第9話 傍観者と救助者
文字数 2,431文字
「さっきまでお前の背にあった紋翼は、万が一地面に衝突してもダメージを最小限に抑えられるよう無意識に展開していたものだと察するが……どうだ」
「うーん、二回目は出そうと思って出したものじゃないから分からないな。でもそれがどうしたの?」
「少し前に言ったとおり、階層を移動するには紋翼が必要だ。俺には紋翼がない。だから階層移動はお前に頼るしかない」
「う、うん」
「……だが、紋翼を使うには特別な力が必要だ。今のお前にはその特別な力が残っていない。加減もなしに二度使ったせいかスッカラカンに見える」
そこで響はようやくアスカの苦い表情の意味に気づく。
「つ、つまり……帰れないってこと?」
「永遠に無理ってわけじゃない。キララたちの迎えが来れば帰れる」
「あぁなんだ。じゃあ全然――」
「ただ、普段使わない階層だから探し当てるのに時間がかかるはずだ。最悪、数日はかかる」
「数日!?」
「もしかしたら数週間」
「数週間!?!?」
予想だにしない単語に思わず大声で訊き返す響。それは自分とアスカ以外に存在しない繁華街のなかで虚しく反響するのだった。
――いや、それには少々の虚偽がある。
何故なら少し遠くのデパートメント・ビル、その屋上でふたりを見下ろすひとりの影が存在したからだ。
「へー。紋翼まで自分のものにできてんのか、あの元人間」
煌々と輝く太陽を金色の頭上に掲げ、澄んだ青空を背にして秀麗の面にニヤニヤ笑みを浮かべるはひとりのヒカリ属、シエル。
「しかも度胸まであるときた……人間してはなかなかだな。ま、肝心のアイツはまだまだだけど」
そう言う彼の碧眼は満足げに細められている。
約一ヶ月前、シエルが紋翼を奪い生死の境を彷徨わせたヤミ属。
そしてその紋翼を埋め込んだことによって生物とヤミ属の中間存在となった〝半陰〟――彼らを見つめるその瞳には穏やかな慈愛と激しい殺意が灯っていた。
しかし、そこにつと落胆の色も混じる。形のよい唇は大仰にため息を吐いた。
「だが残念、収穫はナシ。……面倒なヤツも来やがったようだし、見つかる前に退散しますかァ」
落胆から一転、彼はコロリと態度を変えると背後の受水槽へ向けて何やら手を動かした。
すると少しの間の後、受水槽はまるで糸のようなもので寸断されたかのようにその身を細切れにし、中の水を盛大に飛び散らせる。
シエルは悠々とした足取りでそちらへ向かい、己の紋翼を展開した。
「ッあぁ、コロセ、コロしてぇ……。我慢しろ我慢……」
まるで羽をむしられた残骸、無残なカタチの紋翼。内に激しい殺意の衝動を灯し続ける彼にはお似合いの紋翼。
そこに溢れ出る水を引き寄せる。そうして白い首に走った横二本と縦一本の黒線を押さえながら彼は水のなかに姿を埋め、最初から存在しなかったとでもいうように消えた。
あとに残ったのは壊れた受水槽の残骸――それと物陰で彼を密かに眺めていた一匹の蛇だけ。
「ディルさん!? 助かった~まさかこんなに早く見つけてもらえるなんて……って、どうしたんですか?」
一方。途方に暮れていた響は、それからすぐ現れたディルへ素直に感激していた。
しかし肝心のディルが厳しい表情を浮かべ、あさっての方角にある高層ビル――その上方へ視線を注いでいるのに気づくと首を傾げることになる。それで我に返ったらしいディルはすぐにいつもの雰囲気を取り戻したが。
「悪い悪い。で、罪科獣は?」
「討伐完了しました」
「おーいいね。じゃあとりあえず生物界に戻るとするか」
「はい!」
「よろしくお願いします」
ディルの左胸が紫色に発光すると同時におどろおどろしい紋翼が彼の背後に展開される。
そして次の瞬間、辺りがわずかにぶれ、ひとつ瞬きをするころには先ほど皆で話していた路地裏の行き止まりに移動を完了していた。
「……!」
