第10話 神域~ヤミ属界案内~
文字数 2,716文字
裁定領域のさらに内側は予想に反して何もなかった。
広大な領域の地を埋めるのは白床のみ。裁定神殿との境界に等間隔で石像のごとく直立するガーディアンらがいるだけの空間だった。
ヤミ神という本物の神様がいるのだ、さぞ立派で荘厳な何かがあるのだろうと思っていた響は、拍子抜けをして傍らのヴァイスを見上げる。それを知ってか知らずかヴァイスは「ヤミ神についてもう少し話そう」と講釈モードになった。
「先にも言ったように、ヤミ神はこの星の地そのものだ。
気が遠くなるほどの大昔に産声を上げたこの星は、時を経るなかで天と地に分かれた。
そのうちの地がヤミ神でね、天であるヒカリ神との間に生まれた子どもが生物なんだ」
「……生物がヤミ神とヒカリ神の子ども、ですか」
「そうだよ。生物は紛れもなく神との間に生まれた。
こう言うと君にはフィクションのように聞こえるかも知れないが、〝生物は天地の狭間で誕生した〟と表現すれば普通だろう?」
「あ、確かに。そういえば絵本にも同じようなことが描いてあったっけ」
ヴァイスやアスカと出かける前に読んでいた絵本のことを思い出す。
宇宙に生まれたひとつの星。あるとき淋しくなったがゆえに天と地のふたつに分かれて、その天地の間に子どもが生まれたと。
「あれは教育絵本でもあるからね。
ちなみに、さっきエンラ様が響くんに『双神の血が幾分か濃い』と仰ったが、あれは君がただの生物だったときから他の生物より双神の血を少しだけ濃く受け継いでいる――つまり霊的感度が高いことを意味している」
「霊的感度……霊感のことですか? 僕、幽霊とか全然見たことないんですが」
「霊的感度にも種類と度合いがあるから、神の血を濃く引いたからといって皆が霊体を捉えられるわけでもない。
そもそも生物たちが連鎖を途方もなく続けた今では、生物の肉体に流れる神の血はほぼ存在しないと言っても過言でないくらいに薄まっている。それと比べての話だからね。
そんななかで君はほんの少し双神に近く生まれてきた――小さな〝原初返り〟を起こしたとも言いかえられるが、君の身に起こった奇跡にはそれが少なからず関係してるんじゃないかと私たちは憶測している。まあ、無関係かも知れないが」
「……、」
「話が脱線してしまった。そう、ヤミ神とヒカリ神の双神は生物にとって原初の親だ。
そのうちヤミ神はこの星の地そのもの――大半の生物の生活の場であり、生物の最期にはその亡骸をも抱く。
そういう意味であれば、君は既にヤミ神にお会いしていることになる。現在進行系で胸に抱かれてもいるだろう。だから正しく言うならば、今からお目にかかるのはヤミ神の神核だよ」
「し、しんかく。心臓みたいなものでしょうか?」
「うーん、人間で言うなら頭脳の方が適切かな。星の実際的な心臓はマントルの奥にある内核だからね」
意外と現実的な答えが返ってきて響は思わず笑ってしまう。
ヤミ属界に来てからというもの非現実的な話ばかりだったが、先ほどのエンマ大王の話と同様、響が持っている知識とふと繋がるときがある。それが面白かったのだ。
「以前の僕だったらフィクションとしか思わなかっただろうけど、今だと信じざるを得ないです。
今からお会いするのは神様で、生物の親で、この星の地そのものかぁ……。
でもあれ? 神たちの子どもが生物なら、ヤミ属って何ですか? 名前的にヤミ属こそヤミ神の子どもってイメージなんですが」
不意に疑問が持ち上がって問えばヴァイスは「ああ」と気がついたように声を上げる。
「!」
しかし。あいにく以降は立ち消えとなった。何もなかったはずの目の前の空間が炎のように突如揺らめき出したからだ。
「……、」
響が見上げる前で揺らめく空間は何かを形作っていく。やがて顕現したそれは高くそびえ建つ漆黒の塔に見えた。だが依然として炎のように全体の像は立ち上ったままだ。
響が口を開けて茫然としていると、そこからふたりの女性体が現れた。
どちらも同じ背格好、黒髪、黒を基調とする似たようなローブ姿ではあるが、ひとりは薄布で目を隠し、ひとりは口を隠していた。
「神塔顕現、入域を許可いたします。ヴァイス殿、響殿」
「わたくしどもはヤミ神の神託者、神託により神と執行者を繋げし者。そちらがヤーシュナ、こちらがアウラーエでございます」
「エンラスーロイ様からお話うかがっておりまする。どうぞ御前へ」
