第10話 ヤミ属ってすごいんだなあ(白目)~特訓1日目~
文字数 2,976文字
「というわけで、特訓をしよう」
突拍子なく放たれたヴァイスの言葉に、響は思いきり目を丸くしてしまった。
隣で同じくヴァイスを見上げるアスカもまた聞き間違いかのような顔をしている。
「と、特訓ですか」
響がオウム返しに訊くとヴァイスは大きく頷いた。
「そう、特訓だ。幸いにも君たちに与えられた指名勅令の執行期限、つまり任務を終わらせなければならない期日まで猶予が三日もある。
それまでにできる限り身体機能の向上をはかり、執行者としての知識と技術を叩き込もうと思う」
「……、」
「私とディルが日替わりで先生になる。多少厳しくなるが構わないね」
どうやら幻聴ではないらしい。が、やはりあまりに唐突な提案すぎて目を白黒させてしまう。
「そりゃあ、僕たちも今日と明日はふたりで鍛えたり紋翼の使い方を学ぶ日にしようって話してたんで、ヴァイスさんたちが先生になってくれるのはありがたいですけど……でもなんで急に? ヴァイスさんは僕たちが執行者になることを反対してましたよね?」
「少しばかり考え方を変えたんだ。君たちを信じてみようと思ってね」
「! あ、ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
予想だにしない言葉に響は勢いよく頭を下げた。アスカも静かに頭を下げる。
ヤミ神より指名勅令を受けた翌日。
アスカと響が自宅のリビングルームに集まり、今後の計画についてまず話し合っていたところにゼンマイ仕掛けのカナリアが再びやってきた。
カナリアは窓のガラスをクチバシでコツコツと叩き、中へ迎え入れられるとすぐにヴァイスからの伝令を伝えてきた――いわく、ふたりとも今から草原地帯へ来てほしいと。
昨日はヴァイスがいつの間にか姿を消しているという別れ方だったため「説得の続きかな、それとも怒られるのかな……」とドキドキしながらカナリアと草原地帯へ赴いたのだが、待っていたものは予想に反してヴァイスの「特訓をしよう」だったというわけだ。
ヤミ属の統主であるエンラに物申すほど響とアスカが執行者になることに反対していたヴァイスである。こうも己の意見を覆すとは一体どういう心境の変化があったのだろうか。
気にはなったが、今は信じてもらえた喜びが先行している。そのぶん信頼に報いなければならないプレッシャーもあるものの、今の響にはそれも追い風だ。
ヴァイスは自分の返事で素直に喜ぶ響やその傍らで表情を引き締めるアスカを見下ろし、注意を促すように金属グローブで覆われた人差し指を一本立たせた。
「とはいえ勘違いは禁物だ。響くんに危険な思いをしてほしくないという私の意向は変わっていないからね。
危険を危険じゃなくするために特訓をするということだし、もし特訓の最中に少しでも弛んだりすれば昨日の私に逆戻りだ」
「……、」
「生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟である響くん、紋翼を失って執行者の資格を失ったアスカ――普通ならば執行者になれない君たちが執行者になるということ。
そして本来は上級の執行者にしか下りないはずの指名勅令が下ったことを軽く考えないでほしい。常に研鑽を忘れず、常に警戒すること。分かったかい」
「は、はい」
「肝に銘じます」
昨日エンラに放っていたものと同じ切れ味のよい声色に響の背筋が伸びる。アスカも今から戦闘でも始まるのかと思うほど真剣な顔つきになっている。
響とアスカがしっかりと頷いたのを見届けると、ヴァイスは「それじゃあ開始だ」といよいよ特訓の幕を開いた。
「さて、ヤミ属執行者に最も必要なものを育成することから始めよう。響くん、何か分かるかな」
「えっと……確実に任務を成功させる技術?」
「筋肉だ」
「きんにく」
思わず反芻してしまう響。
「そう。体力と言ってもいいが、とにもかくにも身体が頑強なのが最も大事だ。罪科獣なんかは私たちを殺す気でくるからね、それに立ち向かえる身体がなくては話にならないんだ」
「そ、そうなんですね……」
「もっとも、君たちに与えられた勅令任務〝魂魄執行〟は筋肉や体力がモノをいう任務ではない。
しかし執行者になるならば身につけておかなくてはね。とりあえず準備運動代わりに腕立て伏せを百回やってみようか」
「ひゃ、百回!? 僕十回もできない気がす……ってアスカ君はや!?」
響はヴァイスの口から放たれた単語に怯んで思わずアスカを見やったが、そのアスカはヴァイスの指示が下りるや否や地に両手をつけ、慣れたように腕立て伏せを始めたので仰天する。しかもものすごい勢いで回数を遂げていく。
響が唖然としているうちに百回に到達したようで、アスカは平然とした様子で再び立ち上がった。響は気後れを隠せない。
「え、えぇー……住む世界が違うなぁ」
「お前もやってみろ。多分できる」