数秒静止したのち、響は目をみはった。移動した場所は自分たち以外に人気の一切ない場所ではあったが、少し遠くの方に人の気配が確かに感じられたからだ。
人だけではない、すべての生物が存在しているのが分かる。視認できなくてもそこここで感じるざわめきが物語っている。
ああ、確かに生物界へ戻ってきたのだ――響は深く安堵の息をついた。
「ってわけでまずは確認な。大事ないか?」
「は、はい。僕は――」
「アスカァ~~!!」
「ぐっ……」
そこに割って入ってきたのは可憐な高音と呻く低音。
驚いて振り返ると背後に佇んでいたアスカを後ろから羽交い締め――もとい抱きつくキララ。
さらにその後ろで吐息をついているルリハ。響はホッと胸を撫で下ろした。
「キララさん、ルリハさん! おふたりとも無事で良かったです!」
「それはこっちのセリフです。まさかあなたたちに置いていかれるとは思いませんでした」
「響クン、ボクのことはキララって呼んでってばー! っていうか待って、アスカもしかしてお腹の横ケガしてる? だから苦しそうな顔してたんだね……ごめんっ」
「軽傷だ。この程度ヤミ属界へ戻ればすぐ治る」
心底申し訳なさそうに眉をひそめながら離れたキララにアスカは素っ気なく言う。
戦闘後も色々あったせいか、キララが指摘するまで響もアスカの脇腹のケガをすっかり失念していた。
しかし軽傷なのは確かなようで、ツナギの脇腹部分は擦れて破れたりはしているものの血はにじんでいない。
それに人知れず安堵しているところで、ディルが頭を掻きながら笑い声を上げた。
「いや~仕事を必死でやっつけて戻ってきてみれば、まさか罪科獣が現れるなんてなぁ。報告を受けたときはさすがに血の気が引いたぜ」
「今回討伐したのは直径二十センチメートルほどの毛玉型罪科獣でした」
「ああ、ルリハから聞いた。ずいぶん俊敏な個体だったんだって? そんで階層移動に難航しまくったと」
「そそそ。で、急にアスカと響クンと罪科獣が一緒に消えてさー!」
「はい。そのあたりの状況を報告します」
それから数分、今までに起こったことをディルたちに伝えていく。
「うーん、二回目は出そうと思って出したものじゃないから分からないな。でもそれがどうしたの?」
「少し前に言ったとおり、階層を移動するには紋翼が必要だ。俺には紋翼がない。だから階層移動はお前に頼るしかない」
「う、うん」
「……だが、紋翼を使うには特別な力が必要だ。今のお前にはその特別な力が残っていない。加減もなしに二度使ったせいかスッカラカンに見える」
そこで響はようやくアスカの苦い表情の意味に気づく。
「つ、つまり……帰れないってこと?」
「永遠に無理ってわけじゃない。キララたちの迎えが来れば帰れる」
「あぁなんだ。じゃあ全然――」
「ただ、普段使わない階層だから探し当てるのに時間がかかるはずだ。最悪、数日はかかる」
「数日!?」
「もしかしたら数週間」
「数週間!?!?」
予想だにしない単語に思わず大声で訊き返す響。それは自分とアスカ以外に存在しない繁華街のなかで虚しく反響するのだった。
――いや、それには少々の虚偽がある。
何故なら少し遠くのデパートメント・ビル、その屋上でふたりを見下ろすひとりの影が存在したからだ。
「へー。紋翼まで自分のものにできてんのか、あの元人間」
煌々と輝く太陽を金色の頭上に掲げ、澄んだ青空を背にして秀麗の面にニヤニヤ笑みを浮かべるはひとりのヒカリ属、シエル。
「しかも度胸まであるときた……人間してはなかなかだな。ま、肝心のアイツはまだまだだけど」
そう言う彼の碧眼は満足げに細められている。
約一ヶ月前、シエルが紋翼を奪い生死の境を彷徨わせたヤミ属。
そしてその紋翼を埋め込んだことによって生物とヤミ属の中間存在となった〝半陰〟――彼らを見つめるその瞳には穏やかな慈愛と激しい殺意が灯っていた。
しかし、そこにつと落胆の色も混じる。形のよい唇は大仰にため息を吐いた。
