File43:フェイタルデュエル(Ⅲ) ~内に潜むモノ
文字数 5,382文字
月明りのみが照らす夜の空を二つの影が高速で飛行し、何度も交錯する。その度に鮮血や羽毛が飛び散る。
影の一方は白い皮膜翼をはためかせる吸血鬼のカーミラだ。その手には愛用の刀が握られている。そしてもう一方の影は暗緑色の羽毛を持った鳥人間のスパルナ。『子供』とは比較にならない堂々たる体躯を誇り、その強さも外見通りの物だ。
二体の怪物は縦横無尽に空を駆け巡りながら、何度も刀や鉤爪を振るって相手を攻撃する。その度に互いの身体に傷が増えるが、決定打を与えられないのもまたお互い様であった。
――ギェ! ギェェェェェッ!!
スパルナがその巨大な翼を振り抜くと、羽毛が変化した無数の『刃』が一斉にカーミラに向かって放たれる。その数、速度ともに脅威で、一発当たっただけでも大ダメージは免れない。
「ふっ!」
だがカーミラは動揺する事無く、努めて冷静さを保ちながら『刃』の軌道を見切って回避し、避けきれないと判断したものは刀を使って弾いていく。
全ての『刃』をいなす事に成功したが、その間にスパルナがこちらの頭上を取る位置に移動して鉤爪を振り下ろしてくる。まともに喰らえば頭を打ち砕かれる。
「……っ!」
カーミラは驚異的な反応で間一髪振り下ろしを回避した。そして反撃に刀を斬り上げるが、スパルナもまた素早い挙動でその斬撃を避けてしまう。
(くそ……やっぱり手強いわね。このままじゃ埒が明かない)
カーミラの中に苛立ちと焦燥が募る。早くこの怪物を片付けてローラや他の仲間達の援護に向かいたいのにそれが出来ない。いや、それどころか少しでも気を抜けばやられるのはこちらだ。
以前に『長男』と戦った時のように捨て身で短期決着を狙うしかないようだ。だがあの時はローラの援護が無ければあわや自分が殺されかけていた。今、仲間の援護は期待できない。
(でも……やるしかない!)
こうしている間にも仲間達が苦戦しているのだ。悠長に長期戦をしている余裕はない。カーミラは捨て身の攻撃を仕掛けようと身構える。
だがその時スパルナが、その鳥の顔と嘴を僅かに歪めて嗤った 。それを不審に思う間もなく……
――ギェ! ギェ! ギェェ!
「……!?」
叫び声と羽ばたきの音。だがそれは目の前のスパルナが発した物……ではない!
スパルナが放った物より小さな『刃』が周囲から一斉に迫る。カーミラは動揺しながらも条件反射的な挙動で奇襲攻撃を躱す事が出来た。だが……
「……!」
彼女の周囲を囲むいくつかの小さな影。小さいとは言っても体格的にはカーミラよりやや大きいが。
『子供』達だ。数は全部で3体。まだ残っている奴がいたのか。いやこの場合は……
(温存 していた……!?)
ニックの指示か、或いはスパルナ自身の意思かも知れない。いずれにしてもこの状況においては極めて厄介な増援である。『子供』だけであれば3体程度カーミラの敵ではないが、スパルナと戦いながらの横槍となると話が違ってくる。
――ギィエェェェェッ!!
スパルナが奇声を上げながら再び突進してきた。カーミラは咄嗟に刀を構えて応戦する。先程までと同じような一進一退の攻防となるが、
「ぐっ!」
カーミラの背後に迫った『子供』の鉤爪が彼女の背中を切り裂く。普通なら問題なく対処できる攻撃でも、スパルナを相手にしている状況ではそうもいかない。
カーミラは苦痛に顔を歪めながらも、容赦なく襲ってくるスパルナへの対処を優先せざるを得ない。そこに2体の『子供』が『刃』を放ってくる。
「がっ……! うぅ……!」
無数の小さな『刃』に身体を切り裂かれたカーミラが呻く。『子供』達の攻撃に対処しようとすれば、より強力なスパルナの攻撃を受けてしまうので奴の相手を優先せざるを得ない。結果、『子供』達の横槍によって一方的に傷ついていくカーミラ。
(く……マ、マズい! このままでは……!)
