第2話 クマオトコとウサギ少女
文字数 2,868文字
「この辺りは技術を売る店が大半でね。人間風に表現するなら職人の街といったところかな。自分の仕事に誇りを持っている者ばかりだ」
「へぇ~。ってウオァ!?」
ヴァイスの説明に相槌を打っていたそのとき、背中に何かがドスンと当たる感覚がして、響は思わず声を上げてしまった。
幸い体勢を少し崩したくらいで済んだのですぐに振り返る。
すると一番に目に入ってきたのは大きな鎧兜、それを縦に三具も重ね持った小柄な少女だった。恐らく。
持っているものが身体に比して大きすぎるためよく見えないのだ。
「あわわわっ、今誰かとぶつかったっスよね!? ごめんなさいっス、前がよく見えなくてぇ!」
言わずもがな少女の視界もかなり妨害されており、さらに重いのかフラフラとおぼつかない動きだ。
そのくせ急いで後退するものだから響は思わず少女へ近づいた。
「あああっ、そんな急いで下がったら他のヤミにぶつかっちゃいますよ!」
「わぎゃあああ!?」
響の注意喚起も虚しく、少女は後退した先で別のヤミとぶつかってしまう。
鎧兜三具は固定されていなかったようだ。その衝撃によって盛大にぐらつき、響はとっさに地に落ちようとするそれらを支えた。
「大丈夫だった!?」
「ッ、うわーっ落ちなくて良かったぁ。また叱られるところだったっス、ありがとうっス!!」
自分の身はそっちのけで鎧兜の心配をする少女は、それらが無傷であることを確認すると鎧兜の間から満面の笑みを見せる。
灰色のショートヘア、青緑の瞳、とがった耳。
健康的な浅黒い肌に真っ白なタンクトップがよく映え、細い首にはゴツめのゴーグルがかかっている。
何より笑いかけられた瞬間にちらりと見えた上牙が愛らしく、響の心臓は思わず跳ねる。
「ひゃ、早く届けないと! ぶつかってごめんなさいでしたっスー!」
少女は響の腕にあった鎧兜を再度抱えると、響の傍らを抜けてさっさと行ってしまった。
重さにふらつきながらの小走りだ。あれでは響の背に突進したのも無理はないだろう。
「相変わらず忙しそうだなぁ」
「そうですね……」
心配になってその背を見送る響の数歩前でヴァイスとアスカはそんな会話をしていたが、あいにく響の耳には届いていなかった。
* * *
それからさらに歩き、ある建物の前まで辿りついたところでヴァイスは足を止めた。
どうやらここが防具の名工ザドリックの鍛冶工房らしい。屋根を仰ぎ見ると〝防具工房リュニオン〟と飾り気も愛想もなく記された看板のみ。
響は不安を募らせるも、ヴァイスはそんな響に心の準備をさせることもなくツカツカと工房へと入っていく。
「どうもこんにちは、ザドリックさん」
ヴァイスやアスカの後に続いて恐る恐る足を踏み入れた工房内は熱気と薄煙、断続的な甲高い音に彩られていた。
全体的に雑然としている。というか物が多い。
床には金属くずや革、木材に似た素材、壁には何かの器具や霊草などなど。
色々なものがあちこちに積まれ、重なり、それらを越えた先に広い背中が見えた。
広い背中の主は作業中のようで、工房に響く甲高い音はそこから聞こえている。
炎を宿す炉は赤を基本としつつ、時折黄や橙、青や緑などの光も放つ。
炉へ向かう彼は一心に金属を打っていた。しかも手で直接だ。ヴァイスの声に振り返ることすらないのは集中しているせいだろうか。
「おいリェナ! 客に防具を届け終わったんならさっさとこっちに戻りやがれ!」
しかしそうかと思えば彼は作業の手を止め、工房のさらに奥へ声を張り上げた。すると少しの間のあとで奥から声が返ってくる。
「親方、今からチャチャッとご飯作るんで、それが終わったらすぐ戻るっス!」
「あぁ? そんなもん不要だって何度言ったら分かりやがる。食事だの睡眠だの、生物の真似事なんざする必要ねぇんだよ!」
「でもでも親方は一日中権能使いっぱなしで、今日なんかずっと最大出力っスから補給は必よ――」
「いいから〝こっちに戻りやがれ〟!」
偏屈で気難しそうな声が一際大きく張り上がり、響は思わず背筋を伸ばした。
自分に向けられたわけではないのだが、彼の声に妙な強制力を感じたのだ。まるで言葉自体に何か特別な力が乗っていた気すらした。
「あわわわッ今すぐ行――、あっお客さん来てたっスか! お待たせしてたみたいでゴメンなさいっス!」
「あぁ?」
ザドリックの指示によって奥から焦ったように姿を現した少女は――何故か左胸がかすかに光っている――出入り口に立ったままでいるヴァイスやアスカ、響に気がつくとピョコリと頭を下げてくる。
