っ!!?」

 異変を感じた時にはもう手遅れだった。物凄い力で後ろから抱きすくめられ、抵抗する間もなく首筋に牙が突き立てられる感触。

 そして自身の血を吸われていく感覚に、クレアはようやく自分が罠に嵌った事を悟った。

(ロ、ローラ……ミラーカ……。ごめんなさい……私が馬鹿だった)

 何をさておいてもまず彼女達に相談すべきだったのだ。しかしニックへの愛から冷静さを欠いていた彼女は判断を誤った。その思考を最後に彼女の意識は闇に沈んでいった。



*****



「……ぅ…………はっ!?」

 意識が覚醒すると見慣れない天井が視界に映った。何か寝台のような物に寝かされているようだった。クレアはそこで急激に記憶を取り戻し、ガバッと跳ね起きた。

「おう、起きたな」
「……っ!」

 すぐ横にジョンの顔があった。ベッド脇に置かれた椅子に座って、面白そうに彼女の顔を覗き込んでくる。

「ジョ、ジョン! あなた、これは一体どういう事!?」

「もう察しは付いてるんだろ? 俺はニックの仲間なんだよ。他にも同志(・・)は沢山いる。お前さんが怪しんでたムスタファの野郎を含めてな。知ってるか? あいつの正体は霊魔(シャイターン)なんだよ」

「……!」
 彼に襲われた時点で、ジョンとニックが通じている事は解っていた。だがそれ以外の話は想定外であった。

「な、何なの? あなた達は一体何が目的なの?」

 〈従者〉のニックと吸血鬼であるジョンが手を組んでいるだけでも脅威だというのに、ムスタファを含めて他にも仲間がいるという。それだけの戦力(・・)を集めて何を企んでいるというのか。


「――その質問には僕が答えよう」


「……!!」

 聞き慣れた落ち着いた声音の男性の声と共に、部屋の扉が開かれた。そこには彼女の予想通りの人物が佇んでいた。

「……ニック」
「やあ、クレア。こんな事になって残念だよ」

 部屋に入ってきたニックは、ジョンが立ち上がって譲った席に座ってクレアと向き合う。

「これは……あなたの意思なの?」

「そうだよ。君にはこの争い(・・)に関わってほしくなかったんだけど、こうなった以上は仕方がない」

 ニックは悲し気に嘆息した。

「君が僕に不審を抱いて連邦刑務所に行った事は解っていた。ついでに〈信徒〉が死んだ事は主人(・・)である僕にはすぐに解るんだ。だから君がミラーカ達に相談してしまう前にジョンに頼んで先手を打たせてもらったのさ。僕が直接電話したら君は怪しんで、こんな簡単に罠に掛からなかっただろうからね」

「……っ」

 全ては彼の計画通りだったのだ。ニックが非常に頭の切れる男だという事を誰よりも知っていたはずなのに、まんまと罠に嵌ってしまった。だがまさか裏でジョンと手を組んでいたなどと予想できるはずもない。


「あ、あなた達は何が目的なの? 異なる魔物同士で手を組んでまで、一体何を為そうとしているの?」

 結局最初の質問に戻ってくる。ニックが解っているという風に頷く。

「君には()が済むまでここに滞在してもらうから、僕達の目的を話しても問題ないね。僕達の目的は……ミラーカを排除する事さ」

「……っ!」
 何となく予感はしていたものの、直接それを聞かされるとやはり動揺してしまう。

「僕達は魔物としての本能に従って、既に大勢の人間を殺めている。だからミラーカとは決して相容れないんだ。彼女は僕達の存在を知ったら、必ず僕達を粛清(・・)しようとするはずだ。和解の余地はない。僕達が滅びるか、彼女が滅びるかのどちらかしかないんだ」

「……! ジョン、あなたはそれでいいの? あなたはミラーカの眷属なんでしょう?」

 クレアが壁にもたれかかって話を聞いているジョンに問い掛けるが、彼は邪悪な表情で口の端を吊り上げた。

「いいも何も、元々は俺がこの話をニックに持ちかけたんだぜ? 吸血鬼同士はヴラド様を除けば完全な主従関係って訳じゃねぇ。吸血鬼ってのは本来欲望の赴くままに人間を狩る魔物なんだよ。だがあの女(・・・)は俺にそれを禁じた。この先永遠にあの女に監視されて、人間を殺す事も出来ずに生きろってか? 冗談じゃねぇぜ」

「……っ!」

 その憎しみに歪んだ顔と声音はどう見ても本心だ。ミラーカの事を知っているだけについ失念してしまいがちだが、ヴラド達に代表されるように吸血鬼とは本来極めて邪悪で危険な魔物なのだ。

 そもそもあのミラーカとて、中世の聖女に浄化されるまでは同じような邪悪な魔物だったという。その眷属であるジョンが邪悪であっても何らおかしい事ではないのかも知れない。


「まあ、そういう訳さ。他のメンバー達も皆利害の一致から手を組んでいる者が殆どだ。ミラーカだけじゃない。ローラや彼女の仲間達に関しても、確実に僕等の敵になるだろうという意味では同じ排除対象(・・・・)なんだけどね」

「……っ。あ、あなたは、ジェシカやヴェロニカ達も手に掛けるつもりなの!?」

 ギョッとして信じられない物を見るような目でニックを見やるクレア。だがニックは酷薄な笑みを浮かべるのみだ。

「それが僕等が生きる為に必要な事であれば、彼女達を殺す事に何の躊躇いも無いよ。だがやはりまずはミラーカだ。彼女を殺さなければならない。今その為の準備を整えている最中なんだ。君がローラやミラーカに僕の事を話して彼女達に直接警戒されてしまうのは、今の段階では少々都合が悪いんでね。だから君は僕達がこの争いに勝利するまでの間、ここで大人しくしていてもらうよ」

 それだけを告げるとニックは、話は終わったとばかりに立ち上がった。ジョンが再び部屋の扉を開ける。


「ま、待って! 待ちなさい、ニック!」

 クレアは必死に呼び止めるが、ニックとジョンは無情にも部屋から出ていき扉を閉めてしまう。外から鍵がかかる音が響く。扉に駆け寄ったクレアは中から開けようと頑張るが、頑丈な扉はビクともしなかった。 

 扉の小窓から外を覗くと、廊下の挟んでいくつも同じような部屋の扉が並んでいるのが見えた。どこか解らないが昔の精神病棟のような構造だ。部屋の中はベッドとトイレと、テーブルと椅子が1セットあるだけの極めて殺風景な内装であった。

 携帯は当然取り上げられているので助けも呼べない。ニック達がミラーカ達を殺そうと計画を練っているのを解っていながらここに囚われているしかないのか。

(ローラ……ミラーカ……皆、お願い、どうか無事でいて……!)

 何とか脱出の手段が無いか模索する傍ら、クレアは友人達の無事をひたすらに祈り続けていた……
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