第11話 紋翼の展開練習!~特訓1日目~
文字数 2,966文字
一体何時間経っただろうか。
時の経過に気など払えるはずもなく、ただひたすら片手腕立て伏せをそれぞれ一万回、腹筋を二万回、スクワットを五万回こなした。
当初は途方もなく感じていたこれらのメニューもやはりヤミ属の血ゆえか、時間はかかったが意外とこなすことができた。
とはいえ肉体的損耗は当たり前に激しい。精神的摩耗も激しかった。
最初の方はまだガムシャラに頑張れていたが、腹筋一万回を終えたころから表情が消え失せ、目は光を失い、徐々に汗水を垂らす筋トレマシンと化した。
終盤は完全に無我の境地に達しており、スクワット五万回を終わらせたあともしばらく足の屈伸運動を続け、回数を数えてくれていたヴァイスに「もう終わったよ」と言われるまで気がつかなかったくらいだ。
「おわっ…………た……………………」
ボロボロの声で言いながら地面に背中から倒れる響。
無茶なメニューを終えられた達成感などない。むしろ筋トレの最中よりも疲労感が押し寄せてきてひたすらつらい。休みたい。このまま眠ってしまいたい。
「お疲れさま、響くん」
疲労困憊の響にヴァイスは労いの言葉をかけるも、それにすら満足に返事ができない。
異様に重い眼球を動かし、ほぼ真上から己を見下ろすヴァイスへ視線を合わせるのが精いっぱいだ。
美しい常夜の星空を背景にしつつも、相変わらずペストマスクをつけたその姿は恐ろしい。
鬼教官の今はさらに恐怖度がアップしているように感じる。
「だいぶ消耗しているようだが大丈夫かい」
「あの……ヤミ属は、これが普通……なんですよね……?」
「まあ、執行者なら普通かな」
「やっぱり……じゃあ……ぜんぜん、大丈夫……です……」
「ふふ。なかなか殊勝だね」
なけなしの見栄を張りつつも起き上がれないでいる響にヴァイスは肩を揺らした。
視線をずらすと、響の隣にいるアスカはまだ筋トレを行っていた。
当初のメニューはずいぶん前に終えており、今の彼はヴァイスが新たに追加した逆立ち片手腕立て伏せに勤しんでいる。
さすがのアスカもこれは相当にきついようで、顔はこれ以上ないほどに険しく、全身は汗でしとどに濡れ、呼吸を荒らげていた。
気がつけばヴァイスも響と同じようにアスカへ視線を移している。嫌な予感。
「じゃあ次はアスカと同じメニューを――」
「っ、」
「と言いたいところだが、それはさすがに酷だからね。響くんは別のことをしようか」
「よ、良かったぁ…………」
思わず漏れてしまった本音にまた肩を揺らすヴァイス。このときばかりはヴァイスが天使に見えた。もっとも、筋トレ地獄の元凶であることは絶対に忘れてはならない。
響は苦心しながらも身を起こし、ようよう立ち上がった。全身が生まれたての子鹿のごとく震えているが「まずは確認と説明だ」と言うヴァイスへ重い首を持ち上げる。
「今回の指名勅令任務〝魂魄執行〟においては、アスカが執行そのものを、響くんが執行に係る雑務全般を受け持つって話だったかな」
「はい。アスカ君と昨日そう話していました」
「ならば最初に紋翼の知識を頭に入れてもらおうか。執行以外の雑務とはほぼ階層移動――ヤミ属界から生物界、生物界から執行用階層への移動などなど、紋翼を使うものばかりだからね。私が皆に口止めしていたからあまり知らないだろう?」
「は、はい」
響が頷くとヴァイスは講釈モードに突入した。
「そもそも私たちが紋翼と呼んでいるものは、ヤミ属の心臓である神核片を活発化させた際に背後に表れる紋様の総称だ。
機械で言うならエンジンを稼働させた瞬間、副産物的に発生する熱量と言うと分かりやすいかな」
ヴァイスは続ける。
「左右一対のカタチを成していることが多いが、形状は執行者によって千差万別。ただ、執行者の格は紋翼の規模を見れば大体分かる。
形状はどうあれ紋翼が大きかったり一対以上あったりした場合、神格も戦闘能力も高いのは共通している。
まぁ、そういう者たちは隠したり偽ったりするのもお手の物だから実際はあまり当てにならないが……ここまではいいかい」
「えと、はい」
「基本的に執行者は紋翼を――というか紋翼として表出するほどの力がないと任務を達成することが非常に困難だ。
だから紋翼を持っていることが執行者の最低条件なんだ。さっきも言ったように階層移動にはもちろん、戦闘にも必要不可欠だからね。
ときに、響くんは自分で紋翼を展開できるかい」
「……多分ですけど、できます」
「そうか。じゃあ見せてごらん」
ヴァイスに促され、響は彼やアスカから少し距離を取り、ごくりと生唾を飲み込んだあとで背中に意識を集中させる。
脳裏には過去に暴走した紋翼を落ち着かせるためアスカが教えてくれた方法。
深呼吸をしながら穏やかな風に吹かれる自分をイメージ、して!