「ゆっくりでいいよ、響くん」
「うぅ……はい」
しかしこう言われてしまえば逃げ場も逡巡する時間もなく、響はヴァイスとアスカに見守られながら両手を地につけた。
生まれてこの方運動部に所属してこなかった響にとって腕立て伏せ自体が初体験だ。だがキツいのは分かる。百回なんてできそうにない。
そんなふうに弱気になりつつも緊張させた腕を折り曲げ、身体を落としにかかる。
響の想像では支える腕に全体重が乗って息がつまり、一回終えるだけで相当に苦痛なはずだったが――
「あ、あれ? そんなにつらくない?」
意外にもできる。一回二回三回と、びっくりするほどサクサク回数を重ねられるのだ。
確かに腕への負担はあるのだが、それ以上に筋肉の強度が上回っているのか大きな苦痛がない。
響は不思議な心地になりつつも腕立て伏せ百回を終えて立ち上がった。さすがにアスカほどの速度ではなく心拍数もやや上がっているが、それでもまだ余力は充分にあった。
「思ったよりもできた! へへ、僕って意外と筋肉あったんだなぁ」
誇らしい気持ちになって思わず口に出してしまう響。しかしヴァイスは少し沈黙したあとで首を横に振った。
「それもあるかも知れないが、どちらかというとヤミ属の血によるものじゃないかな。
ヤミ属は戦いが本業だから生物やヒカリ属よりも基礎能力が高いんだ。今の君は半分ヤミ属だし、多少なりとも影響していると思うよ」
「アッ調子に乗ってすみません……」
淡々と伝えられて響の自画自賛はすぐ消滅する。
確かにこれまで運動という運動を積極的に行ってこなかった自分の手柄にするのは無理があったな、と響の顔が赤くなり始めたところでヴァイスが「さて、肩慣らしは終わったね」と口を開く。
「じゃあ次は片手腕立て伏せをそれぞれ一万回、」
「!?」
「腹筋を二万回、」
「っ、へ!?」
「スクワットを五万回やってみよう」
「いやっ、あのッ……えっ!?」
あまりの回数に響は言葉を失う。再び幻聴の可能性を疑うも、響がダラダラと冷や汗をかき始める傍らでアスカは特にリアクションもなく片手腕立て伏せに勤しみ始める。やはり響の耳がおかしいわけではないようだ。
ああ、これがヤミ属執行者の普通なんだ――響は特訓開始十分にして心の底から思い知る。
だが観念するしかなかった。自分が決めた道なのだから、頑張って進まなければ。
響は覚悟を決めた。
そうして鋭く吐息をついて己に気合を入れると、アスカの隣で片手腕立て伏せに勤しみ始めたのだった。
――地獄の筋トレ祭り、ここに開幕!!
突拍子なく放たれたヴァイスの言葉に、響は思いきり目を丸くしてしまった。
隣で同じくヴァイスを見上げるアスカもまた聞き間違いかのような顔をしている。
「と、特訓ですか」
響がオウム返しに訊くとヴァイスは大きく頷いた。
「そう、特訓だ。幸いにも君たちに与えられた指名勅令の執行期限、つまり任務を終わらせなければならない期日まで猶予が三日もある。
それまでにできる限り身体機能の向上をはかり、執行者としての知識と技術を叩き込もうと思う」
「……、」
「私とディルが日替わりで先生になる。多少厳しくなるが構わないね」
どうやら幻聴ではないらしい。が、やはりあまりに唐突な提案すぎて目を白黒させてしまう。
「そりゃあ、僕たちも今日と明日はふたりで鍛えたり紋翼の使い方を学ぶ日にしようって話してたんで、ヴァイスさんたちが先生になってくれるのはありがたいですけど……でもなんで急に? ヴァイスさんは僕たちが執行者になることを反対してましたよね?」
「少しばかり考え方を変えたんだ。君たちを信じてみようと思ってね」
「! あ、ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
予想だにしない言葉に響は勢いよく頭を下げた。アスカも静かに頭を下げる。
ヤミ神より指名勅令を受けた翌日。
アスカと響が自宅のリビングルームに集まり、今後の計画についてまず話し合っていたところにゼンマイ仕掛けのカナリアが再びやってきた。
カナリアは窓のガラスをクチバシでコツコツと叩き、中へ迎え入れられるとすぐにヴァイスからの伝令を伝えてきた――いわく、ふたりとも今から草原地帯へ来てほしいと。
昨日はヴァイスがいつの間にか姿を消しているという別れ方だったため「説得の続きかな、それとも怒られるのかな……」とドキドキしながらカナリアと草原地帯へ赴いたのだが、待っていたものは予想に反してヴァイスの「特訓をしよう」だったというわけだ。
ヤミ属の統主であるエンラに物申すほど響とアスカが執行者になることに反対していたヴァイスである。こうも己の意見を覆すとは一体どういう心境の変化があったのだろうか。
気にはなったが、今は信じてもらえた喜びが先行している。そのぶん信頼に報いなければならないプレッシャーもあるものの、今の響にはそれも追い風だ。
