File46:フェイタルデュエル(Ⅵ) ~もう一つの巨悪
文字数 6,066文字
「……っ!」
ゾーイは砂を集めて作った盾でジャーンの飛びつきを防ぐ。そして弾き飛ばした怪物相手に砂の槍を撃ち込んだ。槍に貫かれたジャーンは叫び声を上げながら消滅していく。
廃病院の最上階に踏み込んだゾーイだが、そこにはニックはおらず、代わりに……
『ふぁはは、中々頑張りますなぁ! しかしいつまで保ちますかな?』
ゾーイの苦闘を嘲笑うのは、蝿と人間が融合したようなおぞましい怪物……
『ほら、今度は2体同時ですぞ? 頑張って凌いで下さいよ?』
「く……!」
ゾーイが歯噛みする間にもムスタファの指示を受けたジャーンが2体進み出てくる。そして左右から挟み込むように迫ってきた。ほぼ同時に攻めってきているので、どちらか一方だけに対処していると間に合わない。
(だったら……!)
彼女は自身の左右に『砂の壁』を出現させた。それにより2体のジャーンの突撃を受け止める。そして間髪を入れずに、砂の壁の中から槍が飛び出してジャーン達を串刺しにした。
『ほほぅ、これは凄い! そのような使い方も出来るのですね? 覚えましたぞ?』
ムスタファが慇懃に拍手する。奴はジャーンを使って彼女の戦い方を観察している。ヴェロニカにも最初にジャーンを嗾けて偵察していたという。
慎重といえば聞こえはいいが、卑劣で臆病な性格なのだろう。絶対に自分が勝てる相手としか戦おうとしない。
手の内を研究され、まるで丸裸にされているような感覚にゾーイは焦燥を募らせるが、現状では打つ手がなかった。
『ふぁはは! ほら! 最後は3体ですよ!? 頑張って下さい!』
ムスタファに促されて、残っていた3体のジャーンが向かってくる。今度は一気に突っ込んではこずに、じわじわと包囲を狭めるようなやり方だ。
ゾーイは1体に向けて砂の槍を撃ち出す。撃ち出された槍はジャーンに躱す間も与えず貫く事に成功する。
だがその間に別の1体が背後から迫る。こちらの攻撃動作の隙を突く作戦か。
「く……!」
ゾーイは咄嗟に砂の壁を展開してジャーンの攻撃を防ぐ。壁から飛び出した槍がそのジャーンを串刺しにする。これで残り1体。だがその時には……
「ギギャギャッ!!」
「きゃあ……!?」
最後のジャーンが至近距離まで迫っており、ゾーイは思わず悲鳴を上げた。ジャーンが鉤爪を薙ぎ払う。ゾーイは慌てて飛び退ろうとするが、焦っていた為に足がもつれて転倒してしまう。
ジャーンが奇声を上げながら覆い被さってくる。醜い牙が迫る。ゾーイは必死に腕を突っ張ってその顔を受け止める。だが能力以外は非力な普通の女性であるゾーイの力ではそれを押し留める事は到底適わず、無情にもジャーンの牙はどんどん迫ってくる。
「ぐ……うぅ……!」
ゾーイは両腕で踏ん張りながら必死に魔力を練り集める。そして後わずかでジャーンの牙が彼女の喉元に食らい付こうかという距離まで迫った所で……
「……!!」
ジャーンが突如ビクンッっと震えた。そして全身が弛緩するとゾーイの身体の上に崩れ落ちた。その背中には無数の小さな傷が穿たれていた。
ゾーイが自らに覆い被さるジャーンの更に背中の上……中空に無数の細かい『砂の針』を作り出して、それを一斉にジャーンの背中に撃ち込んだのだ。大きな砂の槍だとジャーンを貫通して自分に当たってしまう危険から、小さな砂の針を大量に撃ち込むという方法を取ったのだ。
「はぁ……! はぁ……! はぁ……! ふぅ……!」
ジャーンの死体が消滅し、ゾーイは何とか上体だけを起こして横座りの姿勢になって荒い息を吐く。
『ふぁはは……なるほどなるほど、あなたの力は存分に観察させて頂きました。ではそろそろ本番と行きましょうか』
「……っ!」
だが無情にも休む暇さえなく、遂に静観に徹していたムスタファが動き出した。ゾーイは慌てて立ち上がって、砂の槍を撃ち込んだ。しかしあっさりと回避されてしまう。ジャーンとは比較にならない素早い挙動だ。
ムスタファがその虫翅を広げて正面から迫ってきた。インパクトのある外見が高速で迫ってくる絵面に顔を引き攣らせたゾーイは、半ば本能的に砂の壁を作り出してムスタファの接近を遮る。
