File15:抗う決意
文字数 3,319文字
「……ふぅ、とりあえず終わったわね。怪我はない、仔猫ちゃん?」
カーミラも『変身』を解いて、ローラの方に歩み寄ってくる。
「え、ええ、私は大丈夫よ。ありがとう、ミラーカ……いえ、カーミラと呼ぶべきかしら?」
カーミラが少し困ったような表情になる。
「その名前はもう捨て去ったの。出来ればミラーカと呼んで欲しいわ」
「そうなの? まあ私としてはそっちの方が馴染みがあるから問題ないけど。じゃあミラーカ。悪いけどこの手錠を外したいの。そこの……トミーの服に手錠の鍵があるはずよ」
トミーの名を口にした時、胸が苦しくなるような感覚を覚えた。ローラはグッと唇を噛みしめる。カーミラ……ミラーカは何も言わずに、抜け殻となったトミーの服を探って手錠の鍵を見つけてくれた。
「……きっと彼はあの時グールの牙を受けていたんでしょうね。グールには『マーキング』という特性があるの」
ローラの手錠を外しながらミラーカが説明する。ローラは自由になった手首を擦 る。
「以前にも言ってたわね。そのマーキングって一体何なの?」
「その名の通りよ。そのグールの主人である吸血鬼の注意を引き……居場所を特定されるの。いわゆる『唾を付けた』状態になるのよ。一度目を付けられたら抗う術はないわ。せめてもう少し早い段階で分かっていれば、対処のしようもあったんだけど……」
「…………」
トミーが最初に齧られた事を素直に報告していれば、或いはローラが『アルラウネ』でトミーの体調不良の事を伝えていれば……
ローラは頭を振る。たらればに意味はない。時間は戻せないのだ。トミーは死んだ。これは動かしようのない現実だ。
「誰の責任でもない。引いて言うならトミー自身も含めた私達全員の責任よ。こっちの事はこっちで何とかするわ。あなたこそ大丈夫なの、コレ……。完全に宣戦布告って事になるわよね?」
ミラーカはその美しい顔を悄然と伏せた。
「ええ……。シルヴィアが死んだ事でアンジェリーナは警戒するでしょうね。それだけならまだ良いけど、彼に……ヴラドに表に出てこられると、かなりまずいわね」
「……!」
ヴラド……。ミラーカの話を信じるなら、「あの」串刺し公ヴラド・ドラキュラ本人だという吸血鬼の親玉。
「そ、そうなの? あの女……シルヴィアをあっさり倒したんだし、ミラーカの強さだったら……」
戦い方次第では勝てるのでは? と続けようとしたが、ミラーカはすぐに首を横に振る。
「それが出来るならとっくにそうしているわ。ヴラドの恐ろしさは私が一番良く知っている。私達とは文字通り「格」が違うの。まともに戦って勝てる相手じゃないわ」
「な…………」
あれだけ圧倒的な強さでシルヴィアを屠ったミラーカが、これ程までに恐れるとは……。その事実にローラは改めて戦慄した。
「そ、それじゃ、あなたはこれからどうなるの!? どの道いずれはそのヴラドが出てくるんじゃ……」
「そうね。結局私の運命は変わっていない。でもあなたの事だけは助けたかった。これ以上私に関わった人間が死ぬのを防ぎたかったの。後はあなたが大人しく全てを忘れてくれれば、もう思い残す事はないわ」
「……ッ!」
ミラーカは最初から死を覚悟しているのだ。だからローラを助けるという名目で、奴等に自殺にも等しい戦いを挑む事が出来たのだ。
悲壮な決意に身を固めたミラーカ。そして彼女を思い留まらせる言葉を持たずに、ただそれを黙って見送るしかない自分……。『アルラウネ』の時から、何も状況は変わっていなかった。
「……ふざけないでよ」
思わず拳を握りしめるローラ。ミラーカはそんなローラの様子に戸惑う。
「仔猫ちゃん……?」
「もう思い残す事はない? ふざけないで! あなたは私を守って華々しく散ればそれで満足かも知れないけど、残された私はどうなるのよ!? 私の気持ちは!? 何もかも忘れてこの先生きていくなんて絶対無理! 無理なのよ!」
