第21話 惨たらしい再会
文字数 2,400文字
降り立った先の光景にディルは軽く目をみはる。
「部屋のなかだ。今の今まで屋外だったってのに」
立方体をした部屋の中央。そこにディルとヴァイスは立っていた。
不可解なことだ。階層に空いた穴に落ちた場合、普通は階層間の移動があるだけだ。場所の移動など有り得ない。だが、ふたりは実際に薄暗く陰気な部屋のなかにいる。
規模は一辺二十メートルほど、レンガ状に整えられた壁石が整然と積み上げられた人工的な部屋だ。左右の壁中央にはひとつずつ出入り口があり、それぞれ道が続いているように見える。
そして実体のままのディルがそれらを視認できるのは、高い天井に火の灯されたロウソク――しかしロウが溶け進むことはない――が無数に吊るされているからだった。
「〝天国の地獄〟の地獄穴、消失確認」
天井を見上げると、自分たちが通ってきた穴が今まさに消えたのが確認できた。
「人間だったら完全に戻るすべがなくなったということだ。まぁ俺たちは霊体化したり階層移動すれば普通に脱出可能だろうが――」
「いや。私たちも出られなくなったようだ」
ディルは胡乱な顔で傍らのヴァイスを見上げた。そうして穴に飛びこむまで霊体だった彼が実体を取っているのを見て眉根を寄せる。
「お前、なんでわざわざ実体化したんだ?」
「自分で実体化したわけじゃない。ディル、お前は霊体に戻れるか」
問われて試す。
一体何を言っているんだと思ったディルだったが、普段何の気なしにできていた実体から霊体への移行ができなくなっていることに気づいた。しかも何度試しても結果は同じだ。
「マジかよ、実体で固定されてんのかこれ? あと何気に神核片も活性しづらくなってて階層移動ができないぜ。はは、普通にマズイな」
「私たちを強制的に実体化させ、神核片を活性化しづらくさせ、使える神陰力を制限する……生物はもとより並大抵の罪科獣にもできることじゃない。
少なくとも私たちの存在を知り、対策を講じられる存在であることは確かだ」
「覚えがあるな。こういうの」
「ああ。先日アスカたちが遂げた〝悪魔神ウル〟討伐任務……その首謀者とされる神官が〝神の供物庫〟と呼び、響くんたちを飛ばした事象に酷似している」
ジャスティンや響、アスカからの報告によると〝神の供物庫〟たる洞窟は神陰力の使用を限りなく制限され、実体での行動を余儀なくされる場所だった。
「あいつらの報告を聞いたときも思ったが、これは一体どういう原理なんだ」
「……幻術ではないな。ならば私たちは不可解な方法で不可解な領域へ確かに移動したということだ。逆を言えば今はその程度しか分かることがない」
ヴァイスの言葉にディルはもう一度周囲を見渡す。
「メガネスコーピオンも使いものにならなくなってて解析不可だ。だが、降り立ってすぐに行った土地解析ではこんな場所どこにも、地下にも確認できなかった。完全に隔絶された領域に俺たちはワープしてる」
「恐らくこの場所は問題解消後に行方不明、あるいは消されるだろう。〝神の供物庫〟と同じように」
「そしてそうなると――」
「あぁ、あ゛あ゛あ゛……よもや、敵の襲撃かぁああ……」
「――今からお目見えするヤツは、合成キメラの可能性が濃厚ってことだ」
突如部屋全体を揺るがすがごとく下方から響いてきた声に、ディルとヴァイスは同時に石床を蹴った。
石床は振動とともに割れ、砂のように細かくなり、まるで布をつまみ下ろしたように中心へ向かって飲みこまれ始めた。
ヴァイスは大きく跳躍しながら権能〝茨〟を天井に展開し――神陰力が制限されているので〝茨〟の発現がいつもより少ない――そこから伸びた柔らかな茨にふたりは掴まった。
冷静に眼下を観察する。動揺はない。例え分の悪い状況だとしても、これまで何百年とバディを組み、何千何万と任務をこなしてきた経験と自信がふたりにはあるからだ。