ヴァイスは自分の返事で素直に喜ぶ響やその傍らで表情を引き締めるアスカを見下ろし、注意を促すように金属グローブで覆われた人差し指を一本立たせた。
「とはいえ勘違いは禁物だ。響くんに危険な思いをしてほしくないという私の意向は変わっていないからね。
危険を危険じゃなくするために特訓をするということだし、もし特訓の最中に少しでも弛んだりすれば昨日の私に逆戻りだ」
「……、」
「生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟である響くん、紋翼を失って執行者の資格を失ったアスカ――普通ならば執行者になれない君たちが執行者になるということ。
そして本来は上級の執行者にしか下りないはずの指名勅令が下ったことを軽く考えないでほしい。常に研鑽を忘れず、常に警戒すること。分かったかい」
「は、はい」
「肝に銘じます」
昨日エンラに放っていたものと同じ切れ味のよい声色に響の背筋が伸びる。アスカも今から戦闘でも始まるのかと思うほど真剣な顔つきになっている。
響とアスカがしっかりと頷いたのを見届けると、ヴァイスは「それじゃあ開始だ」といよいよ特訓の幕を開いた。
「さて、ヤミ属執行者に最も必要なものを育成することから始めよう。響くん、何か分かるかな」
「えっと……確実に任務を成功させる技術?」
「筋肉だ」
「きんにく」
思わず反芻してしまう響。
「そう。体力と言ってもいいが、とにもかくにも身体が頑強なのが最も大事だ。罪科獣なんかは私たちを殺す気でくるからね、それに立ち向かえる身体がなくては話にならないんだ」
「そ、そうなんですね……」
「もっとも、君たちに与えられた勅令任務〝魂魄執行〟は筋肉や体力がモノをいう任務ではない。
しかし執行者になるならば身につけておかなくてはね。とりあえず準備運動代わりに腕立て伏せを百回やってみようか」
「ひゃ、百回!? 僕十回もできない気がす……ってアスカ君はや!?」
響はヴァイスの口から放たれた単語に怯んで思わずアスカを見やったが、そのアスカはヴァイスの指示が下りるや否や地に両手をつけ、慣れたように腕立て伏せを始めたので仰天する。しかもものすごい勢いで回数を遂げていく。
響が唖然としているうちに百回に到達したようで、アスカは平然とした様子で再び立ち上がった。響は気後れを隠せない。
「え、えぇー……住む世界が違うなぁ」
「お前もやってみろ。多分できる」
「ゆっくりでいいよ、響くん」
「うぅ……はい」
しかしこう言われてしまえば逃げ場も逡巡する時間もなく、響はヴァイスとアスカに見守られながら両手を地につけた。
生まれてこの方運動部に所属してこなかった響にとって腕立て伏せ自体が初体験だ。だがキツいのは分かる。百回なんてできそうにない。
そんなふうに弱気になりつつも緊張させた腕を折り曲げ、身体を落としにかかる。
響の想像では支える腕に全体重が乗って息がつまり、一回終えるだけで相当に苦痛なはずだったが――
「あ、あれ? そんなにつらくない?」
意外にもできる。一回二回三回と、びっくりするほどサクサク回数を重ねられるのだ。
確かに腕への負担はあるのだが、それ以上に筋肉の強度が上回っているのか大きな苦痛がない。
響は不思議な心地になりつつも腕立て伏せ百回を終えて立ち上がった。さすがにアスカほどの速度ではなく心拍数もやや上がっているが、それでもまだ余力は充分にあった。
「思ったよりもできた! へへ、僕って意外と筋肉あったんだなぁ」
誇らしい気持ちになって思わず口に出してしまう響。しかしヴァイスは少し沈黙したあとで首を横に振った。
「それもあるかも知れないが、どちらかというとヤミ属の血によるものじゃないかな。
ヤミ属は戦いが本業だから生物やヒカリ属よりも基礎能力が高いんだ。今の君は半分ヤミ属だし、多少なりとも影響していると思うよ」
「アッ調子に乗ってすみません……」
淡々と伝えられて響の自画自賛はすぐ消滅する。
確かにこれまで運動という運動を積極的に行ってこなかった自分の手柄にするのは無理があったな、と響の顔が赤くなり始めたところでヴァイスが「さて、肩慣らしは終わったね」と口を開く。
「じゃあ次は片手腕立て伏せをそれぞれ一万回、」
「!?」
「腹筋を二万回、」
「っ、へ!?」
「スクワットを五万回やってみよう」
「いやっ、あのッ……えっ!?」
あまりの回数に響は言葉を失う。再び幻聴の可能性を疑うも、響がダラダラと冷や汗をかき始める傍らでアスカは特にリアクションもなく片手腕立て伏せに勤しみ始める。やはり響の耳がおかしいわけではないようだ。
ああ、これがヤミ属執行者の普通なんだ――響は特訓開始十分にして心の底から思い知る。
だが観念するしかなかった。自分が決めた道なのだから、頑張って進まなければ。
響は覚悟を決めた。
そうして鋭く吐息をついて己に気合を入れると、アスカの隣で片手腕立て伏せに勤しみ始めたのだった。
――地獄の筋トレ祭り、ここに開幕!!