第13話 混乱
文字数 2,945文字
――アスカは無言で大鎌を構え直した。
「死ぬのはお前だけだ、シエル……!」
言いながらアスカは右足で地を蹴りつけ、シエルとの距離を一気に詰めると大鎌で薙ぎを繰り出した。
それを猫のごとく巧妙に避けるシエルに、アスカは一撃、もう一撃と執拗に攻撃を重ねていく。
シエルはそれらもまた躱してみせるが、代わりに斬撃や薙撃を受けた地面は派手に砂を飛び散らせ、深い裂け目を生んでいった。
アスカの左足は未だ流血しているだろう。いくらヤミ属の治癒能力が高いとはいえ、このごく短時間でどうにかなるとは思えない。
しかしアスカは動かしづらい左足を両腕や右足で上手くフォローしていた。
鋭い刃は右へ左へ、上へ下へと風を切ってシエルの急所を狙い続ける。
しかしシエルはそんなアスカの攻撃をことごとく躱していく。
未だ禁忌の烙印に彩られた首は締めつけられているようだ。苦しそうであり、水を放つなどの反撃も仕掛けてこない。
ただそれでも流麗な動きは変わらず、薄い笑みを浮かべたままでアスカの攻撃を避け続けた。
「うわ、イッテェ!」
しかし不意にシエルが声を上げる。大きく後退しアスカとの距離を広げたシエルは左の二の腕を押さえていた。
「完璧に避けたと思ったんだが……ああなるほど、〝炎〟で距離を伸ばしたか!」
白と青を基調としたウインドブレーカーがドクドクと赤に汚れていく。
どうやら権能を用いたアスカの攻撃がついにシエルを捉えたらしい。確かに大鎌の刃は再びゆらゆらとした赤黒い炎をまとい、剣呑な光を放っていた。
シエルにようやくつけた傷は致命傷でも重傷でもないが、一方的にやられるばかりだったアスカが一矢報いられた事実は大きい。
アスカはシエルにそれ以上口を動かす時間を与えなかった。
広げられた距離をまた一気に縮め、炎を灯らせた一撃をシエルに向けて重ねていく。シエルは再びアスカの攻撃を躱していく。
アスカは攻撃をしながらシエルの行動パターンを読み取っていたようだ。
先ほどは容易く躱されていた一撃が少しずつシエルに迫っていた。ギリギリで避けるシエルの面から笑みが少しずつ剥がれ落ちてきている。
不意にシエルが反撃を仕掛けてきた。
しかし紋翼から水の塊が一斉に放たれても、アスカは大鎌の柄で的確に受け、またすぐに攻撃へと転じる。
不可視の〝傀儡の糸〟も炎で焼き切っているように見え、やがてシエルの動きを先読みして繰り出された刃はシエルの上半身に傷を負わせることに成功した――ズバァッ!
「よしっ……!」
響は思わず口の中でつぶやいていた。アスカが優勢に転じてきたことがこの上なく嬉しかったのだ。
紋翼を失ったアスカは使える権能にかなり限りがある。
それゆえ己の神陰力で練り上げた大鎌での接近戦を主体とするしかないのだが、ヴァイスによるとアスカの戦闘技術は以前から群を抜いていたらしい。だからこそ響の守護を許したのだとも言っていた。
確かに与えられた条件は不利だ。負傷もしている。だが、そんなハンデを補って余りあるほどの力がアスカにはあるのだ。
「ッあー、そうだった。オマエって戦い自体は得意だったんだよな。弱虫なのが目立って、忘れてたけどさ……イテェー!」
シエルは軽い口調で言うが胸に刻まれた傷は深い。白のタンクトップはあれよあれよという間に紅へ染まっていく。
未だ首に走る三本の黒線は赤黒く発光し首も締めつけられているので、動きもさらに緩慢になるはずだ。
アスカの黒瞳はただシエルを見据え、すべての意識はシエルに集中させていた。
唇はきつく引き結ばれ、休む暇など与えないとばかりに再び地を蹴ろうとした。
「……でもさぁ。やっぱ詰めが甘いよなぁ?」
しかし――シエルが言って美しき面に笑みを戻した刹那、アスカの動きが止まる。
響は突然の停止に眉根を寄せた。
何か攻撃を受けたのか? それとも糸で拘束された? そんな憶測が頭をよぎるも、答えはすぐそこにあった。
「水中とはいえ海水がこんなことになってても気づかないんだもんなぁ!?」
ザバァアア!!
