第7話 交戦、無人の繁華街にて
文字数 2,464文字
「なんだ……!?」
背中で何かがブチブチと解き放たれような音とアスカの狼狽の声を聞いたのはほぼ同時だった。
「キララ、ルリハ! どこだ!」
アスカの声に響は我に返る。どうやら一瞬気をどこぞへとやっていたらしいが、未だ疾走するアスカに抱えられる現状に気づけば重い首を持ち上げ周囲を見渡した。
「!? 誰もいなくなってる……!?」
そしてひとりでに上がる驚愕の声。気をやっていた一瞬に繁華街でひしめいていた人間たちの一切が消えていたのだ、愕然とせざるを得なかった。
今、この繁華街には響とアスカ、そしてふたりを追う毛玉しか存在しない。必死に毛玉を追いかけていたはずのキララやルリハもいない。
景色には何の変化がないにもかかわらず、生物だけがごっそりと消えてしまった。異様な空気感――響は息を呑んだ。
「響、聞いてくれ。ようやくヤツを補足、階層移動できたようだ」
そんなところでアスカが呼びかけてくる。依然として彼は響を抱えながら走っているが、人の気配が消えたせいだろうか、突然ビル壁を疾走で登り始めた。
「おわぁ!?」
「しかし何故かキララやルリハの姿が見当たらない。階層に引きこんだはずのヤツらがいない理由は不明だ。
だが普段使う階層よりも深いから、それが関係しているのかも知れない」
言いながらアスカはまだ駆け上がり、同時に突然赤く発光を始めた左胸の奥へ右手を埋め込む。毛玉はやはり当たり前のように追いかけてくる。
「あいつらがこの階層にたどり着くのを待つより、俺が毛玉を討伐する方がお前の安全を守れると判断する。だから悪いが、少し我慢していてくれ」
「!」
発光する左胸、恐らくその内にある神核片へ埋め込んでいた右手を引き抜く。するとそこには既視感のある鉄パイプ。
「――お前は俺が守る」
ボウッ。燃焼音。まっすぐに言いきったアスカの右手には、いつの間にか先端に三日月の刃を灯した黒の大鎌が握られていた。
アスカは毛玉が突撃してくるのを見計らってか素早く身を翻して毛玉へと向き直った。そうして毛玉が直撃する瞬間に斬撃を繰り出す。
ザン!! 響は反射的に目をつぶってしまったものの、鼓膜を震わせた音は攻撃が確実に入ったことを証明していた。
「ちっ……浅かったか」
しかし舌打ちをするアスカ。
恐る恐る目を開けば、確かに毛玉は再びビルの間でピンポン玉を続けている。だが浅くとも受傷は受傷だ、その動きはわずかに鈍っているのが響にも分かった。
アスカは疾走を再開。先ほどは上へ向かって走ったが今度は真横に走って自ら毛玉へと接近していく。ビル壁に終わりが来ると躊躇なく跳躍し、次のビル壁へ。
単純に毛玉のあとを追っているのではない。恐らく毛玉の次の行動を予測して動いているであろうアスカは、大鎌を横に振りかぶりながらビル壁へ跳ね返った瞬間の毛玉を待ち構えた。
同時に斬撃、再びの直撃。今度は響も目を閉じずに済んだが、目の前で鋭利な大鎌の餌食になった毛玉はさらによろけつつも手近のビル壁でバウンドし跳ね返りを再開した。アスカはそれをまた追う。
「えええ、今のでもダメなんだ!?」
「タイミングは合わせたが攻撃を直前で予期されて着地点をずらされた。この速度といい、ひたすら回避能力と察知能力に特化した罪科獣だな」
「でも二回も当たったのに……!」
「俺の踏み込みも弱かった。いや、それ以前の問題か」
「え?」
「紋翼なしでは執行者を続けられない理由が、よく分かる」
「……、ひえぇっ!?」
自嘲に口を歪めるアスカに気を取られたところで毛玉がまた突撃してきた。手負いになったからか、今までよりも殺気のこもった一撃で響は大仰に身体を揺らしてしまった。
「くっ……!」
迎撃しようとしていたアスカはそれでわずかに体勢を崩した。迎え撃とうとしていた大鎌は防御のためだけに使われ、勢いを殺そうとしたのか同時に後退する。
ギュギュギュギュ、とビル壁で擦れるアスカの靴底音。
「ご、ごめん!」
