File18:ミラーカの過去
文字数 2,786文字
そして夜。身支度を整えたローラは、再び『アルラウネ』へと車で向かっていた。店に着くと、相変わらず入り口の横にはガードマンが眼光鋭く周囲を睥睨していた。
「ハイッ」とだけ声を掛けて横を通り過ぎようとすると、ガードマンは全くの無表情のままローラの行く手を遮った。
「解ってるわよ! もうっ! 融通が効かないわね!」
悪態を突きながら会員証を提示すると、ガードマンはサッと道を開けた。ローラは溜息をつくと、地下への階段を降りていった。
扉を潜ると以前訪れた時と変わらない、落ち着いた大人の雰囲気漂う内装と空気がローラを出迎えた。
「…………」
奥のテーブル席に目をやると……居た。長い座席にしなだれかかるように座る、気だるげな雰囲気の黒髪の美女……。まるで前回訪れた時の再現のような光景だった。
「昨日はテンションが上がってただけで、今日になったら冷静になって、もう来てくれないんじゃないかと思っていたわ」
席に近づいたローラを見ながら、ミラーカが微笑む。たった一日見なかっただけだというのに、彼女の笑顔を見たローラは、再び自分の胸が高鳴る甘い感情を自覚した。
「それはこっちのセリフよ。やっぱり思い直して1人で戦うとか決意して、ここには来ないんじゃないかと思ってたわ」
ローラはミラーカの隣に腰掛ける。密談をする為には近寄らなければいけない訳だが、彼女とこんな風に隣り合って座る事に妙にどぎまぎしたものを覚えてしまうローラであった。そんなローラの様子を知ってか知らずか、ミラーカは妖しく微笑みながら尋ねる。
「それで? 何を知りたいのかしら? ……いえ、どこから というべきかしら」
「……あなたが話せる所から全てを聞きたいわ。例えば……あなたが吸血鬼になった時の事なんかをね」
ミラーカが少し目を見開く。単にヴラド攻略のヒントを得たいだけなら、封印の様子を聞くだけでいいはずだが、ローラは気付いたらそんな風に聞いていた。ミラーカの事をもっとよく知りたかった。彼女の事を少しでも理解したかった。
「そう……ね。解ったわ、ローラ。いえ、私もあなたに聞いておいて欲しいの。ただ少し長くなるわよ?」
そんな前置きからミラーカの話は始まった。
****
「私は15世紀に、ワラキアの貴族の家に生まれたの。当時ワラキアはオスマン帝国の侵攻の驚異に晒されていて、特に暗黒時代と呼べる時期だったわ。貴族達は皆、保身の事しか頭に無く、如何にしてオスマン帝国に侵略された後も自分達の権益を守るかに腐心していたわ」
ミラーカが遠い過去に思いを馳せるように上を向いて目を細めた。
「私の家もそんな貴族の一つだった。ヴラドはそんな時代にワラキア公に即位したの。即位前からオスマン帝国との徹底抗戦を主張していたヴラドと貴族達の折り合いは当然悪く、私は実家からヴラドを『籠絡』する為に、彼の愛妾となるべく送り込まれたのが出会いだったわ」
「……!」
愛妾という言葉にドキッとする。以前にミラーカ自身から元はヴラドの愛人だったという話は聞いているので今更なはずなのだが、何故か彼女が誰かの物であったという事実に胸が痛んだ。
「でも……恥ずかしながら当時世間知らずの小娘だった私は、逞しく自信に満ち溢れていたヴラドに、逆にすっかり魅了されてしまったの。いわゆるミイラ取りがミイラになるという奴ね。シルヴィアとアンジェリーナも似たような経緯で彼の愛妾となった女達よ」
「…………」
「そして……彼に魅了されていた私達は、彼の恐ろしい企みに進んで手を貸してしまった」
「恐ろしい企み?」
「……彼は十倍以上の兵力を誇るオスマン帝国の軍勢を完膚なきまでに叩き潰し、当時のスルタンに西進を断念させたわ。いくらヴラドが勇猛だったと言っても、ただの人間にそんな事が出来たと思う?」
「まさか……」
ミラーカは頷いた。
「彼はワラキアを守る為に、人間を辞め『魔物』になる道を選んだのよ。当時スラヴ人の間に伝わっていた『ヴァンピール』の伝承に興味を抱いていた彼は、あらゆる文献を調査して、遂には自らが『ヴァンピール』となる術を発見したの」
「ヴァンピール……。つまり吸血鬼 の事ね?」
再び頷くミラーカ。