「で、でも、ヴラド相手じゃどっちみち……」
「うるさいっ! 最初から諦めてたら勝てる戦いにだって絶対に勝てないわよ!」
「あなたはヴラドの恐ろしさを知らないのよ!」
「ええ、知らないわよ! 私に解ってるのは、あなたが一度はそのヴラドを出し抜いたって事だけ」
「……!」
「一度出来た事が何故もう一度出来ないの!? ヴラドだって決して無敵じゃないって事でしょ!? 何か方法はあるはずよ!」
「あ、あなた……」
「言っとくけど、私は全て忘れて引き籠る事なんてしないわよ? これからも首を突っ込むわ。つまり私を守る為には、あなたも死ねないって事。困ったわね?」
「あなた、何故そこまで私の事を……? 私が死ねば『サッカー』の被害は収まるのよ? あなたがそこまでする理由はないはずよ」
「理由なんて知らないわよ。理屈じゃないの。ただ私があなたに死んで欲しくないってだけ。それじゃご不満?」
「…………」
ミラーカが半ば呆れたような表情で絶句する。それからその身体が小刻みに震え出した。どうやら……笑っているようだ。
「……全く、あなたも物好きね、仔猫ちゃん」
「その仔猫ちゃんっていうの、くすぐったいからやめて頂戴。私にはローラ・ギブソンっていう名前があるの」
「ッ!? ロ、ローラ? ローラですって!?」
「え? ええ、そうよ?」
そう言えば正式に名乗ったのは初めてだった気がする。だが驚愕したようなミラーカの様子が気に掛かった。そんな変な名前でもないはずだが……
ミラーカは何故か天を仰ぐような仕草を取った。
「ふ、ふふ……一体どんな運命の悪戯かしらね? その名前を持つ者が再び私の前に現れる……。これが二度目の転機だと言うの……?」
「あ、あの、ミラーカ? どうしたの? 私の名前が何か?」
1人で納得したようにぶつぶつ呟いているミラーカの姿を不審に思って声を掛けると、彼女はハッとしたようにローラの方に向き直った。
「あ……い、いえ、何でもないのよ。昔、同じ名前の知り合いがいたものだから……。仔猫……いえ、ローラ。あなたの『熱意』には負けたわ。私に何が出来るか解らないけど、精一杯足掻いてみるわ。それでいいかしら?」
「ミラーカ……ありがとう。勿論私も最大限協力するわ。何とか奴等を出し抜く方法を考えましょう!」
やっとその気になってくれたミラーカに喜んだローラは、手を差し出す。ミラーカは苦笑しながらもその手をしっかり握り返してくれた。極度の冷え性であるかのように凄く冷たい手だったが、これもミラーカの「特徴」なのだ、とローラは気にせずに握り返した。
「と言っても、正直どうしたものか……」
「やっぱりあなたが過去にどうやってヴラドを出し抜いたのか……。それを聞かない事には始まらないわね」
「あれは……無理よ。もう二度と出来ないし、するつもりもないわ」
「? まあ、出来るか出来ないかはともかく、話だけは聞かせて頂戴。直接その方法が使えなくても、何かしら現状を打破するヒントがあるかも知れないわ」
「あら、そうしてると本当に刑事みたいね?」
「あの……私一応本当に刑事なんだけど?」
「うふふ、解ってるわ。ちょっとからかっただけよ。……そうね。話すのは良いけど、ここじゃちょっと落ち着かないわね。明日の夜にまた『アルラウネ』に来て頂戴。そこで全て話すわ」
「『アルラウネ』に? ……解った、必ず行くわ」
ここでの話は済んだ事を察したローラは、トミーの服からバッジと銃を回収する。トミーが死んだ事はどうしても報告しなければならない。こんな滑稽無糖な話を信じてくれる者はいないだろう。それによって彼女にどのような処分が下されるか……。
捜査から外され、休職させられる可能性が高い。だがそれでも報告しない訳にはいかなかった。それは相棒としての最後の務めだった。
