第18話 執行期限当日
文字数 2,677文字
ディルは自分に気落ちしていた。
しかしそれでも背の紋翼は止まらず、灰瞳も見慣れ始めた街やその周囲の平原を広く見下ろしている。
時はヴァイスと話をした数日後のこと。彼に下った指名勅令〝魂魄執行〟の執行期限当日に、ディルはまたこの地へ来てしまった。
『私がエレンフォールを殺す。次は必ず』という言葉を信じようとしていたはずだ。『ヤミ属界で待っていてほしい』とも確かに言われた。
だが、こうして来てしまった。一向に帰還してこないヴァイスを待つ時間はひどく長く、居ても立ってもいられなくなってしまったからだ。
つまり、ディルはヴァイスを芯から信用できなかったのだ。
時刻は夜半、エレンフォールの執行期限まであと数時間という頃合いである。ディルはイスマ邸宅上階にあるエレンフォールの幽閉部屋に降り立ち、降下階段側のベールからひっそり様子をうかがう。
やはりエレンフォールはまだ存命だった。ヴァイスはまだ執行できていないのだ。その事実にディルは唇を噛むも、執行期限にはまだもう少し時間があると己に言い聞かせた。
相変わらずな閉塞的な部屋のなか、エレンフォールは以前よりやせ細った身体を丸め、細々と呼吸を繰り返しながら一心に祈っていた。その横顔はいつにもまして虚ろだ。
「……昨日の深夜、大規模な戦闘があったんだ」
ふとエレンフォールが独り言を発する。いや違う、エレンフォールの言葉に呼応するように霊体のヴァイスが背後に現れたので独り言ではない。
「あちらの部族にイスマが夜襲を仕掛けたらしい。俺はそれを知らされなかった。早朝、瀕死になった人たちが俺のところにたくさん運ばれてきて知ったんだ。兵の皆がうわ言のように教えてくれてさ」
「……」
確かにディルも先刻、近くの平原を見下ろした際に真新しい戦争跡を視認していた。見るからに死んだと思われる人間は放置され、一部は既に野獣などに食われていた。
「イスマを問いつめたら、夜襲はやむにやまれない事情でそうせざるを得なかったって。
でも、夜襲なんてしたら戦争が激化することくらい俺でも分かる。イスマは本当に戦争を終わらせたいのかな……」
夜襲においてどちらの部族が勝ったのかは、ここへ向かう際に一瞥したイスマのご満悦な表情ですぐ分かった。傷ついた兵たちの大半もエレンフォールが治癒し無傷に戻したとあれば大勝利だろう。
彼がエレンフォールを執拗に囲いたがる理由はそれだ。治癒の権能はこの戦争の勝利に必要不可欠なのだ。
――そう。戦争の終結は永遠に訪れない。イスマが敵部族に完全なる勝利を果たすまで。あるい彼が失墜しない限り。エレンフォールは戦争に利用され続けるだろう。
「……」
エレンフォールの苦しみを無言で受けたヴァイスはおもむろに左手を突き出した。祈り続ける姿勢を取ったままのエレンフォールは気づかない。
「イスマは言ってたよ。俺がこの治癒の力を見せれば、あっちの族長も『我らの信仰神が戦争の終わりを望んでいるのだ』と理解して武器を下ろしてくれると。
それまでは、相手の族長と顔を合わせられるまでは俺が命を落とすことがないよう全力を尽くしてくれるとも。
……でも、きっとそれじゃ終わらない。終わらないんだ」
ヴァイスは神核片を活性化させた。今度こそ執行を遂げようとしているのだ。ディルは胸を撫で下ろす。
「戦争を、終わらせたい。これ以上殺しあってほしくない。皆で手を取りあって笑いあえる世界であってほしい。俺たちは同じ世界に生きる家族なんだから」
「……」
「でも、それなのに……俺は家族を救えていない。むしろこの前みたいに俺のせいで死なせてしまった人たちがたくさんいる。本当に無力だ……愚かだ。
戦争を終わらせるためにこの力を授けてくださったハクア様にも申し訳ないよ」
――しかし。そこでヴァイスの動きがまた止まってしまう。
「ハクア……それは君たちが信仰する神の名か?」
「っ!」
ヴァイスの問いかけにエレンフォールは急いで口を覆った。しかしすぐに手を下ろし、振り返っては硬直した表情を見せる。
「いいや違う。……名前を決して口にするなって言われてたのに気が緩んでしまった。今のは聞かなかったことにしてくれないか」
「ハクアという名の者はどういう姿カタチをしていた」
