第8話 白くて空っぽ
文字数 2,875文字
裁定神殿を出たディルは、そのまま裁定領域を抜け、防衛地帯をも足音荒く歩いていく。
防衛地帯にて各々の職務についているガーディアンたちはディルの表情を見てギョッとするも、当のディルは気づかない。腹の奥が熱くて熱くて、頭のなかがうるさくて仕方がなかった。
「ディル」
防衛地帯と職務地帯を分ける灰色の壁、その大扉を通り抜けたところで背に声をかけられる。だが振り返らない。立ち止まりもしない。
「聞こえていないのか」
すると言葉を重ねながらヴァイスが隣に並んできた。ディルは舌打ちをする。
「あーそうだよ。聞こえてねぇ」
「聞こえているだろう」
「全ッ然聞こえてねぇっつの」
吐き捨てるように言って歩速を上げる。しかし今のヴァイスはディルと足のコンパスが同程度であるため、同じく速度を上げたヴァイスを振り切れない。
「ディル。努力を重ねよう」
いっそ紋翼で空間移動してしまおうか――そう考えていた矢先だ、ヴァイスが先ほどのことを蒸し返してきたのは。ゆえにディルの足が止まる。
「お前の権能がひどく制御困難なのは私も認識している。だが、さらに意識を研ぎ澄ませ続ければ不可能ではないだろう」
「だから簡単に言うんじゃねぇ。戦闘で完璧に制御できるまでに何百年もかかってんだぞ。
毒そのものの俺を毒じゃなくさせるって、しかも常にって、俺はいつまでどこまで努力しなくちゃならねぇんだよ?」
「だが、不可能ではないはずだ」
「ほんと話が通じねぇヤツだな! 可能不可能の話じゃねぇ、俺自身に限界があるんだっつーの! 何でもソツなくこなせるお前には分からねぇだろうけどよ!」
「……。私は相当に扱いが困難らしい〝クロノス〟も最初から難なく使いこなせてしまった。
確かに分からない。限界という感覚もそうだが、今お前が怒っている理由も本質を捉えきれない」
「はいはい天才様は万能でいいですね。うらやましいですよっと」
最近は鳴りを潜めていた劣等感で身体の内側が痛み、ディルは早々と話を切り上げようとした。
しかし再び踵を返そうとした矢先、一瞥したヴァイスが何かを言いよどんでいるのを感じ、ディルの動きが止まる。
「……やめてくれ」
「あ?」
「私は天才でも万能でもない。私にはどんなに努力をしてもできないことがある。私こそ、お前をうらやましく感じている」
「……うらやま、しい?」
「ああ。お前は私が決して持てないものを持っているから」
予想だにしない答えにディルはなかなか言葉が出なかった。
思わずまじまじと見つめるが、ヴァイスに世辞は気遣いは見受けられない。もとより彼はそんなことのために口を使うヤミではない。ならば今ヴァイスが言ったことは紛れもない本心なのだ。
「……俺が持っててお前が持ってないモノって何だよ」
「愛だ」
「はっ?」
さらに予想だにしない単語を耳にしてディルはすっとんきょうな声を上げるが、彼は冗談を言うヤミでもない。
「私には愛がない。いつだって何も感じないんだ。生物にも同胞にも、育て子たちにも」
二の句を継げずにいると、ヴァイスはまた静かに口を開いた。
「私は幼いころから他のヤミと明確に違うことを認識していた。
それは大きく分けてふたつ。何を教えられずとも戦闘能力が高いこと。そして自分の中身がそれ以外にないことだ」
「……」
「愛とは他者を思う心――一緒にいたい、守りたい、幸せにしたいと自然に思える心だと解釈している。
私にはそれが備わっていなかった。誰といても、何をしていても何とも思えなかった。
それでも将来的には得られると思っていた。いつかお前のように表情豊かになるのだと、お前が何を考えて怒り哀しむのか分かるようになるのだと」
「……」
「だが、いつまで経っても得られない。何千何万と日々を過ごし任務をこなしてきても、すべてはただの個であり任務であり言葉であり事象だった。
『ありがとう』と言われても、同胞が落命しても何も感じない。そもそも感情というものを理解できたことがない。努力なる行為をしてもゼロはゼロだった」
「……」
「だから私はアスカやシエルの気持ちも汲み取ってやれない。『大丈夫』は大丈夫でない、というさっきの話も分からない。
それはきっと他者を思う心……愛が欠如しているからだ。私のなかはずっとずっと真っ白で、一向に空っぽなんだ」
珍しく滔々とこぼれるたくさんの言葉たち。ディルはそれを静かに聞いていた。
ヴァイスが〝普通〟と程遠いことはディルももちろん気づいていた。何百年とバディ関係を結び共に任務をこなしてきたが、あらゆる局面でヴァイスが感情を垣間見せたことがなかったからだ。