「――!」
瞬間、己の背中からブワリと風が生まれたのを感じた。かといって突風でもない。春に吹くようなやや強めの風だ。
首を動かして自分の背後を振り返れば、そこには以前見たものと同じ、翼のごとく左右一対に噴出する風がある。
「上手じゃないか。暴走しやすそうな紋翼なのに」
上手くいった安堵、いつの間にか地獄の筋トレを終えて響が紋翼を展開する様子を見ていたらしいアスカの頷き、そしてヴァイスからの称賛に響は素直に嬉しくなってしまった。頭を掻きながら良い気分で口を開く。
「へへ、前にアスカ君に教えてもらったんで」
「……それは毛玉型罪科獣との戦いで初めて紋翼を出したときに?」
「いえ、あのときは無意識でした。気づいたら勝手に消えちゃいましたし。
教えてもらったのはそれから少しあと、この草原で近所の子どもたちに紋翼を見せてってせがまれたときです。そのときはすごい爆風になって子どもたちをケガさせちゃいそうになっ――」
話している途中、アスカがこわばった面持ちで首を横にぶんぶん振っていることに気づく。それを見て響は遅ればせながら思い出す。
あの一件でアスカが子どもたちに言った言葉『お前らも他言するなよ……特にヴァイス先輩には』。
「……あっ……」
「アスカ。どういうことかな。私は響くんが紋翼を使わないよう気をつけて見ていてくれと言ったはずだよ」
しかし時既に遅し。ヴァイスは全身から怖いオーラを出してアスカを振り返る。
アスカは先ほどと違う汗をかきながら目を泳がせ始める。
「……すみません」
「しかも話によると傍系属子の子どもたちも草原地帯に出ていたようだが? まさかそれも君が先導したなんてことはないだろうね、アスカ」
「あわわわわ、違うんです、違うんですヴァイスさん! 僕が外に出ちゃいけないこと知らないで連れてきちゃって! アスカ君は全然悪くないです!」
慌ててフォローに入る。
とはいえ正直に真相を伝えてしまうと叱責が子どもたちに向いてしまうような気がして――子どもたちがヴァイスのこの気迫を浴びた暁には大泣き間違いなしだ――事実を少しばかり歪曲しつつだ。
そもそもあの一件はアスカに何も告げず子どもたちと外出し、草原地帯への道のりが明らかに怪しかったにもかかわらずついていき、請われるがまま紋翼を展開してしまった響の落ち度のオンパレードだった。アスカが叱責を受けるいわれはない。
「いえ。俺の判断不足です。響は悪くありません」
「なんで!?」
時の経過に気など払えるはずもなく、ただひたすら片手腕立て伏せをそれぞれ一万回、腹筋を二万回、スクワットを五万回こなした。
当初は途方もなく感じていたこれらのメニューもやはりヤミ属の血ゆえか、時間はかかったが意外とこなすことができた。
とはいえ肉体的損耗は当たり前に激しい。精神的摩耗も激しかった。
最初の方はまだガムシャラに頑張れていたが、腹筋一万回を終えたころから表情が消え失せ、目は光を失い、徐々に汗水を垂らす筋トレマシンと化した。
終盤は完全に無我の境地に達しており、スクワット五万回を終わらせたあともしばらく足の屈伸運動を続け、回数を数えてくれていたヴァイスに「もう終わったよ」と言われるまで気がつかなかったくらいだ。
「おわっ…………た……………………」
ボロボロの声で言いながら地面に背中から倒れる響。
無茶なメニューを終えられた達成感などない。むしろ筋トレの最中よりも疲労感が押し寄せてきてひたすらつらい。休みたい。このまま眠ってしまいたい。
「お疲れさま、響くん」
疲労困憊の響にヴァイスは労いの言葉をかけるも、それにすら満足に返事ができない。
異様に重い眼球を動かし、ほぼ真上から己を見下ろすヴァイスへ視線を合わせるのが精いっぱいだ。
美しい常夜の星空を背景にしつつも、相変わらずペストマスクをつけたその姿は恐ろしい。
鬼教官の今はさらに恐怖度がアップしているように感じる。
「だいぶ消耗しているようだが大丈夫かい」
「あの……ヤミ属は、これが普通……なんですよね……?」
「まあ、執行者なら普通かな」
「やっぱり……じゃあ……ぜんぜん、大丈夫……です……」
「ふふ。なかなか殊勝だね」
なけなしの見栄を張りつつも起き上がれないでいる響にヴァイスは肩を揺らした。
視線をずらすと、響の隣にいるアスカはまだ筋トレを行っていた。
当初のメニューはずいぶん前に終えており、今の彼はヴァイスが新たに追加した逆立ち片手腕立て伏せに勤しんでいる。
さすがのアスカもこれは相当にきついようで、顔はこれ以上ないほどに険しく、全身は汗でしとどに濡れ、呼吸を荒らげていた。
気がつけばヴァイスも響と同じようにアスカへ視線を移している。嫌な予感。
「じゃあ次はアスカと同じメニューを――」
「っ、」
「と言いたいところだが、それはさすがに酷だからね。響くんは別のことをしようか」