「いい」
短く言いながらアスカはビル壁を駆け上がって、跳ね返りつつ照準を再び定める毛玉へと果敢に向かっていく。
既に二回攻撃を食らわせているだけあって毛玉の速度は当初よりも明らかに落ちている。毛玉が突撃してくるのを狙って斬撃を与えればいつかは倒せるだろう。
しかし、肩で息をして大粒の汗を垂らすアスカにもやはり激しい体力消耗が見て取れた。
階層が変わる前から響を抱えながら全力疾走を続けたこと、脇腹を負傷したことが響いているのかも知れない。自身が皮肉げに言うとおり紋翼がないのも関係しているのだろう。
だが、何よりの原因は自分だと響は悟らざるを得なかった。目標を捕捉し続け、男ひとりを小脇に抱えながら激しく動き、さらにはその状態での攻撃。アスカの行動のすべてが響によって阻害されているのは明白だ。
ならばどうすべきか。響は再び思考する。
アスカに自分を置いていけと頼む? しかし先ほどの会話でも察するにアスカは響を離すことはないだろう。
だが、どう考えても響自身が苦戦させる要因だ。ならばアスカから離れなければならない。
しかもただ離れるだけではダメだ、それではさらに足を引っ張るだけだから。ならば――
ビル壁を駆け上がりアスカがビルの屋上へと到達する直前、毛玉がまた突撃してきた。今度は真上からの一撃だ。
アスカはそれを大鎌で受け、毛玉の勢いを緩めた。そのままもう一撃。しかし毛玉は再び身体を退いて決定的なダメージを回避する。
自分自身に苛立つのかまたアスカの舌打ちが聞こえた。しかしこのわずかにでも出来た隙は響にとって好機だった。
「!? ひび――」
響は己をしっかりと掴むアスカの腕を無理やり引き剥がす。
毛玉に神経を集中させていたアスカの腕のなかを抜け出すのは意外にも容易く、支えを失った響は重力にならって落ちていく。
この繁華街で一番高いビルの屋上付近から地面への真っ逆さまコース。アスカが目を見開くのが視界に入る。
「アスカ君!」
だから響は声を張り上げた。
「僕がオトリになるから――!!」
背中で何かがブチブチと解き放たれような音とアスカの狼狽の声を聞いたのはほぼ同時だった。
「キララ、ルリハ! どこだ!」
アスカの声に響は我に返る。どうやら一瞬気をどこぞへとやっていたらしいが、未だ疾走するアスカに抱えられる現状に気づけば重い首を持ち上げ周囲を見渡した。
「!? 誰もいなくなってる……!?」
そしてひとりでに上がる驚愕の声。気をやっていた一瞬に繁華街でひしめいていた人間たちの一切が消えていたのだ、愕然とせざるを得なかった。
今、この繁華街には響とアスカ、そしてふたりを追う毛玉しか存在しない。必死に毛玉を追いかけていたはずのキララやルリハもいない。
景色には何の変化がないにもかかわらず、生物だけがごっそりと消えてしまった。異様な空気感――響は息を呑んだ。
「響、聞いてくれ。ようやくヤツを補足、階層移動できたようだ」
そんなところでアスカが呼びかけてくる。依然として彼は響を抱えながら走っているが、人の気配が消えたせいだろうか、突然ビル壁を疾走で登り始めた。
「おわぁ!?」
「しかし何故かキララやルリハの姿が見当たらない。階層に引きこんだはずのヤツらがいない理由は不明だ。
だが普段使う階層よりも深いから、それが関係しているのかも知れない」
言いながらアスカはまだ駆け上がり、同時に突然赤く発光を始めた左胸の奥へ右手を埋め込む。毛玉はやはり当たり前のように追いかけてくる。
「あいつらがこの階層にたどり着くのを待つより、俺が毛玉を討伐する方がお前の安全を守れると判断する。だから悪いが、少し我慢していてくれ」
「!」
発光する左胸、恐らくその内にある神核片へ埋め込んでいた右手を引き抜く。するとそこには既視感のある鉄パイプ。
「――お前は俺が守る」
ボウッ。燃焼音。まっすぐに言いきったアスカの右手には、いつの間にか先端に三日月の刃を灯した黒の大鎌が握られていた。
