Requiem ~太古の鎮魂歌(前編)

文字数 6,793文字

 そこは人間には決して立ち入る事が許されない、天高く聳え立つ霊峰の頂にある聖域……。

 ()の一族だけがそこで暮らしている。下賤で汚らわしい人間達が立ち入れない場所という事で、彼にとってもそこは非常に居心地の良い場所であった。

 しかし普段は穏やかなこの場所が、今日は一触即発の緊張した空気に包まれていた。
 と言っても、その原因は彼自身にあるのだったが……



「何故理解しない!? 今のままでは駄目なんだ! 人間共は無節操に増え続けて力を増している! いや、力だけじゃない。力に伴ってその精神(・・)も増長させているのだ! このままでは遠からず……」

 聖域の集会場に集った一族の者達に彼は熱弁を奮っていた。彼に賛意を示す者は誰も居ない。そもそも熱弁(・・)を奮わねばならない事自体おかしいのだ。彼は苛立ちを感じた。

「今ならまだ間に合う! 『武力』を持って人間達を統制するのだ! 奴等には我々上位者(・・・)の管理が必要だ! 我々にはその力があるのだ! それこそが正しい姿なのだ!」

 やはり賛同する者はいない。彼は段々木や岩に話しかけているような徒労を感じ始めた。


「もうよい、ラサーヤナよ。お主の言いたい事は十分解った」


 と、その時彼の熱弁を聞いていた聴衆(・・)の中から、一際風格のある個体が進み出てきてそう発言した。

「ジャターユ! それなら……」

 彼――ラサーヤナは活気づいた。一族の中でも長老(・・)と呼べる立場のジャターユが賛同してくれれば、或いは……

 だがジャターユは頭を振った。

「言いたいことは解ったが、それに賛同するかは別の話だ。もう人は我等の庇護を離れた。我等はこれ以上人の営みに介入する事は罷りならんのだ」

「何故だ!? 増長した人間共が我等を疎ましく思っているのは知っていよう! 奴等はいずれ必ず我等に牙を剥くぞ! そうなる前に――」

「そうなったらなったで、それが人の営みの結果であれば我等はそれを粛々と受け入れるのみだ。運命とはそういう物だ」

 当たり前のような顔で言い放つジャターユ。周りの者達も誰もそれに異を唱えない。ラサーヤナには全く理解できない考え方だった。運命。それは彼が最も嫌う言葉だ。

「ジャターユ……お前達は間違っている! 俺は一族を守る為に提案しているんだぞ!? お前達には種の存続という生物としての根源的欲求すらないのか!」

「そう……それこそが我等と下界の生物を隔てる物なのだ。ラサーヤナよ。お前の考え方は、お前が嫌う人間達の考えと同質の物だという事に気付いていないのか?」

「……ッ!」

 頭を巨岩で殴られたようなショックに、ラサーヤナは一歩後ずさる。


(お、俺が……人間共と同じ……?)

