Requiem ~太古の鎮魂歌(後編)

文字数 5,823文字

 それからしばらくはラサーヤナにとって、忙しくも楽しく充実した日々が続いた。ただ聖域で腐っているだけでは絶対に体験できなかった日々だ。

 プラータは口では威勢が良かったが本当に何も出来ず、彼が狩ってきた獲物を捌く方法も、人間用に調理する方法も碌に知らなかった。

 その都度ラサーヤナが千里眼で人間の街の様子を盗み見て、そこで行われている様々な技術をプラータに教授する。

 最初は獲物の血を見ただけで卒倒していたプラータであったが、それでも拙いながら徐々にやり方を覚えてきた。

 着ている衣服の洗濯や裁縫のやり方も殆ど知らず、それらもその都度ラサーヤナが教える羽目になった。

 嵐による強風で小屋が崩れかかった時は、彼が材木を調達してきて、結局殆ど彼1人で小屋を修繕した。プラータは一生懸命手伝おうとするのだが、非常に危なっかしく却って邪魔だとラサーヤナに怒られてしょげ返っていた。

 そうして忙しないながら穏やかな日々を送る中で、彼の内にあった憎悪にも近かった人間への嫌悪感は次第に薄れていき、代わりに別の感情(・・・・)が胸の内を占めてくるようになっていた。


****


「ラサーヤナ……今日もあの雌の所に行くのか?」

 聖域の一角。ある日、いつものようにラサーヤナがプラータの小屋に向かおうとすると、憂慮に満ちた声を掛けてくる者があった。

「ガルトマーンか……。ああ、そうだ。別にお前達にも他の人間共にも迷惑は掛けておらん。構わんだろう?」

 それはジャターユからラサーヤナの監視を頼まれていた同胞であった。

「構わん……。確かに構わんが……余り入れ込み(・・・・)過ぎるのは危険ではあるまいか?」

「何だと……?」

 ラサーヤナは、思わずといった感じでガルトマーンの方を振り向いた。

「危険? あの雌の何が危険だと言うんだ? 最近ようやく兎を狩れるようになってきた程度の雌だぞ? 何も危険な事などあるまい」

 彼は馬鹿馬鹿しいと一笑に付した。むしろあの雌の方が、事故や獣などの危険に晒されているくらいだ。だがガルトマーンはかぶりを振った。

「私が言っているのは、そういう意味ではない。あの雌に依存(・・)し過ぎるのは危険だと言っているのだ」

「……!」
 依存などと言われ、少しカチンと来た。

「依存だと? 馬鹿を言うな! むしろ俺があの雌の面倒を見てやっているのだ! あの雌が俺に依存しているのだ」

 ガルトマーンが言っている事は全くの的外れだ。

「ラサーヤナ……まさか気付いていないのか? 依存というのは一方――」

「えい、うるさい! お前の説教など聞きたくないわ! どけっ! 俺は忙しいんだ!」

 ガルトマーンを押しのけるようにして、ラサーヤナは崖から飛び立っていってしまった。


「……共依存(・・・)というものがあるのを知らんのか?」


 ガルトマーンはその小さくなっていく背中を見つめながら、深く溜息を吐くのであった。


****


 プラータの小屋を訪れると、不在であった。最近プラータがお気に入りとしている沢の巨岩の上を覗いてみると、やはりそこに居た。

「…………」

 岩の上に横たわって目を閉じている。胸が上下している事から、そこで眠ってしまったようだ。


 ラサーヤナはしばらくその寝姿から目を離す事が出来なかった。

(やはり……美しい雌だ)

 外見だけでなく、その真っ直ぐな気性や天然の入った性格なども全てが愛おしく感じる。こんな気持ちは初めてであった。

「ん……」

 その時、プラータがもぞもぞと体を動かし寝ぼけ眼を開ける。


「……! ラ、ラサーヤナ様!? いらしていたんですか!? も、もう! 起こして下されば良かったのに……!」


 ラサーヤナと目が合うと、慌てて飛び起きた。

「何だ、もう起きるのか? もう少しその可愛い寝顔を見ていたかったのだがな」

 そうからかうとプラータは顔を真っ赤に火照らせた。

「ラ、ラサーヤナ様! お戯れが過ぎます……!」

「ははは、済まん済まん」

 おどけた口調で誤魔化したが、今言った事は本心であった。


「でも……ラサーヤナ様がいらして下さったなら、丁度良かったです」

「ん?」

 プラータは咳払いして居住まいを正した。

「おほん! ……ラサーヤナ様。私、一度『国』に帰りたいと思います。もう一度、父と……国民達と話し合ってみたいのです。神獣の一族はラサーヤナ様のように心優しいお方ばかりだと、改めて確信できました。人間を脅かすような存在ではないのだと、彼等にどうしても解ってもらいたいのです」