「!」
しかし砂状になった床材が落ちていく逆円錐の中央、そこに一体の存在を認めれば、ヴァイスとディルはそろって肩を揺れ動かすことになる。
砂から埋もれ出てきた一体。その者の大きさや形状は成人男性のそれだ。
しかしその下半身は虫の体躯をしていた。上半身に合う程度に巨大ではあるが、恐らく虫の種類は人間が〝アリジゴク〟と呼ぶウスバカゲロウの幼虫だろう。一見しただけでそうと分かるほど雑につなぎ合わされている。
だが、ヴァイスもディルもその異形に驚いたのではない。
「……私は彼を知っている」
ヴァイスがぼそりと言葉を口にした。ディルがそれに大した反応をできないのは、彼もまた異形に覚えがあったからだ。
ディルはヴァイスの言葉に頷きながら口を開く。
「イスマ。三百年前、この地で大規模な部族戦争を繰り広げた族長のうちの一方だな」
「ああ。そしてエレンフォールを囲っていた、男だ」
そう――イスマ。
かつて豪奢な民族衣装を身にまとっていた肥満体は見る影もない。飢えきって痩せ細った裸身には劣化した民族衣装の破片が引っかかっているだけだ。
しかしこの土地に住まう者特有の浅黒い肌、高いワシ鼻は変わらない。
獰猛だった双眸は白目を剥くのみ、長いひげも虫のハサミのような様相を取っているが間違いない。彼は紛れもなくイスマだった。
「ううぅ……め、飯の匂いだ……腹が空いたァ、食いたい、食いたい……金は、宝はあるか……よこせ、よこせェ」
変わり果てたイスマはうわ言のようにくぐもった声を出し、身をよじらせた。
よく見るとその上半身は砂に埋もれた鎖でがんじがらめにされている。
しかし器用にハサミのごとき長いひげを動かし、周囲にあった大きめの石をいくつか投擲してきた。
ディルもヴァイスもその石を難なく躱す。
眼下では大きな石という突っかかりが数個なくなったぶん、大量の小石がイスマの方へザザザと流れこんでいく。
やはりアリジゴクだ。普通の人間ならば決して逃れられないだろう。
「部屋のなかだ。今の今まで屋外だったってのに」
立方体をした部屋の中央。そこにディルとヴァイスは立っていた。
不可解なことだ。階層に空いた穴に落ちた場合、普通は階層間の移動があるだけだ。場所の移動など有り得ない。だが、ふたりは実際に薄暗く陰気な部屋のなかにいる。
規模は一辺二十メートルほど、レンガ状に整えられた壁石が整然と積み上げられた人工的な部屋だ。左右の壁中央にはひとつずつ出入り口があり、それぞれ道が続いているように見える。
そして実体のままのディルがそれらを視認できるのは、高い天井に火の灯されたロウソク――しかしロウが溶け進むことはない――が無数に吊るされているからだった。
「〝天国の地獄〟の地獄穴、消失確認」
天井を見上げると、自分たちが通ってきた穴が今まさに消えたのが確認できた。
「人間だったら完全に戻るすべがなくなったということだ。まぁ俺たちは霊体化したり階層移動すれば普通に脱出可能だろうが――」
「いや。私たちも出られなくなったようだ」
ディルは胡乱な顔で傍らのヴァイスを見上げた。そうして穴に飛びこむまで霊体だった彼が実体を取っているのを見て眉根を寄せる。
「お前、なんでわざわざ実体化したんだ?」
「自分で実体化したわけじゃない。ディル、お前は霊体に戻れるか」
問われて試す。
一体何を言っているんだと思ったディルだったが、普段何の気なしにできていた実体から霊体への移行ができなくなっていることに気づいた。しかも何度試しても結果は同じだ。
「マジかよ、実体で固定されてんのかこれ? あと何気に神核片も活性しづらくなってて階層移動ができないぜ。はは、普通にマズイな」
「私たちを強制的に実体化させ、神核片を活性化しづらくさせ、使える神陰力を制限する……生物はもとより並大抵の罪科獣にもできることじゃない。
