第15話 ハジマリ

文字数 3,174文字

 突然の展開に響は立ち止まって思いきり眉をひそめた。

 周囲に誰もいなくて本当に良かった。こんな顔と声をしていては気のいいヤミたちはすぐ「どうした」と近寄ってきてしまうだろう。しかし響にとってそれくらい予想外だったのだ、アスカの言葉は。

 アスカは少しだけ目を伏せたあとで響に視線を戻し、口を開いた。

「俺はあんたに誓った。あの草原で」

 もちろんそのときのことは覚えている。

 ヤミ属界にやってきて本当に間もないころ。ただの人間でなくなり家族にも無下に忘れ去られ、ボロボロだったときにヴァイスに連れられてやってきた星屑の草原でのこと。

 紋翼を奪われ、ついさっきまで生死の境を彷徨っていたアスカが響のもとへやってきて、そして言ったのだ。


『俺は……あんたを守る。そのためにこの命を使う』


「そりゃあ忘れてはいないですけど。守るって言われてもピンと来なかったっていうか……ヤミ属界って全然危険な感じがしないから」

「確かに治安は悪くない。だが、居住地帯にも星屑が落ちてきたり霊獣が侵入してきたりすることはある。ヤミの全員が良いヤツってわけでもない。守りは必要だ」

「でも……」

「俺はあんたから大事なものを奪った。だからせめてその命と、生きていたいという本能を守り抜きたい。そしてあんたがそれに対して遠慮する必要はない」

「……」

「だがもし、俺自身が嫌で言っているのならそう言ってほしい。俺は一度あんたの命を狙った身だからな……俺が視界に入るたびにあんたが身を固くするのも知っている。

 俺の存在が厳しいなら、あんたに見えない方法で守れる方法を考える」

「い、いやそこまでしなくて大丈夫です。確かにアスカさんといるとまだ少し緊張しますけど、それもどっちかっていうと人見知りの方で……」

 一生懸命説明する。その言葉に偽りはない。まぎれもない本心だった。

 おかしなことだが、響はアスカを嫌だと思ったことは一度もなかった。もちろん執行――もとい殺されかけたのだ、最初のころは恐怖がどうしても先立った。

 しかし今の響は、アスカが戯れではなくヤミ神に命令されて響の命を狙ったこと、その命令も響を〝混血の禁忌〟に遭わせないため発されたものであったことを冷静に受け止められている。

 さらにアスカが響を殺すことを逡巡していたのも分かっている。

 自我なきヤミ神は執行者へ与える勅令に決して理由を添えない。それゆえにアスカはまだ寿命の残っている響を殺せず、葛藤し、結果としてシエルに紋翼を奪われ、二度とヤミ属執行者に戻れなくなったのだ。

 もちろん響が〝混血の禁忌〟に遭い、人間とヤミ属の中間存在〝半陰〟になったこと、それによって生物界から響の存在した事実が根底から消えてしまった事実にはアスカも大いに関係がある。

 しかし、だからといって自分の前から居なくなってほしいとは思わない。それは彼も自分と同じように奪われた側なのだと気づいてしまったせいかもしれない。星屑の草原で相対したあの日、深い自責の瞳に出会ったせいかも知れない。