アスカは毛玉が突撃してくるのを見計らってか素早く身を翻して毛玉へと向き直った。そうして毛玉が直撃する瞬間に斬撃を繰り出す。
ザン!! 響は反射的に目をつぶってしまったものの、鼓膜を震わせた音は攻撃が確実に入ったことを証明していた。
「ちっ……浅かったか」
しかし舌打ちをするアスカ。
恐る恐る目を開けば、確かに毛玉は再びビルの間でピンポン玉を続けている。だが浅くとも受傷は受傷だ、その動きはわずかに鈍っているのが響にも分かった。
アスカは疾走を再開。先ほどは上へ向かって走ったが今度は真横に走って自ら毛玉へと接近していく。ビル壁に終わりが来ると躊躇なく跳躍し、次のビル壁へ。
単純に毛玉のあとを追っているのではない。恐らく毛玉の次の行動を予測して動いているであろうアスカは、大鎌を横に振りかぶりながらビル壁へ跳ね返った瞬間の毛玉を待ち構えた。
同時に斬撃、再びの直撃。今度は響も目を閉じずに済んだが、目の前で鋭利な大鎌の餌食になった毛玉はさらによろけつつも手近のビル壁でバウンドし跳ね返りを再開した。アスカはそれをまた追う。
「えええ、今のでもダメなんだ!?」
「タイミングは合わせたが攻撃を直前で予期されて着地点をずらされた。この速度といい、ひたすら回避能力と察知能力に特化した罪科獣だな」
「でも二回も当たったのに……!」
「俺の踏み込みも弱かった。いや、それ以前の問題か」
「え?」
「紋翼なしでは執行者を続けられない理由が、よく分かる」
「……、ひえぇっ!?」
自嘲に口を歪めるアスカに気を取られたところで毛玉がまた突撃してきた。手負いになったからか、今までよりも殺気のこもった一撃で響は大仰に身体を揺らしてしまった。
「くっ……!」
迎撃しようとしていたアスカはそれでわずかに体勢を崩した。迎え撃とうとしていた大鎌は防御のためだけに使われ、勢いを殺そうとしたのか同時に後退する。
ギュギュギュギュ、とビル壁で擦れるアスカの靴底音。
「ご、ごめん!」
「いい」
短く言いながらアスカはビル壁を駆け上がって、跳ね返りつつ照準を再び定める毛玉へと果敢に向かっていく。
既に二回攻撃を食らわせているだけあって毛玉の速度は当初よりも明らかに落ちている。毛玉が突撃してくるのを狙って斬撃を与えればいつかは倒せるだろう。
しかし、肩で息をして大粒の汗を垂らすアスカにもやはり激しい体力消耗が見て取れた。
階層が変わる前から響を抱えながら全力疾走を続けたこと、脇腹を負傷したことが響いているのかも知れない。自身が皮肉げに言うとおり紋翼がないのも関係しているのだろう。
だが、何よりの原因は自分だと響は悟らざるを得なかった。目標を捕捉し続け、男ひとりを小脇に抱えながら激しく動き、さらにはその状態での攻撃。アスカの行動のすべてが響によって阻害されているのは明白だ。
ならばどうすべきか。響は再び思考する。
アスカに自分を置いていけと頼む? しかし先ほどの会話でも察するにアスカは響を離すことはないだろう。
だが、どう考えても響自身が苦戦させる要因だ。ならばアスカから離れなければならない。
しかもただ離れるだけではダメだ、それではさらに足を引っ張るだけだから。ならば――
ビル壁を駆け上がりアスカがビルの屋上へと到達する直前、毛玉がまた突撃してきた。今度は真上からの一撃だ。
アスカはそれを大鎌で受け、毛玉の勢いを緩めた。そのままもう一撃。しかし毛玉は再び身体を退いて決定的なダメージを回避する。
自分自身に苛立つのかまたアスカの舌打ちが聞こえた。しかしこのわずかにでも出来た隙は響にとって好機だった。
「!? ひび――」
響は己をしっかりと掴むアスカの腕を無理やり引き剥がす。
毛玉に神経を集中させていたアスカの腕のなかを抜け出すのは意外にも容易く、支えを失った響は重力にならって落ちていく。
この繁華街で一番高いビルの屋上付近から地面への真っ逆さまコース。アスカが目を見開くのが視界に入る。
「アスカ君!」
だから響は声を張り上げた。
「僕がオトリになるから――!!」