強敵に致命傷を与えられたときも恐れなかった。ディルが一度難敵に食われたときも顔色ひとつ変えなかった。消化一歩手前でディルを救い出したときだって安堵の吐息ひとつこぼさなかった。
ふたり血みどろになりながら辛勝したときも喜ばなかった。生まれ落ちたばかりのアスカを胸に抱いたときも機械的だった。初めて顔を合わせてから今まで、笑顔はおろか素顔さえ見せたことがなかった。
「突然何を言い出すと思ったら、あ、愛ィ……? ンなの俺だって持ってねぇよ。育て親だったヤツら、バディだったヤツらに散々遠巻きにされてきたんだぞ。あってたまるか」
だが、ならばヴァイスと真逆ほど違う自分が愛を持っているかと言われるとディルには疑問だ。
ヴァイスの口から思いもよらない話が出たことに動揺したのもあって、思った以上に声がヨレてしまったディルにヴァイスは首を横に振る。
「持っている。その証拠にオトナは遠巻きにしても〝毒〟のことを知らない子どもは遊んでくれと寄ってくるだろう。生物もお前にはよく懐こうとする。
『愛ある者には他者が自然と寄ってくる』と人間の書物に書いてあった。お前自身は邪険にするが」
「……そりゃ俺は毒だからな。でもそれだけだ、その程度のことで決めつけんなよ」
「確かに子どもが近づいてきても親が引き離そうとするし、生物もお前が権能を使った途端近づいてこなくなる。
だが、それはお前の権能への反応であって、お前自身に対する反応ではない」
「……」
「エンラ様も仰っていた。私と初めて顔を合わせた当初のお前がやけに怒っていた理由――年端のいかなかった私が、死ぬ危険性の跳ね上がるB級に昇格することが許せなかったのだと。それは未熟で不器用なお前が見せた愛なのだと」
「……」
「だから、お前には愛がある。そしてそれはすごいことだ。愛に乏しい境遇にありながら自分のなかの愛を育ませ、他者を思えるのだから。
――だから私はお前がうらやましい。愛を持っていること。例え狂おしいほどの努力が必要だろうと、望んだ未来を得られる確率がゼロでないことも」
「……」
「私には戦闘機能以外何もない。きっと一生、愛をできない。最後まで真っ白で空っぽだ」
言葉数は多くとも普段と変わらぬ淡々とした口調。唇の動き。
だが、音色だけはほんの少し落ちている気がして、ディルはヴァイスの方に踵を戻す。
「……もしかして、だからそんな味気ねぇ仮面してんのか」
防衛地帯にて各々の職務についているガーディアンたちはディルの表情を見てギョッとするも、当のディルは気づかない。腹の奥が熱くて熱くて、頭のなかがうるさくて仕方がなかった。
「ディル」
防衛地帯と職務地帯を分ける灰色の壁、その大扉を通り抜けたところで背に声をかけられる。だが振り返らない。立ち止まりもしない。
「聞こえていないのか」
すると言葉を重ねながらヴァイスが隣に並んできた。ディルは舌打ちをする。
「あーそうだよ。聞こえてねぇ」
「聞こえているだろう」
「全ッ然聞こえてねぇっつの」
吐き捨てるように言って歩速を上げる。しかし今のヴァイスはディルと足のコンパスが同程度であるため、同じく速度を上げたヴァイスを振り切れない。
「ディル。努力を重ねよう」
いっそ紋翼で空間移動してしまおうか――そう考えていた矢先だ、ヴァイスが先ほどのことを蒸し返してきたのは。ゆえにディルの足が止まる。
「お前の権能がひどく制御困難なのは私も認識している。だが、さらに意識を研ぎ澄ませ続ければ不可能ではないだろう」
「だから簡単に言うんじゃねぇ。戦闘で完璧に制御できるまでに何百年もかかってんだぞ。
毒そのものの俺を毒じゃなくさせるって、しかも常にって、俺はいつまでどこまで努力しなくちゃならねぇんだよ?」
「だが、不可能ではないはずだ」
「ほんと話が通じねぇヤツだな! 可能不可能の話じゃねぇ、俺自身に限界があるんだっつーの! 何でもソツなくこなせるお前には分からねぇだろうけどよ!」
「……。私は相当に扱いが困難らしい〝クロノス〟も最初から難なく使いこなせてしまった。
確かに分からない。限界という感覚もそうだが、今お前が怒っている理由も本質を捉えきれない」
「はいはい天才様は万能でいいですね。うらやましいですよっと」
最近は鳴りを潜めていた劣等感で身体の内側が痛み、ディルは早々と話を切り上げようとした。
しかし再び踵を返そうとした矢先、一瞥したヴァイスが何かを言いよどんでいるのを感じ、ディルの動きが止まる。
「……やめてくれ」
「あ?」
「私は天才でも万能でもない。私にはどんなに努力をしてもできないことがある。私こそ、お前をうらやましく感じている」
「……うらやま、しい?」