「お……おぉ……俺は…………クソっ!!」


 事実を受け入れ難いラサーヤナは、翼を広げると(・・・・・・)、一目散に集会場から飛び去っていった。

 その姿を見送っていた一族の者の1人がジャターユに近付く。

「ジャターユ……。やはりラサーヤナは……」

「うむ。間違いなく下界の生き物に近い精神性を宿しておる。我等をお造りになられた神に過ちがあったのか……」

 ジャターユは神妙に頷く。

「どうする? このままではいずれ暴発するやも」

「……とりあえず監視はしておかねばなるまい。お主を含めて何人かで見張り、何か不穏な気配があれば直ちに報せてくれ」

「解った」

 一族の者は頷いて、他の何人かに声を掛けて、ラサーヤナを追いかけるように同じく翼を広げて飛び立っていった。


****


「クソ……ジャターユめ。言うに事欠いて俺が下等な人間共と同じだと!?」

 ラサーヤナは1人聖域を飛び出して、下界(・・)の空を飛びながら腐っていた。今あまり聖域に居たくなかった。

 ジャターユの言い分にも腹が立ったが、何よりも咄嗟にあの場で言い返せずに逃げてしまった自分に腹が立っていた。あれではジャターユの言い分を認めたような物だ。

 自分が人間と同質などと断じて認める訳には行かなかった。だが他の一族と同調すれば、確実な滅びが待っているだけだ。


 答えの出ない考えにムシャクシャしていると、ふと地表の草原にある大きな泉の側に、人間が単身で佇んでいるのが目に入った。

 人間の町からは大分離れた場所だ。人間は大勢で群れる生き物だ。野には危険な獣も多数生息しており、こんな場所に人間が1匹(・・)でいる事など通常あり得ない。

 しかもその人間は()であった。ますますあり得ない話だ。雄なら狩りなどで遠出して群れからはぐれたという可能性もないではないが、人間の雌は通常町や群れなどの所属するコミュニティから遠く離れる事はまずないはずだ。ましてや単独で、だ。

 何気なく興味を惹かれて千里眼でその雌を良く見てみたラサーヤナは、不覚にも若干息を呑んでしまった。


 一言で言うなら、その雌は非常に美しかった(・・・・・)のだ。


 不本意ながら彼等一族の美醜の基準は人間のそれにかなり近い。つまりこの雌は人間の雄達にも美しいと思われているはずなのだ。年齢も成人はしているようだが、それでもかなり若い雌だ。

 ラサーヤナは増々不可解な気持ちとなった。

(何故このような美しい雌が、人間の町を離れてこんな所に1匹でいる? 人間の雄共が放っておかなそうな物だが……)

 少し離れた山の上に降り立ったラサーヤナは、他にする事が無かったのと何かでムシャクシャした気を紛らわせたい思いが重なって、しばらくその雌を観察する事にした。

 と、すぐに異変を察知した。

 人間の雌の背後に忍び寄る……黄色と黒の縞模様の獣。虎だ。明らかにあの人間の雌を狙っている。

 虎は巧みに茂みの中に身を隠しながら迫っている為、人間の雌は全く気付いていない。

(馬鹿め……! だから人間がこんな場所に1匹でいるなど自殺行為なのだ!)

 気付いた時には身体が勝手に動いていた。彼自身にも理解不能な衝動であった。


 人間の雌がようやく背後の虎に気付いた。勿論気付いた所でどうなるものでもない。雌は顔を青くしながら持っていた短剣のような物で必死に虎を牽制するが、そんな物でどうにかなるような相手ではない。

 虎が唸り声を上げながら雌に飛び掛かる。雌は観念したように身体を縮こまらせて目を瞑る。だが……

『そこまでだっ!!』

 間一髪、ラサーヤナは虎と雌の間に割り込む事に成功した。上空から翼をはためかせながら強引に着地する。

 彼の姿を見た虎は明らかに怯んだ。彼が威嚇すると、虎は頭を低くしながら向きを変えて一目散に逃げ去っていった。一族はあらゆる動物の頂点に立つ存在だ。本来今の虎が生物としてあるべき正しい反応なのである。

 なのに人間共は己が領分を踏み越えて、不遜にも一族への敬意を忘れ始めていた。


「あ……し、神獣……()?」


 雌が呆然としたような声を発した。ラサーヤナはゆっくりと振り返った。今の雌の声には驚きはあっても、嫌悪や恐怖の響きは感じなかった。

「人間の雌……俺が怖ろしくないのか?」

「私を助けて下さったんですよね? なら怖れる必要などありません。ああ……私などを神獣様がわざわざお救い下さった……。やはり私が正しかった」
 
 雌は怖れる所か、どこかしら感動さえしているような様子でラサーヤナの前にひざまずいた。

「お、おい……?」

「ああ、お会いできて嬉しゅうございます、神獣様。私、プラータと申します。どうぞお見知り置き下さいませ」

 雌――プラータは、そう言ってラサーヤナの足に口づけしそうな勢いであった。彼は慌てて押し留めた。

「待て待て、解った! もういい! それでお前はこんな所で一体何をしていたのだ? 人間が1匹で出歩くには些か町から遠すぎるようだが」

「それは……まさに神獣様のご一族についての見解で、国の者達と意見が対立してしまいまして……」

「何……?」

 ラサーヤナが『町』と呼んでいる場所は、実際には『国』であり、多くの人間達がそこで暮らしており、そこを治める『国王』もいるのだとか。
 
 そしてその『国』の総意はやはりラサーヤナ達神獣の一族を目の上の瘤と考え、彼等を排除し、自分達こそがこの世界の支配者になり替わろうとしているらしい。

 それを聞いたラサーヤナは、腸が煮えくり返る思いであった。

(やはり人間共は恩知らずにも我等への叛逆(・・)を企てていた……!)

