File20:仲間達の決意

文字数 6,404文字

 最初に『異変』を知ったのはナターシャであった。彼女は様々な文献などから、ジンについての攻略法を調べており、その糸口となるであろう記述を発見。ローラに連絡をしたものの繋がらず、折り返しの電話もない。LINEでメールを送ったが、既読にはなったもののやはり返信がない。

 よもやまた『バイツァ・ダスト』の時のようなトラブルでも発生したかと、慌ててローラの自宅へ向かった。そこで彼女は、ある意味ではあの時以上の『異変』がローラの身に起きていた事を知ったのであった。

 玄関から現れたのは見知らぬアラビア系の女性であった。だがアラビア系の女性という事で、『作戦会議』の際にローラから聞いていた話を思い出したナターシャはすぐにピンと来た。ローラは件の女性との接触に成功していたのだ。

 セネムと名乗ったその女性に自分も自己紹介し、ローラの友人で『仲間』でもある事を説明すると、セネムは困り果てた様子で助けを求めてきた。



「ロ、ローラ……? 一体何があったの!?」

 ローラは寝室にいた。そしてベッドに上体を起こした姿勢でボーっと虚空を見つめていた。ナターシャが声を掛けると一瞬彼女の方を向いたものの、すぐまた焦点の合わない目で虚空を見つめる作業に戻ってしまった。

「何とかならないか? あれから(・・・・)ずっとこの調子なんだ。何か食べさせるのも一苦労だ」

 セネムが縋るような目でナターシャを見てきた。2人は寝室のドアを閉めてリビングに移動した。

「あれから? 一体何があったのか説明してもらえる?」

「あ、ああ……」

 そしてセネムはこの部屋で起きた事を、自分が見たままの通りに客観的に説明した。話を聞いていく内にナターシャの顔が青ざめ衝撃に引き攣る。

「う、うそ……あのミラーカがローラの事を……?」

 それは2人の事を良く知る者からすれば、絶対にあり得ない事象であった。ただの口喧嘩とかそういうレベルではない。吸血鬼の腕力で吹き飛ばして、なおかつ謝罪もなく一瞥すらせずに捨て置いたというのだ。それははっきりと言えば……絶縁(・・)に等しい行為であった。

「ローラの茫然自失ぶりは目も当てられないほどだった。ローラとあのミラーカはどういう関係なのだ? ただの友人同士ではないのか?」

 セネムが訝しむ。2人の関係を詳しく聞く前にこのような事態となってしまったのだ。

「……あなたはイスラム教徒よね? それもイラン出身って言ったかしら。イランは確か同姓愛(・・・)を法律で厳しく禁じているのよね?」

「あ、ああ、その通りだが…………まさか?」

「そのまさかよ。アメリカは自由の国なの。それは性の対象という意味でも同じよ。あなたにとっては理解不能な嫌悪すべき対象という事になるのかしら?」

 ナターシャは挑戦的な睨むような視線をセネムに向ける。セネムはその視線を真っ向から受け止めた。

「クルアーンの教えもそうだが、私は自分達の価値観を他人に押し付ける気はない。ここはイランではないし、祖国の法律で禁じられている事と、それを私個人がどう思うかは全く別の話だ。見くびらないでもらいたい」

「……! その通りね。試すような言い方をしてごめんなさい。理解してくれればそれでいいのよ」

「いや、警戒するのは当然の事だ。理解し合えて何よりだ。しかしそれでローラの受けた衝撃がようやく実感できた気がする」

 セネムは深い憂慮の表情となった。ナターシャも同意した。

「本当にね……。正直これは私だけの手には余るわ」

 ナターシャはそう言ってスマホを取り出した。

「誰に掛けるのだ?」

「他の『仲間』よ。私は仲間内では一番の新参者(・・・)なの。それに基本裏方(・・)だしね。でも彼女達(・・・)なら何とかしてくれるかも知れない。ついでにあなたの事も説明しておきたいしね」

