第4話 ヤミ属統主・エンラの提案
文字数 2,668文字
同刻。裁定領域、裁定神殿。
響とアスカが大扉を越えた先でまず目にしたものは、前回と同様に広大な空間、そして静謐な薄暗闇で明滅を繰り返す無数の魂魄だった。
「参ったか」
その奥から凛とした声が発された途端、魂魄が玉座への道を開けていくのも同じだ。
ロイドが深く一礼したのち退室していくのを尻目に、響はごくりと息を呑む。
ここを訪れるのは二度目ではあるものの、緊張はやはり拭えない。アスカに続いて玉座へ近寄り、そこに悠々と座るエンラと顔を合わせても心拍は増すばかりだ。
しかも急に立ち上がったエンラが腕を広げてハグの要求をしてきたので顔はおろか首まで真っ赤にしてしまう。
露出高めの衣に身を包んだ豊満かつスレンダーな肢体――年頃の響にとっては非常に魅力的な誘いだ。しかし。
『だがくれぐれも淫気を孕むでないぞ。わずかでも感じたなら完膚なきまでに全身の骨肉を抱き砕いてやろう!』
以前の言葉を思い出して怯えながらお断りした。死にたくない。
エンラはアスカにもハグを断られると、不満げにしながらも玉座へと座し直した。
「参上ご苦労である。迅速で結構だ」
「……ロイド団長が気張ってくださいましたので」
「うむ。一部始終をこの〝千里眼〟で見ておったよ。どうであった響。ガーディアン名物、鬼馬の大跳躍は」
「ええとあの……こわ、じゃなくて……びっくりしました」
響が言葉を選ぶ様がおかしかったのか、エンラは真っ赤な紅を引いた唇で弧を描いてみせた。
「あれは我が属界の緊急事態にのみ許す移動法であったが、ロイドにとって我の呼びつけは緊急事態に等しかったのであろう。
貴様は肝が冷えただろうが、神域守護騎士団の団長に任命されて未だ日の浅き者のすることだ、諸々許すがよい」
「は、はい。もちろんです……ちょっとだけ楽しかったですし」
響の言葉にエンラは笑みを深める。満足げで、そしてどこか含みのある笑みだ。
「ほほう、あれを楽しかったとな。なかなかに度胸があるではないか。のうアスカ?」
「……今後は度胸試しにならないよう、気をつけます」
「響の守護を使命とする貴様にとっては落ち度となるか。だが、響が度胸試しを望むならばその限りではあるまい?」
その問いにアスカは眉根を寄せ、響は首を傾げた。エンラの傍らに控えている側近長リンリンは吐息をついているが、エンラは続けて口を開く。
「響。度胸のある貴様を評価し提案するが、執行者となる気はないか」
「……え?」
「生物界を駆け〝生物の死を守る〟ヤミ属執行者――それになってみぬかと言っておる。何を隠そう貴様らを呼びつけた理由はそれだ」
あまりに突拍子のない提案に響は黙り込んだ。
アスカも傍らで口をつぐんでいる。その横顔は響より驚きを示しているようにも見える。しかしそれは当然とも言えた。
半分ヤミ属であっても半分は人間のままの響にヤミ属執行者になることを提案するなど、執行者の任務内容を知る者ほど理解しがたいに違いない。
エンラは黙ったままでいるふたりに続けて口を開く。
「先日、ヤミ神未観測の毛玉型罪科獣の報告を受けてな。ほれ、日本の繁華街にて貴様らが対峙した一件よ。
生物としての存在養分を得るために生物界へ下りた貴様らはヤツに出くわし、難航しつつも、ルリハらを差し置いて討伐してみせたというではないか。
しかも響はヴァイスが使用不可としていた紋翼を展開し、アスカに助力したのであろう? 度胸もあれば気骨もある。ならば執行者として生きてみるのもひとつの道ではないかと思い立った次第だ」
「……、」
「とはいえ、貴様ひとりで任務を遂行せよなどと無理を言う気もない。貴様がこの提案に応じた場合、貴様の守護を使命とするアスカも執行者に復帰させ同行させる。
任務も死の危険性が伴うものを預けることはない。〝半陰〟である響、そして紋翼を失ったアスカ、両名にも充分対応可能だと判断した任務に限定しよう」
「で……でも、僕には絶対に無理です。執行者になるだなんて……」
このあたりでようやく我に返った響は忙しなく首を横に振りながら言う。
頭をよぎるのはただの人間だったころ、まだ執行者だったアスカに銃を向けられ発砲された記憶。
響にも充分対応可能と言うのだ、あれよりずっと易しい任務を預ける心づもりなのかも知れない。