その反応によってザドリックもまた背後を振り返ってきたのだが、響の意識はまだ少女の方に向いていた。
「あっ、君さっきの!」
そう。接客のためにピョコピョコうさぎのような足取りで響たちのもとへやってきた少女は、先ほど鎧兜を三具も抱え、響にぶつかってきた少女だったのだ。
しかし少女は悪気のない笑顔で首を傾げた。
「誰っスかー?」
どうやら先ほどのことはまったく記憶に残っていないらしい。
「じゃあ互いの紹介といこう。私やアスカとは面識があるからいいとして、初めてお目にかけるこの子は響くん。少し前の一件で〝半陰〟の状態となった子だ。
響くん、彼がザドリックさん。以前は執行者だったが今は引退し、防具工房リュニオンで素晴らしい防具を生み出しているヤミだ。
そして隣で元気いっぱいの笑顔を見せてくれているのがリェナ。ザドリックさんの弟子だ」
「はいっ、使えないってよく言われる弟子っス! さっきのコト忘れててゴメンなさいっスけどホント助かりました、よろしくお願いするっス!」
「い、いえいえ。よろしくお願いします」
リェナは緊張で気後れする響の方へ手を伸ばし、やや強引に握手をしてくる。
ずいぶん懐こい性格をしているようだ。裏のない笑顔につられて響もまた笑みを浮かべてしまう。
「ハッ、〝半陰〟ね。まだるっこしい表現しようが半端者になったただの人間じゃねぇか」
しかし不機嫌さを隠そうともしない声が放たれれば一瞬で笑みは消え去った。
リェナの数歩後方で腕組みをするザドリックは、言葉のとおりの表情で響を睨めつけている。
リェナ同様とがった耳に浅黒い肌。
クマのごとき大柄な身体にはいくつもの傷跡があり、額部分は目深にかぶった手ぬぐいに覆われ、その下からのぞく黒の視線は刺々しい。
鋭利な下牙が唇の隙間から見えているのもあって、響は素直に命の危機を感じた。
ヴァイスはザドリックの言葉に一歩前へ出る。
「そんな言い方はしないでください。彼が〝半陰〟になってしまったのはヤミ属の責任だ」
「ヤミ属の責任だぁ? 悪いのはあのシエルとかいうヒカリ属のクソガキだろうが。
何故だか生き長らえちまったのはそいつ自身の悪運だ、ヤミ属が責任として抱え込む必要なんざねぇ。
さすが生物は生き汚ねぇモンだぜ、こっちが血を流すだけ損てもんだ」
後半は明らかに響へ投げられた言葉だ。
今までこれほどにアケスケな悪感情を向けられたことがなかった響は硬直するしかない。
「へぇ~。ってウオァ!?」
ヴァイスの説明に相槌を打っていたそのとき、背中に何かがドスンと当たる感覚がして、響は思わず声を上げてしまった。
幸い体勢を少し崩したくらいで済んだのですぐに振り返る。
すると一番に目に入ってきたのは大きな鎧兜、それを縦に三具も重ね持った小柄な少女だった。恐らく。
持っているものが身体に比して大きすぎるためよく見えないのだ。
「あわわわっ、今誰かとぶつかったっスよね!? ごめんなさいっス、前がよく見えなくてぇ!」
言わずもがな少女の視界もかなり妨害されており、さらに重いのかフラフラとおぼつかない動きだ。
そのくせ急いで後退するものだから響は思わず少女へ近づいた。
「あああっ、そんな急いで下がったら他のヤミにぶつかっちゃいますよ!」
「わぎゃあああ!?」
響の注意喚起も虚しく、少女は後退した先で別のヤミとぶつかってしまう。
鎧兜三具は固定されていなかったようだ。その衝撃によって盛大にぐらつき、響はとっさに地に落ちようとするそれらを支えた。
「大丈夫だった!?」
「ッ、うわーっ落ちなくて良かったぁ。また叱られるところだったっス、ありがとうっス!!」
自分の身はそっちのけで鎧兜の心配をする少女は、それらが無傷であることを確認すると鎧兜の間から満面の笑みを見せる。
灰色のショートヘア、青緑の瞳、とがった耳。
健康的な浅黒い肌に真っ白なタンクトップがよく映え、細い首にはゴツめのゴーグルがかかっている。
何より笑いかけられた瞬間にちらりと見えた上牙が愛らしく、響の心臓は思わず跳ねる。
「ひゃ、早く届けないと! ぶつかってごめんなさいでしたっスー!」
少女は響の腕にあった鎧兜を再度抱えると、響の傍らを抜けてさっさと行ってしまった。
重さにふらつきながらの小走りだ。あれでは響の背に突進したのも無理はないだろう。
「相変わらず忙しそうだなぁ」
「そうですね……」
心配になってその背を見送る響の数歩前でヴァイスとアスカはそんな会話をしていたが、あいにく響の耳には届いていなかった。
* * *
それからさらに歩き、ある建物の前まで辿りついたところでヴァイスは足を止めた。