 しかしそんな彼の思いを知らぬ気にプラータの話は続く。


「でも私はそんな国王や国民達に異を唱えたのです」

「……ん?」

「今の我々があるのは、全て神獣様の導きの賜物なのです。神獣様のご一族は今まで我等を守り導いて下さったというのに、国が大きくなった事でその恩を忘れ、あまつさえそれに成り代わろうなど不敬極まる大罪です」

「お前……」

「だから私は国王や国民にそう繰り返し訴えてきたのですが、聞き入れられる事はありませんでした。それどころか私は国や民を惑わす罪人として街を追われてしまいました」

「…………」
(なるほど、追放……。それがこのような美しい雌がこんな所に1匹でいた理由か)

「何とか神獣様にお会いできないかと歩き続けていたのですが、まさか本当に舞い降りてきて下さるなんて……。ああ、私はとても感激しています!」

 プラータが感極まって泣きそうに……いや、実際に涙を流していた。ラサーヤナはギョッとしてしまった。

「お、おい、泣くな! 解ったから泣くんじゃない! 人間の泣き声は耳障りだ!」

 何とか宥めすかしてから、彼は気になっていた事を聞いた。



「しかし追放という事は、お前住む場所や食料はどうするつもりなのだ?」

 人間は個体としてはかなりひ弱な生き物で、このような雌が単身生きていくにはどうしても衣食住がある程度揃った環境が必要になるはずだが……

「あ……そ、そうでした……。ど、どうしましょう、私……神獣様に会いたい一心で……」

 キョトンした風情から、質問の意味が理解できるにつれて見る見る顔色が青ざめていく。……どうやら何も考えていなかったらしい。

「あー……上から見えたんだが、この先の山の中腹に小屋のような物があったぞ? 恐らく過去にも何らかの事情でその『国』を追われた者がいたようだな」

 ラサーヤナはプラータに手を差し出した。

「雌の足では少々掛かる。お前さえ良ければだが……俺が連れて行ってやろう」

「え!? そ、そんな、恐れ多い……」

 慌てて平伏して辞退しようとするプラータだが、彼は苛立たしげに遮る。

「俺がいいと言っているのだ。で、お前はどうなんだ?」

「……! あ、ありがとうございます、神獣様。で、では、お願い出来ますか……?」

「ふん……最初から素直にそう言えば良いのだ。……では、しっかり掴まっていろよ?」

「は、はい…………ひぃ!?」

 まだ若干躊躇いながらラサーヤナに掴まったプラータだが、彼が翼を広げて宙に飛び上がると、畏敬など忘れたように悲鳴を上げて必死に彼の身体にしがみついた。


 ラサーヤナが上空まで飛び上がると、最初は恐れ慄いていたプラータだが、やがてその恐れも忘れて呆然として、眼下に広がる(・・・・・・)景色を見やった。


「な、何て……綺麗……。これが、私達が住む世界……」


 それは人間では決して見ることの出来ない景色。全てを俯瞰する神の視点と言えた。プラータが呆然となるのも無理はない。

「私達人間は……あんな狭い所で、この世の全てを支配しただの神に成り代わるだの言っていたのですね……」

 遙か遠方に小さく見える人間の『国』とやらを眺めながらプラータが呟いた。

「神獣様は普段からこのような視点で世界をご覧になられていたのですね。私達人間がさぞ愚かで滑稽に見えておられた事でしょう。……本当にお恥ずかしい限りでございます」

 プラータが一転してシュンとなって俯く。本当に感情が表に出やすい人間だ、とラサーヤナは少し可笑しくなった。

「ふ……そうだな。だが少なくともお前はその事を知って自省できた。ならば人間もまだまだ捨てたものでは無いのかも知れんな」

「し、神獣様……」

 プラータが感激したようにラサーヤナを仰ぎ見る。彼自身意外な事にそれは本心から出た言葉であった。彼は人間を嫌う余り、まともに接しようとさえしてこなかった。

 接する事で初めて分かる事もあるのだという、当たり前の事に彼は初めて気付いた。

 このプラータだって人間の一員なのだ。ならば案外話せば解ってくれるのではないか……。

(もしかしたらジャターユ達には最初からそれが解っていたのかも知れんな)