カーミラも『変身』を解いて、ローラの方に歩み寄ってくる。
「え、ええ、私は大丈夫よ。ありがとう、ミラーカ……いえ、カーミラと呼ぶべきかしら?」
カーミラが少し困ったような表情になる。
「その名前はもう捨て去ったの。出来ればミラーカと呼んで欲しいわ」
「そうなの? まあ私としてはそっちの方が馴染みがあるから問題ないけど。じゃあミラーカ。悪いけどこの手錠を外したいの。そこの……トミーの服に手錠の鍵があるはずよ」
トミーの名を口にした時、胸が苦しくなるような感覚を覚えた。ローラはグッと唇を噛みしめる。カーミラ……ミラーカは何も言わずに、抜け殻となったトミーの服を探って手錠の鍵を見つけてくれた。
「……きっと彼はあの時グールの牙を受けていたんでしょうね。グールには『マーキング』という特性があるの」
ローラの手錠を外しながらミラーカが説明する。ローラは自由になった手首を
「以前にも言ってたわね。そのマーキングって一体何なの?」
「その名の通りよ。そのグールの主人である吸血鬼の注意を引き……居場所を特定されるの。いわゆる『唾を付けた』状態になるのよ。一度目を付けられたら抗う術はないわ。せめてもう少し早い段階で分かっていれば、対処のしようもあったんだけど……」
「…………」
トミーが最初に齧られた事を素直に報告していれば、或いはローラが『アルラウネ』でトミーの体調不良の事を伝えていれば……
ローラは頭を振る。たらればに意味はない。時間は戻せないのだ。トミーは死んだ。これは動かしようのない現実だ。
「誰の責任でもない。引いて言うならトミー自身も含めた私達全員の責任よ。こっちの事はこっちで何とかするわ。あなたこそ大丈夫なの、コレ……。完全に宣戦布告って事になるわよね?」
ミラーカはその美しい顔を悄然と伏せた。
「ええ……。シルヴィアが死んだ事でアンジェリーナは警戒するでしょうね。それだけならまだ良いけど、彼に……ヴラドに表に出てこられると、かなりまずいわね」
「……!」
ヴラド……。ミラーカの話を信じるなら、「あの」串刺し公ヴラド・ドラキュラ本人だという吸血鬼の親玉。
「そ、そうなの? あの女……シルヴィアをあっさり倒したんだし、ミラーカの強さだったら……」
戦い方次第では勝てるのでは? と続けようとしたが、ミラーカはすぐに首を横に振る。
「それが出来るならとっくにそうしているわ。ヴラドの恐ろしさは私が一番良く知っている。私達とは文字通り「格」が違うの。まともに戦って勝てる相手じゃないわ」
「な…………」
あれだけ圧倒的な強さでシルヴィアを屠ったミラーカが、これ程までに恐れるとは……。その事実にローラは改めて戦慄した。
「そ、それじゃ、あなたはこれからどうなるの!? どの道いずれはそのヴラドが出てくるんじゃ……」
「そうね。結局私の運命は変わっていない。でもあなたの事だけは助けたかった。これ以上私に関わった人間が死ぬのを防ぎたかったの。後はあなたが大人しく全てを忘れてくれれば、もう思い残す事はないわ」
「……ッ!」
ミラーカは最初から死を覚悟しているのだ。だからローラを助けるという名目で、奴等に自殺にも等しい戦いを挑む事が出来たのだ。
悲壮な決意に身を固めたミラーカ。そして彼女を思い留まらせる言葉を持たずに、ただそれを黙って見送るしかない自分……。『アルラウネ』の時から、何も状況は変わっていなかった。
「……ふざけないでよ」
思わず拳を握りしめるローラ。ミラーカはそんなローラの様子に戸惑う。
「仔猫ちゃん……?」
「もう思い残す事はない? ふざけないで! あなたは私を守って華々しく散ればそれで満足かも知れないけど、残された私はどうなるのよ!? 私の気持ちは!? 何もかも忘れてこの先生きていくなんて絶対無理! 無理なのよ!」