何とか心臓や延髄への致命傷だけは避けているが、当然ニックやジョンから吸血鬼の弱点については聞いているだろうスパルナ達は隙あらばこちらの弱点を狙ってくるので、非常に戦いにくい。
仲間達の救援に向かうどころか、むしろ自分が救援して欲しい状況となってしまっている。だが間違いなく他のメンバーも同様に大苦戦しているはずだ。救援は見込めないだろう。
カーミラの中の焦燥が更に強くなる。だがスパルナ達はその間も容赦なく攻め立ててくる。彼女は打開策を見出せないまま追い詰められていく。
『子供』の一体がカーミラの喉を抉ろうと鉤爪を繰り出してくる。カーミラは苛立ちと怒りにカッと目を見開いた。
「この……ウザったいのよ!」
「ギィエッ!?」
攻撃してきた『子供』をカウンターで一刀両断にする。首を刎ね飛ばされた『子供』が地上に墜落していく。これで一体減った。だがその代償は……
「ごふっ!?」
カーミラが『子供』を斬り捨てた隙に接近したスパルナの繰り出した鉤爪が、遂にカーミラの胴体に突き入れられ心臓を貫いた!
カーミラの口から大量の血液が溢れる。それでも歯を食いしばって刀を振り上げた。こちらも深い傷を負ったが、奴が密着している今は攻撃のチャンスでもある。
その首筋に刀を突き立てようとするが、スパルナは無情にも空いているもう一方の手でカーミラの刀を持つ腕を掴み取ってしまった。
吸血鬼の膂力で強引に押し込もうとするが、相手も相当な怪力で押し返してくる。
「ギェェェ!」
「……っ!」
そして鍔迫り合い というのは、周囲から見れば無防備極まりない状態だ。残った2体の『子供』の内1体が、カーミラの背中に取り付く。
「く……この!?」
カーミラは必死に暴れて振り落とそうとするが、スパルナに密着されて動きを封じられている状態で思うように行かない。そして……
「ギェ! ギェッ!」
背中に取り付いた『子供』の手がカーミラの喉に回され……彼女の延髄ごとズタズタに引き裂いた!
「――――」
(あ…………)
心臓はスパルナによって貫かれている。そして今、『子供』に延髄を砕かれた。それはつまり……『死』だ。
(ロ……ローラ…………)
自らの死を悟ったカーミラの目から血の涙が溢れる。
「ギェッ! ギェェェェェッ!!」
勝ち誇ったスパルナが勝利の雄叫びを上げる。奴がカーミラの胴体から腕を引き抜く。『子供』が背中から離れる。そして力を失ったカーミラの身体が地上に落下していく。
終わりだ。後はシルヴィア達のように身体が塵となって崩れ去り、この世に一切の痕跡を残さず消滅していくのみだ。
もうローラと会えなくなる。モニカの事も聞けなくなる。それが堪らなく悲しかった。ここで彼女が死ねば野放しになったスパルナが逆にニック達の援護に入り、一気に戦局は傾くだろう。最悪ローラ達は全滅してしまうかも知れない。
カーミラが負けたせいで。
(嫌……駄目……それだけは……絶対に……)
そう強く思うが、身体に力が入らない。それどころか身体の末端から崩壊 が始まっていた。
(ああ……ローラ……あなただけは……)
死が避けられないと理解しつつも足掻こうとするカーミラ。だが無情にも身体が消滅しかけたその時……
(……カーミラよ。生き延びたいか?)
(……っ!?)
唐突に死にゆく己の内側から『声』が聞こえた。幻聴かと思ったが、それにしてはいやにはっきりと聞こえた。しかも今の声にカーミラは聞き覚えがあった 。
彼女の記憶に深く刻まれた忘れるはずもない声。
(こ、この……声は…………まさか!?)
(今一度問おう。生き延びたいか? お前の大切なあの女の力になりたいか? ……この『私』に縋ってでも)
(……!! ええ! 生き延びたいわ! 何故あなたの声が聞こえるのか知らないけど、このまま私が死ねばローラ達も全滅してしまう! それだけは、絶対に……! それを防げるのなら、例え悪魔でも……いえ、『あなた』であっても何にでも縋るわ!)