 クレアには繋がらなかったので、余計な心配を掛けて仕事に支障をきたさないように、敢えて伝えないでおく。しかしジェシカとヴェロニカにはすぐに連絡が付いた。

 簡単な事情だけ伝えると、2人とも最初すぐには信じなかった。笑えない冗談扱いされたが、ナターシャがあくまで真剣なのを理解すると、慌てふためいた様子ですぐに向かうと言って電話が切れた。2人とも言葉は違うが似たような反応であった。

 
****


 それから数時間後にはジェシカとヴェロニカの姿は、ローラの部屋にあった。2人はセネムへの挨拶もそこそこにローラの寝室に飛び込んだ。そして一様に絶句した。

「ロ、ローラさん……」

「嘘だろ……本当に、ミラーカさんが……?」

 生気が一切抜け落ちたようなローラの姿に2人は衝撃を受けた様子だった。

「……一昨日の夜からずっとこの調子らしいわ。まあ無理もないけど」

「……!」
 ナターシャの言葉にジェシカが拳を握り締めた。ヴェロニカがナターシャの方を振り向いた。

「ナターシャさん。詳しい話を聞かせてもらえますね? まずは事情を知る必要があります。そちらの……セネムさんの事も含めて」

「勿論よ。一旦リビングに行きましょう」


 そうして2人は改めてセネムと自己紹介し合った。


「君はあのミラーカと同じく魔の存在を内包しているのだな?」

 自分の名前と簡単な素性を述べたセネムは、まずジェシカの方に視線を向けた。ナターシャから事前に説明を受けていた為、ミラーカとの邂逅時のようなトラブルは回避できた。ジェシカが頬を掻く。

「まあ『魔の存在』なんて言われちまうとアレだけど……お察しの通りさ。アタシは人狼なんだ。親父はこの街を恐怖に陥れた殺人鬼になっちまったけど、アタシは絶対に親父のようにはならない。ローラさん達に助けられたからな」

「そうか……。ではローラが信じた君の事を私も信じよう。これから宜しく頼む、ジェシカ」

 セネムはそう言って躊躇いなく手を差し出した。ジェシカはちょっとビックリした様子になったが、それから少し照れくさそうにその手を握り返した。

「あ、ああ……こっちこそ宜しく頼むよ、セ、セネム、さん……」


「うむ。そして君の方は……何とも不思議な霊力を感じる。私達とは似て非なる力だ」

 ジェシカと握手したセネムは、今度はヴェロニカの方に興味深そうな目を向けた。ヴェロニカは微苦笑した。

「元々はメキシコの古い呪術師の家系だったんです。どうやら私はその血を最も色濃く受け継いだようで……」

「なんと、メキシコの……。そうであったか。正直心強い事だ。これから宜しく頼む、ヴェロニカ」

 ヴェロニカにも手を差し出す。

「ええ、こちらこそ宜しくお願いします、セネムさん」

 ヴェロニカもその手を取って握手した。これで互いの自己紹介は済んだ。ここからが本題(・・)だ。 


「さて、それじゃ何があったのか、もう一度経緯を話してもらえる、セネム?」

「ああ……」

 ナターシャの促しで、改めて事態を説明するセネム。ローラとの出会いや、アパートに招かれた切欠に至るまで全てを包み隠さずに話した。ナターシャもかつて自分の聞き込みした知識でミラーカの心情を補足する。話している内にヴェロニカの顔は悲しみに曇っていく。だが反面、ジェシカはどんどん表情を失くしていく。


「……オスマン帝国を裏から操っていた存在ですか。確かにミラーカさんが経験してきた事を考えたら、言ってみれば全ての元凶とでも言うべき相手。そんな相手がすぐ近くにいる事を知ったら冷静でいられなくなるのも解りますが……」

