Conflict ~欲望の闘争(後編)

文字数 5,312文字

 宿営地の奥にある豪華な天幕の前まで来たヴラド。彼の周りにはいつしか死んだオスマン兵の成れ果てである大勢のグール達がひしめきながら付き従っていた。どのグールも仲間の血を滴らせながら唸り声を上げている。呪われた死者の軍勢だ。

 グール達が天幕を包囲する。すると……

「……!」

 キキキッ! という奇怪な叫び声と共に、天幕を割って大量の怪物が出現した。手足が異様に長く節くれだった蜘蛛のような印象の怪物だ。四肢の先端には鋭い鉤爪が備わっている。他にも闇の向こう側から同じような怪物達が多数現れる。

 怪物達とグール達は忽ちの内に衝突し、オスマン軍とワラキア軍の戦争の場になるはずだった宿営地は、瞬く間に呪われた怪物達の戦場と化した。


 ヴラドは襲ってくる蜘蛛のような怪物達を鎧袖一触で蹴散らしながら、天幕へと迫る。するとその前に天幕の入口が内側から開いた。

「……!」
 開いた入り口から迫る……何本もの氷の矢(・・・)。恐ろしい速度で飛来するそれらをヴラドは正確に剣で叩き斬った。


「……何たる有様だ。栄光あるオスマン帝国の戦場が……これでは下等な怪物共の掃き溜めではないか」


 吐き捨てるような忌々しげな言葉と共に天幕から姿を現したのはオスマン帝国のスルタン、メフメト2世その人。

「ようやく会えたな。こうして直に相対するのは初めてではないか、メフメトよ?」

「ヴラドか……。貴様を君公として承認してやったのに、何故今になって余に逆らう? あの忌々しいハンガリーの犬……フニャディめに唆されでもしたか」

「奴は関係ない。いや……そうでもないか。この力を得る為の方法を私に教えてくれたのは奴であったからな」

「何だと?」

「奴は長年、お前達オスマン帝国を退ける為の力を探し求めていた。だが自身が病で長くない事を悟ると、私にその役目を託したのだ」

「何故だ? 何が不満だった? 余は極力お前達キリスト教の文化にも配慮して、無用な略奪も弾圧も禁じてきた。何故ここまで頑なに余の支配を拒む?」

「絵空事だ。例えお前がそういう方針で政策を取ろうと、お前の配下や血族達は納得していまい? ならオスマン帝国が欧州を制圧した後にお前が死んだらどうなる? 次のスルタンもお前と同じ方針かな? 違うと断言してやる。そうなれば待っているのは粛清と弾圧の嵐だ。欧州の文化は全て破壊され、併呑されるだろうな」

「……!」
 痛い所を突かれたメフメトが眉をしかめる。確かに廷臣達の間ではキリスト教や欧州の文化に配慮するメフメトの政策に不満が上がっているのは事実であった。ただメフメトが力で抑え込んでいるに過ぎないのだ。

「所詮キリスト教とイスラム教の融和など不可能なのだよ。ならばお前達にこれ以上欧州の土を踏ませる訳にはいかん。それが私の『理由』だ」

「……残念だ、ヴラドよ。貴様とは同年代ゆえ、いつか語り合ってみたいと思っていたが、どうやら我らは根底から相容れぬようだな」

 これ以上の言葉は無用。ザガノスが討たれた事は感知していた。ヴラドは想定以上の怪物と化しているらしい。ならば最初から出し惜しみ無しだ。メフメトは自身の魔力を全開にした。


 その身体が一瞬で巨大な氷柱(・・)に覆い尽くされる。そして氷柱にヒビが入り、内側からの圧力で粉々に砕け散った!


「……!!」

『……霊王(イフリート)の力をここまで引き出したのは初めてだが……なるほど、悪くない』

 氷柱の中から現れたのは……青い肌に全身氷の鎧を纏わせたような、堂々たる体躯の魔人であった。髪もまるで氷で形作られたような質感に変わっていた。

 メフメト――氷の魔人は興味深げに自身の身体を改める。だがそこに……

「余所見とは余裕だな?」

 剣を構えたヴラドが凄まじい踏み込みで一瞬にして接近すると、横殴りに剣を叩きつけてきた。だが……

「……!」

 氷の魔人の身体から強烈な冷気が吹き付ける。するとヴラドの剣は氷の魔人に到達する前に急激に勢いを減衰して止まってしまった。

『むん!』
 氷の魔人が片手を薙ぎ払う。その軌跡にも冷気が発生し、ヴラドの身体を凍てつかせようとする。

「ちっ……」
 ヴラドは舌打ちして大きく飛び退る。氷の魔人が追撃に手をかざすと、その掌の先に一瞬で氷の槍が形成され、次々と撃ち出される。ヴラドは氷の槍を剣で砕くが、凄まじい衝撃に体勢を崩してしまう。

