File17:トライ・ビースト

文字数 3,710文字

 ヴェロニカの危難に気付く余裕も無いまま、カーミラはフォルネウスとの闘いを続けていた。カーミラは戦闘形態を維持したまま高速で刀を振るうが、フォルネウスは元が獣とは思えない程の挙動でカーミラの刀を躱しつつ、前足の先に付いた鉤爪で反撃してくる。

(く……手強い!)

 どうやら『ディープ・ワン』と同一の技術で作られた怪物のようだが、少なくとも陸上での軽快な動きは鈍重な『ディープ・ワン』とは比べ物にならない。しかも普通の獣のように闇雲に突っ込んでは来ず、距離が離れると巧みに毒針を撃ち込んでこちらの動きを牽制するなど、意外と戦術的な戦い方をしてくるのも厄介だ。 

(こいつ……人型との戦い方を訓練(・・)されている……!?)

 そう感じる戦いにくさであった。しかしそれならそれで戦い様はある。何と言ってもカーミラは人間ではないのだから。

 彼女は翼をはためかせると一気に空へと飛び上がった。相手はあくまで四足獣である以上、上空からの攻撃には対処しづらいはずだ。毒針は撃ち落とす事ができる。制空権を取ってしまえばカーミラの有利は揺るがない。そう思って飛び上がったのだが……


 ――ギィェェェェェッ!!


「……っ!?」
 聞き覚えのある奇怪な叫び声と共に、空気を切り裂きながら無数の『刃』が飛来する!

「く……!!」
 恐ろしい速度で迫る『刃』にカーミラは慌てて対処を余儀なくされ、刀を縦横に振り回して何とか『刃』の奇襲を撃ち落とす事に成功した。だが『刃』に気を取られた隙を狙って、空中にいるカーミラの更に頭上を巨大な影が覆う。

「っ!?」

 咄嗟に上を向いたカーミラの目が驚愕に見開かれる。そこには暗い緑色の体毛を生やした堂々たる体躯の鳥人間が居たのだ。巨大な翼をはためかせて、頭上からその鉤爪で襲い掛かる。

 『刃』に対処したばかりで体勢が崩れていたカーミラは、振り下ろされる鉤爪を躱せずに自前の白い皮膜翼の片方を斬り裂かれてしまう。

「あぐぅ……!」

 苦痛に呻きながら地面に墜落するカーミラ。そこに待ち構えていたフォルネウスが襲い掛かってくる。

「く、う……!」
 カーミラは寝ている暇もなく、飛び起きるようにして鮫の噛み付きを躱した。そのまま牽制で刀を薙ぎ払うが、フォルネウスはひらりと身を躱して飛び退った。



「はぁ! はぁ! はぁ! ふぅ!」

 カーミラは肩で大きく息をしながら、地上と上空の2体(・・)の怪物を睨み付ける。新たに出現した鳥人間は、やはりナターシャの言っていた個体で間違いないだろう。しかもこいつの外見からしても、発散されている『陰の気』からしても、以前に戦った『長男』に匹敵するレベルの怪物である事を物語っている。

 カーミラの額を冷や汗が伝う。

(こいつもストーン・キャニオン湖の……!? どういう事? 一体何が起きているの!?)

 セネムが失敗したのだろうか。だがあのセネムに限ってという思いもある。


『ふぁはは、彼の名はスパルナ。かの『エーリアル』の最後の落胤ですよ』


「……っ! ヴェロニカ……!?」

 横から再び聞こえてきたムスタファの声に視線を向けたカーミラは、そこに映った光景に思わず動揺してしまう。

 その醜い腕に抱きかかえられているのは……ヴェロニカ。完全に意識を失った状態でムスタファに身を預けている。敵と戦うのに必死で気付かなかったが、いつの間に倒されたのか。気絶しているだけのようだが、いくらシャイターンとはいえ今のヴェロニカをこれ程あっさりと無力化できたとは信じられなかった。

 因みに巻き込まれたブリジットの姿は消えていた。どうやら無事に逃げ去ったらしい。


『ほら、余所見している暇はありませんよ?』
「……!」

 カーミラの意識が逸れた一瞬の隙を突いて、フォルネウスと鳥人――スパルナが攻めてくる。ヴェロニカの安否を気にしながらも応戦を余儀なくされる。

 しかし翼を片方切り裂かれてしまい即時の再生は難しいので、少なくともこの戦いの間は空中機動を封じられてしまった。

 フォルネウスの相手だけでも厳しい所に、上空からスパルナが的確に妨害を行ってくる。先程ヴェロニカと2人がかりでムスタファを追い詰めていたカーミラが、今度は自身が2対1で追い詰められる。

