第14話 アスカとベティ

文字数 2,612文字

『――なぁ、どこへ行くんだ?』

『おい、聞こえてないのか? 返事をしてくれ』

『待って、行くな。行くなら俺もつれていって』

『おい……シエル!』

『少しくらい振り返ってくれ。頼む、追いつくまで待ってくれよ、』

『はぁ、はぁ、なんで追いつけない、どうしてひとりで行くんだ』

『いやだ、行くな、』

『ずっと一緒だったのに……これからもずっと一緒だと思ってたのに』

『やっと、やっとまた会えたのに……ッつ、』



 ――グチャ。



『…………、』

 必死になって走って、追いつけなくて、それでも走って、転んで、嫌な湿り気を覚えて。

 見下ろした先には真っ赤に染まった両手。

 ――膝を濡らすは、兄の血でできた海。





「――カ、アスカ」

 聞き慣れない声を間近に感じて、アスカはハッと目を見開いた。

 まぶたを開いた途端認識できたのは緑と青、そして誰かの顔。

 一瞬何が何だか分からなかったが、焦点を合わせれば徐々に木々と空、ベティの顔だと認識することができた。

「ああっようやく気がついた。良かったぁ~!」

 ベティはアスカの覚醒に気づくや否やビビットオレンジの唇をほころばせる。

 アスカはそれを視界に入れつつ、妙にぼんやりとする頭を動かし始めた。

 まずは現状把握。自分が今横になっているらしいことは木々を真下から臨む視界、背中に土の匂いがする地面が当たっていることですぐ分かった。空の色と太陽の高さから察するに、現在時刻は昼だろう。

 ベティが自分を心配そうに見下ろし、目を覚ました途端に安堵の吐息をこぼしたのは何故か。それは恐らく自分が目を覚まさなかったからだ。

 しかし何故自分は目を――

「……、」

 そこでアスカの現状把握は唐突に終わる。同時に血の気が引いた。

「響!!」

 不明瞭だった意識が急速に冴えていく。

 飛び上がるようにして起き上がり、突然の行動に目を丸くするベティにも構わず辺りを見回した。しかし周囲には自分とベティの他に誰もいない。

 思い出した。自分は指名勅令任務〝罪科獣執行〟のため✕✕✕連邦の執行地に降り立ったこと。村の教会が怪しいということで夜半に忍び込んだこと。

 そこで神官によって行われようとしていたのは〝悪魔神〟とされた罪科獣の召喚であったこと。

 〝悪魔神〟と呼ばれる罪科獣が今回の執行対象だと確定したあとは召喚を待っていたが、神官に存在を感知されてしまい、別に召喚された罪科獣と戦闘になったこと。

 そのなかで自分の守護対象である響が謎の穴に吸い込まれてしまったこと。そこからの記憶が一切ないこと。

 アスカは急いで立ち上がろうとする。

「ちょ、ちょっと落ち着きなアスカ!」

 ベティはそんなアスカの着ているツナギをつかんで止めにかかった。しかしアスカは顔をこわばらせながら首を横に振る。

「大丈夫です。落ち着いています、響を探しに行くだけです」

「落ち着いてないから言ってんだよ。その様子だと記憶に問題はないようだけどさ、アンタが意識を失った以降のこともまだ情報共有できてないんだ。やみくもに動くのは良くないよ」

「っ……すみません。では情報共有をお願いします」

 ベティのぴしゃりとした物言いに、アスカは今にも走り出しそうになる足を懸命に叱咤する。

 改めて見ればアスカの右腕には包帯が巻かれていたが、確かにそのあたりの記憶がない。何故ここにベティとふたりきりで居るのかも分からない。

 ベティはアスカと視線を交わらせながら口を開いた。

「アタシたち四名で夜の教会に行ったことは覚えてるよね。教会内には村人全員と神官、そしてたくさんの供物が捧げられた棺があった。悪魔信仰の儀式が行われていたんだ。ここまではいい?」

「はい。覚えています」

「ジャスティンの鼻で棺から召喚されるであろう〝悪魔神〟が今回の任務の執行対象であることが確定して、アタシたちは神官が召喚するのを待ってた。

 でもその前に神官に気づかれて戦闘が始まった。神官が別に召喚したツギハギの罪科獣たちをアタシとジャスティンが討伐、神官を拘束した。ここも大丈夫?」

「はい」

「アタシとジャスティンは神官に〝悪魔神〟を召喚するよう説得……脅し……まぁなんでもいいけど、とりあえず呼びかけた。

『こんなことはやめな』『大人しく〝悪魔神〟を召喚して執行させな』って感じでね。でも神官はアタシたちを平然と無視し、何故か響に興味を示した」

「……やはりアレは、響に向けての言葉ですよね」

「だと思うよ。視線が明らかに響の方を向いてたし、〝死神〟とそれ以外を分ける物言いをしてたからね。

 みんな仲間ではあるけど、四名のなかで誰が異色だって言ったらどう考えても響だし。死神なんて表現はヤミ属としても不本意だけどね」

「……またか」

「また?」

「響はこれまでにも二度狙われています。人間に狙われたのは初めてですが……神官が差し向けてきた歪な罪科獣たちは、過去に響を狙った罪科獣と雰囲気が似ていました」

「……そういえば召喚した張本人もヤツらのことは〝察知に長けていないタイプ〟なんて言っていたね。

 察知に長けたタイプなら最初からアタシたちを無視して響を狙った可能性があるってことか」

「そうかも知れません。いや……話が逸れました。すみません」

「ああゴメンゴメン。そう、神官が響の存在に気づき、そこから突然対応を変えたんだ。鼻をつんざくような匂いが放たれて、それを嗅ぐと意識が遠のいた。

 だからアタシは戦闘が終わるまでアンタたちに呼吸を止めるように言った。でも実際は呼吸なんか関係なく意識を奪うもので、アタシたちは一気に劣勢になった」

「同時に響の背後に謎の穴が現れました。これも神官が召喚したものと考えます」

「うん、同意見だ。口にも見えるその穴に響は吸い込まれていった。アンタを巻き込まないように、アンタの手を振り払ってね」

「……」

「その動揺でアンタは神官への警戒が一瞬おろそかになったんだろう、それからすぐに意識を失った。

 響が飲み込まれ、アンタが意識を失い、ここは退却すべきだと判断したアタシは倒れたアンタをつかんで教会を出た。

 追ってきた一体の罪科獣はアタシが処理したんだけどゴメンね、アンタの腕の傷はそのときにできたものなんだ。アタシの権能〝バンテージ〟で保護したからもう完治してるとは思うんだけど」

「全然大丈夫です。むしろ失態をおかしてすみません。運んでくださってありがとうございます」

 アスカの言葉にベティは微笑ましそうな笑みをする。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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