「で、でも、ヴラド相手じゃどっちみち……」
「うるさいっ! 最初から諦めてたら勝てる戦いにだって絶対に勝てないわよ!」
「あなたはヴラドの恐ろしさを知らないのよ!」
「ええ、知らないわよ! 私に解ってるのは、あなたが一度はそのヴラドを出し抜いたって事だけ」
「……!」
「一度出来た事が何故もう一度出来ないの!? ヴラドだって決して無敵じゃないって事でしょ!? 何か方法はあるはずよ!」
「あ、あなた……」
「言っとくけど、私は全て忘れて引き籠る事なんてしないわよ? これからも首を突っ込むわ。つまり私を守る為には、あなたも死ねないって事。困ったわね?」
「あなた、何故そこまで私の事を……? 私が死ねば『サッカー』の被害は収まるのよ? あなたがそこまでする理由はないはずよ」
「理由なんて知らないわよ。理屈じゃないの。ただ私があなたに死んで欲しくないってだけ。それじゃご不満?」
「…………」
ミラーカが半ば呆れたような表情で絶句する。それからその身体が小刻みに震え出した。どうやら……笑っているようだ。
「……全く、あなたも物好きね、仔猫ちゃん」
「その仔猫ちゃんっていうの、くすぐったいからやめて頂戴。私にはローラ・ギブソンっていう名前があるの」
「ッ!? ロ、ローラ? ローラですって!?」
「え? ええ、そうよ?」
そう言えば正式に名乗ったのは初めてだった気がする。だが驚愕したようなミラーカの様子が気に掛かった。そんな変な名前でもないはずだが……
ミラーカは何故か天を仰ぐような仕草を取った。
「ふ、ふふ……一体どんな運命の悪戯かしらね? その名前を持つ者が再び私の前に現れる……。これが二度目の転機だと言うの……?」
「あ、あの、ミラーカ? どうしたの? 私の名前が何か?」
1人で納得したようにぶつぶつ呟いているミラーカの姿を不審に思って声を掛けると、彼女はハッとしたようにローラの方に向き直った。
「あ……い、いえ、何でもないのよ。昔、同じ名前の知り合いがいたものだから……。仔猫……いえ、ローラ。あなたの『熱意』には負けたわ。私に何が出来るか解らないけど、精一杯足掻いてみるわ。それでいいかしら?」
「ミラーカ……ありがとう。勿論私も最大限協力するわ。何とか奴等を出し抜く方法を考えましょう!」
やっとその気になってくれたミラーカに喜んだローラは、手を差し出す。ミラーカは苦笑しながらもその手をしっかり握り返してくれた。極度の冷え性であるかのように凄く冷たい手だったが、これもミラーカの「特徴」なのだ、とローラは気にせずに握り返した。
「と言っても、正直どうしたものか……」
「やっぱりあなたが過去にどうやってヴラドを出し抜いたのか……。それを聞かない事には始まらないわね」
「あれは……無理よ。もう二度と出来ないし、するつもりもないわ」
「? まあ、出来るか出来ないかはともかく、話だけは聞かせて頂戴。直接その方法が使えなくても、何かしら現状を打破するヒントがあるかも知れないわ」
「あら、そうしてると本当に刑事みたいね?」
「あの……私一応本当に刑事なんだけど?」
「うふふ、解ってるわ。ちょっとからかっただけよ。……そうね。話すのは良いけど、ここじゃちょっと落ち着かないわね。明日の夜にまた『アルラウネ』に来て頂戴。そこで全て話すわ」
「『アルラウネ』に? ……解った、必ず行くわ」
ここでの話は済んだ事を察したローラは、トミーの服からバッジと銃を回収する。トミーが死んだ事はどうしても報告しなければならない。こんな滑稽無糖な話を信じてくれる者はいないだろう。それによって彼女にどのような処分が下されるか……。
捜査から外され、休職させられる可能性が高い。だがそれでも報告しない訳にはいかなかった。それは相棒としての最後の務めだった。