幻聴でも何でも構わなかった。カーミラは無我夢中で叫んでいた。カーミラの中の『声』が……ワラキア公王ヴラド3世 の声が呵々と嗤った。
(お前の願い、確かに聞き届けた! なれば我が力を貸してやろう! そしてお前は我が眷属として、必ずや私を再び復活させる事になるだろう……!)
(……う、うあぁぁ……!? か、身体、が……!)
カーミラは自らの内から湧き上がる強烈な力の奔流に晒され、到底意識を保っている事は出来ずにそのまま気を失った。
*****
重力に従って地上に落下しながら崩壊し始めていたカーミラの身体が空中で静止した。同時に肉体の崩壊も止まる。
奇妙な現象に、勝利を確信していたスパルナが戸惑ったように叫ぶのを止めてカーミラの身体を見やる。
その視線の先で更に奇妙な現象が発生した。空中で止まっているカーミラの肉体が、内側より湧き出た大量の赤黒い血液のような物で覆われる。その血液の塊は、まるで卵を彷彿とさせるような大きな球体を形作る。
そしてその巨大な赤黒い『卵』が内側から割れる。最初に『卵』を突き破るように現れたのは腕だ。だがそれは元のカーミラの腕ではなく、黒い剛毛と凶悪な形状の鉤爪を備えた異形の腕であった。
更にもう一本の腕が突き出てきて、その両腕で『卵』を引き裂くようにして本体 が出現する。
『卵』が完全に砕け散り、中から姿を現したのは……悪魔じみた印象の怪物であった。ベース はカーミラの戦闘形態なのだが……翼は夜の闇すら吸収するような漆黒に変わり、その身体も全体的に黒い剛毛に覆われた、より怪物じみた姿に変わっていた。
更にその目は瞳が消失して完全に赤黒い球体のみになっており、非人間的な印象を補強していた。その黒い怪物は自らの身体を改める。
『ふむ……まあカーミラの身体を借りて いる状態ではこんな物か。だが、今の状況ではこれで充分だな』
黒い怪物はより上空にいるスパルナ達に視線を向ける。強力な魔物であるスパルナが、その視線を受けてビクッと恐怖 に身体を震わせる。彼は魔物としての本能で理解した。コイツ はさっきまでの女じゃない。全く別の、何か極めて危険なモノだと。
黒い怪物が持っていた刀を構えて翼をはためかせると、一気に突撃してきた。恐ろしい速度だ。
「ギェ! ギィェェェェェッ!!」
スパルナは残りの『子供』達にも指示して一斉に輪刃を放つ。自らの物も含めた無数の輪刃が黒い怪物に迫るが、
『ふん……』
怪物はつまらなそうに鼻を鳴らして、恐ろしい程の挙動で全ての輪刃を掻い潜ってしまう。そして手近にいた『子供』に接近すると刀を一閃。容易くその首を落とした。
「ギィェェェェェ!!」
残った『子供』が両足の鉤爪を向けて急降下で襲いかかるが、怪物は回避行動を取らずにむしろ自分から向かっていく。そして空中ですれ違いざまに『子供』の身体を縦に輪切りにした。
「ギッ! ギッ! ギィェェェェェッ!!!」
『子供』を全て斃されたスパルナが怒り狂って、直接襲いかかってくる。『子供』とは比較にならない速度、勢いで、黒い怪物に鉤爪を叩きつけるが、怪物はまるで瞬間移動の如き速さでスパルナの後ろに回り込む。
「ギェェェェッ!?」
驚いたスパルナが立て続けに鉤爪を振り回して追撃するが、カーミラ相手にはほぼ互角の立ち回りを演じたその攻撃は悉く空を切った。
『ふむ……こんな物か。まあ久しぶりに目覚めた肩慣らし程度にはなったか』
黒い怪物はそう独りごちると、スパルナの攻撃を躱しざまにカウンターで刀を振るった。カーミラとは比較にならない鋭さで振るわれたその刃は、狙い過たずスパルナの首をやはり一撃で刎ね飛ばしていた。
堂々たる体躯を誇っていたスパルナの巨体も首と泣き分かれて地上に落下していく。カーミラ相手には実質勝利していた強力な魔物の最後としては余りにも呆気ない幕切れ。それほどにこの黒い怪物はこの場においては理不尽な存在であったのだ。
『ぬ……もう時間か。仕方あるまい。……カーミラよ。お前が私の本体 を復活させるその時を待っておるぞ』
だが怪物は忌々しそうな表情で再び自らの身体を改めると、翼をはためかせて廃病院の屋上へと降り立っていった。
*****
そしてカーミラが再び目を覚ました時には、もう全てが終わっていた。
完全に封印したはずだったヴラドが再び現れて自分に干渉してきたショックは大きかったが、とりあえず今はローラや仲間達の安否を確認しなければという思いで戦場に駆け向かった彼女は、そこでヴラドの事も頭から吹き飛んでしまうような衝撃の光景を目にするのだった……
影の一方は白い皮膜翼をはためかせる吸血鬼のカーミラだ。その手には愛用の刀が握られている。そしてもう一方の影は暗緑色の羽毛を持った鳥人間のスパルナ。『子供』とは比較にならない堂々たる体躯を誇り、その強さも外見通りの物だ。
二体の怪物は縦横無尽に空を駆け巡りながら、何度も刀や鉤爪を振るって相手を攻撃する。その度に互いの身体に傷が増えるが、決定打を与えられないのもまたお互い様であった。
――ギェ! ギェェェェェッ!!