視線の先のヴァイスは静謐な佇まいながら有無を言わさぬ口調でたたみかける。エレンフォールは少しばかり怯みつつも、思い出すように片瞳を上方へ転がした。
「……人間のようなお姿だった。でも、今まで見たことがないくらい神々しい美しさで、全身からもまばゆい光を発していて目がつぶれそうだったよ」
「他には」
さらに問うヴァイス。エレンフォールは少しの間のあとに再び口を開いた。
「ええと……真っ白で大きな翼が背から六枚生えていた。金に輝く髪の上には四角形の光輪が浮かんでいた。
女性にも男性にも見えた。瞳は太陽のように赤くて、肌は透きとおるように白くて……唇には慈愛にあふれた微笑みを浮かべていた。
これまでの信仰なんて問題じゃなかった。それくらい一目で神様と分かってしまったんだ」
「……君の治癒の力は、信仰神に祈りを捧げていた折に突然発現したものではなかったのか。君はそう公言していたはずだ。だが実際はその者が君に治癒の力を?」
「うん、本当はハクア様が戦争を終わらせるための力を授けてくださったんだ。俺がそう願ったから」
「……」
「そのときに言われたんだ。遠くない未来、俺の前に死神が現れるだろうと。この治癒の力を俺に分け与えたことを死神が知ったなら大変なことになる、秘匿しなさいって。だから……君にも嘘をついていた」
「……」
「でも、俺のもとに現れた死神が君だったから。とても優しくて話を分かってくれる君だったから、つい口が滑ってしまった。
いや……責任転嫁みたいな物言いは良くないな。本当にいけないことをしてしまった。ハクア様にも、君にも」
「……」
何か思考にふけるヴァイス。それを勘違いしたらしいエレンフォールは切なそうに眉を寄せた。
「失望させたかな。二度と来てくれなくなってしまうだろうか」
「……、」
「ごめん。自分のことばかりで。でも、ずっと待ってたんだ。待ち遠しくてたまらなかった。君と過ごす時間だけは、俺は俺のままで笑うことができたから」
「…………」
「どうか去らないでほしい。俺とたくさん他愛のない話をしてほしい。君のことを教えてほしい。明日もあさっても来てほ――」
「ッ……やめてくれ」
そこでヴァイスはこらえきれないように阻んだ。
エレンフォールの懇願を、絞り出すような声で。
しかしそれでも背の紋翼は止まらず、灰瞳も見慣れ始めた街やその周囲の平原を広く見下ろしている。
時はヴァイスと話をした数日後のこと。彼に下った指名勅令〝魂魄執行〟の執行期限当日に、ディルはまたこの地へ来てしまった。
『私がエレンフォールを殺す。次は必ず』という言葉を信じようとしていたはずだ。『ヤミ属界で待っていてほしい』とも確かに言われた。
だが、こうして来てしまった。一向に帰還してこないヴァイスを待つ時間はひどく長く、居ても立ってもいられなくなってしまったからだ。
つまり、ディルはヴァイスを芯から信用できなかったのだ。
時刻は夜半、エレンフォールの執行期限まであと数時間という頃合いである。ディルはイスマ邸宅上階にあるエレンフォールの幽閉部屋に降り立ち、降下階段側のベールからひっそり様子をうかがう。
やはりエレンフォールはまだ存命だった。ヴァイスはまだ執行できていないのだ。その事実にディルは唇を噛むも、執行期限にはまだもう少し時間があると己に言い聞かせた。
相変わらずな閉塞的な部屋のなか、エレンフォールは以前よりやせ細った身体を丸め、細々と呼吸を繰り返しながら一心に祈っていた。その横顔はいつにもまして虚ろだ。
「……昨日の深夜、大規模な戦闘があったんだ」
ふとエレンフォールが独り言を発する。いや違う、エレンフォールの言葉に呼応するように霊体のヴァイスが背後に現れたので独り言ではない。
「あちらの部族にイスマが夜襲を仕掛けたらしい。俺はそれを知らされなかった。早朝、瀕死になった人たちが俺のところにたくさん運ばれてきて知ったんだ。兵の皆がうわ言のように教えてくれてさ」
「……」
確かにディルも先刻、近くの平原を見下ろした際に真新しい戦争跡を視認していた。見るからに死んだと思われる人間は放置され、一部は既に野獣などに食われていた。
「イスマを問いつめたら、夜襲はやむにやまれない事情でそうせざるを得なかったって。
でも、夜襲なんてしたら戦争が激化することくらい俺でも分かる。イスマは本当に戦争を終わらせたいのかな……」