「ああ。お前は私が決して持てないものを持っているから」
予想だにしない答えにディルはなかなか言葉が出なかった。
思わずまじまじと見つめるが、ヴァイスに世辞は気遣いは見受けられない。もとより彼はそんなことのために口を使うヤミではない。ならば今ヴァイスが言ったことは紛れもない本心なのだ。
「……俺が持っててお前が持ってないモノって何だよ」
「愛だ」
「はっ?」
さらに予想だにしない単語を耳にしてディルはすっとんきょうな声を上げるが、彼は冗談を言うヤミでもない。
「私には愛がない。いつだって何も感じないんだ。生物にも同胞にも、育て子たちにも」
二の句を継げずにいると、ヴァイスはまた静かに口を開いた。
「私は幼いころから他のヤミと明確に違うことを認識していた。
それは大きく分けてふたつ。何を教えられずとも戦闘能力が高いこと。そして自分の中身がそれ以外にないことだ」
「……」
「愛とは他者を思う心――一緒にいたい、守りたい、幸せにしたいと自然に思える心だと解釈している。
私にはそれが備わっていなかった。誰といても、何をしていても何とも思えなかった。
それでも将来的には得られると思っていた。いつかお前のように表情豊かになるのだと、お前が何を考えて怒り哀しむのか分かるようになるのだと」
「……」
「だが、いつまで経っても得られない。何千何万と日々を過ごし任務をこなしてきても、すべてはただの個であり任務であり言葉であり事象だった。
『ありがとう』と言われても、同胞が落命しても何も感じない。そもそも感情というものを理解できたことがない。努力なる行為をしてもゼロはゼロだった」
「……」
「だから私はアスカやシエルの気持ちも汲み取ってやれない。『大丈夫』は大丈夫でない、というさっきの話も分からない。
それはきっと他者を思う心……愛が欠如しているからだ。私のなかはずっとずっと真っ白で、一向に空っぽなんだ」
珍しく滔々とこぼれるたくさんの言葉たち。ディルはそれを静かに聞いていた。
ヴァイスが〝普通〟と程遠いことはディルももちろん気づいていた。何百年とバディ関係を結び共に任務をこなしてきたが、あらゆる局面でヴァイスが感情を垣間見せたことがなかったからだ。
強敵に致命傷を与えられたときも恐れなかった。ディルが一度難敵に食われたときも顔色ひとつ変えなかった。消化一歩手前でディルを救い出したときだって安堵の吐息ひとつこぼさなかった。
ふたり血みどろになりながら辛勝したときも喜ばなかった。生まれ落ちたばかりのアスカを胸に抱いたときも機械的だった。初めて顔を合わせてから今まで、笑顔はおろか素顔さえ見せたことがなかった。
「突然何を言い出すと思ったら、あ、愛ィ……? ンなの俺だって持ってねぇよ。育て親だったヤツら、バディだったヤツらに散々遠巻きにされてきたんだぞ。あってたまるか」
だが、ならばヴァイスと真逆ほど違う自分が愛を持っているかと言われるとディルには疑問だ。
ヴァイスの口から思いもよらない話が出たことに動揺したのもあって、思った以上に声がヨレてしまったディルにヴァイスは首を横に振る。
「持っている。その証拠にオトナは遠巻きにしても〝毒〟のことを知らない子どもは遊んでくれと寄ってくるだろう。生物もお前にはよく懐こうとする。
『愛ある者には他者が自然と寄ってくる』と人間の書物に書いてあった。お前自身は邪険にするが」
「……そりゃ俺は毒だからな。でもそれだけだ、その程度のことで決めつけんなよ」
「確かに子どもが近づいてきても親が引き離そうとするし、生物もお前が権能を使った途端近づいてこなくなる。
だが、それはお前の権能への反応であって、お前自身に対する反応ではない」
「……」
「エンラ様も仰っていた。私と初めて顔を合わせた当初のお前がやけに怒っていた理由――年端のいかなかった私が、死ぬ危険性の跳ね上がるB級に昇格することが許せなかったのだと。それは未熟で不器用なお前が見せた愛なのだと」
「……」
「だから、お前には愛がある。そしてそれはすごいことだ。愛に乏しい境遇にありながら自分のなかの愛を育ませ、他者を思えるのだから。
――だから私はお前がうらやましい。愛を持っていること。例え狂おしいほどの努力が必要だろうと、望んだ未来を得られる確率がゼロでないことも」
「……」
「私には戦闘機能以外何もない。きっと一生、愛をできない。最後まで真っ白で空っぽだ」
言葉数は多くとも普段と変わらぬ淡々とした口調。唇の動き。
だが、音色だけはほんの少し落ちている気がして、ディルはヴァイスの方に踵を戻す。
「……もしかして、だからそんな味気ねぇ仮面してんのか」