Bloodline ~闇の血族(後編)

文字数 4,271文字

 ワラキアの新興都市(・・・・)ブカレスト。最近カーミラ達の主がお気に入りとしている街で、今も街の中央にある大きな館を新たな拠点として滞在していた。

 ブカレストは規模の大きな街であり、夜でも街のあちこちに照明が焚かれ、大通りともなればそこそこ人の往来があった。

 その大通りの真ん中に、突如闇が形を作ったかのように2人の美女が現れた。黒いドレス姿のカーミラと反対に白を基調としたドレスを纏ったシルヴィアだ。通りを往来していた人々は2人の姿を見るなり恐れおののいて、中には悲鳴を上げて逃げ惑う者すらいた。

「ほほほ、中々に活気のある街じゃのう。主様がお気に入りとされている理由が解るわ」

「ええ、夜でも活動している人間達がそれなりにいるわね。最近はトゥルゴヴィシュテもすっかり落ちぶれた感があるし」

 しかし2人の美女は周囲の反応を何ら気にする事無く、むしろ楽曲でも聴いているかのように楽しそうに話しながら中央の館へと歩き去っていった。




 そうして2人が館の門を潜った瞬間だった。

「――!」

 カーミラとシルヴィアはどちらともなく左右に分かれて跳んだ。その直後、彼女らのいた場所に巨大な斧のような武器が食い込んだ! それを振りおろした……深紅の軌跡(・・・・・)

(……紅い、髪?)

 瀟洒な赤いドレスを纏った……鮮やかな赤毛の美女が、屈強な騎士でも振り回すのがやっとな大斧を片手で担いでいた。冗談のような光景だった。

「ぐるうぅぅあぁぁっ!!」

 だが赤毛の美女は、その優美な外見とは裏腹に獣のような唸り声を上げて、再び大斧を振り回す! 

「ちょっと待って……! あなたまさか……」

「気を付けろ、カーミラ! こやつ、暴走(・・)しておるぞ!」

「……ッ! みたいね!」

 美女はカーミラに狙いを定めて突進してきた。カーミラは咄嗟にドレスのスカートから自身の得物……鋭利なサーベルを取り出す。

 あの斧とまともに打ち合うのは分が悪そうだ。カーミラは直前まで引き付けて、薙ぎ払われた斧の刃を屈んで躱す。

「ふっ!」

 そして躊躇いなく美女の心臓にサーベルを突き入れる! この美女がカーミラ達の予想通りの人物だったとすれば、心臓を貫かれた程度(・・・・・・・・・)では死なないが、それでも痛みで一瞬動きが止まるはずだ。その隙に取り押さえ――

「があぁぁぁぁっ!!!」
「ッ!?」

 しかし美女は狂ったように暴れて強引に斧を旋回させた。最低限の感覚すら麻痺しているようだ。

「がっ……!」

 斧の一撃を避け損なったカーミラは、咄嗟に盾にしたサーベルごと吹き飛ばされる。凄まじい怪力だ。

「カーミラ!」

 自身の得物であるレイピアを構えたシルヴィアが駆け付けてくるが、美女が今度はシルヴィアにターゲットを変更した。

「ああぁぁぁぁっ!!」
「ちっ……この……! 鎮まらんか、馬鹿者が!」

 美女の斧刃を同じように掻い潜ったシルヴィアが流麗な体捌きで、美女の身体に次々と刺突を穿つが、激しい興奮状態にある美女相手に今ひとつ決定打を欠いていた。


「シルヴィア! 変身(・・)して力づくで取り押さえるわよ!」

「……っ! 解った!」


 体勢を立て直したカーミラはシルヴィアにそう指示すると、変身を開始した。髪が逆立ち目が赤い光を帯びる。口には長い牙、手には恐ろしげな鉤爪が生え、更に背中からは一対の白い被膜翼が生える。

 それはまさに、伝承に登場する悪魔……文字通りの意味で怪物であった。後ろに飛び退ったシルヴィアも同じような姿となる。


 しかし狂乱にある美女は何ら構う事なく大斧を叩きつけてくる。だが……

「ふんっ!」

 シルヴィアはその攻撃を片手で(・・・)受け止めた!  

「……!」

 美女が初めて動揺した様子を見せる。そこに背後からカーミラが迫る。

「少し……大人しく、しなさい!」
「ごぁっ!?」

 怪物化したカーミラはその膂力に物を言わせて、両手で叩きつけるように美女の背中を打ち据えて、床に叩き伏せた。

 カーミラはそのまま美女をうつ伏せに床に押さえつける。

「シルヴィア!」
「う、うむ……!」

 暴れ狂う美女を押さえつけたままシルヴィアに合図すると、シルヴィアは何故か若干気乗りしなさそうな様子で屈み込んで、美女の首筋に自らの牙を突き立てた!