「……ッ!?」
 まさか今の自分が体勢を崩されるような相手がいたとは思わず、ヴラドが思わず驚愕する。そこにさらなる追撃の氷槍が複数撃ち込まれ、ヴラドの身体を連続して貫いた。中には心臓を貫いている槍もあった。

「がはっ……!」

 血反吐を吐きながら吹き飛び地面に倒れ込む。だがヴラドは即座に氷槍を抜いて起き上がろうとするが、

『ほぅ……心臓を貫かれても死なぬとは大した生命力よ。ならばこれはどうかな?』

「……!」

 地面に倒れているヴラドの周囲が急速に冷却され凍りつく。ヴラドは氷によって地面に縫い付けられてしまう。

『くくく、いい様だな、ヴラドよ。首を刎ねられても生きていられるか試してやろう』

 氷の魔人の片手から伸びるようにして氷の剣が精製される。だがそれを見つめるヴラドの目には不思議と恐怖や絶望はない。いや……むしろそれとは真逆(・・)の感情が浮かんでいた。

『貴様……何を笑っている? 恐怖で気でも違ったか?』

「いや……私は嬉しいのだよ、メフメト。よもや私が全力(・・)を出して戦える相手がいた事がな」

『何……む!?』


 ヴラドから発散される魔力が急激に膨れ上がった。そして同時に……ヴラドの身体が変異(・・)していく!


 全身が巨大化し、黒い剛毛や鉤爪が生え、顔は蝙蝠じみた怪物の顔に変化する。そして背中からは巨大な黒い被膜翼が飛び出し、凍結の拘束を物ともせずに強引に起き上がった。

『き、貴様……その姿は……』

『これが私の真の力だ。嬉しいぞ、メフメトよ。この力を存分に奮う機会がまさか訪れようとはな!』

『……っ!』

 ヴラドは咆哮するとその巨大な翼をはためかせて突進してきた。氷の魔人は咄嗟に前面に分厚い氷の障壁を展開する。が……

『ぬぅんっ!』

 怪物化したヴラドが拳を叩きつけると、強固なはずの障壁がまるで陶磁器のように脆くも砕け散った。

『ちぃぃっ!』

 氷の魔人は障壁を砕く際に足を止めたヴラドの周囲の空気を凍結させる。人間なら動きが止まるどころか一瞬にして氷漬けになる程の冷気だ。だがヴラドは体内の血液を高速で循環させて瞬間的に膨大な熱量を発生させる事で凍結に対抗する。そして強引に距離を詰めてくる。

『……化け物めが!』

『ははは! 貴様に言われたくはないぞ!』

 ヴラドが哄笑しながら剣を振り下ろしてくる。氷の魔人は片手だけでなく両手に氷の剣を作り出して、二刀流で対抗してくる。


 2体の強大な魔物が斬り結ぶ。その衝撃の余波だけで、周囲で争っているグールとジャーン達が吹き飛んだりしていた。

 ヴラドの剛剣は氷の魔人の鎧を貫きダメージを与える。二振りの氷の剣は幾度もヴラドの身体を斬り裂き傷を増やしていく。しばらく一進一退の攻防が繰り広げられたが、次第により耐久力に優れるヴラドの方が押し始めた。

『ふはは、どうした、メフメトよ! 動きが鈍くなってきているぞ!?』

『ちぃ……調子に乗りおって……!』

 氷の魔人は忌々しげに唸る。彼は常に身体から近づいただけでも人間なら一瞬で凍結してしまう程の冷気を発散させているにも関わらず、ヴラドの攻撃は止まるどころか鈍くなる気配もない。いや、もしかしたら鈍くなってこれなのかも知れない。

 接近戦では分が悪い事を悟った氷の魔人。だが彼には切り札があった。

 戦っている彼らの頭上の高い位置にいつの間にか巨大な氷晶が形成されていた。氷の魔人がヴラドに気づかれない範囲で、戦いながら徐々に魔力を注ぎ込んで精製していたのだ。その重量はすでに中型の軍船すら一発で沈められる程になっている。この氷の塊が頭上から一気に降り注げば如何にヴラドとて一溜りもないはずだ。