一言たりとも口を聞いてはいけない厳かな雰囲気は、果たして彼女たちから発されるものか。それとも背後の神塔から発されるものか。
いずれにしろヴァイス共々促されるまま歩を進めた響は返事をするという選択肢をすっかり失念していた。
ヴァイスに続き、揺らめき立ち上る漆黒の塔へ恐る恐る足を踏み入れる。それだけのことが重労働に感じてしまう。
裁定神殿同様、外観と矛盾するほど広大な内部には華美な装飾はなく、奥にもうひとつ大きな扉があるのみだ。
歩くごとに響くカツンカツンという音ですら彩りのように思えてしまうほどに質素ながら、荘厳さと神聖さが痛いほどに感じられて溺れそうになっている。
息がしづらい。冷や汗が全身を濡らしている。
「あー、人の子やっと来たぁ!」
と、そんなときだ。少女が突然視界に現れた。
年のころ五歳くらいだろうか。黒の長髪、好奇心によく動く瞳は紫と銀が混じった色をしている。
トテトテ響に走り寄り、ヤーシュナやアウラーエと同じ黒髪を跳ねさせ、勢いのままに響へ飛びついてきた。
「おわ……!?」
「わぁ~すごく、ぽかぽかな匂いが、するー」
うっとりとした声で腿に頬ずりをしてくる様は可愛らしい。
しかし何故この場所に似つかわしくない少女がいるのだろう。加えて突然懐かれて響は狼狽するしかなかった。
まさかこの子がヤミ神――!?
「これ、ラブ。離れなさい」
――そんなことはなかった。
「ごめんなさいね。あなたが来ると知ってからとてもワクワクしてしまって……」
「い、いえ。おかげで緊張も少し和らぎました」
ヤーシュナにたしなめられ、ラブと呼ばれた少女は口を尖らせつつも身を引いた。
頭を下げるアウラーエに響がフォローを入れると、彼女は見えている目元を緩ませながら微笑んでくれたのでさらに緊張が解けた。それでもリラックス状態にはほど遠かったが。
ラブが響たちのもとを離れ、ヤーシュナとアウラーエが巨大も巨大な大扉の前で何やら唱え出すと、重々しい扉は同時にその身を開く。
「――」
途端、響は呼吸を忘れた。すべての感覚は目の前の光景を認識するためだけに使われ、身体中を濡らしていた冷や汗の気持ち悪さ、呼吸のできない苦しさすら置き去りになってしまった。
広大な領域の地を埋めるのは白床のみ。裁定神殿との境界に等間隔で石像のごとく直立するガーディアンらがいるだけの空間だった。
ヤミ神という本物の神様がいるのだ、さぞ立派で荘厳な何かがあるのだろうと思っていた響は、拍子抜けをして傍らのヴァイスを見上げる。それを知ってか知らずかヴァイスは「ヤミ神についてもう少し話そう」と講釈モードになった。
「先にも言ったように、ヤミ神はこの星の地そのものだ。
気が遠くなるほどの大昔に産声を上げたこの星は、時を経るなかで天と地に分かれた。
そのうちの地がヤミ神でね、天であるヒカリ神との間に生まれた子どもが生物なんだ」
「……生物がヤミ神とヒカリ神の子ども、ですか」
「そうだよ。生物は紛れもなく神との間に生まれた。
こう言うと君にはフィクションのように聞こえるかも知れないが、〝生物は天地の狭間で誕生した〟と表現すれば普通だろう?」
「あ、確かに。そういえば絵本にも同じようなことが描いてあったっけ」
ヴァイスやアスカと出かける前に読んでいた絵本のことを思い出す。
宇宙に生まれたひとつの星。あるとき淋しくなったがゆえに天と地のふたつに分かれて、その天地の間に子どもが生まれたと。
「あれは教育絵本でもあるからね。
ちなみに、さっきエンラ様が響くんに『双神の血が幾分か濃い』と仰ったが、あれは君がただの生物だったときから他の生物より双神の血を少しだけ濃く受け継いでいる――つまり霊的感度が高いことを意味している」
「霊的感度……霊感のことですか? 僕、幽霊とか全然見たことないんですが」
「霊的感度にも種類と度合いがあるから、神の血を濃く引いたからといって皆が霊体を捉えられるわけでもない。
そもそも生物たちが連鎖を途方もなく続けた今では、生物の肉体に流れる神の血はほぼ存在しないと言っても過言でないくらいに薄まっている。それと比べての話だからね。
そんななかで君はほんの少し双神に近く生まれてきた――小さな〝原初返り〟を起こしたとも言いかえられるが、君の身に起こった奇跡にはそれが少なからず関係してるんじゃないかと私たちは憶測している。まあ、無関係かも知れないが」