「そう……ただそれには多くの人間の新鮮な生き血が必要だった。彼はその生贄に、当時の自分に逆らう貴族達を選んだの。彼は強大な力を手に入れ、更には国内の反対勢力も粛清できる……。彼にとっては正にいい事ずくめだったという訳」
「え……でもヴラドに反対してる貴族達って……」
ミラーカは悲しげな表情で目を伏せる。
「ええ、私達の実家も含まれていたわ。でも私達はその事に何ら罪悪感を覚えなかった。むしろ彼の力になろうと、彼の歓心を買おうと、積極的に自分達の血族を罠にはめて彼に差し出したのよ」
「そんな……」
「あの頃の私はシルヴィア達と何ら変わらずに、完全にヴラドに魅了されていた。思えば彼は吸血鬼になる前から、既にその心に魔性を住まわせていたのね。私達はその魔性の虜になっていたのかも知れないわね」
「ミラーカ……」
「それがかの有名な『串刺し公』の異名の由来よ。大勢の貴族達を串刺しにして贄とする事で、彼は遂に人ではない『モノ』に変化を遂げたのよ。そして彼は思惑通りその力で、オスマン帝国の大軍を打ち破る事に成功した」
「そしてその後はあなた達も?」
「ええ、私達も彼と共に永遠を生きることを望み、進んで彼からの『祝福』を受け入れたの。そして私達は超越者を気取って人間達を見下し、ヴラドは守ろうとしていた祖国に恐怖政治を敷くようになったわ」
「…………」
あのシルヴィアを思い返せば、彼等が――当時はミラーカもだが――人間達をどう見ていたかは想像に難くない。ワラキアは地獄のような様相を呈した事だろう。
「でもあなたは変わった……。その時の話を聞かせてくれない?」
今までは『舞台背景』の話だ。ここからが本題となってくるはずだ。ミラーカが少し話しづらそうな態度になる。そう言えば前回もはぐらかされた。
「もし話せないような事であれば無理には……」
「いえ、いいの。ごめんなさい。あなたと同じ名前を持つ、昔の知り合いを思い出していたの」
「同じ名前……以前にもローラという名前の知り合いがいたのね?」
「ええ……そしてその『ローラ』こそが、私がヴラド達から離反する原因となった人物であり、また彼等の封印に携わった人物でもあるのよ」
「……!」
ローラの名前を聞いた時に不審な反応を見せたのは、その所以か。ローラは黙ってミラーカの話の続きを待った。
「ハイッ」とだけ声を掛けて横を通り過ぎようとすると、ガードマンは全くの無表情のままローラの行く手を遮った。
「解ってるわよ! もうっ! 融通が効かないわね!」
悪態を突きながら会員証を提示すると、ガードマンはサッと道を開けた。ローラは溜息をつくと、地下への階段を降りていった。
扉を潜ると以前訪れた時と変わらない、落ち着いた大人の雰囲気漂う内装と空気がローラを出迎えた。
「…………」
奥のテーブル席に目をやると……居た。長い座席にしなだれかかるように座る、気だるげな雰囲気の黒髪の美女……。まるで前回訪れた時の再現のような光景だった。
「昨日はテンションが上がってただけで、今日になったら冷静になって、もう来てくれないんじゃないかと思っていたわ」
席に近づいたローラを見ながら、ミラーカが微笑む。たった一日見なかっただけだというのに、彼女の笑顔を見たローラは、再び自分の胸が高鳴る甘い感情を自覚した。
「それはこっちのセリフよ。やっぱり思い直して1人で戦うとか決意して、ここには来ないんじゃないかと思ってたわ」
ローラはミラーカの隣に腰掛ける。密談をする為には近寄らなければいけない訳だが、彼女とこんな風に隣り合って座る事に妙にどぎまぎしたものを覚えてしまうローラであった。そんなローラの様子を知ってか知らずか、ミラーカは妖しく微笑みながら尋ねる。
「それで? 何を知りたいのかしら? ……いえ、
「……あなたが話せる所から全てを聞きたいわ。例えば……あなたが吸血鬼になった時の事なんかをね」
ミラーカが少し目を見開く。単にヴラド攻略のヒントを得たいだけなら、封印の様子を聞くだけでいいはずだが、ローラは気付いたらそんな風に聞いていた。ミラーカの事をもっとよく知りたかった。彼女の事を少しでも理解したかった。
「そう……ね。解ったわ、ローラ。いえ、私もあなたに聞いておいて欲しいの。ただ少し長くなるわよ?」
そんな前置きからミラーカの話は始まった。