 その真剣な表情を見る限り決意は固いようだ。

「むぅ……しかし、大丈夫なのか? 一度はお前を追放したのだろう? また同じ事の繰り返しになるだけなのでは?」

「それならば理解してもらうまで何度でも訪れるまでです。大丈夫。あの時は私も冷静さを失っていましたが、きちんと腹を割って話し合えば、きっと父も理解を示して下さるはずです」

「ふぅむ……まあ、人間も話が通じる生き物だという事はお前を見て解ったからな……。いいだろう。お前の気の済むようにしてみればいい。失敗したらいつでもここに帰ってくれば良いだけだ」

「……! ラサーヤナ様、ありがとうございます! 必ずや皆を説き伏せて参ります!」

「よし、では町の近くまでは送ってやろう。道中には虎や狼などが出る危険な場所も多いからな」

「あ……そ、そうですね。その……宜しくお願いします……」

 ラサーヤナと出会った時の虎を思い出したのか、彼の好意を素直に受け止めるプラータ。


 ここでプラータを強引にでも止めなかった事、もしくは護衛(・・)として町まで一緒に付いていく選択をしなかった事を、彼はこの先ずっと後悔し続ける事となる。

 彼はまだ人間という生き物の事を理解していなかった。いや、プラータだけを見て理解したつもりになっていた。それが如何に愚かな事であったか、取り返しの付かない事態と共に彼は思い知る事となった。


****


「……今日でもう2週は経つぞ? 一体あの雌は何をしているのだ? それ程話し合いとやらが長引いているのか?」

 ラサーヤナはかなり苛立っていた。プラータの小屋は未だに無人のままだ。彼はほぼ毎日町の入り口を覗きに行っては、プラータが出てきていないか確認していた。

 あれから既に10日以上が経過していた。行きはラサーヤナ自身が、町まで歩いて数時間という地点まで送り届けてやったので、その日の内に町に入ったはずだ。道中も危険な獣は全て追い払っておいた。

 だと言うのに未だに町から出てこないとは……

「……やはり人間の雌は、町の中で暮らすのが似合いだろうしな」

 町に帰った事で里心が付いて、そのまま戻ってしまったのかも知れない。何やら胸を締め付けられるような寂寥感を覚えたが、それならそれで構わない。本来はそれが正しい自然の在り方だからだ。

 だが曲がりなりにもラサーヤナ達一族との在り方を話し合う為に出掛けていったのだ。失敗なら勿論、成功した場合でも成果の報告くらいはあって然るべきではないか?

 それが未だに音沙汰なしという事がどうにも気になった。あのプラータの性格からしてあり得ない。

「…………」

 どうにも胸騒ぎのような物を感じたラサーヤナが、最近日課となってしまった町の入り口への遠視を行っていた時だった。


(うん? あれは……)


 巨大な塀によって仕切られた町の門から、何匹もの人間の雄達が大きな台車のような物を牽引しながら歩き出てきた。その周りには武器を持った人間の雄達が随行している。

 台車の上には大きな白い布が被せられていた。その布の下には何匹もの人間の……死体がある事をラサーヤナは知っていた。これまでにも同様の光景を見た事があったからだ。

 人間達は町から死体を運び出して、町の外に掘った大きな穴にまとめて投げ捨てる事で死体を処分しているようだった。


 今回も人間達が白い布を取り去って、下にあった死体を無造作に穴に投げ捨てる。何度か見た光景だったが、この時ラサーヤナが受けた衝撃は想像を絶する物があった。

「な……あ……?」

 口から自然と呆けた声が漏れた。自分の見ている物が正確に理解できなかったのだ。


 死体の山には雌も混じっていた。その内の一匹……。彼の千里眼が見間違えるはずもない。それは…………プラータであった。


「……ッ!!!」

 しかもその死体は他と比べても酷い有様であった。身体中に切り傷や痣、火傷のような痕があった。生前(・・)の美しい姿は見るも無残に原型を留めていなかったのだ。

 拷問。

 その単語がラサーヤナの頭に浮かんだ。


(人間共は……あくまで俺達との融和を説くプラータを、捕え、拷問し……そして殺した……?)


 彼の脳裏に、これまでのプラータとの短くも充実した日々の光景が浮かんだ。そして彼女(・・)の美しい顔……初めて空を飛んで見せた時の感動した顔、彼が教える技術を必死に学ぼうとする真剣な顔、彼に怒られて意気消沈している時の悲しそうな顔……。

 それらの記憶が泡沫のように浮かんでは消えて行った。もう二度と見る事は出来ない、大切な、記憶……


「く……ふ……ふふふふふ……。ああ、そうか……。これが貴様ら(・・・)の答えという訳だな、人間共? ……いいだろう。そんなに俺達が目障りだと言うなら……二度と見なくて済むように、一匹残らず殺し尽くしてやるわぁっ!!」


