Interlude:魔宝

文字数 5,150文字

 ロサンゼルス自然史博物館。

 LAでも屈指の有名博物館であり、自然史と銘打ってはいるもののそれだけではなく、歴史博物館、考古学博物館としての側面も併せ持ち、その展示物の多彩さから国内だけではなく、海外から訪れた観光客にとっても 有力な観光スポットの一つとなっている。

 そんなロサンゼルス自然史博物館に、今日新たな目玉(・・)となる展示品が到着した。


「おぉ……これが……。これが、『アラジンの魔法のランプ』の原型(・・)になったと云う……!」


 館長であるウィリアム・ワインバーグは、目の前で厳重かつ丁寧な梱包から解かれてその全容を露わにした物品に、思わず感嘆の吐息を漏らした。

「はい。かのオスマン帝国のスルタン、メフメト2世も愛用したと言われる、正真正銘の『魔法のランプ』にございます」

 流暢な英語で答えたのはトルコの文化観光省の役人、ムスタファ・ケマルという男であった。今回の契約の際にも窓口となってくれた人物だ。

「……!」

 その真鍮製のランプは中近東で普及していた水差しのような独特の形状をしており、作られてから相当の年月が経過した事を物語る、年季の入った佇まいをしていた。

 ウィリアムは感嘆の吐息を漏らした。間違いなく本物(・・)だ。鑑定するまでもない。いや、勿論トルコ政府は信用しているが、そういう意味ではない。

 ウィリアムとて長年この博物館の館長を勤めてきた人物だ。その辺の目利き(・・・)には自信がある。

 それだけでなくこのランプには、何というのか言葉にしづらいが、妙に人の目を惹き付ける「力」のような物を感じるのだ。それこそ魔力とでもいうのか、そんなものをだ。

「……いや、素晴らしいよ、ミスター・ケマル。想像以上だ。これは間違いなく当館の目玉になるぞ」

「喜んで頂けて何よりです。我が国としても、自国の文化財をこのアメリカで展示させて頂く事の意義は大きいですから。1人でも多くの来館者に興味を持ってもらえるなら、これに勝る喜びはありません」

 ムスタファが頷いた。それは今日に至るまでの電話やメールでも繰り返されたやり取りであった。しかしこうして実物を前にすると、同じやり取りでも感慨が違う。


 ウィリアムは早速この特上の展示品を豪華なショーケースへと移して、館のメインホールの中央に据え置くようにスタッフへと指示した。最も目立つ花形の位置だ。

「さて、これで展示の準備は出来たが……後はPR(・・)の問題だな」

 どれだけの逸品を仕入れて展示した所で、それだけでは人は集まらない。この『魔法のランプ』も、ここにそれがあるという事を知ってもらわなければ興味の持たれようもないのだ。

 ここで一つの問題があった。

 実はウィリアムはこのランプを博物館で展示できるようトルコ政府に掛け合うのと並行して、対外向けのPRに関してもとある人物(・・・・・)に頼んでおり、了承の返事も貰っていたのだった。しかし……

「まさか、ヴァンサント州議員(・・・・・・・・・)が亡くなってしまうとは……」

 ウィリアムはかぶりを振った。

 ヴィンセント・ヴァンサント州議員は、次期上院議員候補であり、その当選は確実と見込まれていた人物だった。弁舌爽やかで人当たりも良く、LAのみならずカリフォルニア州における知名度も上々、という事で、今回のPRの打診をしていたのであった。

 しかし今巷を騒がせている『バイツァ・ダスト』なる謎の殺人者によって、議員は殺されてしまった。見るも無残な死に様だったという。

 州議員でしかも時期上院議員候補という立場だ。本業が投資家だった事もあって、知らない所で色々恨みを買っていたりもしただろう。彼が殺された理由はウィリアム達の件とは全く関わりがないと思われるので、完全なとばっちりという訳だ。

 しかしPRに政治家を起用する事は既に告知してしまっている。今更変更できないし、その余裕もない。そこで代替案として、ヴァンサント州議員の後釜(・・)に座る事になるであろうマイケル・ジョフレイ議員にオファーを回したのであった。