そしてムスタファの動きが止まった所に、壁の中から槍を突き出して串刺しにしようとするが、
『ふぁはは! 無駄無駄! 全てお見通しですぞ!』
「……!!」
ムスタファは壁にぶつかる前に虫翅を羽ばたかせて、猛スピードで壁を大きく迂回して迫ってきた。
「ひっ……!!」
ゾーイは短い悲鳴を上げて思わず身を翻して逃げようとするが、当然あっという間に追いつかれて背中におぞましい怪物が取り付いた。
「ひぃ!? い、いやあぁぁぁぁっ!!」
『んんーー……!! いい声ですなぁ! だがまだです! もっと嫌悪に泣き叫ぶのです!』
ムスタファは哄笑すると、怪物の膂力で容易くゾーイを床に組み伏せた。醜い蝿の怪物が上から圧し掛かってくる光景と感触に、ゾーイは恐怖に目を見開いた。
「い、いや! は、離して! 離してぇっ!!」
無我夢中で魔力をかき集めたゾーイは先程ジャーンを斃した時と同じように、中空に無数の砂の針を作り出して一斉にムスタファの背中に撃ち出そうとする。しかし……
『無駄と言っているでしょうがぁっ!!』
ムスタファが背中の虫翅を猛烈な勢いで蠢動させる。するとその羽ばたきによって魔力を帯びた風圧が叩きつけられて、中空に浮かんでいた砂の針は残らず『撃墜』されて消滅してしまった。
「そ、そんな……」
『あなたの手の内は全て見させて頂きましたからねぇ。私には通用しませんよ』
万策尽きて絶望に呻くゾーイをムスタファが嬉々として追い詰める。怪物に押さえつけられたゾーイは全く身動きが取れない。そしてそんな彼女に見せつけるように、ムスタファが醜い口吻を彼女の眼前に伸ばす。
「ひぃ……」
『ふぁはは、いい表情です。さて、それではいよいよ
「……っ!!」
ゾーイが硬直する。ムスタファの口吻の先から緑っぽい液体が垂れてきたのだ。その液体はゾーイのお腹の辺りの服にかかった。すると……
――ジュウゥゥゥゥゥゥッ!
焼け付くような音と煙が発生して、液体がかかった部分の服が跡形も無く溶かされてしまった。しかし服の下の柔肌は全く火傷を負っていない。どうやら服だけを溶かすように溶解液を
「あ……あぁ……い、いやぁ……」
『ふぁはは、いい声ですぞ。どれ、もっと行きましょうか』
ゾーイの目から涙が零れ、それを見て増々調子に乗ったムスタファが次々と溶解液を垂らしてゾーイの服を溶かしていく。
服がボロボロになったゾーイはかなり煽情的な姿になっていた。完全に丸裸にされた時、自分はこのおぞましい怪物に犯されるのだ。それが避けられない運命だと悟ったゾーイは、恐怖と嫌悪と絶望のあまりに、逃避反応として自ら意識を失ってしまった。
『んん? 意識を失うとは興ざめですな。そんな現実逃避などさせませんぞ? ほら、起きなさい……!』
ムスタファが気を失ったゾーイの頬を触腕で叩く。しかし中々目を覚ます様子が無い。苛立ったムスタファが少し強めに殴ろうとして……
――ガシッ!
ゾーイの手がムスタファの触腕を掴み取った。
『……っ!?』
「……汚らわしい羽虫が。即刻、
意識を取り戻したのか目を開けたゾーイが喋る。だが確かに声はゾーイの物であったが……口調も、そしてムスタファを見上げるその目も、文字通り汚らわしい虫けらを蔑むような冷え切った物へと変わっていた。
ムスタファが唖然とする間もあればこそ、触腕を掴んでいたゾーイの手に恐ろしい程の魔力が発生する。
『ぎっ……!?』
ムスタファが触腕に激烈な違和感を覚えて、慌てて彼女の手を振り払って後ろへ飛び退ると……
『な、なな……?』
その触腕が全ての水分を失ったように完全に萎んで干からびていたのだ。もし彼が慌てて身を離さなかったら、きっと全身がこうなっていた……。
「【悪徳郷】か……。ふざけた連中だ。だが礼を言っておくぞ。お主等のお陰で……この女にかなりの魔力を使わせる事ができた。この女が
『……っ!!』
文字通り人が変わったようなゾーイが薄笑いを浮かべながら立ち上がる。その身体から立ち昇る魔力は、意識を失う前までの彼女とは比較にならない濃密な物である事にムスタファは気付いた。
「場合によっては数十年の歳月を覚悟していたが、お主等のお陰で予定より相当早く目覚める事ができるかも知れん」
ゾーイは……いや、それとは別の
彼は本能的に理解していた。