「……、」
「話が脱線してしまった。そう、ヤミ神とヒカリ神の双神は生物にとって原初の親だ。
そのうちヤミ神はこの星の地そのもの――大半の生物の生活の場であり、生物の最期にはその亡骸をも抱く。
そういう意味であれば、君は既にヤミ神にお会いしていることになる。現在進行系で胸に抱かれてもいるだろう。だから正しく言うならば、今からお目にかかるのはヤミ神の神核だよ」
「し、しんかく。心臓みたいなものでしょうか?」
「うーん、人間で言うなら頭脳の方が適切かな。星の実際的な心臓はマントルの奥にある内核だからね」
意外と現実的な答えが返ってきて響は思わず笑ってしまう。
ヤミ属界に来てからというもの非現実的な話ばかりだったが、先ほどのエンマ大王の話と同様、響が持っている知識とふと繋がるときがある。それが面白かったのだ。
「以前の僕だったらフィクションとしか思わなかっただろうけど、今だと信じざるを得ないです。
今からお会いするのは神様で、生物の親で、この星の地そのものかぁ……。
でもあれ? 神たちの子どもが生物なら、ヤミ属って何ですか? 名前的にヤミ属こそヤミ神の子どもってイメージなんですが」
不意に疑問が持ち上がって問えばヴァイスは「ああ」と気がついたように声を上げる。
「!」
しかし。あいにく以降は立ち消えとなった。何もなかったはずの目の前の空間が炎のように突如揺らめき出したからだ。
「……、」
響が見上げる前で揺らめく空間は何かを形作っていく。やがて顕現したそれは高くそびえ建つ漆黒の塔に見えた。だが依然として炎のように全体の像は立ち上ったままだ。
響が口を開けて茫然としていると、そこからふたりの女性体が現れた。
どちらも同じ背格好、黒髪、黒を基調とする似たようなローブ姿ではあるが、ひとりは薄布で目を隠し、ひとりは口を隠していた。
「神塔顕現、入域を許可いたします。ヴァイス殿、響殿」
「わたくしどもはヤミ神の神託者、神託により神と執行者を繋げし者。そちらがヤーシュナ、こちらがアウラーエでございます」
「エンラスーロイ様からお話うかがっておりまする。どうぞ御前へ」
一言たりとも口を聞いてはいけない厳かな雰囲気は、果たして彼女たちから発されるものか。それとも背後の神塔から発されるものか。
いずれにしろヴァイス共々促されるまま歩を進めた響は返事をするという選択肢をすっかり失念していた。
ヴァイスに続き、揺らめき立ち上る漆黒の塔へ恐る恐る足を踏み入れる。それだけのことが重労働に感じてしまう。
裁定神殿同様、外観と矛盾するほど広大な内部には華美な装飾はなく、奥にもうひとつ大きな扉があるのみだ。
歩くごとに響くカツンカツンという音ですら彩りのように思えてしまうほどに質素ながら、荘厳さと神聖さが痛いほどに感じられて溺れそうになっている。
息がしづらい。冷や汗が全身を濡らしている。
「あー、人の子やっと来たぁ!」
と、そんなときだ。少女が突然視界に現れた。
年のころ五歳くらいだろうか。黒の長髪、好奇心によく動く瞳は紫と銀が混じった色をしている。
トテトテ響に走り寄り、ヤーシュナやアウラーエと同じ黒髪を跳ねさせ、勢いのままに響へ飛びついてきた。
「おわ……!?」
「わぁ~すごく、ぽかぽかな匂いが、するー」
うっとりとした声で腿に頬ずりをしてくる様は可愛らしい。
しかし何故この場所に似つかわしくない少女がいるのだろう。加えて突然懐かれて響は狼狽するしかなかった。
まさかこの子がヤミ神――!?
「これ、ラブ。離れなさい」
――そんなことはなかった。
「ごめんなさいね。あなたが来ると知ってからとてもワクワクしてしまって……」
「い、いえ。おかげで緊張も少し和らぎました」
ヤーシュナにたしなめられ、ラブと呼ばれた少女は口を尖らせつつも身を引いた。
頭を下げるアウラーエに響がフォローを入れると、彼女は見えている目元を緩ませながら微笑んでくれたのでさらに緊張が解けた。それでもリラックス状態にはほど遠かったが。
ラブが響たちのもとを離れ、ヤーシュナとアウラーエが巨大も巨大な大扉の前で何やら唱え出すと、重々しい扉は同時にその身を開く。
「――」
途端、響は呼吸を忘れた。すべての感覚は目の前の光景を認識するためだけに使われ、身体中を濡らしていた冷や汗の気持ち悪さ、呼吸のできない苦しさすら置き去りになってしまった。