 はっきり言ってヴァンサントに比べるとPR効果は低下すると言わざるを得なかったが、それでも他に選択の余地がなかった。

 トルコの文化観光省に支払う事になっている『リース料』は馬鹿にならないものがあるし、一刻も早くPRを行って集客を促し、採算を取って行かねばならないのだ。今から新しい広告塔を探して、契約してスケジュールを調整して……などと悠長な事をしている暇はないのだ。


「館長。ジョフレイ議員がお着きになりました」

 博物館の女性職員がウィリアムを呼びに来た。彼は頷いて立ち上がった。そして館長室で歓談していたムスタファと共にメインホールに客人を出迎えに行く。

「ようこそおいで下さいました、ジョフレイ議員。館長のウィリアム・ワインバーグです。本日は宜しくお願いします」

 ホールには既にジョフレイ達の他、雑誌社のカメラマンや記者、ローカル局のTVクルーなども来ており、慌ただしい様相となっていた。

 ウィリアムはジョフレイに手を差し出す。

「ああ……どうも、ワインバーグ館長。こちらこそ宜しく頼むよ……」

 ジョフレイが妙に乾いた笑いを浮かべて握手に応じた。よく見ると彼は肌の艶が無く、目は落ちくぼんでゲッソリとやせ細り、まるで何かの病気に罹っていてかつ何日も寝ていないかのような憔悴した様子となっていた。

「あの……ジョフレイ議員。大丈夫ですか? 顔色が優れないように見えますが……」

「あ、ああ……大丈夫だ。別に病気とかじゃないんだ。仕事に支障は無いよ」

「はぁ……そうですか。なら良いんですが……。ところで議員、そちらの彼は?」

 ジョフレイの後ろに控えるように立っている1人の若い白人男性が目に付いた。スーツ姿ではあるがかなり若い……恐らく大学生くらいではないかとウィリアムは見て取った。議員の秘書か何かだろうか。それにしても若すぎる気はしたが。

 若者の事に言及すると、ジョフレイが露骨にビクッとした。

「あ、ああ……いや、彼はその……秘書……見習い(・・・)、のようなものでね」

「はぁ……」

「……パトリック・R・ミッチェルと申します。以後お見知りおきを」

 手を差し出してきたその若者と握手したウィリアムは、その手の余りの冷たさにビックリした。冷え性というレベルではない。まるで温かい血が全く通っていないかのような……

「館長?」
「……! あ、これは失礼」

 ムスタファの訝しむような声にウィリアムは正気に戻った。そしてムスタファの事も紹介すると気を取り直したように、本来の目的に話を移す。

「おほん! あー……ジョフレイ議員。こちらが今回PRをお願いした品物になります」

 ジョフレイ達を『魔法のランプ』が収められているシューケースの前まで導く。

「おぉ……こ、これが……」

 ボンヤリして上の空と言った感じのジョフレイだったが、そのランプを実際に見ると何かに目を惹かれたように、食い入るように見つめた。

「はい。どこでどのように作られたのかは我々にも調べられませんでしたが、いつの間にかこのランプは歴史に姿を現していました。歴代のオスマン帝国のスルタン達が愛用したとされる逸品であり、その起源は古代のペルシアの王朝にまで遡ると言われ、それでかの有名な『アラジンと魔法のランプ』のモデルになったとされています」

 ムスタファが説明する。しかしジョフレイはその説明を聞いているのかいないのか、相変わらずショーケースの中を食い入るように見つめるばかりだ。 

「魔法の……ランプ……。何でも願いが叶うという?」

「え? え、ええ、その通りです。ただし西洋向けの物語では脚色されていますが、実際にはランプに宿ると言われる精霊・ジンは我が国では強大な悪霊とされており、何でも願いを叶える代わりに――」

「――直接、触らせてはもらえないだろうか?」

 ムスタファの補足を遮るように、ジョフレイがウィリアムの方を向いて頼んできた。

「……議員?」

「お願いだ。絶対に壊したりはしない。直接触らせてもらうだけでいいんだ」

 何故ジョフレイがこんな申し出をしてきたのか見当が付かないながら、ウィリアムはムスタファの方を仰ぎ見る。これはトルコから拝借している文化財なので、ウィリアムの一存だけでは決められない。