シエルの背後。まるでドリルのように激しく回転しながら姿を現し、アスカに矛先を向けているそれ――渦巻き持ち上がった大量の海水。
「ッ、響!」
アスカは響を背に守る形で戦い続けていた。
つまり渦巻く水流の進路には響もいる。だからアスカは踵を返し、響を助けるべく駆け寄ろうとした。
「えっ、な……んで!?」
「行かせないぜ? アスカ」
しかしそれは響に視認されない。
何故ならアスカと響の間にシエルが立っていたからだ。
一体どんな方法で瞬間的に移動したのか――順当に考えれば紋翼だろう。
だが、本当に一瞬も一瞬すぎた。響は彼の背に目を見開くばかりになってしまう。
そしてそれはアスカも同じだった。予想だにできない状況はアスカを一瞬硬直させた。
そんなアスカの背に水のドリルが一気に迫ってくる。
アスカと交戦しながら密かに構築していたらしい凶悪なそれから逃れるならば、急いで身を切り返す必要があった。
しかしアスカは振り返らず、避けることもせず、響の前に立ちはだかるシエルを討つことを選んだ。
激しく放たれる水が脅威であることを忘れたわけではないだろう。響のすぐ前に立つシエルの方が脅威だと判断しただけだ。
それに自分だけがドリルを逃れられても意味はないと、何があっても響を守らねばならないと思ったに違いない。
戦闘態勢を取りながら挑発するように手招きするシエル、そこへ放たれる炎の斬撃。
シエルにその渾身の一撃はあっけなく直撃した。だが、
「ッ……!」
手応えがない。斬撃と共に飛び散るのは彼の肉でも血でもない。
水だ! その事実に気づいた途端、アスカは振り返る。同時に水のドリルがアスカを真っ向から襲った。
「アスカ君ッ!!」
水で形作られたシエルが消え去った瞬間に開けた響の視界。
そこに映ったのは、自分のすぐ前で激しく回転する水流を刃で懸命に受けるアスカの背中だった。
耳が痛くなるような金属音。鋭利な水と大鎌の刃が拮抗する音。
アスカの身体はうねる水流を受け止めながらも水圧に押され、少しずつ後退していた。
そもそもアスカは左足を負傷しているので踏ん張るのに難がある。
加えて相手は水量に際限のない海――あまりにも分が悪い。
「ハハハハッ、まんまと水で作った分身に騙されてやんの。真贋くらいすぐ見分けられるようになろうぜ。
ま、死ぬほど精巧に作ったからムリナンダイだったとは思うがな!」
シエルは水のドリルの傍らで事の次第を眺めていたようだった。追い打ちをかける気はないらしい。
響もろともアスカが水のドリルに貫かれるのを悠々と鑑賞する気なのか――どんなにしろ予測はさほど間違っていないだろう。
ならばどうにかしなければ。水のドリルはアスカにギリギリ阻まれつつも既に目前まで迫ってきている。苦しみも痛みも死もすぐそこだ。
「っ……」
だが、だからこそ響の身体と心が硬直してしまう。
怖い。ムリだ。嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない!!
「ッッアスカ君よけて!!」
しかし、響は内にある恐怖を無理やり押し殺して力の限り叫んだ。
同時に両手の平で瞬時に練り上げた風をアスカの背に向けて一気に放出した。
「死ぬのはお前だけだ、シエル……!」
言いながらアスカは右足で地を蹴りつけ、シエルとの距離を一気に詰めると大鎌で薙ぎを繰り出した。
それを猫のごとく巧妙に避けるシエルに、アスカは一撃、もう一撃と執拗に攻撃を重ねていく。
シエルはそれらもまた躱してみせるが、代わりに斬撃や薙撃を受けた地面は派手に砂を飛び散らせ、深い裂け目を生んでいった。
アスカの左足は未だ流血しているだろう。いくらヤミ属の治癒能力が高いとはいえ、このごく短時間でどうにかなるとは思えない。
しかしアスカは動かしづらい左足を両腕や右足で上手くフォローしていた。
鋭い刃は右へ左へ、上へ下へと風を切ってシエルの急所を狙い続ける。
しかしシエルはそんなアスカの攻撃をことごとく躱していく。
未だ禁忌の烙印に彩られた首は締めつけられているようだ。苦しそうであり、水を放つなどの反撃も仕掛けてこない。
ただそれでも流麗な動きは変わらず、薄い笑みを浮かべたままでアスカの攻撃を避け続けた。
「うわ、イッテェ!」
しかし不意にシエルが声を上げる。大きく後退しアスカとの距離を広げたシエルは左の二の腕を押さえていた。
「完璧に避けたと思ったんだが……ああなるほど、〝炎〟で距離を伸ばしたか!」
白と青を基調としたウインドブレーカーがドクドクと赤に汚れていく。
どうやら権能を用いたアスカの攻撃がついにシエルを捉えたらしい。確かに大鎌の刃は再びゆらゆらとした赤黒い炎をまとい、剣呑な光を放っていた。
シエルにようやくつけた傷は致命傷でも重傷でもないが、一方的にやられるばかりだったアスカが一矢報いられた事実は大きい。
アスカはシエルにそれ以上口を動かす時間を与えなかった。
広げられた距離をまた一気に縮め、炎を灯らせた一撃をシエルに向けて重ねていく。シエルは再びアスカの攻撃を躱していく。
アスカは攻撃をしながらシエルの行動パターンを読み取っていたようだ。
先ほどは容易く躱されていた一撃が少しずつシエルに迫っていた。ギリギリで避けるシエルの面から笑みが少しずつ剥がれ落ちてきている。
不意にシエルが反撃を仕掛けてきた。
しかし紋翼から水の塊が一斉に放たれても、アスカは大鎌の柄で的確に受け、またすぐに攻撃へと転じる。
不可視の〝傀儡の糸〟も炎で焼き切っているように見え、やがてシエルの動きを先読みして繰り出された刃はシエルの上半身に傷を負わせることに成功した――ズバァッ!