 完全に氷晶が精製し終わった事を確認した氷の魔人は、魔力を解放して氷晶を一気に落下させる。途轍もない重量となった凶器が頭上から迫りくる。

『何……!?』
 流石に気付いたヴラドが上を見上げて愕然とした。

『フハハ! 今頃気付いても遅いわ! 粉々に押し潰されろ!』

 氷晶は氷の魔人の魔力で作った物なので自身を傷つける事はない。ヴラドの姿が氷晶に飲み込まれる。凄まじい重量の氷塊が衝突した影響で轟音と共に地面が抉れ、小規模のクレーターが形成される。巻き込まれたグールやジャーンが原型を留めない程に押し潰される。


『ふ……ふふ……ようやく死んだか。手こずらせおって……』

 決着を確信して一息つく氷の魔人。だがその言葉が終わるかどうかという内に、クレーターに積み上がった氷晶の瓦礫が下から爆散した。

『……ッ!』

『やってくれたなぁ、メフメトよ。今の攻撃は中々だったぞ……?』

 それはヴラドであった。かなりの重傷を負ってはいるが死んでいなかった。そしてギラギラと輝く目で氷の魔人を睨みつけている。

『ば、馬鹿な……あれを生き延びるとは……』

 慄いた氷の魔人が後ずさる。それは……恐怖(・・)ゆえだった。ヴラドも重傷を負っているが、氷の魔人も今の攻撃で相当の魔力を消費してしまった。これで倒せないなど完全に想定外であった。


『かあぁぁぁぁっ!!』

 ヴラドが奇声と共に突進してきた。変身直後の最初の突進に比べればその勢いは衰えているが、消耗しているのは氷の魔人も同じであった。氷槍を撃ち出すがヴラドはそれを物ともせずに肉薄。その剛剣を叩きつけてきた。

『ぐはぁっ!!』

 その剛撃を受けるだけの力が残っていなかった氷の魔人は、胴体を斜めに斬り裂かれて地に倒れ伏す。

『止めだっ!』
『ぐ、くそ……ジャーン共! 余の盾となれぇ!』

 勇んで追撃してくるヴラド。氷の魔人は逃げながら、文字通り血を吐く叫びで周囲にいるジャーン達を呼び集めて、ヴラドとの間に割り込ませる。

『邪魔だ! 逃げるか、メフメト!』

 立ち塞がるジャーンを無造作に薙ぎ払うヴラドだが、その間に氷の魔人は天幕内にあったランプを手に取ると、脇目も振らずに逃走していく。ヴラドがジャーン達を片付け終わった時には氷の魔人の姿は影も形もなくなっていた。


『逃したか……。まあ良い。存分に恐怖は植え付けてやった。殺せばまた別のスルタンが立つだけだ。そういう意味ではむしろ逃して正解だったかも知れんな』 

 独りごちたヴラドは戦闘形態を解いた。人間状態も酷い有様であったが、名誉の負傷だ。むしろ思いがけず全力で戦う機会に恵まれ、彼はこの上ない充実感を覚えていた。

「ふふふ、これで当面はオスマン帝国の外圧も鈍るであろう。その間に国内の反抗勢力を黙らせておかねばな。それと……いい機会だ。戦勝祝いとしてカーミラとシルヴィアに我が『祝福』を分け与えてやるとするか。あやつらもそれを望んでおるようだからな」

 『祝福』を分け与えた寵姫達は彼の良い手駒となってくれるだろう。もはや彼を阻む物はなにも無いのだ。ヴラドは闇の栄光が支配する未来に思いを馳せる。

「くくく……新たな支配者の誕生だ。手始めにワラキアを闇の王国へと作り変え、そしていずれは欧州全土を支配してみせよう。新しい時代の幕開けだ!」

 自らの他には死者しかいない夜の戦場跡に、狂気の哄笑がいつまでも轟き続けるのであった……


****


 トゥルゴヴィシュテの敗戦で死の恐怖を植え付けられたメフメトは、その後西進を促すマリードの意に従わなくなった。それだけでなくヴラドの力を予見できなかった事を詰り、互いに不信となり、最終的にはマリードを再びランプの中に封じ込めてしまった。



(おのれ……今一歩という所であのような力に阻まれるとは……)

 ランプの中でマリードは、戦場で見たヴラドの力を思い返していた。あれは吸血鬼(ヴァンピール)だ。その知識はあった。だがあれ程の力を持っている事はマリードをして予想外であった。予見の力が阻害されたのだ。

(だが吾は諦めんぞ。いつか必ず吾の力を必要とする渇望を抱いた者が現れるはずだ。それを待つのだ。この中にいる限り時は無限にある。焦る事はない……)

 そう己に言い聞かせたマリードは、永劫の時をやり過ごす為にランプの中で半休眠状態に入る。目覚める条件は、強い欲望を持った人間がランプを触った時だ。


 そして永の眠りに就いたマリードは500年の時を経て、海を隔てた地アメリカのとある博物館の中で目覚める事となる……


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