第12話 あわや大事故、大目玉

文字数 3,189文字

 響が子どもたちに手を引かれて連れてこられた場所は居住地帯の外、草原地帯を少し進んだ草むらだった。

 道中、いつも歩いている広道ではなく住宅間の細道をコソコソ進んだり、挙句の果てに外壁に空いた穴を通らされたりしたため、どこへ連れていかれるのだろうと心配していたので少しばかり拍子抜けしてしまった。

 辺りをぐるりと見渡す。草原地帯には建造物が一切ない。そのため夜空が広く、たくさんの星と魂魄が瞬くのが見えた。自由に吹き遊ぶ風が草原を撫でる音も心地よい。

「皆、秘密のところってここ?」

「うん、そう! たまーにしか来られないんだぜ。

 カベウマムシって霊虫が壁に穴を空けて、それが皆に見つかる前にしかチャンスないから」

「空がおっきくて、走り放題なのー」

「落ちてる星屑も広いホーダイ!」

「響はワクワクしない? あんまり喜んでないね」

「あー、実は僕、草原地帯は初めてじゃないんだ。ヴァイスさんとかアスカ君と二回くらい来たことがあって」

 初めてのふりをして喜んであげるのが最良の対応だったのかも知れないが、その前に指摘されてしまい観念する。子どもたちは「えー」と残念そうな声を上げた。

「なんだよー喜ぶとおもったのにさー」

「もちろん皆の特別な場所に案内してもらえて嬉しいよ」

「ほんと? 良かったー」

「でもさー、おれたちはなかなか来られないのに、響はずるいよなぁ」

「あはは、ごめんね」

「アスカの紋翼をもらったからだよね、いいなー」

「あ! そうだ、今日こそ紋翼見せて!」

「わぁ、見たい見たーい! 今まではパパママとアスカが近くにいたからガマンしてたけど、今は皆いないからいいよね!」

「ねー響、紋翼見せてー」

「う、うーん?」

 子どもたち全員にカーディガンの裾を引っ張られてせがまれ、響は困り声を出さざるを得なかった。

 子どもたちに初めてせがまれたときはアスカや彼らの親が止めてくれたものの、今はそういう助け舟が一切期待できない。

 しかも以前は紋翼のことをほぼ知らなかったが、現在の響はそれが何であるかを知っている。

 毛玉型罪科獣の一件から早数日。

 生物界から帰ってきて以降ヤミ属界でのんびり過ごしている現在は、紋翼を出すために必要な力――アスカが言うにはそれこそがヤミ属の存在養分らしい――も回復したようだ。

 一度無意識にでも展開したせいだろうか、紋翼の出し方も感覚で分かっていた。

 しかし紋翼のことはヴァイスによって皆が口止めされていたようだし、さらには彼の手によって使えなくまでされていたらしい。

 毛玉型罪科獣の一件で事故的に知ってしまったが、少なくともヴァイスはどうしても紋翼のことを響に秘匿しておきたかったのだろうと察せられる。

 響の持つ紋翼はもともとアスカのものだ。それゆえヴァイスが周りに口止めしていたと聞いたときは、紋翼を失ったアスカの心情を慮ってのことかと思った。

 しかし紋翼を使えないよう細工までしていたとディルの口から聞いたとき、それだけではないと感じた。少なくともヴァイスは確実に響が紋翼を使うことを望んでいないだろう。

「ねー響、ぼーっとしてないで早く早くー!」

「見せてくれるだけでいいからさー」

「おれたちも秘密見せてあげたんだから響も見せてー」

「うう、分かった。分かったよ。少しだけだよ?」

 しかし純粋無垢な瞳に見上げられてせがまれると、ただでさえ押しに弱い響は応じるしかなくなってしまう。

「やったー!」
「へへ、紋翼見せてもらったら弟に自慢しよ!」
「早く見せてー!」

 もはや引き下がることはできない。響は子どもたちに背を向けて少しばかり離れると、目をつぶり意識を集中させる。

 先日の毛玉との騒動を脳裏に思い起こし、短く息を吐くと同時に目を見開いた。

 その瞬間――ザアァ!!