****
「私は15世紀に、ワラキアの貴族の家に生まれたの。当時ワラキアはオスマン帝国の侵攻の驚異に晒されていて、特に暗黒時代と呼べる時期だったわ。貴族達は皆、保身の事しか頭に無く、如何にしてオスマン帝国に侵略された後も自分達の権益を守るかに腐心していたわ」
ミラーカが遠い過去に思いを馳せるように上を向いて目を細めた。
「私の家もそんな貴族の一つだった。ヴラドはそんな時代にワラキア公に即位したの。即位前からオスマン帝国との徹底抗戦を主張していたヴラドと貴族達の折り合いは当然悪く、私は実家からヴラドを『籠絡』する為に、彼の愛妾となるべく送り込まれたのが出会いだったわ」
「……!」
愛妾という言葉にドキッとする。以前にミラーカ自身から元はヴラドの愛人だったという話は聞いているので今更なはずなのだが、何故か彼女が誰かの物であったという事実に胸が痛んだ。
「でも……恥ずかしながら当時世間知らずの小娘だった私は、逞しく自信に満ち溢れていたヴラドに、逆にすっかり魅了されてしまったの。いわゆるミイラ取りがミイラになるという奴ね。シルヴィアとアンジェリーナも似たような経緯で彼の愛妾となった女達よ」
「…………」
「そして……彼に魅了されていた私達は、彼の恐ろしい企みに進んで手を貸してしまった」
「恐ろしい企み?」
「……彼は十倍以上の兵力を誇るオスマン帝国の軍勢を完膚なきまでに叩き潰し、当時のスルタンに西進を断念させたわ。いくらヴラドが勇猛だったと言っても、ただの人間にそんな事が出来たと思う?」
「まさか……」
ミラーカは頷いた。
「彼はワラキアを守る為に、人間を辞め『魔物』になる道を選んだのよ。当時スラヴ人の間に伝わっていた『ヴァンピール』の伝承に興味を抱いていた彼は、あらゆる文献を調査して、遂には自らが『ヴァンピール』となる術を発見したの」
「ヴァンピール……。つまり
再び頷くミラーカ。
「そう……ただそれには多くの人間の新鮮な生き血が必要だった。彼はその生贄に、当時の自分に逆らう貴族達を選んだの。彼は強大な力を手に入れ、更には国内の反対勢力も粛清できる……。彼にとっては正にいい事ずくめだったという訳」
「え……でもヴラドに反対してる貴族達って……」
ミラーカは悲しげな表情で目を伏せる。
「ええ、私達の実家も含まれていたわ。でも私達はその事に何ら罪悪感を覚えなかった。むしろ彼の力になろうと、彼の歓心を買おうと、積極的に自分達の血族を罠にはめて彼に差し出したのよ」
「そんな……」
「あの頃の私はシルヴィア達と何ら変わらずに、完全にヴラドに魅了されていた。思えば彼は吸血鬼になる前から、既にその心に魔性を住まわせていたのね。私達はその魔性の虜になっていたのかも知れないわね」
「ミラーカ……」
「それがかの有名な『串刺し公』の異名の由来よ。大勢の貴族達を串刺しにして贄とする事で、彼は遂に人ではない『モノ』に変化を遂げたのよ。そして彼は思惑通りその力で、オスマン帝国の大軍を打ち破る事に成功した」
「そしてその後はあなた達も?」
「ええ、私達も彼と共に永遠を生きることを望み、進んで彼からの『祝福』を受け入れたの。そして私達は超越者を気取って人間達を見下し、ヴラドは守ろうとしていた祖国に恐怖政治を敷くようになったわ」
「…………」
あのシルヴィアを思い返せば、彼等が――当時はミラーカもだが――人間達をどう見ていたかは想像に難くない。ワラキアは地獄のような様相を呈した事だろう。
「でもあなたは変わった……。その時の話を聞かせてくれない?」
今までは『舞台背景』の話だ。ここからが本題となってくるはずだ。ミラーカが少し話しづらそうな態度になる。そう言えば前回もはぐらかされた。
「もし話せないような事であれば無理には……」
「いえ、いいの。ごめんなさい。あなたと同じ名前を持つ、昔の知り合いを思い出していたの」
「同じ名前……以前にもローラという名前の知り合いがいたのね?」
「ええ……そしてその『ローラ』こそが、私がヴラド達から離反する原因となった人物であり、また彼等の封印に携わった人物でもあるのよ」
「……!」
ローラの名前を聞いた時に不審な反応を見せたのは、その所以か。ローラは黙ってミラーカの話の続きを待った。