「だが残念、収穫はナシ。……面倒なヤツも来やがったようだし、見つかる前に退散しますかァ」
落胆から一転、彼はコロリと態度を変えると背後の受水槽へ向けて何やら手を動かした。
すると少しの間の後、受水槽はまるで糸のようなもので寸断されたかのようにその身を細切れにし、中の水を盛大に飛び散らせる。
シエルは悠々とした足取りでそちらへ向かい、己の紋翼を展開した。
「ッあぁ、コロセ、コロしてぇ……。我慢しろ我慢……」
まるで羽をむしられた残骸、無残なカタチの紋翼。内に激しい殺意の衝動を灯し続ける彼にはお似合いの紋翼。
そこに溢れ出る水を引き寄せる。そうして白い首に走った横二本と縦一本の黒線を押さえながら彼は水のなかに姿を埋め、最初から存在しなかったとでもいうように消えた。
あとに残ったのは壊れた受水槽の残骸――それと物陰で彼を密かに眺めていた一匹の蛇だけ。
「ディルさん!? 助かった~まさかこんなに早く見つけてもらえるなんて……って、どうしたんですか?」
一方。途方に暮れていた響は、それからすぐ現れたディルへ素直に感激していた。
しかし肝心のディルが厳しい表情を浮かべ、あさっての方角にある高層ビル――その上方へ視線を注いでいるのに気づくと首を傾げることになる。それで我に返ったらしいディルはすぐにいつもの雰囲気を取り戻したが。
「悪い悪い。で、罪科獣は?」
「討伐完了しました」
「おーいいね。じゃあとりあえず生物界に戻るとするか」
「はい!」
「よろしくお願いします」
ディルの左胸が紫色に発光すると同時におどろおどろしい紋翼が彼の背後に展開される。
そして次の瞬間、辺りがわずかにぶれ、ひとつ瞬きをするころには先ほど皆で話していた路地裏の行き止まりに移動を完了していた。
「……!」
数秒静止したのち、響は目をみはった。移動した場所は自分たち以外に人気の一切ない場所ではあったが、少し遠くの方に人の気配が確かに感じられたからだ。
人だけではない、すべての生物が存在しているのが分かる。視認できなくてもそこここで感じるざわめきが物語っている。
ああ、確かに生物界へ戻ってきたのだ――響は深く安堵の息をついた。
「ってわけでまずは確認な。大事ないか?」
「は、はい。僕は――」
「アスカァ~~!!」
「ぐっ……」
そこに割って入ってきたのは可憐な高音と呻く低音。
驚いて振り返ると背後に佇んでいたアスカを後ろから羽交い締め――もとい抱きつくキララ。
さらにその後ろで吐息をついているルリハ。響はホッと胸を撫で下ろした。
「キララさん、ルリハさん! おふたりとも無事で良かったです!」
「それはこっちのセリフです。まさかあなたたちに置いていかれるとは思いませんでした」
「響クン、ボクのことはキララって呼んでってばー! っていうか待って、アスカもしかしてお腹の横ケガしてる? だから苦しそうな顔してたんだね……ごめんっ」
「軽傷だ。この程度ヤミ属界へ戻ればすぐ治る」
心底申し訳なさそうに眉をひそめながら離れたキララにアスカは素っ気なく言う。
戦闘後も色々あったせいか、キララが指摘するまで響もアスカの脇腹のケガをすっかり失念していた。
しかし軽傷なのは確かなようで、ツナギの脇腹部分は擦れて破れたりはしているものの血はにじんでいない。
それに人知れず安堵しているところで、ディルが頭を掻きながら笑い声を上げた。
「いや~仕事を必死でやっつけて戻ってきてみれば、まさか罪科獣が現れるなんてなぁ。報告を受けたときはさすがに血の気が引いたぜ」
「今回討伐したのは直径二十センチメートルほどの毛玉型罪科獣でした」
「ああ、ルリハから聞いた。ずいぶん俊敏な個体だったんだって? そんで階層移動に難航しまくったと」
「そそそ。で、急にアスカと響クンと罪科獣が一緒に消えてさー!」
「はい。そのあたりの状況を報告します」
それから数分、今までに起こったことをディルたちに伝えていく。