「うわぁ!」
「ッ、えっ!?」

 激しい突風音。そして間を置かず子どもの悲鳴が響の鼓膜をつんざいた。

 とっさに振り返る。すると背後で勢いよく風を巻き起こす紋翼と、それに直撃したひとりの子どもが吹き飛ばされたのに気づいた。

 サアッと血の気が引きつつも身体は動こうとするが、しかし紋翼の起こす風は想像以上に荒々しく、自分も前のめりに転びそうになっている。

 踵を返すことすら夢のまた夢だ。このままでは子どもが危ない!

「――っ!?」

 だが、子どもが地面に叩きつけられることはなかった。

 突然第三者が響の傍らを通り過ぎたかと思えば、後方へ吹き飛ばされた子どもをしっかり抱きとめたのだ。

「深呼吸だ! そして想像しろ、穏やかな風に吹かれる自分を!」

 さらに第三者は響に向けて助言を投げてくる。

 その聞き覚えのある音色はザアアアと風が鳴るなかでもまっすぐに届き、響は言われるままに深呼吸をしながらとっさに想像を試みた。

 生物界。春、小学一年生になった乃絵莉の手を引いて学校へ向かった幼いころの記憶。柔らかに己の頬を撫でる心地よい風――

「!……」

 すると背中の風が急速に静まっていく。

 ゆっくりと目を開き、振り返って確認すると紋翼はそよ風程度になっていて響は心底安堵した。

 これならば自分で制御できそうだと思えば、紋翼はシュウウウと尻すぼみの音と共に消失してくれた。

 だが、自分が招いてしまった事態までもが姿を消してくれるわけもない。響は素早く踵を返すと子どもたちや子どもを抱きとめた第三者の方へと走った。

「ごめん、ケガはない!?」
「すっ……げぇ~!!」
「響の紋翼、バーッて風が吹いてかっこいいー!」
「すごいすごい、もう一回見たーい!」

 響の心配とは裏腹に、子どもたちは目のあたりにした響の紋翼に大興奮するばかりだった。

 見たところ彼らにケガは見られない。吹き飛ばされた子どもも顔が興奮で赤くなっているだけだ。

 響はその事実に胸を撫で下ろすも、子どもを抱きとめた第三者がアスカだったことに改めて気がつけばすぐに硬直する。

「……おいお前ら。居住地帯の外に出てはいけないと教わらなかったのか」

 しかしアスカがまず叱責を向けたのは子どもたちの方だった。彼らの興奮はその低い声にピタリと止む。

 アスカは抱きとめた子どもを立たせると腕組みをして、俯いた子どもたちを見下ろした。

 響は「えっ居住地帯の外って出ちゃダメなんだ……!?」と動揺を隠せない。

「門番ガーディアンが交代する合間を狙ったのか? それとも外壁に空いた穴から外に出たのか。いずれにしろやっていいことと悪いことがある」

「……」

「草原地帯には霊獣がたくさんうろついている。落ちてくる星屑だって他の区域の比じゃない。少し行けばガーディアンの訓練場だってある。万が一疾走する鬼馬に蹴られでもしたら、この程度で済まされないのは分かるな」

「……う、うん」

「好奇心そのものは否定しないが、軽率な行動が最悪な事態を招く可能性があるということだけは肝に銘じておけ。ケガをしたら痛いのはお前たちで、哀しむのはお前の親や周りのヤミだからな」

「ごめんなさい……」

「もうしないよぉ」

「助けてくれてありがと、アスカ」

 子どもたちはしょんぼりしながらアスカに頭を下げた。

 それを見下ろすアスカはひとつ頷き、騒ぎに気がついたか居住地帯の方からこちらへ近寄ってくるガーディアンへ目を向けるよう促す。

「ちょうどガーディアンも来てくれたからこのまま帰れ。今回は両親に内緒にしておいてやる。お前らも他言するなよ……特にヴァイス先輩には」

「分かった、ありがとう!」

「じゃあかえるねー」

「響とアスカ、次は公園で遊ぼうぜ~!」

「う、うん……」

 事実を軽く歪曲した説明をアスカから受けたガーディアンに連れられて子どもたちが居住地帯へ戻っていく。

 しかしアスカはそれを見送るばかりで同じように戻る気配はなく、響は痛い沈黙のなかで冷や汗を垂らさざるを得なかった。

 どう考えても次に怒られるの僕じゃん――そんな予感に震えていた。
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