第10話 アナタ
文字数 2,267文字
キララがルリハに目配せをする。それを受けてルリハもまたキララと同じような顔で頷く。
「えっ、僕なんか変なこと言った……?」
響はふたりを交互に見つめながら大量の疑問符を生成するしかない。
しかしそれで我に返ったと見えて、キララは可憐な雰囲気と笑顔を取り戻し、ルリハもまた軽く咳払いをしてごまかしにかかった。
「あはは、全然そんなコトないよ響クン。さ、行こ~♡」
そう言ってキララが響のうしろに回り背を押してくる。言わずもがな力が強く、響はつんのめりそうになりながらも歩みを再開するしかなかった。
「響さん。分かっているとは思うけれど、念のために言っておきます。私たちヤミ属は任務外で生物と干渉してはいけません。何があっても」
それでも視界から外れるまで乃絵莉を見ていると、今度はルリハに釘を刺された。
傍らを歩くアスカは無言ながら心配そうに見下ろしてくる。だから首を前方へ戻した響は頷くしかないのだ。
「大丈夫です、……分かってます」
ヤミ属は生物の死を守るために存在する。逆を言えば生物の死以外を守ってはならないのがヤミ属だ。
特に彼らの生き方に干渉して働きかけることは生物の自由を制限し、下手をすれば運命を捻じ曲げ、契約した寿命すら反故させかねない。
それゆえ響も乃絵莉に干渉しようとは思わなかった。現実を受け入れるしかなかった。
――そもそも自分は。乃絵莉にとって、もはや家族ではないのだから。
「響さんの父親、調べるわよ」
人気のない場所にたどり着き、別れの挨拶を交わしては響とアスカがヤミ属界へ帰還したあと。そこに留まったままルリハが言う。
その涼やかな面に浮かぶのは先ほど響へ不意に見せたものと同じ――ヤミ属執行者としての表情だ。
キララもやはり同じ表情を浮かべながら頷く。
「ひたすら歩いて探すよりずっと近くにあったね、足がかり」
「そうね。まだ決まったわけではないけれど、もし彼の父親も〝そう〟なら……」
「うん。乃絵莉ちゃんも危ないかも知れない」
いつからだろう。心にぽっかりと穴が空いている気がします。
『大切な人がいた気がするけど思い出せない』ってトモダチに言ったら『マンガの読みすぎだよ』って笑われました。
でも、本当なんです。ちょっとしたことで熱を出してしまうくらい身体が弱い私を、じいちゃんばあちゃんの他に、心から心配してくれた人がいたんです。
けれどその大切な人が、どうしても思い出せないんです。
じいちゃんばあちゃんにも話したけれど、また笑われました。『生まれてから今まで病気なんかしたことないでしょ』って言われました。
確かにそうなんです。私、すごく身体が強いんです。だから私の体調を心配してくれた人なんているはずないんです。
でも、でも。
確かにいたんです。なのにどうしても思い出せないんです。ムリに思い出そうとすると頭にモヤがかかったみたいになってしまうんです。
この世界にいないのに私の心のなかにいる〝あなた〟は誰ですか?
会いたいです。
ワガママを言って甘えたいです。
頭を撫でられたいです。
「大丈夫だよ」って笑いかけられたいです。
『おーい、ナンパ中ですよ。そんな暗い顔してどーしたのぉ? ダイジョーブダイジョーブとりあえず笑って? カワイー女の子は笑って素直に頷いときゃシアワセになれんだから』
あ。
『ってわけでどう? たくさん甘えさせてあげっからさぁ、今からオレと一緒遊ばない?』
――もしかしてあなたが、〝あなた〟ですか?
今日も〝窓〟で家族だった人たちを眺めている。
祖母だった人の涙、祖父だった人の苦渋。そして妹だった乃絵莉のエスカレートしていく振る舞いを響は見つめている。
日本の現在時刻は平日の朝。もはや高校も休みがちになった乃絵莉は今日、初めて朝帰りをした。
響は直前まで〝魂魄執行〟の任務を遂行していたため、乃絵莉が夜中どこにいて何をしていたかは分からない。
しかし日が昇るころに帰宅したのは明白だ。帰ってこない孫娘が心配で一睡もしていなかったらしい祖父母は、彼女が帰ってくるや否やまた玄関先で言い合いを始めた。
「……」
〝窓〟には音声がないので内容は不明だ。だが、祖父母が何を口にしているかは想像できる。
しかし乃絵莉がそれにどう返しているかは分からない。否、パターンを考えることはできるのだが、それらは響の知る乃絵莉とどうしても結びつかないのだ。
「響……大丈夫っ、でヤンスか?」
明かりもつけず暗い自室で〝窓〟を眺め続けるだけの響が心配になったか、魂魄に格納していたユエ助が自ら出てくる。
響はユエ助の声にハッと目をみはり、傍らで己を見上げるつぶらな瞳に気づけば少々の間のあとで笑みを浮かべた。
「ユエ助、大丈夫だよ。ありがとう」
言えばユエ助は安心したのか浮遊する身体を響に寄せ、その胸に収まってきた。
ふわん、むにん。相変わらずモチのような極上の感触だ。だから心が少しばかり和む。しかしユエ助を撫で、他愛のない話をしながらも響の視線は〝窓〟へ戻っていた。
一方的に言い合いを切って部屋へと駆け上がっていく乃絵莉。もう限界だと言わんばかりに追いかけ、しかしドアの鍵に阻まれてドアの外から叱責を続ける祖父。泣き崩れる祖母。
響は唇を噛む。どうにかしたい。自分がいれば解決できると高をくくっているわけではないが、見ているだけで何もできない自分がとにかく腹立たしい。
乃絵莉。兄だった自分には少しだけワガママだったけれど、素直で優しかった妹。