 アスカは響を守りたいのだ。家族を、居場所を失わせてしまった響を守るためにその命を使うと、あのとき決意したのだ。

 そしてその願いを邪険にできないと思う程度には、響はアスカを悪く思っていなかった。

「分かった。じゃあ敬語はやめる」

 だから響は少しばかり考えたあとでアスカを見上げる。

「それと早速命令させてもらうね」
「ああ」

 響の言葉でわずかに顔を引き締めるアスカ。きっと彼は主従関係が今度こそ成立したと思っていることだろう。

「これからはアスカ君て呼ばせてほしい。あと僕のことは〝あんた〟じゃなくてちゃんと名前で呼んでくれないかな。〝響〟って」

「……了解した」

「で、これが最後の命令なんだけど。僕は絶対にアスカ君のことを召使いみたいには思わないからよろしくね。以上です」

 ゆえに次の瞬間のアスカは肩すかしを食らったような顔をした。半ば予期していた反応に響は小さく笑ってしまう。

「それだけか」

「それだけだよ」

「いや待て。そもそも今のは命令じゃない。ただのお願いだ」

「うん。それが僕の譲歩できるラインだったから」

「……、」

「だからアスカ君も少し譲歩してほしいんだ。アスカ君が僕を守りたいっていうなら拒否はしない。でも、僕は君を護衛とか召使いとか思いたくないよ」

「……何故だ」

「へ? その方が居心地がいいから、かな」

「そうか……その方が居心地がいいのか……そういうものなのか……」

 アスカはぶつぶつと響の言を繰り返す。腑に落ちていない感はあるものの、やがて再び響の方を向いた彼はひとつ頷いた。

「俺としては自由に命令できた方がいいような気がするんだが。あんたが――いや。響がそう言うのならそうする。居心地の良さを守るのも俺の仕事だからな」

「あはは、ありがとう」

 真面目な返答に肩を揺らして笑う。それにアスカは胡乱げな顔をするも、響が歩みを再開すると気を取り直して隣を歩き始めた。


『アスカは取っつきづらい印象があるが根はとても良い子だ』


 ふと、数日前のヴァイスの言葉を思い出す。

 アスカは常に眉根を寄せているような仏頂面で口数も少ない。不良のように見え、近寄りがたいオーラも放っている。だが、確かにヴァイスの言うとおりだったと思った。

 そして不器用だとも思った。しかしそれが良かったのだ。響はそこに親近感を覚えることができたのだから。





「はぁ~塩ジャケ定食おいしかったなぁ」

 部屋に戻りベッドにダイブする。スプリングが上下に揺れる感覚を味わいながら頭の後ろで手を組み、天井を眺めた。

 ヤミ属界に来て、早くも二週間が経とうとしていた。色々なことがありすぎて長くもあっという間にも感じられた二週間だ。

「あー、また目眩……」

 響はぼやきつつ目を閉じる。ベッドのスプリングのせいだろうか、グワングワンと目が回るような感覚にまた苛まれ始めてしまった。だから気を逸らすために先ほどのことを思い返していく。

『こうして味や食感、香りを味わうことは楽しいだろう?』

『ねー今日こそあそぼー!』

『あんたが――いや。響がそう言うのならそうする』

『アスカ、シエルがいなくなってから怒りんぼになったー』

「……、」

 そういえば。あのときは流してしまったが、子どもたちが聞き捨てならない名前を口にしていたことを思い出す。アスカがその名を耳にした途端に動きを止めて様子を変えたことも。

 シエル。神とすら見まごうほど美しかった金髪碧眼のヒカリ属。〝混血の禁忌〟を犯して響をただの人間でなくし、アスカを二度と執行者に戻れなくした元凶。

 子どもたちはそんな彼の名前を口にしていた。ということは、子どもたちはシエルを知っているということになる。あの残酷なヒカリ属を。

 気になって頭はさらに推察を続けようとした。

 しかし反面、心は明確に拒否をする。外出前に見た夢までもが思い出されれば、急速にひどくなっていく目眩で強制的に中断されてしまった。

 鼓動が速くなり、吐き気がこみ上げ、手足が震える。

 アスカへの恐怖は解消できてもシエルへの恐怖は消えない。まったく別物の恐怖なのだ、消えるはずがなかった。

「……大丈夫。きっと、違うシエルだよ。大丈夫、大丈夫……」

 自分に言い聞かせる。

 子どもたちが口にした〝シエル〟はただ名前が同じな別の存在だと。神様のような悪魔はここにいないのだと。何度も何度も落ち着くまで己に語りかける。



 ――そうやって必死に自分を落ち着けている響の頭上、家の屋上にはアスカが立っていた。

 彼は常夜の空を見上げ、何か物思いにふけっているように見えた。しかし唇を引き結んで頭を強く横に振るとまっすぐに前を見つめ直す。

 そうして動き出す。背中に惨たらしい傷痕を負いながら、いつものように鍛錬を始める。

- 第3章ヘツヅク -
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