第5話 罪科獣《襲来》
文字数 2,753文字
「かなり近くまで罪科獣が来ている。執行はすぐ完了するだろうが、念のためお前を安全な地点まで避難させる」
「……、」
「お前が傷つく可能性を限りなくゼロにしたい。ついてきてくれ」
有無を言わさない口調で言われて響は走り出したアスカの後を追った。
少女ふたりに妖怪のようなモノを任せていいものかという迷いはあった。しかしああ見えてキララもルリハもヤミ属で執行者なのだと思い出せば、これが正解なのだろうと考えを改める。
路地裏を抜けて繁華街の大通りに走り戻ってくると響にも異変は感じられた。
まず音。弾力のある物質が硬いモノにぶつかるような音が断続的に鳴っているのに気づいた。
注意深く目を凝らす。するとビル群間で何かが動いているのが辛うじて捉えられた。
人ではない。動物にも見えない。まるで毛の生えたバスケットボールのごときそれは、弾力と速力をもってビル壁とビル壁の間を忙しなく跳ね続けていた。
あまりに速いため、その姿自体は街行く人間たちには視認されていないものの、突風としては認識されているようだ。
今はまだ人々のはるか頭上を跳ねているので被害は出ていなさそうだが、万が一人間に衝突したならタダで済まないのは明白だ。
「アスカ君、あの毛玉みたいなヤツが罪科獣……!?」
毛玉のいる地点とは真逆の方向に走るアスカを追いながら響は彼の背に声をかけた。
「そうだ」
「すごいスピードだし危ないよね!?」
「見たところ戦闘能力は下の下だ。あの程度なら生物に危険が及ぶ前に討伐できるだろう。……ただ」
「ただ?」
「懸念がないわけじゃない」
「……、」
「うわ~、なにコイツ! めちゃくちゃ素早い!」
ビルからビルへと跳ね返って目まぐるしく行き来する毛玉を必死に目で追いながら、キララは大声でぼやいた。
「喋ってるヒマがあるなら動きの規則性を読む努力をして、キララ!」
そう言うルリハもまた、毛玉のあまりの速さについていけず無駄な動きを増やしてしまっている。
毛玉があらゆるビルの間で縦横無尽に跳ね返り続ける繁華街の上空。キララとルリハは獲物を捉えることに難儀していた。焦燥感もまた勘を鈍らせている。
「分かってるけどさぁ、今までこんなに速いヤツに出くわしたことなかったじゃん! 生物が密集してる場所で捕捉するのも初めてだし……!」
「だから余計に早く終わらせなければならないのよ。罪科獣の存在養分は生物……幸い私たちを警戒してか街中の人間に襲いかかる様子はまだ見せないけど、いつ牙を向くか分かったものじゃない」
「あぁもう、階層降下しちゃえば一瞬で終わらせられるのになー!」
「ッ、そこ!」
言いながらルリハが毛玉の動きを察知して突撃する。
恐らく彼女の予見は正しかった。しかし毛玉が急遽進路を変え、さらに速度を早めてビル間を移動していったため、またしてもハズレに終わってしまう。
「え、なに!? 今までこの辺りを適当に跳ね返ってるだけだったのに」
「急に動き出したわね。まるで何かを見つけたみたいに……!」
「っ追わなくちゃ!」
この数秒前。
響は何度も振り返りながら先導するアスカに続いていた。キララやルリハ、人々――そして罪科獣の動向が心配だったからだ。
無論、何度も己に言い聞かせているように彼女たちはヤミ属執行者だ。華奢に見えても響よりずっと強いのだろう。
だが、難航しているようにも見える。つい先刻アスカも「懸念がないわけではない」と口にしていたのもあり、心配を拭えない。
脳裏に浮かぶのは血だまり。ピクリとも動かなくなったいつかのアスカ。万が一にもあんな哀しい事態にはなってほしくない。
「え?」
――そんなときだ、毛玉と目が合った気がしたのは。
キララやルリハ、毛玉の様子が見えると言っても反対方向へ走り続ける響との距離は遠くなっている。
だのに目が合った気がした。それと同時に界隈をウロウロと跳ね返るばかりだった毛玉がビルの間を明確に移動し始めた――まるで響を追跡するかのように。
「こっちに向かってきた……!?」
アスカも毛玉の進路がこちらへ向いたことに気がついたようだ。毛玉はピンポン玉のように跳ねて移動するため、道程はまっすぐ大通りを走るアスカと響よりも長い。
しかし速度が桁違いだ、このままでは追いつかれてしまうだろう。
「響、もっと速く走れるか!」
「う、うぅん、頑張る!」