 ヴェロニカがかぶりを振る。

「…………ふざけんなよ」

 地の底から響くような唸り声に全員が注目する。ジェシカだ。彼女はワナワナと震えていた。勿論笑っているのではない。これは……怒り。

「なんだ、それ? 『ローラ』だぁ? 500年も前に死んだ女だろが? ああ、確かにそいつのやった事は凄ぇさ。そのお陰でミラーカさんは人の心を取り戻せた訳だもんな。……で? だからって今のローラさんに心無い暴言吐いて暴力奮って、悲しみからあんな抜け殻みたいにさせた仕打ちが許されるのか? ……んな訳ねぇだろっ!!」

 バァンっ!! とテーブルに拳を打ち据えて吠えるジェシカ。ナターシャが目を丸くする。

「ジェ、ジェシカ……」

「先輩は聞いててムカつかなかったのかよ!? マジでふざけんじゃねぇぞ! ローラさんがこんな仕打ち受ける理由が一切ねぇだろ!」

 ジェシカが激情のままに水を向けると、ヴェロニカもスッと目を細めた。

「ジェシー……私が怒ってないなんて言ったかしら? ローラさんの恋人(・・)の1人として、正直腸が煮えくり返る思いよ。確かにミラーカさんの気持ちは解る。解るけど……それとローラさんに対する仕打ちは全く別の話よ。ミラーカさんには……失望(・・)したわ」

「ヴェロニカ……?」

 ナターシャは何故か背筋が寒くなるような感覚をおぼえた。セネムも同様らしく若干顔が引きつっていた。

「ああ……一発、いや、百発ぶん殴ってやらねぇと気が済まないぜ。アンタがローラさんと乗り越えてきた戦いの日々はその程度のモンだったのかよってなぁ!」


 立ち上がったジェシカは寝室へと赴く。皆の声は聞こえているはずなのに、何の反応もせずにただ虚空を見つめ続けるローラの姿が相変わらずそこにあった。

 ジェシカはローラの肩を掴んで揺さぶる。

「ローラさん! しっかりしてくれよ! アタシ達が付いてる! アタシ達は決してローラさんを裏切ったりはしない! なあ! それじゃダメなのかよ!?」

「ジェシカ……」

 ローラが一瞬反応してジェシカの方に視線を向ける。だがすぐにまたミラーカに受けた仕打ちを思い出したのか、その目から涙が溢れて顔を逸らしてしまう。続いてやってきたヴェロニカがベッドの端に腰掛けてローラを見つめる。

「ローラさん……。ミラーカさんは市庁舎に特攻したまま行方不明になっているようです。恐らく市長に敗れたんじゃないかと思います」

「……!」
 ローラがピクッと反応する。市長に敗れた……。それはつまり既に殺されている可能性も高いという事。いや、むしろその方が自然だろう。だがそれは敢えてここでは口にしない。

「ローラさんはこのままでいいんですか? ミラーカさんとそんな別れ方をして……納得できるんですか? 私達も市庁舎へ向かいましょう。そしてミラーカさんを助け出して、こっちの怒りをぶつけてやるんです」

「そうだぜ! ふざけるなってぶん殴ってやろうぜ!」

 ジェシカも賛同して励ましてくる。ローラが顔を上げた。

「ミ、ミラーカが……。で、でも……」

 その表情が心配げな憂いを帯びたものに変わるが、直後に自信の無さそうな、何かを怖れているような表情になって俯いてしまう。

「だ、駄目……! 出来ない……!」

 激しくかぶりを振る。恐らく彼女の脳裏にはミラーカに受けた仕打ちが再び甦っているのだろう。ローラはミラーカと再会する事を怖れている。再び路傍の石でも見るような目で見られ、心無い言葉を投げ掛けられるかも知れない恐怖が、彼女を極端に臆病にさせているのだ。