だが例えそうだとしても多少は血なまぐさい側面があるはずだ。自分になどできるはずがない。そう思っていた。
「それは執行行為に慄きを感じたがゆえの言の葉か? そうであるならば執行に係る雑務のみを担当するのもよかろう。
つまりアスカが執行行為を、響は紋翼を使用した空間移動や階層移動を、というような分業制を取ればよい」
「え……そ、そういうのもアリなんですか?」
「互いが了承するのであればな。アスカ、貴様は可能であろ?」
「……執行行為は元々行っていたことですので俺は可能です。ですが、響に無理を強いるのは本意ではありません」
「無論、意に反するのであれば断って構わぬ。我は響の意志を尊重すると約束したゆえな、この提案は選択肢をひとつ増やそうというもので決して強制ではない」
「……」
「して、響。貴様は如何なる道を選ぶ」
「…………」
そう問われても、響の唇はなかなか言葉を発することができなかった。もとより簡単に決断を下せる問いでもないだろう。
だから響はしばらく黙り、頭のなかでエンラの話を繰り返し咀嚼した。そうやって少しずつ細かくなったものを取捨選択してはまとめて、〝もしも〟を構築してみた。
すると少しずつ、立ち尽くすばかりだった響の前に道が見え始める。
もし、執行者になったなら。
確かなことは、自分のなかにあるアスカの紋翼を無駄にしなくて済むこと。
自分が執行者になることでアスカもまたヤミ属執行者に戻れること。
ということは、アスカは執行者として果たしたいことを果たせる可能性がある。
頑張れば自分もアスカの助手くらいは務められる可能性だってある。つまり役に立てる。
それに、何より――
「……やってみたい、です」
気がつけば響の唇は告げていた。だから理解は返事のあとにやってきた。決意など遅ればせながらも良いところだったものの、それでも響は撤回しようなどと思わなかった。
何故なら響の脳裏にひらめいているのは家族だった人たち。祖父、祖母、妹の乃絵莉――もう家族ではなかろうが、自分のことを一切覚えていなかろうが、今も大事だと思える人たち。
執行者となるならば、生物である彼らと間接的にでも繋がっていられるのではないか。そう思ったのだ。
響とアスカが大扉を越えた先でまず目にしたものは、前回と同様に広大な空間、そして静謐な薄暗闇で明滅を繰り返す無数の魂魄だった。
「参ったか」
その奥から凛とした声が発された途端、魂魄が玉座への道を開けていくのも同じだ。
ロイドが深く一礼したのち退室していくのを尻目に、響はごくりと息を呑む。
ここを訪れるのは二度目ではあるものの、緊張はやはり拭えない。アスカに続いて玉座へ近寄り、そこに悠々と座るエンラと顔を合わせても心拍は増すばかりだ。
しかも急に立ち上がったエンラが腕を広げてハグの要求をしてきたので顔はおろか首まで真っ赤にしてしまう。
露出高めの衣に身を包んだ豊満かつスレンダーな肢体――年頃の響にとっては非常に魅力的な誘いだ。しかし。
『だがくれぐれも淫気を孕むでないぞ。わずかでも感じたなら完膚なきまでに全身の骨肉を抱き砕いてやろう!』
以前の言葉を思い出して怯えながらお断りした。死にたくない。
エンラはアスカにもハグを断られると、不満げにしながらも玉座へと座し直した。
「参上ご苦労である。迅速で結構だ」
「……ロイド団長が気張ってくださいましたので」
「うむ。一部始終をこの〝千里眼〟で見ておったよ。どうであった響。ガーディアン名物、鬼馬の大跳躍は」
「ええとあの……こわ、じゃなくて……びっくりしました」
響が言葉を選ぶ様がおかしかったのか、エンラは真っ赤な紅を引いた唇で弧を描いてみせた。
「あれは我が属界の緊急事態にのみ許す移動法であったが、ロイドにとって我の呼びつけは緊急事態に等しかったのであろう。
貴様は肝が冷えただろうが、神域守護騎士団の団長に任命されて未だ日の浅き者のすることだ、諸々許すがよい」
「は、はい。もちろんです……ちょっとだけ楽しかったですし」
響の言葉にエンラは笑みを深める。満足げで、そしてどこか含みのある笑みだ。
「ほほう、あれを楽しかったとな。なかなかに度胸があるではないか。のうアスカ?」
「……今後は度胸試しにならないよう、気をつけます」
「響の守護を使命とする貴様にとっては落ち度となるか。だが、響が度胸試しを望むならばその限りではあるまい?」