響は特別運動ができる方ではない。しかし謎の物体と目が合った気がして、しかも急にこちらへ向かってきたとあれば恐怖が追い風となる。それでもアスカの速度にはかなわないが、必死に走るしかない。
日中の繁華街の大通りは言わずもがな人が多い。そんななかを縫い走るのは得策でないと判断したか、アスカは響の手首を掴むと九十度身を切り返しビルの間の細道へといざなった。
そのまま細道を抜け、中幅な大通りも横切り、さらに違う細道へ入り込めばようやく逃走は終わりを迎えてくれる。
「大丈夫か」
「はぁ、はっ……はぁっ、はぁっ、だい、じょう、ぶ……」
肩で激しく呼吸を繰り返しながら響。
アスカの速度に引きずられるようにして走ったこともあって身体は大丈夫ではなかったが、アスカが見晴らしのいい大通りを進むのをやめてくれたのもあり、毛玉に追いかけられるような恐怖からは脱することができた。
しかしアスカはまだ厳しい顔をしている。
「響。霊体に戻ってくれるか」
「えっ?」
「こういう状況の場合、実体よりも霊体の方が安全だ」
「で、でも霊体に戻る方法はヤミ属界に帰るとき教えるって……」
生物界へ降り立った当初、響はアスカに霊体から実体に切り替える方法は教えてもらった。
しかし逆、つまり実体から霊体に戻る方法は帰還の際に教えると言われていた。一刻も早く生物界を満喫したかった響はそれに頷いてしまったのだ。
響の言葉にアスカは苦い顔をする。
「ああ、あらかじめ教えておけば良かったな。慣れればどうということはないが、実体から霊体に戻るにはコツがいる。こんな状況では悠長に教えているわけにもいかないか。
響。悪いがここに隠れていてくれ。俺はキララとルリハの援護をしに行く」
「……、」
「毛玉は俊敏すぎる。俺みたいな執行者崩れでも頭数は多い方がいい。三名で追い詰めてさっさとケリをつけないと、生物への被害が出てしまう」
「じゃ、じゃあ……僕に何かできることは?」
「何もしなくていい、ここに隠れていてくれ。さっさと終わらせた方がお前の安全を守れる」
「アスカ君!」
響がアスカの名を呼ぶころにはアスカは霊体化し細道を抜けている。響はとっさに追いかけようと一瞬足に力を込めたが結局はやめた。足手まといになる自覚があったからだ。
「――きゃあ!」
しかし、少し遠くで女性の悲鳴が聞こえれば響の足は勝手に細道を戻る。
「……、」
「お前が傷つく可能性を限りなくゼロにしたい。ついてきてくれ」
有無を言わさない口調で言われて響は走り出したアスカの後を追った。
少女ふたりに妖怪のようなモノを任せていいものかという迷いはあった。しかしああ見えてキララもルリハもヤミ属で執行者なのだと思い出せば、これが正解なのだろうと考えを改める。
路地裏を抜けて繁華街の大通りに走り戻ってくると響にも異変は感じられた。
まず音。弾力のある物質が硬いモノにぶつかるような音が断続的に鳴っているのに気づいた。
注意深く目を凝らす。するとビル群間で何かが動いているのが辛うじて捉えられた。
人ではない。動物にも見えない。まるで毛の生えたバスケットボールのごときそれは、弾力と速力をもってビル壁とビル壁の間を忙しなく跳ね続けていた。
あまりに速いため、その姿自体は街行く人間たちには視認されていないものの、突風としては認識されているようだ。
今はまだ人々のはるか頭上を跳ねているので被害は出ていなさそうだが、万が一人間に衝突したならタダで済まないのは明白だ。
「アスカ君、あの毛玉みたいなヤツが罪科獣……!?」
毛玉のいる地点とは真逆の方向に走るアスカを追いながら響は彼の背に声をかけた。
「そうだ」
「すごいスピードだし危ないよね!?」
「見たところ戦闘能力は下の下だ。あの程度なら生物に危険が及ぶ前に討伐できるだろう。……ただ」
「ただ?」
「懸念がないわけじゃない」
「……、」
「うわ~、なにコイツ! めちゃくちゃ素早い!」
ビルからビルへと跳ね返って目まぐるしく行き来する毛玉を必死に目で追いながら、キララは大声でぼやいた。
「喋ってるヒマがあるなら動きの規則性を読む努力をして、キララ!」
そう言うルリハもまた、毛玉のあまりの速さについていけず無駄な動きを増やしてしまっている。
毛玉があらゆるビルの間で縦横無尽に跳ね返り続ける繁華街の上空。キララとルリハは獲物を捉えることに難儀していた。焦燥感もまた勘を鈍らせている。
「分かってるけどさぁ、今までこんなに速いヤツに出くわしたことなかったじゃん! 生物が密集してる場所で捕捉するのも初めてだし……!」