スパルナがその巨大な翼を振り抜くと、羽毛が変化した無数の『刃』が一斉にカーミラに向かって放たれる。その数、速度ともに脅威で、一発当たっただけでも大ダメージは免れない。
「ふっ!」
だがカーミラは動揺する事無く、努めて冷静さを保ちながら『刃』の軌道を見切って回避し、避けきれないと判断したものは刀を使って弾いていく。
全ての『刃』をいなす事に成功したが、その間にスパルナがこちらの頭上を取る位置に移動して鉤爪を振り下ろしてくる。まともに喰らえば頭を打ち砕かれる。
「……っ!」
カーミラは驚異的な反応で間一髪振り下ろしを回避した。そして反撃に刀を斬り上げるが、スパルナもまた素早い挙動でその斬撃を避けてしまう。
(くそ……やっぱり手強いわね。このままじゃ埒が明かない)
カーミラの中に苛立ちと焦燥が募る。早くこの怪物を片付けてローラや他の仲間達の援護に向かいたいのにそれが出来ない。いや、それどころか少しでも気を抜けばやられるのはこちらだ。
以前に『長男』と戦った時のように捨て身で短期決着を狙うしかないようだ。だがあの時はローラの援護が無ければあわや自分が殺されかけていた。今、仲間の援護は期待できない。
(でも……やるしかない!)
こうしている間にも仲間達が苦戦しているのだ。悠長に長期戦をしている余裕はない。カーミラは捨て身の攻撃を仕掛けようと身構える。
だがその時スパルナが、その鳥の顔と嘴を僅かに歪めて
――ギェ! ギェ! ギェェ!
「……!?」
叫び声と羽ばたきの音。だがそれは目の前のスパルナが発した物……ではない!
スパルナが放った物より小さな『刃』が周囲から一斉に迫る。カーミラは動揺しながらも条件反射的な挙動で奇襲攻撃を躱す事が出来た。だが……
「……!」
彼女の周囲を囲むいくつかの小さな影。小さいとは言っても体格的にはカーミラよりやや大きいが。
『子供』達だ。数は全部で3体。まだ残っている奴がいたのか。いやこの場合は……
(
ニックの指示か、或いはスパルナ自身の意思かも知れない。いずれにしてもこの状況においては極めて厄介な増援である。『子供』だけであれば3体程度カーミラの敵ではないが、スパルナと戦いながらの横槍となると話が違ってくる。
――ギィエェェェェッ!!
スパルナが奇声を上げながら再び突進してきた。カーミラは咄嗟に刀を構えて応戦する。先程までと同じような一進一退の攻防となるが、
「ぐっ!」
カーミラの背後に迫った『子供』の鉤爪が彼女の背中を切り裂く。普通なら問題なく対処できる攻撃でも、スパルナを相手にしている状況ではそうもいかない。
カーミラは苦痛に顔を歪めながらも、容赦なく襲ってくるスパルナへの対処を優先せざるを得ない。そこに2体の『子供』が『刃』を放ってくる。
「がっ……! うぅ……!」
無数の小さな『刃』に身体を切り裂かれたカーミラが呻く。『子供』達の攻撃に対処しようとすれば、より強力なスパルナの攻撃を受けてしまうので奴の相手を優先せざるを得ない。結果、『子供』達の横槍によって一方的に傷ついていくカーミラ。
(く……マ、マズい! このままでは……!)