その問いにアスカは眉根を寄せ、響は首を傾げた。エンラの傍らに控えている側近長リンリンは吐息をついているが、エンラは続けて口を開く。
「響。度胸のある貴様を評価し提案するが、執行者となる気はないか」
「……え?」
「生物界を駆け〝生物の死を守る〟ヤミ属執行者――それになってみぬかと言っておる。何を隠そう貴様らを呼びつけた理由はそれだ」
あまりに突拍子のない提案に響は黙り込んだ。
アスカも傍らで口をつぐんでいる。その横顔は響より驚きを示しているようにも見える。しかしそれは当然とも言えた。
半分ヤミ属であっても半分は人間のままの響にヤミ属執行者になることを提案するなど、執行者の任務内容を知る者ほど理解しがたいに違いない。
エンラは黙ったままでいるふたりに続けて口を開く。
「先日、ヤミ神未観測の毛玉型罪科獣の報告を受けてな。ほれ、日本の繁華街にて貴様らが対峙した一件よ。
生物としての存在養分を得るために生物界へ下りた貴様らはヤツに出くわし、難航しつつも、ルリハらを差し置いて討伐してみせたというではないか。
しかも響はヴァイスが使用不可としていた紋翼を展開し、アスカに助力したのであろう? 度胸もあれば気骨もある。ならば執行者として生きてみるのもひとつの道ではないかと思い立った次第だ」
「……、」
「とはいえ、貴様ひとりで任務を遂行せよなどと無理を言う気もない。貴様がこの提案に応じた場合、貴様の守護を使命とするアスカも執行者に復帰させ同行させる。
任務も死の危険性が伴うものを預けることはない。〝半陰〟である響、そして紋翼を失ったアスカ、両名にも充分対応可能だと判断した任務に限定しよう」
「で……でも、僕には絶対に無理です。執行者になるだなんて……」
このあたりでようやく我に返った響は忙しなく首を横に振りながら言う。
頭をよぎるのはただの人間だったころ、まだ執行者だったアスカに銃を向けられ発砲された記憶。
響にも充分対応可能と言うのだ、あれよりずっと易しい任務を預ける心づもりなのかも知れない。
だが例えそうだとしても多少は血なまぐさい側面があるはずだ。自分になどできるはずがない。そう思っていた。
「それは執行行為に慄きを感じたがゆえの言の葉か? そうであるならば執行に係る雑務のみを担当するのもよかろう。
つまりアスカが執行行為を、響は紋翼を使用した空間移動や階層移動を、というような分業制を取ればよい」
「え……そ、そういうのもアリなんですか?」
「互いが了承するのであればな。アスカ、貴様は可能であろ?」
「……執行行為は元々行っていたことですので俺は可能です。ですが、響に無理を強いるのは本意ではありません」
「無論、意に反するのであれば断って構わぬ。我は響の意志を尊重すると約束したゆえな、この提案は選択肢をひとつ増やそうというもので決して強制ではない」
「……」
「して、響。貴様は如何なる道を選ぶ」
「…………」
そう問われても、響の唇はなかなか言葉を発することができなかった。もとより簡単に決断を下せる問いでもないだろう。
だから響はしばらく黙り、頭のなかでエンラの話を繰り返し咀嚼した。そうやって少しずつ細かくなったものを取捨選択してはまとめて、〝もしも〟を構築してみた。
すると少しずつ、立ち尽くすばかりだった響の前に道が見え始める。
もし、執行者になったなら。
確かなことは、自分のなかにあるアスカの紋翼を無駄にしなくて済むこと。
自分が執行者になることでアスカもまたヤミ属執行者に戻れること。
ということは、アスカは執行者として果たしたいことを果たせる可能性がある。
頑張れば自分もアスカの助手くらいは務められる可能性だってある。つまり役に立てる。
それに、何より――
「……やってみたい、です」
気がつけば響の唇は告げていた。だから理解は返事のあとにやってきた。決意など遅ればせながらも良いところだったものの、それでも響は撤回しようなどと思わなかった。
何故なら響の脳裏にひらめいているのは家族だった人たち。祖父、祖母、妹の乃絵莉――もう家族ではなかろうが、自分のことを一切覚えていなかろうが、今も大事だと思える人たち。
執行者となるならば、生物である彼らと間接的にでも繋がっていられるのではないか。そう思ったのだ。