File1:死体は語る

文字数 2,774文字

 それは元が何であったのか、殆ど判別が付かない状態であった。辛うじて残った衣類の切れ端と肌色の部分によって人間の「なれ果て」であろう事が解る程度であった。

 自然公園の遊歩道から外れた森の中に打ち捨てられた残骸。散らばっていた遺留品から、この死体(・・)の身元は既に割れていた。


 エレン・マコーミック。32歳。一流商社の役員婦人で4歳になる子供もいる。ビバリーヒルズに邸宅を持つ上流階級の住人だ。夫のアーロン・マコーミックには既に連絡済みで、夫によるとエレンは朝のウォーキングを日課としていたとの事。恐らくその最中に襲われたのだろう。


(襲われた……か。一体何に(・・)? こんな……こんな事が人間に可能なの?)


 少なくともローラには犯人の殺害方法の検討が付かなかった。方法も……そして人間の身体をここまで「破壊」しなければならない理由も全く想像できなかった。


「……これで4人目か。まあ、あくまで発見されてる中ではって事になるが」


 相棒(・・)の刑事、ダリオ・ロドリゲスが鼻を押さえながら呻く。そう、「公式上」は『ルーガルー』の被害者はこのエレンで4人目という事になるが、実際にはもっと多くの被害者が出ていると推測されている。

 ここ最近になって若い女性の失踪が相次いでいるのだ。それは街娼であったり、夜遅くまで働いていたキャリアウーマンであったり、家族から捜索願の出ている家出娘であったり、はたまた今回のように1人で外出中だった主婦であったりと、様々だ。

 共通点は15歳以上40歳未満の若い女性である、という事。これら失踪した女性達の行方は未だに解っていない。警察は若い女性の失踪が急激に増え出したここ2年以内でのこれらの失踪者の内、8割(・・)を『ルーガルー』の被害者と仮定。その結果驚くべき事実が明らかになった。

 何とこのロサンゼルスとその近郊の街だけで、実に50人近い女性達が『ルーガルー』によって殺されているという結論に達したのだ。4人どころではない。その10倍以上の女性達が犠牲になっていると言うのだ。

 警察はこの事実に関して即座に箝口令を敷いた。特にマスコミ関係に漏れるのは何としても防がねばならなかった。4人が謎の残虐な手口で殺害されている、というだけでも既に市民の不安は煽られてきているのだ。50人という数字が明らかになった日には、パニックや警察に対するデモなどが起きる危険性があった。

 その意味もあって、とにかく迅速な事件の解決を求めらていた。ロサンゼルス市警は前回、『サッカー』事件を終息に導いた実績を考慮して、『ルーガルー』事件の捜査責任者としてマイヤーズ警部補を抜擢した。

 マイヤーズはすぐさま捜査本部を設置し、ローラとダリオも『ルーガルー』事件の捜査を担当する事になった。

 既に現場検証は終わっており、エレンの遺骸は検死局に運び込まれていた。現在はローラとも縁のある検視官ロバート・タウンゼントが検死を行っている最中であり、ローラ達はそれに立ち会っているのだった。


「……これで4人の検死をしたが、やはり結論は同じだな」


 ロバートが遺骸から身を起こしてローラ達の方を振り向いた。その顔には疲労の色が濃い。


「結論。犯人は……少なくとも実行犯(・・・)は人間ではない」

「人間じゃないって……なら獣か何かか? 犯人が飼っている動物に襲わせた?」


 ダリオが首を捻る。ローラも考え込みながら相槌を打つ。


「もしくは殺害の痕跡を消す為に、死後にその死体を喰わせたか……」


 普通に考えられるのはそんな所だ。しかしロバートはかぶりを振る。


「恐らくどっちも違うな。まず……現場検証から被害者はあの場所で襲われて殺害された事が解っている。あの場所と言うか、近くの遊歩道だな。血痕の量やその他の遺留物から判断して、遊歩道で殺害されてそのまま喰われた(・・・・)と考えられる。その後犯人は遺骸を引きずってあの場所に捨てた。これは揺るぎない事実だ」


 ロバートはここで一旦言葉を切る。ダリオが首を傾げる。


「それが? 何故それで違うと言い切れるんだ?」


 ローラがダリオに肘打ちする。


「馬鹿! ……つまり犯人は、遊歩道で死体を喰い尽したって事ね?」

「そうだ。そして短時間でここまで徹底的に食い尽せるとしたら、それこそサバンナに生息するハイエナやリカオンの群れが必要になる。だが現場に当然そんな痕跡は無かった。第一そんな大勢の肉食獣を引き連れていたら目立って仕方ないだろ?」

「じゃ、じゃあコヨーテの群れか何かじゃないのか? 被害者はたまたまその群れに襲われたってのは……」


 深く考えないで物を言うダリオに、ローラから再び肘打ちが飛ぶ。


「ちょっとは考えなさいよ! 街の路地裏で発見された被害者もいるのよ? それにあの遊歩道は数は少ないながら、他にも散策者はいた。コヨーテがわざわざ若い女性だけにターゲットを絞ったと? そもそもそんな痕跡は無かったと今言われたでしょう!?」

「人をポンポン殴るな、暴力女! だったら一体何だって言うんだ!?」

「それを今こうして調べてるんじゃないの! すぐに解ったら苦労しないわ」


 言い合いを始める2人だが、ロバートの咳払いにハッとなる。


「おほん! ……話を続けてもいいかね? 何が言いたいかと言うと、犯人は人間ではない。さりとて複数の野獣という訳でもない。そして何より死体の『傷口』を調べた結果、極めて大型(・・・・・)の肉食獣によるものと判明している」

「極めて大型?」

「まあ……少なく見積もっても人間と同サイズ。もしくはそれ以上だ」

「な……」

「そして噛み跡の形状から、恐らくその動物は熊やピューマ等ではなく、イヌ科……それもオオカミが最も近いと考えられる。それも相当に大型の、ね……」

「オオカミ……」

「ただ……オオカミだと仮定しても色々と腑に落ちない事は多いがね」

「それは?」

「傷の形状だよ。牙による物の他にも爪で引き裂いた跡のような傷が多数あるんだが、オオカミの……と言うよりイヌ科全般の爪は、こんな風に獲物を引き裂くのには向いていない。ネコ科や熊ならともかくね。更に極めつけは……明らかに内臓や骨を掴んで(・・・)で引き抜いたような痕跡がある事だよ」

「つ、掴む? それって……」

「そうだ。人間や一部のサル目以外には出来ない芸当だ。そして当然人間にも他のサルにも、こんな凶悪な鉤爪やオオカミの牙は生えていない」

「…………」


 立て続けに提示される不可解な証拠の数々に、ローラ達は言葉を失うのであった。
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