「ローラさん……」

 ヴェロニカとジェシカは顔を見合わせた。恐らく今のローラにどれだけ言葉を重ねても無意味だと悟ったのだ。2人はリビングに戻ってきた。


「駄目だ……あたし達の言葉も届かない。ローラさんを立ち直らせる事が出来るのは……」

 自嘲気味なジェシカの呟きにヴェロニカが頷く。

「……ええ、やっぱりミラーカさんだけみたいね。正直嫉妬しちゃうけど」

「むぅ……君達でも駄目なのか」

 セネムが唸る。だがジェシカとヴェロニカは諦めていない様子であった。

「ミラーカさんしか駄目となりゃ……」

「ええ、ミラーカさんを連れてくるしかないわね。……無理やりにでもね」

 それが2人の結論であった。ナターシャが慌てる。

「で、でも、正直ミラーカがまだ生きてるって保証は……」

 ローラを憚るような小声での指摘に、ヴェロニカはかぶりを振った。

「死んでいるかも知れない。でも生きて囚われている可能性も皆無じゃない。だったらやはりこうするしかないと思います」

「……あのミラーカが敗れたって事は、つまりそれだけ敵は強大って事でしょ? 勝算はあるの?」

「今までの戦いだって勝算なんか無かったさ。それでも戦ってきた。なら今回だってそうするまでさ」

 ジェシカも既に覚悟を決めている様子だ。その覚悟を感じ取ったセネムが進み出てきた。

「奴等の元へ乗り込もうと言うのだな? ならば私も同行しよう。ミラーカは1人だったから負けた。3人いれば何とかなるかも知れん」

「セネムさん……ありがとうございます。正直心強いです」

 ヴェロニカが素直に礼を述べる。そしてナターシャの方に視線を向けた。

「……そういう訳ですので、ナターシャさんはここでローラさんを見ていてもらえますか? 正直今のローラさんを1人にしておくのは不安がありますし」

 敵の懐へ飛び込むとなれば、間違いなく戦闘になる。そうなればナターシャに出来ることはない。それに確かにローラを見ておく人間も必要だ。ナターシャは嘆息しながら頷いた。

「はぁ……どうやら止めても無駄のようね。解ったわ。ローラの事は任せて。その代わり絶対に無事で帰ってきなさいよ?」

「ああ、勿論さ! ローラさんを頼むぜ、ナターシャさん」

 ジェシカが胸を叩いて請け負う。ナターシャは苦笑しながら自分の役目(・・)を果たす。



「あれから奴等について何か情報がないか調べていたの。そのマリードの助言(・・)を受けていたスルタンはメフメト2世が最後(・・)だった。私が気になったのは、何故マリードはそれ以降のスルタンに干渉しなかったのか、という事」

「……! それはつまり……?」

 セネムの問いにナターシャは頷く。


「そう……恐らくメフメト2世は何らかの手段でマリードをランプに封じ込めた(・・・・・)んじゃないかと思ったのよ」


「……!」

「その観点でメフメト2世に関する資料を徹底的に調べたわ。そうしたらとある文献に興味深い記述を見つけたわ。恐らくそのマリードを……封印する方法、だと思う」

「……っ! そ、それは……!?」

 ヴェロニカが勢い込んで身を乗り出す。ナターシャはその文献に記されていた方法を3人に伝えた。


「……なるほど。それなら状況次第では何とかなるかも知れんな」

 セネムが腕を組んで得心したように頷く。ジェシカとヴェロニカも同様の気持ちであった。

「ナターシャさん、本当にありがとうございました。これで少し希望が見えてきました。直接戦う力など関係ありません。ナターシャさんは私達の心強い仲間です」

「ヴェ、ヴェロニカ……」

 ナターシャは若干感動して言葉に詰まる。

「全くだぜ。調べる情報の絞り込み方といい、アタシじゃ多分一年掛かってもそこに辿り着けなかったぜ」

「うむ。本来は我々が把握していなければならない情報であったものを……。紅顔の至りだ」

 ジェシカとセネムも同意するように頷いていた。

「皆……そう言ってくれてありがとう。でも私に出来るのはここまでよ。後は……あなた達に託すわ。必ず無事に戻ってきて」

 そのナターシャの言葉を背に彼女にローラを預けて、ヴェロニカ達3人は市庁舎を目指して夜の街へと踏み出していった。
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