だが――自分はもう、何もしてあげられないのだ。
「えっ、僕なんか変なこと言った……?」
響はふたりを交互に見つめながら大量の疑問符を生成するしかない。
しかしそれで我に返ったと見えて、キララは可憐な雰囲気と笑顔を取り戻し、ルリハもまた軽く咳払いをしてごまかしにかかった。
「あはは、全然そんなコトないよ響クン。さ、行こ~♡」
そう言ってキララが響のうしろに回り背を押してくる。言わずもがな力が強く、響はつんのめりそうになりながらも歩みを再開するしかなかった。
「響さん。分かっているとは思うけれど、念のために言っておきます。私たちヤミ属は任務外で生物と干渉してはいけません。何があっても」
それでも視界から外れるまで乃絵莉を見ていると、今度はルリハに釘を刺された。
傍らを歩くアスカは無言ながら心配そうに見下ろしてくる。だから首を前方へ戻した響は頷くしかないのだ。
「大丈夫です、……分かってます」
ヤミ属は生物の死を守るために存在する。逆を言えば生物の死以外を守ってはならないのがヤミ属だ。
特に彼らの生き方に干渉して働きかけることは生物の自由を制限し、下手をすれば運命を捻じ曲げ、契約した寿命すら反故させかねない。
それゆえ響も乃絵莉に干渉しようとは思わなかった。現実を受け入れるしかなかった。
――そもそも自分は。乃絵莉にとって、もはや家族ではないのだから。
「響さんの父親、調べるわよ」
人気のない場所にたどり着き、別れの挨拶を交わしては響とアスカがヤミ属界へ帰還したあと。そこに留まったままルリハが言う。
その涼やかな面に浮かぶのは先ほど響へ不意に見せたものと同じ――ヤミ属執行者としての表情だ。
キララもやはり同じ表情を浮かべながら頷く。
「ひたすら歩いて探すよりずっと近くにあったね、足がかり」
「そうね。まだ決まったわけではないけれど、もし彼の父親も〝そう〟なら……」
「うん。乃絵莉ちゃんも危ないかも知れない」
いつからだろう。心にぽっかりと穴が空いている気がします。
『大切な人がいた気がするけど思い出せない』ってトモダチに言ったら『マンガの読みすぎだよ』って笑われました。
でも、本当なんです。ちょっとしたことで熱を出してしまうくらい身体が弱い私を、じいちゃんばあちゃんの他に、心から心配してくれた人がいたんです。
けれどその大切な人が、どうしても思い出せないんです。
じいちゃんばあちゃんにも話したけれど、また笑われました。『生まれてから今まで病気なんかしたことないでしょ』って言われました。
確かにそうなんです。私、すごく身体が強いんです。だから私の体調を心配してくれた人なんているはずないんです。
でも、でも。
確かにいたんです。なのにどうしても思い出せないんです。ムリに思い出そうとすると頭にモヤがかかったみたいになってしまうんです。
この世界にいないのに私の心のなかにいる〝あなた〟は誰ですか?
会いたいです。
ワガママを言って甘えたいです。
頭を撫でられたいです。
「大丈夫だよ」って笑いかけられたいです。
『おーい、ナンパ中ですよ。そんな暗い顔してどーしたのぉ? ダイジョーブダイジョーブとりあえず笑って? カワイー女の子は笑って素直に頷いときゃシアワセになれんだから』
あ。
『ってわけでどう? たくさん甘えさせてあげっからさぁ、今からオレと一緒遊ばない?』
――もしかしてあなたが、〝あなた〟ですか?
今日も〝窓〟で家族だった人たちを眺めている。
祖母だった人の涙、祖父だった人の苦渋。そして妹だった乃絵莉のエスカレートしていく振る舞いを響は見つめている。
日本の現在時刻は平日の朝。もはや高校も休みがちになった乃絵莉は今日、初めて朝帰りをした。
響は直前まで〝魂魄執行〟の任務を遂行していたため、乃絵莉が夜中どこにいて何をしていたかは分からない。
しかし日が昇るころに帰宅したのは明白だ。帰ってこない孫娘が心配で一睡もしていなかったらしい祖父母は、彼女が帰ってくるや否やまた玄関先で言い合いを始めた。
「……」
〝窓〟には音声がないので内容は不明だ。だが、祖父母が何を口にしているかは想像できる。
しかし乃絵莉がそれにどう返しているかは分からない。否、パターンを考えることはできるのだが、それらは響の知る乃絵莉とどうしても結びつかないのだ。
「響……大丈夫っ、でヤンスか?」
明かりもつけず暗い自室で〝窓〟を眺め続けるだけの響が心配になったか、魂魄に格納していたユエ助が自ら出てくる。
響はユエ助の声にハッと目をみはり、傍らで己を見上げるつぶらな瞳に気づけば少々の間のあとで笑みを浮かべた。
「ユエ助、大丈夫だよ。ありがとう」
言えばユエ助は安心したのか浮遊する身体を響に寄せ、その胸に収まってきた。
ふわん、むにん。相変わらずモチのような極上の感触だ。だから心が少しばかり和む。しかしユエ助を撫で、他愛のない話をしながらも響の視線は〝窓〟へ戻っていた。
一方的に言い合いを切って部屋へと駆け上がっていく乃絵莉。もう限界だと言わんばかりに追いかけ、しかしドアの鍵に阻まれてドアの外から叱責を続ける祖父。泣き崩れる祖母。
響は唇を噛む。どうにかしたい。自分がいれば解決できると高をくくっているわけではないが、見ているだけで何もできない自分がとにかく腹立たしい。
乃絵莉。兄だった自分には少しだけワガママだったけれど、素直で優しかった妹。
だが――自分はもう、何もしてあげられないのだ。