「よ、良かったぁ…………」
思わず漏れてしまった本音にまた肩を揺らすヴァイス。このときばかりはヴァイスが天使に見えた。もっとも、筋トレ地獄の元凶であることは絶対に忘れてはならない。
響は苦心しながらも身を起こし、ようよう立ち上がった。全身が生まれたての子鹿のごとく震えているが「まずは確認と説明だ」と言うヴァイスへ重い首を持ち上げる。
「今回の指名勅令任務〝魂魄執行〟においては、アスカが執行そのものを、響くんが執行に係る雑務全般を受け持つって話だったかな」
「はい。アスカ君と昨日そう話していました」
「ならば最初に紋翼の知識を頭に入れてもらおうか。執行以外の雑務とはほぼ階層移動――ヤミ属界から生物界、生物界から執行用階層への移動などなど、紋翼を使うものばかりだからね。私が皆に口止めしていたからあまり知らないだろう?」
「は、はい」
響が頷くとヴァイスは講釈モードに突入した。
「そもそも私たちが紋翼と呼んでいるものは、ヤミ属の心臓である神核片を活発化させた際に背後に表れる紋様の総称だ。
機械で言うならエンジンを稼働させた瞬間、副産物的に発生する熱量と言うと分かりやすいかな」
ヴァイスは続ける。
「左右一対のカタチを成していることが多いが、形状は執行者によって千差万別。ただ、執行者の格は紋翼の規模を見れば大体分かる。
形状はどうあれ紋翼が大きかったり一対以上あったりした場合、神格も戦闘能力も高いのは共通している。
まぁ、そういう者たちは隠したり偽ったりするのもお手の物だから実際はあまり当てにならないが……ここまではいいかい」
「えと、はい」
「基本的に執行者は紋翼を――というか紋翼として表出するほどの力がないと任務を達成することが非常に困難だ。
だから紋翼を持っていることが執行者の最低条件なんだ。さっきも言ったように階層移動にはもちろん、戦闘にも必要不可欠だからね。
ときに、響くんは自分で紋翼を展開できるかい」
「……多分ですけど、できます」
「そうか。じゃあ見せてごらん」
ヴァイスに促され、響は彼やアスカから少し距離を取り、ごくりと生唾を飲み込んだあとで背中に意識を集中させる。
脳裏には過去に暴走した紋翼を落ち着かせるためアスカが教えてくれた方法。
深呼吸をしながら穏やかな風に吹かれる自分をイメージ、して!
「――!」
瞬間、己の背中からブワリと風が生まれたのを感じた。かといって突風でもない。春に吹くようなやや強めの風だ。
首を動かして自分の背後を振り返れば、そこには以前見たものと同じ、翼のごとく左右一対に噴出する風がある。
「上手じゃないか。暴走しやすそうな紋翼なのに」
上手くいった安堵、いつの間にか地獄の筋トレを終えて響が紋翼を展開する様子を見ていたらしいアスカの頷き、そしてヴァイスからの称賛に響は素直に嬉しくなってしまった。頭を掻きながら良い気分で口を開く。
「へへ、前にアスカ君に教えてもらったんで」
「……それは毛玉型罪科獣との戦いで初めて紋翼を出したときに?」
「いえ、あのときは無意識でした。気づいたら勝手に消えちゃいましたし。
教えてもらったのはそれから少しあと、この草原で近所の子どもたちに紋翼を見せてってせがまれたときです。そのときはすごい爆風になって子どもたちをケガさせちゃいそうになっ――」
話している途中、アスカがこわばった面持ちで首を横にぶんぶん振っていることに気づく。それを見て響は遅ればせながら思い出す。
あの一件でアスカが子どもたちに言った言葉『お前らも他言するなよ……特にヴァイス先輩には』。
「……あっ……」
「アスカ。どういうことかな。私は響くんが紋翼を使わないよう気をつけて見ていてくれと言ったはずだよ」
しかし時既に遅し。ヴァイスは全身から怖いオーラを出してアスカを振り返る。
アスカは先ほどと違う汗をかきながら目を泳がせ始める。
「……すみません」
「しかも話によると傍系属子の子どもたちも草原地帯に出ていたようだが? まさかそれも君が先導したなんてことはないだろうね、アスカ」
「あわわわわ、違うんです、違うんですヴァイスさん! 僕が外に出ちゃいけないこと知らないで連れてきちゃって! アスカ君は全然悪くないです!」
慌ててフォローに入る。
とはいえ正直に真相を伝えてしまうと叱責が子どもたちに向いてしまうような気がして――子どもたちがヴァイスのこの気迫を浴びた暁には大泣き間違いなしだ――事実を少しばかり歪曲しつつだ。
そもそもあの一件はアスカに何も告げず子どもたちと外出し、草原地帯への道のりが明らかに怪しかったにもかかわらずついていき、請われるがまま紋翼を展開してしまった響の落ち度のオンパレードだった。アスカが叱責を受けるいわれはない。
「いえ。俺の判断不足です。響は悪くありません」
「なんで!?」