「……! ……ッ!!」

 美女がビクンッと身体を跳ねさせるが、それもカーミラが強引に抑え込む。

「あ……あ……あぁ……」

 やがて美女が陶酔したような声を上げ始める。まだ正気ではないようだが、少なくとも先程までの狂乱は鳴りを潜めていた。

「シルヴィア、もう良さそうよ」

「……ふぅ。やっとか」

 シルヴィアは顔をしかめながら美女の首筋から牙を離した。カーミラがその様子に苦笑する。

「相変わらずね。そんなに同性に牙を立てるのが嫌?」

「……むしろ私の方が正常だと思うのじゃがな。お主の嗜好が理解出来ぬわ」

「その内目覚めさせてあげるわ」

 そんなやり取りをしている2人はいつの間にか怪物化を解いて、元の美しい姿に戻っていた。


「う……うぅ……あ……。こ、ここは……?」

 弱々しく戸惑ったような声が聞こえた。美女が完全に正気を取り戻したらしい。カーミラ達はホッとして手を離す。

「ようやくお目覚めかしら、眠れるお姫様?」

「え……あ、あなた達は……誰?」

「ふん、全く呑気な物じゃな……。これ、自分が誰かは解るかの?」

 逆に問い返された美女が目を白黒させる。

「え……わ、私は……アンジェリーナ。アンジェリーナ・コドレアヌ……」

「正常なようね。じゃあ自分に何が起きたかは憶えている?」

「な、何が……? あっ……!!」

 美女――アンジェリーナが、目を見開いてガバっと起き上がる。

「わ、私……私、大公様(・・・)に……! 大公様が私を抱き上げて首筋に……それから……」

「ああ、いいのよ、解っているから。ゆっくりと深呼吸して落ち着きなさい。いいわね?」

「あ……え、ええ……。あ、ありがとう。……それじゃあ、私、本当に……?」

 カーミラに諭されて少し落ち着いたらしいアンジェリーナが、信じられない物を見るかのようにカーミラ達の顔を交互に見やった。シルヴィアが頷いた。

「そうじゃ。お主は今日、支配者側(・・・・)へと生まれ変わったのじゃ。我等はお主の……()に当たる者じゃ」

「あ、姉……。じゃああなた達も……?」

「ふふ、そういう事よ。下等な人間としての殻を脱ぎ捨てた気分はどうかしら? あなたは私達と同様に選ばれし者なのよ」

「……! こ、これが……これが、吸血鬼(・・・)……!」

 アンジェリーナはそれでもまだ若干信じられないかのように今度は自分の身体を改めていたが、やがて徐々に実感が湧いてきたのか、その瞳にこれまで無かった感情が宿るのをカーミラ達は確かに認めた。シルヴィアが笑う。

「ふふ、一時はどうなる事かと思ったが……どうやら心配なさそうじゃの?」

「ええ……宜しくお願い致しますわ、お姉様方(・・・・)

 そう言ってカーミラ達を見据えるアンジェリーナの顔は、既に人間ではない精神に染まってるかのようだった。

「こちらこそ宜しくね、アンジェリーナ。……それにしても、何故主様はあなたの暴走を放置されたのかしら?」

 先程までのアンジェリーナの狂乱……。実はあれ自体はカーミラもシルヴィアも経験済み(・・・・)の物であった。

 吸血鬼の『真祖』たる主の魔力を一気に流し込まれる事で、脆弱な人間の魂が耐えきれずに、馴染む(・・・)まで一時的に狂乱状態になってしまうのだ。

 カーミラ達の時は、強大な力を持つ主自身が彼女達を抑え込んでくれた。それが今回に限って放置され、カーミラ達がその代役を(強制的に)務めさせられる羽目になった。


「……それはな。お前達が退屈しておるだろうと思った私からの計らいだ」

「……ッ! あ、主様!?」

 3人が全く気づかない内に、いつの間にか奥の部屋に続く扉の枠に、カーミラ達の主たる男性が腕を組んで(もた)れ掛かっていた。その顔には面白い見世物を見た子供のような表情が浮かんでいた。

 カーミラ達は慌てて平伏する。男性は片手を上げる。

「ああ、立って良い。滅多に見られん興味深い見世物であった。礼を言うぞ」

 言いながらカーミラ達の元まで近付いてきた人物……それはこのワラキア公国の大公、ヴラド3世その人であった。ヴラド大公こそが吸血鬼の真祖……そしてカーミラ達3人の主人であったのだ。

「きょ、恐縮でございます……」

「うむ。しかしこれでお主らの顔合わせ(・・・・)も無事に済んだな。刺激的な出会いの方が印象深くなるであろう?」

「お、おほほ……た、確かにそうですわ。流石は主様です。感謝致します」

 シルヴィアが若干引きつり気味な乾いた笑いとなっていた。ヴラドはカーミラ、シルヴィア、そしてアンジェリーナが並んで立っている姿を、うっとりとしたように満足気に眺める。

「私はこの選ばれし『祝福』をそう多くの者に与える気はない。お前達は私自身が選び抜いた寵姫。これからは我等だけでこの世のあらゆる富と快楽を独占しようではないか」

「素晴らしいお考えです、主様」

 カーミラが本心から賛同する。勿論シルヴィアとアンジェリーナも同様だ。

「さあ、今宵はアンジェリーナの生誕(・・)を祝して、広間に晩餐(・・)を用意してある。美男美女、幼児幼女……選り取り見取りだ。勿論お前達の分もだ。好きなだけ貪り尽くすが良い」

「おおっ……!」

 カーミラとシルヴィアは感嘆と喜悦が混じった声を上げる。アンジェリーナはゴクッと喉を鳴らした。


 ……その日は夜通し、館から男や女の恐怖や悲痛の悲鳴が鳴り止む事が無かったという。ブカレストの民は反抗する気力もなく、ただ諦観混じりの恐怖と絶望からひたすら目と耳を閉じ続けていた。



 それは中世ヨーロッパの、特に暗黒時代と呼ばれた希望なき時代。オーストリアの辺境に於いて、『ローラ』という名の聖少女の噂が遠く離れたワラキアにまで届くのは、これより数年程後の事となる…………

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