「よしっ……!」
響は思わず口の中でつぶやいていた。アスカが優勢に転じてきたことがこの上なく嬉しかったのだ。
紋翼を失ったアスカは使える権能にかなり限りがある。
それゆえ己の神陰力で練り上げた大鎌での接近戦を主体とするしかないのだが、ヴァイスによるとアスカの戦闘技術は以前から群を抜いていたらしい。だからこそ響の守護を許したのだとも言っていた。
確かに与えられた条件は不利だ。負傷もしている。だが、そんなハンデを補って余りあるほどの力がアスカにはあるのだ。
「ッあー、そうだった。オマエって戦い自体は得意だったんだよな。弱虫なのが目立って、忘れてたけどさ……イテェー!」
シエルは軽い口調で言うが胸に刻まれた傷は深い。白のタンクトップはあれよあれよという間に紅へ染まっていく。
未だ首に走る三本の黒線は赤黒く発光し首も締めつけられているので、動きもさらに緩慢になるはずだ。
アスカの黒瞳はただシエルを見据え、すべての意識はシエルに集中させていた。
唇はきつく引き結ばれ、休む暇など与えないとばかりに再び地を蹴ろうとした。
「……でもさぁ。やっぱ詰めが甘いよなぁ?」
しかし――シエルが言って美しき面に笑みを戻した刹那、アスカの動きが止まる。
響は突然の停止に眉根を寄せた。
何か攻撃を受けたのか? それとも糸で拘束された? そんな憶測が頭をよぎるも、答えはすぐそこにあった。
「水中とはいえ海水がこんなことになってても気づかないんだもんなぁ!?」
ザバァアア!!
シエルの背後。まるでドリルのように激しく回転しながら姿を現し、アスカに矛先を向けているそれ――渦巻き持ち上がった大量の海水。
「ッ、響!」
アスカは響を背に守る形で戦い続けていた。
つまり渦巻く水流の進路には響もいる。だからアスカは踵を返し、響を助けるべく駆け寄ろうとした。
「えっ、な……んで!?」
「行かせないぜ? アスカ」
しかしそれは響に視認されない。
何故ならアスカと響の間にシエルが立っていたからだ。
一体どんな方法で瞬間的に移動したのか――順当に考えれば紋翼だろう。
だが、本当に一瞬も一瞬すぎた。響は彼の背に目を見開くばかりになってしまう。
そしてそれはアスカも同じだった。予想だにできない状況はアスカを一瞬硬直させた。
そんなアスカの背に水のドリルが一気に迫ってくる。
アスカと交戦しながら密かに構築していたらしい凶悪なそれから逃れるならば、急いで身を切り返す必要があった。
しかしアスカは振り返らず、避けることもせず、響の前に立ちはだかるシエルを討つことを選んだ。
激しく放たれる水が脅威であることを忘れたわけではないだろう。響のすぐ前に立つシエルの方が脅威だと判断しただけだ。
それに自分だけがドリルを逃れられても意味はないと、何があっても響を守らねばならないと思ったに違いない。
戦闘態勢を取りながら挑発するように手招きするシエル、そこへ放たれる炎の斬撃。
シエルにその渾身の一撃はあっけなく直撃した。だが、
「ッ……!」
手応えがない。斬撃と共に飛び散るのは彼の肉でも血でもない。
水だ! その事実に気づいた途端、アスカは振り返る。同時に水のドリルがアスカを真っ向から襲った。
「アスカ君ッ!!」
水で形作られたシエルが消え去った瞬間に開けた響の視界。
そこに映ったのは、自分のすぐ前で激しく回転する水流を刃で懸命に受けるアスカの背中だった。
耳が痛くなるような金属音。鋭利な水と大鎌の刃が拮抗する音。
アスカの身体はうねる水流を受け止めながらも水圧に押され、少しずつ後退していた。
そもそもアスカは左足を負傷しているので踏ん張るのに難がある。
加えて相手は水量に際限のない海――あまりにも分が悪い。
「ハハハハッ、まんまと水で作った分身に騙されてやんの。真贋くらいすぐ見分けられるようになろうぜ。
ま、死ぬほど精巧に作ったからムリナンダイだったとは思うがな!」
シエルは水のドリルの傍らで事の次第を眺めていたようだった。追い打ちをかける気はないらしい。
響もろともアスカが水のドリルに貫かれるのを悠々と鑑賞する気なのか――どんなにしろ予測はさほど間違っていないだろう。
ならばどうにかしなければ。水のドリルはアスカにギリギリ阻まれつつも既に目前まで迫ってきている。苦しみも痛みも死もすぐそこだ。
「っ……」
だが、だからこそ響の身体と心が硬直してしまう。
怖い。ムリだ。嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない!!
「ッッアスカ君よけて!!」
しかし、響は内にある恐怖を無理やり押し殺して力の限り叫んだ。
同時に両手の平で瞬時に練り上げた風をアスカの背に向けて一気に放出した。