 必死に敵の攻撃を躱しながら刀を振るって反撃するが、そんな苦し紛れの牽制が通用する相手ではない。敵を倒すどころか、倒されないように粘るのが精一杯となっていた。


『んんー……中々しぶといですねぇ。このままでも勝ちは揺るがない気はしますが……()によると、むしろ追い詰められてからがあなたの本領発揮だそうですから、ここは駄目押しと行きましょうか』

 カーミラの苦闘を観戦していたムスタファが余裕ぶった口調で呟く。それを合図としたかのように、戦場となっている広場に新たな闖入者(・・・・・・)が出現した。

 それは茶髪で背が高く、美形の若い男であった。フォルネウスとスパルナが一旦距離を取って出来た一時的なインターバルに、荒い息を吐いて呼吸を整えようとしていたカーミラはその新たな乱入者を見やった。

 その美青年は大抵の女性が一目で参ってしまうような甘い笑顔で、ニッコリと彼女に笑いかけた。


「やあ、あなたがカーミラさん? 話に聞いてた通りの綺麗な人だね。俺はエリオット・マイヤーズ。俺の事は従妹のジェシカ(・・・・・・・)から聞いてるよね?」


「な……あ、あなたが!?」

 更に予想外の事態にカーミラは混乱の極致に陥る。エリオットがここにいるはずがないのだ。ジェシカと、そしてローラが現在その対処に当たっているはずなのだから。

(まさか、ローラ達まで失敗したとでも言うの……!? いや、そんなはずないわ! 何か……何かがおかしい!)

 セネムもローラも共に失敗して敵を取り逃がした? どちらか一方だけなら偶然でもあり得る。だが両方同時と言うのは考えられない。

「あんたに恨みはないけど、これもリーダーの意向でね。死んでもらうよ」
「っ!」

 しかしカーミラにはそれ以上突き詰めて考える時間は与えられなかった。エリオットの魔力が爆発的に膨れ上がり、その身体が急速に変化を遂げる。数舜の後に、そこには灰色の体毛に覆われた狼男がいた。

 あの『ルーガルー』に比べると細身で魔力の圧も少ないが、それはあくまで『ルーガルー』と比較しての話。ジェシカの言っていた通り、エリオットの強さは彼女を上回っているようだ。それはつまりカーミラとしても一切油断できない相手という事。

 1対1でもほぼ互角の相手と言えるが、更に今はフォルネウスとスパルナとも戦っている状態だ。極めてマズい状況にカーミラの冷や汗の量が増える。


「グルルルルゥ!!」

 だが動揺している暇さえ与えられない。エリオットが狼の唸りを上げて突進してきたのだ。

「く……!」
 咄嗟に刀を構えて迎撃の態勢を取る。恐ろしい速度で迫ってきたエリオットがその鋭い鉤爪を振り下ろしてくる。カーミラがカウンターでその腕に斬り付けようとすると、エリオットは振り下ろしを強引に止めて、もう一方の手で下から突き入れるように貫手を繰り出してきた。

「……ッ!」

 焦りからフェイントに引っ掛かってしまったカーミラは、慌てて上体ごと逸らすようにしてその貫手を回避するが、僅かに掠ってしまう。鮮血が飛び散った。

 カーミラは掠り傷を無視して強引に身体を回転させるように薙ぎ払いを仕掛けるが、エリオットは素早く飛び退って躱す。

 追撃を掛けようとするカーミラだが、そこにフォルネウスの毒針が飛来する。それを弾いた所に、上空からスパルナの降下攻撃。巨大な猛禽の爪が彼女を鷲掴みにせんと迫る。

 カーミラは歯噛みして刀でそれを牽制する。しかしそうして動きが止まった所に……

「ガゥゥゥッ!」

 地面を這うように低い姿勢で迫ったエリオットが地面に鉤爪を突き刺し、掬い上げた土砂をカーミラに叩きつける。

「……っ!」

 細かい衝撃が全身を打ち据え、一瞬視界が塞がれる。そこに間髪入れずエリオットの追撃。薙ぎ払われる鉤爪に、カーミラは半ば生存本能に任せた動きで身を反らせて回避した。しかし完全には躱しきれずに再び爪撃が掠る。

 体勢を立て直す暇も無く、フォルネウスが鮫の大口を開いてかぶり付いてくる。一回でもかぶり付かれたら恐らく獲物が死ぬまで離さないだろう。辛うじて視界を取り戻したカーミラは必死になって横っ飛びして、危うい所で噛み付きを躱した。

 しかし今度はそこを狙ってスパルナの『刃』が降ってくる。カーミラは驚異的な反応でいくつかの『刃』を弾き返すが、流石に全ては無理で、撃ち漏らした『刃』が彼女の身体を抉る。

「ぐぁ……!!」
 美しい白面が苦痛に歪む。しかしそれでも動きを止める訳には行かない。彼女は苦痛を押し殺して前転しながら何とか立ち上がる。
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