どうやらここが防具の名工ザドリックの鍛冶工房らしい。屋根を仰ぎ見ると〝防具工房リュニオン〟と飾り気も愛想もなく記された看板のみ。
響は不安を募らせるも、ヴァイスはそんな響に心の準備をさせることもなくツカツカと工房へと入っていく。
「どうもこんにちは、ザドリックさん」
ヴァイスやアスカの後に続いて恐る恐る足を踏み入れた工房内は熱気と薄煙、断続的な甲高い音に彩られていた。
全体的に雑然としている。というか物が多い。
床には金属くずや革、木材に似た素材、壁には何かの器具や霊草などなど。
色々なものがあちこちに積まれ、重なり、それらを越えた先に広い背中が見えた。
広い背中の主は作業中のようで、工房に響く甲高い音はそこから聞こえている。
炎を宿す炉は赤を基本としつつ、時折黄や橙、青や緑などの光も放つ。
炉へ向かう彼は一心に金属を打っていた。しかも手で直接だ。ヴァイスの声に振り返ることすらないのは集中しているせいだろうか。
「おいリェナ! 客に防具を届け終わったんならさっさとこっちに戻りやがれ!」
しかしそうかと思えば彼は作業の手を止め、工房のさらに奥へ声を張り上げた。すると少しの間のあとで奥から声が返ってくる。
「親方、今からチャチャッとご飯作るんで、それが終わったらすぐ戻るっス!」
「あぁ? そんなもん不要だって何度言ったら分かりやがる。食事だの睡眠だの、生物の真似事なんざする必要ねぇんだよ!」
「でもでも親方は一日中権能使いっぱなしで、今日なんかずっと最大出力っスから補給は必よ――」
「いいから〝こっちに戻りやがれ〟!」
偏屈で気難しそうな声が一際大きく張り上がり、響は思わず背筋を伸ばした。
自分に向けられたわけではないのだが、彼の声に妙な強制力を感じたのだ。まるで言葉自体に何か特別な力が乗っていた気すらした。
「あわわわッ今すぐ行――、あっお客さん来てたっスか! お待たせしてたみたいでゴメンなさいっス!」
「あぁ?」
ザドリックの指示によって奥から焦ったように姿を現した少女は――何故か左胸がかすかに光っている――出入り口に立ったままでいるヴァイスやアスカ、響に気がつくとピョコリと頭を下げてくる。
その反応によってザドリックもまた背後を振り返ってきたのだが、響の意識はまだ少女の方に向いていた。
「あっ、君さっきの!」
そう。接客のためにピョコピョコうさぎのような足取りで響たちのもとへやってきた少女は、先ほど鎧兜を三具も抱え、響にぶつかってきた少女だったのだ。
しかし少女は悪気のない笑顔で首を傾げた。
「誰っスかー?」
どうやら先ほどのことはまったく記憶に残っていないらしい。
「じゃあ互いの紹介といこう。私やアスカとは面識があるからいいとして、初めてお目にかけるこの子は響くん。少し前の一件で〝半陰〟の状態となった子だ。
響くん、彼がザドリックさん。以前は執行者だったが今は引退し、防具工房リュニオンで素晴らしい防具を生み出しているヤミだ。
そして隣で元気いっぱいの笑顔を見せてくれているのがリェナ。ザドリックさんの弟子だ」
「はいっ、使えないってよく言われる弟子っス! さっきのコト忘れててゴメンなさいっスけどホント助かりました、よろしくお願いするっス!」
「い、いえいえ。よろしくお願いします」
リェナは緊張で気後れする響の方へ手を伸ばし、やや強引に握手をしてくる。
ずいぶん懐こい性格をしているようだ。裏のない笑顔につられて響もまた笑みを浮かべてしまう。
「ハッ、〝半陰〟ね。まだるっこしい表現しようが半端者になったただの人間じゃねぇか」
しかし不機嫌さを隠そうともしない声が放たれれば一瞬で笑みは消え去った。
リェナの数歩後方で腕組みをするザドリックは、言葉のとおりの表情で響を睨めつけている。
リェナ同様とがった耳に浅黒い肌。
クマのごとき大柄な身体にはいくつもの傷跡があり、額部分は目深にかぶった手ぬぐいに覆われ、その下からのぞく黒の視線は刺々しい。
鋭利な下牙が唇の隙間から見えているのもあって、響は素直に命の危機を感じた。
ヴァイスはザドリックの言葉に一歩前へ出る。
「そんな言い方はしないでください。彼が〝半陰〟になってしまったのはヤミ属の責任だ」
「ヤミ属の責任だぁ? 悪いのはあのシエルとかいうヒカリ属のクソガキだろうが。
何故だか生き長らえちまったのはそいつ自身の悪運だ、ヤミ属が責任として抱え込む必要なんざねぇ。
さすが生物は生き汚ねぇモンだぜ、こっちが血を流すだけ損てもんだ」
後半は明らかに響へ投げられた言葉だ。
今までこれほどにアケスケな悪感情を向けられたことがなかった響は硬直するしかない。