少なくとも私たちの存在を知り、対策を講じられる存在であることは確かだ」
「覚えがあるな。こういうの」
「ああ。先日アスカたちが遂げた〝悪魔神ウル〟討伐任務……その首謀者とされる神官が〝神の供物庫〟と呼び、響くんたちを飛ばした事象に酷似している」
ジャスティンや響、アスカからの報告によると〝神の供物庫〟たる洞窟は神陰力の使用を限りなく制限され、実体での行動を余儀なくされる場所だった。
「あいつらの報告を聞いたときも思ったが、これは一体どういう原理なんだ」
「……幻術ではないな。ならば私たちは不可解な方法で不可解な領域へ確かに移動したということだ。逆を言えば今はその程度しか分かることがない」
ヴァイスの言葉にディルはもう一度周囲を見渡す。
「メガネスコーピオンも使いものにならなくなってて解析不可だ。だが、降り立ってすぐに行った土地解析ではこんな場所どこにも、地下にも確認できなかった。完全に隔絶された領域に俺たちはワープしてる」
「恐らくこの場所は問題解消後に行方不明、あるいは消されるだろう。〝神の供物庫〟と同じように」
「そしてそうなると――」
「あぁ、あ゛あ゛あ゛……よもや、敵の襲撃かぁああ……」
「――今からお目見えするヤツは、合成キメラの可能性が濃厚ってことだ」
突如部屋全体を揺るがすがごとく下方から響いてきた声に、ディルとヴァイスは同時に石床を蹴った。
石床は振動とともに割れ、砂のように細かくなり、まるで布をつまみ下ろしたように中心へ向かって飲みこまれ始めた。
ヴァイスは大きく跳躍しながら権能〝茨〟を天井に展開し――神陰力が制限されているので〝茨〟の発現がいつもより少ない――そこから伸びた柔らかな茨にふたりは掴まった。
冷静に眼下を観察する。動揺はない。例え分の悪い状況だとしても、これまで何百年とバディを組み、何千何万と任務をこなしてきた経験と自信がふたりにはあるからだ。
「!」
しかし砂状になった床材が落ちていく逆円錐の中央、そこに一体の存在を認めれば、ヴァイスとディルはそろって肩を揺れ動かすことになる。
砂から埋もれ出てきた一体。その者の大きさや形状は成人男性のそれだ。
しかしその下半身は虫の体躯をしていた。上半身に合う程度に巨大ではあるが、恐らく虫の種類は人間が〝アリジゴク〟と呼ぶウスバカゲロウの幼虫だろう。一見しただけでそうと分かるほど雑につなぎ合わされている。
だが、ヴァイスもディルもその異形に驚いたのではない。
「……私は彼を知っている」
ヴァイスがぼそりと言葉を口にした。ディルがそれに大した反応をできないのは、彼もまた異形に覚えがあったからだ。
ディルはヴァイスの言葉に頷きながら口を開く。
「イスマ。三百年前、この地で大規模な部族戦争を繰り広げた族長のうちの一方だな」
「ああ。そしてエレンフォールを囲っていた、男だ」
そう――イスマ。
かつて豪奢な民族衣装を身にまとっていた肥満体は見る影もない。飢えきって痩せ細った裸身には劣化した民族衣装の破片が引っかかっているだけだ。
しかしこの土地に住まう者特有の浅黒い肌、高いワシ鼻は変わらない。
獰猛だった双眸は白目を剥くのみ、長いひげも虫のハサミのような様相を取っているが間違いない。彼は紛れもなくイスマだった。
「ううぅ……め、飯の匂いだ……腹が空いたァ、食いたい、食いたい……金は、宝はあるか……よこせ、よこせェ」
変わり果てたイスマはうわ言のようにくぐもった声を出し、身をよじらせた。
よく見るとその上半身は砂に埋もれた鎖でがんじがらめにされている。
しかし器用にハサミのごとき長いひげを動かし、周囲にあった大きめの石をいくつか投擲してきた。
ディルもヴァイスもその石を難なく躱す。
眼下では大きな石という突っかかりが数個なくなったぶん、大量の小石がイスマの方へザザザと流れこんでいく。
やはりアリジゴクだ。普通の人間ならば決して逃れられないだろう。