 ムスタファが少し困った様子ながら消極的に同意してくれる。

「あー……まあ、いいでしょう。ただし本当に触るだけですよ? 持ち上げたり抱えたりは無しでお願いします」

「ああ、解っている。ありがとう」


 そしてウィリアムの指示でショーケースのガラスが一旦外された。


「確か……ランプを擦るんだよな……?」

「え、ええ……物語ではそうなっていますが……」

 ムスタファが戸惑いながらも同意する。戸惑っているのはウィリアムも同じだった。

(……ジョフレイ議員は何か叶えたい願いでもあるのだろうか? それもこんな御伽噺に縋らねばならない程に切実な……)

 ヴァンサント議員が亡くなった事で上院議員への道は開けたも同然なのだ。確かにその事でヴァンサントを殺害したのはジョフレイなのではないか、などとインターネットを中心に噂されてはいるらしいが、所詮は何の証拠もない無責任なSNSや匿名掲示板での誹謗中傷に過ぎない。

 逆にジョフレイ議員は名誉棄損で彼等を訴える事さえ出来る立場だ。

 しかしやつれ果てた顔と、魔法のランプの伝説に縋ろうとしている今の姿を見る限り、かなり切羽詰まった物があるらしい。

 「秘書見習い」のパトリックの方を何気なく見やったウィリアムは小さく目を瞠った。

 パトリックは鬼気迫るジョフレイの様子を、後ろからニヤニヤとまるで嘲笑うかのような表情で眺めていたのだ。その心底馬鹿にし切った表情は、とても「秘書」が公の場でその上司に対してするものではなかった。


(この「秘書見習い」は、ジョフレイ議員の『願い』が何かを知っている? そしてそれが絶対に叶うはずのない願いだという事も……)


 それが読み取れるような両者の様子であった。

「…………」

 そして皆が見守る中、ジョフレイの手がランプの先端に触れる。TVクルーや雑誌社のカメラマン達は既に目敏くスタンバイして、この意外な展開を画に収めようとカメラを向けていた。

「頼む……頼む……」

 ジョフレイはそんな周囲の様子など一切目に入っていないかのように、一心不乱にランプを手で擦った。やはり何かに追い詰められているような仕草であった。

 しかし当然ながらランプには何の変化も起きなかった。ジョフレイ以外の全員はその事を解っていたので、ただ彼を憐れむのみで、カメラマン達はいい画が撮れたと言わんばかりに満足げに頷き合っていた。

「……議員。そろそろ……」
「う……うぅ……!!」

 ウィリアムが促すと、ジョフレイは絶望の呻きを上げてその場に屈み込んだ。ウィリアムはムスタファと目線で合図し合って、ランプを再びショーケースのガラスに覆わせた。

「議員。まだ時間に余裕はあります。奥の館長室で少しお休みになって下さい。実際のPRの方はそれからにしましょう」

「…………」

 ジョフレイは虚脱したように呆けた視線を向けるだけだった。

「先生。ここは館長のお言葉に甘えさせて頂きましょう。先生は少しお疲れのようです」

「……ッ! あ、ああ、そうだな。そうしよう……!」

 パトリックに声を掛けられるとジョフレイはようやく我を取り戻した様子になり、慌てて頷いて立ち上がった。

 とりあえず取材は一旦休止という事で、一次解散となった。マスコミのクルーや博物館のスタッフ達は、お昼時という事もあって思い思いに近くのコーヒーショップやファストフード店に繰り出していく。

 ウィリアムとムスタファも、ジョフレイ達を伴って奥の館長室へと引っ込む。今日は休館日なので、この時間は警備員も回っていない。一時的に展示物が置かれたホールが無人となった。


 ――故に見逃された。


 ショーケースの中に収められた『魔法のランプ』……。それが誰も触る者もおらず勿論地震なども起きていないガラスケースの中で、独りでに(・・・・)カタカタと音を立てながら小刻みに振動し始めていた…………
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