夜襲においてどちらの部族が勝ったのかは、ここへ向かう際に一瞥したイスマのご満悦な表情ですぐ分かった。傷ついた兵たちの大半もエレンフォールが治癒し無傷に戻したとあれば大勝利だろう。
彼がエレンフォールを執拗に囲いたがる理由はそれだ。治癒の権能はこの戦争の勝利に必要不可欠なのだ。
――そう。戦争の終結は永遠に訪れない。イスマが敵部族に完全なる勝利を果たすまで。あるい彼が失墜しない限り。エレンフォールは戦争に利用され続けるだろう。
「……」
エレンフォールの苦しみを無言で受けたヴァイスはおもむろに左手を突き出した。祈り続ける姿勢を取ったままのエレンフォールは気づかない。
「イスマは言ってたよ。俺がこの治癒の力を見せれば、あっちの族長も『我らの信仰神が戦争の終わりを望んでいるのだ』と理解して武器を下ろしてくれると。
それまでは、相手の族長と顔を合わせられるまでは俺が命を落とすことがないよう全力を尽くしてくれるとも。
……でも、きっとそれじゃ終わらない。終わらないんだ」
ヴァイスは神核片を活性化させた。今度こそ執行を遂げようとしているのだ。ディルは胸を撫で下ろす。
「戦争を、終わらせたい。これ以上殺しあってほしくない。皆で手を取りあって笑いあえる世界であってほしい。俺たちは同じ世界に生きる家族なんだから」
「……」
「でも、それなのに……俺は家族を救えていない。むしろこの前みたいに俺のせいで死なせてしまった人たちがたくさんいる。本当に無力だ……愚かだ。
戦争を終わらせるためにこの力を授けてくださったハクア様にも申し訳ないよ」
――しかし。そこでヴァイスの動きがまた止まってしまう。
「ハクア……それは君たちが信仰する神の名か?」
「っ!」
ヴァイスの問いかけにエレンフォールは急いで口を覆った。しかしすぐに手を下ろし、振り返っては硬直した表情を見せる。
「いいや違う。……名前を決して口にするなって言われてたのに気が緩んでしまった。今のは聞かなかったことにしてくれないか」
「ハクアという名の者はどういう姿カタチをしていた」
視線の先のヴァイスは静謐な佇まいながら有無を言わさぬ口調でたたみかける。エレンフォールは少しばかり怯みつつも、思い出すように片瞳を上方へ転がした。
「……人間のようなお姿だった。でも、今まで見たことがないくらい神々しい美しさで、全身からもまばゆい光を発していて目がつぶれそうだったよ」
「他には」
さらに問うヴァイス。エレンフォールは少しの間のあとに再び口を開いた。
「ええと……真っ白で大きな翼が背から六枚生えていた。金に輝く髪の上には四角形の光輪が浮かんでいた。
女性にも男性にも見えた。瞳は太陽のように赤くて、肌は透きとおるように白くて……唇には慈愛にあふれた微笑みを浮かべていた。
これまでの信仰なんて問題じゃなかった。それくらい一目で神様と分かってしまったんだ」
「……君の治癒の力は、信仰神に祈りを捧げていた折に突然発現したものではなかったのか。君はそう公言していたはずだ。だが実際はその者が君に治癒の力を?」
「うん、本当はハクア様が戦争を終わらせるための力を授けてくださったんだ。俺がそう願ったから」
「……」
「そのときに言われたんだ。遠くない未来、俺の前に死神が現れるだろうと。この治癒の力を俺に分け与えたことを死神が知ったなら大変なことになる、秘匿しなさいって。だから……君にも嘘をついていた」
「……」
「でも、俺のもとに現れた死神が君だったから。とても優しくて話を分かってくれる君だったから、つい口が滑ってしまった。
いや……責任転嫁みたいな物言いは良くないな。本当にいけないことをしてしまった。ハクア様にも、君にも」
「……」
何か思考にふけるヴァイス。それを勘違いしたらしいエレンフォールは切なそうに眉を寄せた。
「失望させたかな。二度と来てくれなくなってしまうだろうか」
「……、」
「ごめん。自分のことばかりで。でも、ずっと待ってたんだ。待ち遠しくてたまらなかった。君と過ごす時間だけは、俺は俺のままで笑うことができたから」
「…………」
「どうか去らないでほしい。俺とたくさん他愛のない話をしてほしい。君のことを教えてほしい。明日もあさっても来てほ――」
「ッ……やめてくれ」
そこでヴァイスはこらえきれないように阻んだ。
エレンフォールの懇願を、絞り出すような声で。