それを悟ったムスタファがこの場で取った行動は、戦闘や逃走ではなく……
彼はガバッとその場で
『お、お待ちください! あなたが何者であれ、あなたがこの女の中にいるとは知らなかったのです! どうかお許しをっ!』
恥も外聞もなく命乞いする。彼にはプライドという物はなく、自分が生き延びる為なら這いつくばって命乞いする事など何程もない。
博物館でマリードと邂逅した時も、ニック達に仲間に誘われた時も……いずれも自らの危機を察する能力とプライドを捨てた素早い変わり身とで乗り切って生き延びてきたのだ。
「…………」
ゾーイの中にいる何者かは無言でムスタファを見下ろしている。彼は自らの保身本能のまま言葉を重ねる。
『偉大なる貴方様に忠誠を誓います! 私なら必ずや貴方様のお役に立てるはずです! どうか私を家来の末席にお加え下さいませっ!』
這いつくばって床に頭を付ける。自分が助かる為ならニック達などどうなっても構わない。所詮利害の一致で手を組んでいただけの連中だ。
『ゾーイ』は無言のままだ。ムスタファが恐る恐る頭を上げて仰ぎ見ると……
「……言いたい事はそれだけか、下郎? 余は主や仲間を平気で売り渡す薄汚い裏切り者が、この世で最も嫌いなのだ。ナルメルやあの売女を思い出すが故に、な」
『ひ……!?』
『ゾーイ』の目は凍てつく南極の凍土より尚冷たく、軽蔑と苛立ちと不快感に満ちていた。それでムスタファは自分が選択を誤った事を知った。
「裏切り者は絶対に許さん。余が手ずから処刑してくれよう」
『ぬ、ぬ…………きぃぃぃぃ、死ねぇぇっ!!』
強烈な殺気を浴びせられて自暴自棄となったムスタファは、破れかぶれの奇襲を試みる。平伏の姿勢から一瞬で跳ね起きて口吻を伸ばすと、至近距離から『ゾーイ』に向けてありったけの溶解液を浴びせかける。
まともに喰らえば一瞬で骨まで溶かす強酸が、大量に『ゾーイ』の身体に降りかかる……寸前で、瞬時に出現した分厚い砂の壁によって全て阻まれる。
元のゾーイが作り出す物とは、形成の速度からその頑強さまで桁違いの防壁だ。
『……っ!』
「消えよ。穢らわしい羽虫が」
『ゾーイ』がムスタファに向かって手を翳す。するとその手に細長い
それは鞭のように撓りながらも先端が鋭利な剣のように研ぎ覚まされた切れ味を持っており、瞬きする間ほどの時間で、ムスタファの身体を無数の肉片へと
卑劣な処世術で闇の勢力を渡り歩いて生き延びてきた姑息な魔物は、そのしぶとさに見合わずあっさりとこの世から消滅した。
それを確認した『ゾーイ』は自らの身体を改める。
「……封印される直前、この女の中に我が砂を紛れ込ませる事ができたのは僥倖であった。この女が魔力で我が力を振るう度に、余の意識は覚醒されていった。この女より抜け出して、我が本体へと戻れる日もそう遠い事ではなさそうだ。ふふ……それまでは余の力、存分に振るうが良い」
『ゾーイ』が酷薄な笑みを浮かべる。
と、その時『ゾーイ』は、全く別の……それでいて己に匹敵する何らかの魔力を感じ取って、視線を
「ほぅ……これは。余と
『ゾーイ』は先程とは少し異なった種類の笑みを浮かべる。そこにはある種の……
「時間があれば調べたい所だが、生憎この女がもうじき目を覚ます。……ふ、まあ良い。楽しみは後に取っておくべきであろうな」
『ゾーイ』はひとしきり楽しそうに笑うと、急に眠そうな顔になって、その場に横たわり目を閉じた。そして……
*****
「う、う……はっ!? ……え? あ、あれ……? あいつは? 私、どうなったの?」
慌てて自分の身体を改めるが、服はボロボロのままだったが、身体はどこも暴行されたような形跡はない。ゾーイはホッとすると共に、増々訳が分からなくなった。
(ど、どういう事……? 奴の魔力も感じられなくなってるし……)
何となく意識を失う寸前、自分の中からものすごい魔力が噴き上がってくるのを感じたが、気のせいだったのだろうか。或いはそれでムスタファを斃せたのかも知れないが。
奴が自分に何もしないでどこかに行ったとは思えないので、よく分からないがムスタファは自分が斃したと思う事にした。
何にせよとりあえず自分は無事だったようなので、他の仲間達の様子を見に行こうと、ゾーイは急いでこの場を後にするのだった……