何とか心臓や延髄への致命傷だけは避けているが、当然ニックやジョンから吸血鬼の弱点については聞いているだろうスパルナ達は隙あらばこちらの弱点を狙ってくるので、非常に戦いにくい。
仲間達の救援に向かうどころか、むしろ自分が救援して欲しい状況となってしまっている。だが間違いなく他のメンバーも同様に大苦戦しているはずだ。救援は見込めないだろう。
カーミラの中の焦燥が更に強くなる。だがスパルナ達はその間も容赦なく攻め立ててくる。彼女は打開策を見出せないまま追い詰められていく。
『子供』の一体がカーミラの喉を抉ろうと鉤爪を繰り出してくる。カーミラは苛立ちと怒りにカッと目を見開いた。
「この……ウザったいのよ!」
「ギィエッ!?」
攻撃してきた『子供』をカウンターで一刀両断にする。首を刎ね飛ばされた『子供』が地上に墜落していく。これで一体減った。だがその代償は……
「ごふっ!?」
カーミラが『子供』を斬り捨てた隙に接近したスパルナの繰り出した鉤爪が、遂にカーミラの胴体に突き入れられ心臓を貫いた!
カーミラの口から大量の血液が溢れる。それでも歯を食いしばって刀を振り上げた。こちらも深い傷を負ったが、奴が密着している今は攻撃のチャンスでもある。
その首筋に刀を突き立てようとするが、スパルナは無情にも空いているもう一方の手でカーミラの刀を持つ腕を掴み取ってしまった。
吸血鬼の膂力で強引に押し込もうとするが、相手も相当な怪力で押し返してくる。
「ギェェェ!」
「……っ!」
そして
「く……この!?」
カーミラは必死に暴れて振り落とそうとするが、スパルナに密着されて動きを封じられている状態で思うように行かない。そして……
「ギェ! ギェッ!」
背中に取り付いた『子供』の手がカーミラの喉に回され……彼女の延髄ごとズタズタに引き裂いた!
「――――」
(あ…………)
心臓はスパルナによって貫かれている。そして今、『子供』に延髄を砕かれた。それはつまり……『死』だ。
(ロ……ローラ…………)
自らの死を悟ったカーミラの目から血の涙が溢れる。
「ギェッ! ギェェェェェッ!!」
勝ち誇ったスパルナが勝利の雄叫びを上げる。奴がカーミラの胴体から腕を引き抜く。『子供』が背中から離れる。そして力を失ったカーミラの身体が地上に落下していく。
終わりだ。後はシルヴィア達のように身体が塵となって崩れ去り、この世に一切の痕跡を残さず消滅していくのみだ。
もうローラと会えなくなる。モニカの事も聞けなくなる。それが堪らなく悲しかった。ここで彼女が死ねば野放しになったスパルナが逆にニック達の援護に入り、一気に戦局は傾くだろう。最悪ローラ達は全滅してしまうかも知れない。
カーミラが負けたせいで。
(嫌……駄目……それだけは……絶対に……)
そう強く思うが、身体に力が入らない。それどころか身体の末端から
(ああ……ローラ……あなただけは……)
死が避けられないと理解しつつも足掻こうとするカーミラ。だが無情にも身体が消滅しかけたその時……
(……カーミラよ。生き延びたいか?)
(……っ!?)
唐突に死にゆく己の内側から『声』が聞こえた。幻聴かと思ったが、それにしてはいやにはっきりと聞こえた。しかも今の声にカーミラは
彼女の記憶に深く刻まれた忘れるはずもない声。
(こ、この……声は…………まさか!?)
(今一度問おう。生き延びたいか? お前の大切なあの女の力になりたいか? ……この『私』に縋ってでも)
(……!! ええ! 生き延びたいわ! 何故あなたの声が聞こえるのか知らないけど、このまま私が死ねばローラ達も全滅してしまう! それだけは、絶対に……! それを防げるのなら、例え悪魔でも……いえ、『あなた』であっても何にでも縋るわ!)