「だから余計に早く終わらせなければならないのよ。罪科獣の存在養分は生物……幸い私たちを警戒してか街中の人間に襲いかかる様子はまだ見せないけど、いつ牙を向くか分かったものじゃない」
「あぁもう、階層降下しちゃえば一瞬で終わらせられるのになー!」
「ッ、そこ!」
言いながらルリハが毛玉の動きを察知して突撃する。
恐らく彼女の予見は正しかった。しかし毛玉が急遽進路を変え、さらに速度を早めてビル間を移動していったため、またしてもハズレに終わってしまう。
「え、なに!? 今までこの辺りを適当に跳ね返ってるだけだったのに」
「急に動き出したわね。まるで何かを見つけたみたいに……!」
「っ追わなくちゃ!」
この数秒前。
響は何度も振り返りながら先導するアスカに続いていた。キララやルリハ、人々――そして罪科獣の動向が心配だったからだ。
無論、何度も己に言い聞かせているように彼女たちはヤミ属執行者だ。華奢に見えても響よりずっと強いのだろう。
だが、難航しているようにも見える。つい先刻アスカも「懸念がないわけではない」と口にしていたのもあり、心配を拭えない。
脳裏に浮かぶのは血だまり。ピクリとも動かなくなったいつかのアスカ。万が一にもあんな哀しい事態にはなってほしくない。
「え?」
――そんなときだ、毛玉と目が合った気がしたのは。
キララやルリハ、毛玉の様子が見えると言っても反対方向へ走り続ける響との距離は遠くなっている。
だのに目が合った気がした。それと同時に界隈をウロウロと跳ね返るばかりだった毛玉がビルの間を明確に移動し始めた――まるで響を追跡するかのように。
「こっちに向かってきた……!?」
アスカも毛玉の進路がこちらへ向いたことに気がついたようだ。毛玉はピンポン玉のように跳ねて移動するため、道程はまっすぐ大通りを走るアスカと響よりも長い。
しかし速度が桁違いだ、このままでは追いつかれてしまうだろう。
「響、もっと速く走れるか!」
「う、うぅん、頑張る!」
響は特別運動ができる方ではない。しかし謎の物体と目が合った気がして、しかも急にこちらへ向かってきたとあれば恐怖が追い風となる。それでもアスカの速度にはかなわないが、必死に走るしかない。
日中の繁華街の大通りは言わずもがな人が多い。そんななかを縫い走るのは得策でないと判断したか、アスカは響の手首を掴むと九十度身を切り返しビルの間の細道へといざなった。
そのまま細道を抜け、中幅な大通りも横切り、さらに違う細道へ入り込めばようやく逃走は終わりを迎えてくれる。
「大丈夫か」
「はぁ、はっ……はぁっ、はぁっ、だい、じょう、ぶ……」
肩で激しく呼吸を繰り返しながら響。
アスカの速度に引きずられるようにして走ったこともあって身体は大丈夫ではなかったが、アスカが見晴らしのいい大通りを進むのをやめてくれたのもあり、毛玉に追いかけられるような恐怖からは脱することができた。
しかしアスカはまだ厳しい顔をしている。
「響。霊体に戻ってくれるか」
「えっ?」
「こういう状況の場合、実体よりも霊体の方が安全だ」
「で、でも霊体に戻る方法はヤミ属界に帰るとき教えるって……」
生物界へ降り立った当初、響はアスカに霊体から実体に切り替える方法は教えてもらった。
しかし逆、つまり実体から霊体に戻る方法は帰還の際に教えると言われていた。一刻も早く生物界を満喫したかった響はそれに頷いてしまったのだ。
響の言葉にアスカは苦い顔をする。
「ああ、あらかじめ教えておけば良かったな。慣れればどうということはないが、実体から霊体に戻るにはコツがいる。こんな状況では悠長に教えているわけにもいかないか。
響。悪いがここに隠れていてくれ。俺はキララとルリハの援護をしに行く」
「……、」
「毛玉は俊敏すぎる。俺みたいな執行者崩れでも頭数は多い方がいい。三名で追い詰めてさっさとケリをつけないと、生物への被害が出てしまう」
「じゃ、じゃあ……僕に何かできることは?」
「何もしなくていい、ここに隠れていてくれ。さっさと終わらせた方がお前の安全を守れる」
「アスカ君!」
響がアスカの名を呼ぶころにはアスカは霊体化し細道を抜けている。響はとっさに追いかけようと一瞬足に力を込めたが結局はやめた。足手まといになる自覚があったからだ。
「――きゃあ!」
しかし、少し遠くで女性の悲鳴が聞こえれば響の足は勝手に細道を戻る。