 そう思うと先程聖域で熱弁を奮っていたのが、恥ずかしくさえ思えてきたから不思議であった。


 すぐに件の小屋に到着した。山の中腹の開けた場所に建てられており、近くには沢もある。環境的には悪くない。小屋自体も簡素な物だが雨風を凌ぐには充分だろう。

「ここなら当座は凌げるだろう」

「ほ、本当に……何から何までありがとうございます、神獣様」

「いや、礼を言うのは俺の方かも知れん」

「え?」

 プラータが不思議そうにラサーヤナを見てくる。彼は若干照れくさそうに(くちばし)を掻いた。

「お前のお陰で、人間も話が通じる生き物なのだという事が解った。俺は今まで……少々頑なだったようだ」

「し、神獣様……」

「ラサーヤナだ」
「え……」

「俺の名前だ。神獣様などと呼ばれるのはどうもこそばゆい。ラサーヤナと呼んでくれればいい。と言うより、そう呼んで欲しい」

 プラータが一瞬恐縮しそうな雰囲気になったので、急いでそう付け加える。

「わ、解りました。そういう事であれば……ラ、ラサーヤナ……様」

 頑張って呼んでくれたが、それでも最後に様が付いてしまった。これは恐らく言っても直らないだろうなと理解した彼は、苦笑しながら妥協した。


「まあ、それで構わん。……それで、プラータよ。ここには水はあるが、食料を確保する手段はあるのか?」


 先程の虎への対応を見る限り、狩りで自給自足が出来るようには到底見えないが。ただこの山にも兎や山羊など無害な動物は生息している。もしそれらを狩る技術だけでもあれば……

「あ……わ、私、その……」
「…………」

 再び青ざめるその表情を見る限り、狩りの技術は絶望的のようだ。

「……では農耕、や牧畜、というのはどうなのだ? 元々お前達人間はそれによって急激に勢力を伸ばしたのだろう?」

「そ、それは……専門の者達が従事していて、私は、その……な、何も……」

「…………」
 つまり出来ないという事か。気まずい沈黙が辺りを支配した。


「……お前は一体、その『国』とやらで何をしていたのだ?」


 人間の社会では雌にも様々な役割があり、農耕などの定住の仕事は雌も分担しているのではなかったか。

「わ、私は、王女……つまり国王の娘なのです。お、王族というのは基本的に民に命令する立場で、そういった産業に直接従事する機会という物が余り無くて……その……」

「……つまり何も出来ないという訳だな?」
「うぅ……」

 居たたまれなくなったプラータが顔を覆ってしゃがみ込んでしまう。ラサーヤナは再び嘴を掻いた。

「ああ、もういい。当面の食料は俺が狩ってきてやる。お前はその間に自活できる能力を身につけるんだな。王女だか何だか知らんが、ここではお前は何も出来んただの雌に過ぎないからな」

「……! ラサーヤナ様……! あ、ありがとうございます! 私……頑張ります!」

 感激したように瞳を潤ませるプラータ。

「ふん、勘違いするなよ? 折角この俺が手ずから助けたというのに、飢え死にされるというのも馬鹿らしいと思っただけだからな?」

 そう言いながらもラサーヤナは、自らの行動が理解できなかった。確かに言った事は本当だ。だがそれだけではないような気がした。

 このプラータという人間の雌は、非常に美しいという事、彼を受け入れてくれた最初の人間である事。そしてどこか危なっかしい言動が妙に放っておけないと感じるのだ。

(俺は……どうしてしまったんだ?)

 自らの心の変化に戸惑うラサーヤナであった。
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