 この世界に自我を持って存在して以来初めて感じる激烈な怒りと憎しみは、ラサーヤナからそれ以外の全ての事柄を忘れさせた。

 凄まじい怒りに任せて闘気を爆発させた彼は、町の人間共を狩り尽くさんと、翼を広げて飛び立とうとした。だがその前に降り立って立ち塞がる影があった。

「……行ってはならん、ラサーヤナ。これは一族の総意だ」

「ガルトマーン……今すぐそこをどけ。俺にはこれからあの罪深い愚か者共を根絶やしにするという崇高(・・)な使命があるのだ。お前にかかずらっている暇はない。退かんなら力づくで押し通るぞ?」

 ガルトマーンは悲し気にかぶりを振った。

「だからあの雌に依存し過ぎるなと警告したのだ。今のお前は一時の感情で冷静さを欠いているだけ――」

「――退けぇっ!!!」

 ラサーヤナは翼を広げると猛烈な勢いで羽ばたいた。その羽毛から生じた無数の輪刃がガルトマーンに殺到する。

「――この、愚か者がっ!」

 ガルトマーンも翼を広げて輪刃を放ってきた。互いの輪刃同士が衝突し相殺される。だが一部の輪刃はそれをすり抜けて互いの身体に到達する。

「ぬぅうぅぅぅぅぅっ!!」

 輪刃が自らの身体を斬り裂く激痛を堪えてラサーヤナは強引に前に進む。こんな痛みなどプラータが味わった苦痛の何分の一にもなるまい。彼女の無念を晴らせる者は自分しかいないのだ。

「ラサーヤナ、お前……!」

 自分も輪刃に切り裂かれて苦痛に呻くガルトマーンは、ラサーヤナが傷を無視して強引に突っ込んでくる姿に慌てた。覚悟の差という奴だ。

「退けぇぇぇっ!!」

 ガルトマーンに肉薄したラサーヤナは、カギ爪の生えた手を腕を振り回し、ガルトマーンの胸をザックリと切り裂いた!

「がはぁっ!」

 ガルトマーンが吐血しつつ地面に横転する。その姿を視界に収める事もなく、ただ一路人間達の町を目指して、今度こそ飛び立とうとするラサーヤナ。だがそこに……


「ぬんっ!!」
「ぐわっ!?」


 上を巨大な影が覆ったかと思うと、次の瞬間には物凄い力で地面に押さえつけられていた。

「ラサーヤナ、鎮まれ! 鎮まらんか!」

「……ッ!? ジャターユか!? くそっ、離せ! 離せぇぇっ!!」

 狂ったように暴れるラサーヤナだが、流石に一族の長老たるジャターユの力は強く、彼でも押しのける事が出来なかった。

「我等の使命を忘れたか、ラサーヤナ! 人間は神が知恵を与えし生き物。その人間を守り導くのが神の手足たる我等の使命。それを事もあろうに自らが人間を滅ぼそうとするなど――」

「神だと!? そんな奴(・・・・)の戯言など知るかぁっ! 人間は罪深く愚かで邪悪な生き物なのだ! それこそが真実だったのだ! 奴等は今すぐ根絶やしにするべきなのだぁっ!!」

 神は何故プラータを見捨てた? 彼女があんな目に遭わなければならないどんな罪を犯したというのか。心優しき正しき者が苦痛の内に殺され、愚かで邪悪な者共がのうのうとのさばる……。それが神の意志だと言うなら、神などくそくらえ(・・・・・)だ。

「……哀れな。人に接して影響を受けすぎたか……。挙げ句に同胞をも傷つけるとは。今のお前に一族たる資格はない。聖域の最奥の間に幽閉とする。そこでしばらく頭を冷やすが良い」

 ジャターユの言葉と共に、何体もの一族の者達が舞い降りてくる。


「うおおぉぉぉっ! プラータァァァッ!!!」


 だがそれさえも目に入らぬかのように、ラサーヤナはひたすらに暴れ続けた……


****


 それから10年もしない内に、増長した人間達が遂に決起。不遜にも一族の聖域にまで攻め上ってきた。そして……ラサーヤナの幽閉されている最奥の間にまで踏み入ってきた。

 傲慢に踏み込んできた人間達を見たラサーヤナの双眸が……喜悦(・・)に歪む。最早彼を止める者は誰も居ない。


(ああ……プラータ。ようやくだ。ようやくお前の魂を鎮める事が出来る。待っていろ。お前を苦しめ、殺した人間共を一人残らずお前と同じ目に遭わせてやる)


 立ち上がり翼を広げたラサーヤナの姿に人間達が怯む。彼は一切の躊躇いなくありったけの輪刃を放出した。忽ちの内に最奥の間は血の海と、阿鼻叫喚に満たされた。

「さあ、人間共よ……。『祭り』を始めようじゃないか」

 ラサーヤナはむしろうっとりとして、嬉しそうな口調でそう宣言するのだった……
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