幻聴でも何でも構わなかった。カーミラは無我夢中で叫んでいた。カーミラの中の『声』が……ワラキア公王
(お前の願い、確かに聞き届けた! なれば我が力を貸してやろう! そしてお前は我が眷属として、必ずや私を再び復活させる事になるだろう……!)
(……う、うあぁぁ……!? か、身体、が……!)
カーミラは自らの内から湧き上がる強烈な力の奔流に晒され、到底意識を保っている事は出来ずにそのまま気を失った。
*****
重力に従って地上に落下しながら崩壊し始めていたカーミラの身体が空中で静止した。同時に肉体の崩壊も止まる。
奇妙な現象に、勝利を確信していたスパルナが戸惑ったように叫ぶのを止めてカーミラの身体を見やる。
その視線の先で更に奇妙な現象が発生した。空中で止まっているカーミラの肉体が、内側より湧き出た大量の赤黒い血液のような物で覆われる。その血液の塊は、まるで卵を彷彿とさせるような大きな球体を形作る。
そしてその巨大な赤黒い『卵』が内側から割れる。最初に『卵』を突き破るように現れたのは腕だ。だがそれは元のカーミラの腕ではなく、黒い剛毛と凶悪な形状の鉤爪を備えた異形の腕であった。
更にもう一本の腕が突き出てきて、その両腕で『卵』を引き裂くようにして
『卵』が完全に砕け散り、中から姿を現したのは……悪魔じみた印象の怪物であった。
更にその目は瞳が消失して完全に赤黒い球体のみになっており、非人間的な印象を補強していた。その黒い怪物は自らの身体を改める。
『ふむ……まあカーミラの身体を
黒い怪物はより上空にいるスパルナ達に視線を向ける。強力な魔物であるスパルナが、その視線を受けてビクッと
黒い怪物が持っていた刀を構えて翼をはためかせると、一気に突撃してきた。恐ろしい速度だ。
「ギェ! ギィェェェェェッ!!」
スパルナは残りの『子供』達にも指示して一斉に輪刃を放つ。自らの物も含めた無数の輪刃が黒い怪物に迫るが、
『ふん……』
怪物はつまらなそうに鼻を鳴らして、恐ろしい程の挙動で全ての輪刃を掻い潜ってしまう。そして手近にいた『子供』に接近すると刀を一閃。容易くその首を落とした。
「ギィェェェェェ!!」
残った『子供』が両足の鉤爪を向けて急降下で襲いかかるが、怪物は回避行動を取らずにむしろ自分から向かっていく。そして空中ですれ違いざまに『子供』の身体を縦に輪切りにした。
「ギッ! ギッ! ギィェェェェェッ!!!」
『子供』を全て斃されたスパルナが怒り狂って、直接襲いかかってくる。『子供』とは比較にならない速度、勢いで、黒い怪物に鉤爪を叩きつけるが、怪物はまるで瞬間移動の如き速さでスパルナの後ろに回り込む。
「ギェェェェッ!?」
驚いたスパルナが立て続けに鉤爪を振り回して追撃するが、カーミラ相手にはほぼ互角の立ち回りを演じたその攻撃は悉く空を切った。
『ふむ……こんな物か。まあ久しぶりに目覚めた肩慣らし程度にはなったか』
黒い怪物はそう独りごちると、スパルナの攻撃を躱しざまにカウンターで刀を振るった。カーミラとは比較にならない鋭さで振るわれたその刃は、狙い過たずスパルナの首をやはり一撃で刎ね飛ばしていた。
堂々たる体躯を誇っていたスパルナの巨体も首と泣き分かれて地上に落下していく。カーミラ相手には実質勝利していた強力な魔物の最後としては余りにも呆気ない幕切れ。それほどにこの黒い怪物はこの場においては理不尽な存在であったのだ。
『ぬ……もう時間か。仕方あるまい。……カーミラよ。お前が私の
だが怪物は忌々しそうな表情で再び自らの身体を改めると、翼をはためかせて廃病院の屋上へと降り立っていった。
*****
そしてカーミラが再び目を覚ました時には、もう全てが終わっていた。
完全に封印したはずだったヴラドが再び現れて自分に干渉してきたショックは大きかったが、とりあえず今はローラや仲間達の安否を確認しなければという思いで戦場に駆け向かった彼女は、そこでヴラドの事も頭から吹き飛んでしまうような衝撃の光景を目にするのだった……