第25話 魂魄執行

文字数 2,881文字

「――執行対象の名はジョン・スミス。現年齢は七十四歳七ヶ月。契約寿命から半年も過ぎているが、未だ死に抗っている人間だ」

 淡々とアスカが説明を始める。それを耳に入れながら響も中へ進んでいく。

「ひっ、だ、誰だ!? 看護師……ではないな!?」

 ドアをすり抜けた先には個人病室が広がっていた。

 ブラインドを上げた大窓。そこから入る月光を横顔に受けつつベッドへ伏せていた老人は、霊体のアスカと響の来訪にすぐさま気づいた。

 死期が迫っていたり寿命を超えていたりすると普通の生物でも霊体が見えやすいらしい。

 病に蝕まれているのだろう、かなり痩せている。

 緑の双眸だけがやたらと生きる意志をみなぎらせている以外は何の変哲もない老齢の白人男性――彼こそがジョン・スミス、今回の執行対象だ。

 緊張のせいか響の喉がひとりでにゴクリと動いた。

「響。紋翼を展開し階層を変更だ。深度の目安はヴァイス先輩に教えてもらったな」

「う、うん」

 アスカが首だけで振り返りながら呼びかけてくる。

 それにようよう返事をしながら響は擬似的な神核片となった魂魄に意識を集中させた。

 すると己の左胸が発光、ついで背中に風が生まれては流れていくのを感じる。

 生物界で霊体のままなので風を感じるのはおかしな気がしなくもないが、とにかく響は無事紋翼を展開できたことを確認して一度頷く。

 次は階層の降下だ。

 階層の変更は特訓のなかでヴァイスやディルに教えられ何度も練習したが、生物界で本物の生物を含めて行うのは初めてだった。



 ヤミ属執行者は執行対象を執行用の階層へ移動させ、他の生物には視認できない状態で任務を行うことを義務づけられている。

 生物界でそのまま任務を行うと、他の生物の運命や寿命を変えてしまう恐れがあるためだ。

 そもそも階層とは何か――この星は目に見える世界がひとつだけに見えて、実は無数の世界が重なった状態にあるというのは以前ヴァイスに教えてもらったことだ。

 この一枚一枚を階層と呼び、この階層の違いがそのまま実体と霊体の住む場所の違いでもある。

 それぞれの階層に身を置く者たちは、干渉しあうことも混ざりあうことも基本的にはできない。

 例えば生物とヤミ属は同じ場所で生活しているが、階層が違うので普段互いを認識できない。

 また、二体の生物が同じ階層にあったとして、一体だけを他の階層に移動させた場合、残された一体と移動させられた一体は双方を認識できなくなる。

 ヤミ属はこの性質を利用するために執行対象を別の階層へ移動させるのだ。

 ヴァイスの詳しい説明によると、仮に生物界の階層を100、ヤミ属界の階層を1とナンバリングするならば〝魂魄執行〟に使用する階層はおおよそ99から90となるようだ。

 これ以上生物界の階層から遠くなると、生物を移動させることは不可能となるらしい。



 ――響はベッドの方へ視線を戻す。すると慌てて半身を起こし身をこわばらせるジョン・スミス。

 響は緊張に震える右腕をジョン・スミスの方へ突き出し、目を閉じては深く息を吐いた。

 頭のなかでこの星が層状に分かれているイメージ、自分たちを99の階層へ移動させるイメージを構築する。


「階層降下(レイヤ・ダウン)……!」


 そしてそう言葉を発した瞬間。辺りが一瞬ブレた。

 同時に病院内、いや、界隈にひしめいていた人の気配や環境音がごっそりと消失したことに気づく。

 実際に生物界で意識的に階層を降下させたのは今日が初めてだったが、この感覚には覚えがあった。

 普通の人間だった響の命を奪いに、ヤミ属執行者のアスカが目の前に現れたあの日。

 さらに毛玉型罪科獣に追跡されるなか、響が本能的に紋翼を解き放って無意識に階層を移動させたときと同じ感覚だ。

 特に前者――写真のように一瞬だけを切り取られたかのような、まるでこの世で一人ぼっちになってしまったかのような絶対的孤独感が一瞬で思い出される。

 あのときあの場所に立っていた響は確かに一人ぼっちだったのだ。

 どんなに探しても声を張り上げても家族や近所の人々が見つからなかったのは、アスカが響を執行するために階層を変更したからなのだ。



「な、なんだ……!?」

 とにもかくにも階層の変更は無事に成功してくれた。響は紋翼を収め、突き出した手を戻しながら吐息をつく。

 ベッドの上のジョン・スミスも何かが変わったことを察知したらしい。

 ナースコールに急いで手を伸ばしては、ボタンを何度も何度も押している。

 生物界とは違う階層なのだ、もちろん音もしなければ看護師が訪れてくることもなかったが。

「――魂魄は、生物として転生するときにヒカリ属と寿命の契約を結ぶ」

 アスカはそんな老人に一歩近づきながら再び口を開いた。ビクリと大きく肩を揺らすジョン・スミス。

「それは〝生物の死を守る〟ヤミ属や〝生物の生を守る〟ヒカリ属と生物間での取り決めであり、どんなに刹那の命であろうと合意の上に結ぶものだ」

「な、何をブツブツ言っている! おいこれ以上近づくな、警察に突き出すぞ!」

 老人が叫ぶ。しかしアスカはそれを歯牙にもかけず説明を続ける。

「魂魄のみのときの記憶は誕生後には表出しないため、生物はその契約を覚えていない。

 だが無意識下――魂魄レベルでは契約を覚えており履行しようとする。

 だから大抵の生物は契約寿命を守って死に、肉体を離れ魂魄だけとなったあとはヤミ属のもとへ還っていく」

 アスカは活性化させた神核片に手を差し込み、そこから銃を取り出すと、ジョン・スミスへ逡巡なく銃口を向けた。

 瞬間的に見開かれる緑。

「ひっ……!? ご、ご、強盗、いやっ殺し屋か!? おい、おい看護師、警備員、誰か、銃を持っている!! 早く来てくれ!!」

「しかし、ときに寿命の契約を反故してまで生きようとする者がいる。彼らは身体が限界を迎えようと強靭な精神で生き長らえようとする」

「ッ、もしやお前ら、まさか、まさか悪魔……なのか!? そ、そうなんだな!? 絶対にそうだ、間違いない、私の命を奪いにきたんだ!! に、に、にげ、にげ、ああ、ああぁ、」

 銃口を向けられパニックに陥った老人は、ナースコールが無意味と知るや否やベッドから抜け出して逃亡を図ろうとする。

 しかし足がよく動かないらしくベッド脇に崩れ落ちてしまう。

 逃亡は無理だと悟ったか。老人は急激に吹き出した冷や汗でガイコツのような身体を光らせ、あまりの恐怖に肩で息をしながらアスカを見上げるばかりとなる。

「今回俺たちに与えられた任務は、そんな生物に死を与え、魂魄をエンラ様のもとへ直々に届けるというものだ」

「っ……」

「――これより〝魂魄執行〟を開始する」

 チャ、と銃から音が鳴る。ヤミ属の力を凝縮させた銃弾が装填された音だ。

 その小さな音はしかし、アスカの背後で事の次第を見つめるばかりだった響を我に返させるには充分なものだった。

「まっ、待って……!」

 だから響の唇は何を思うよりも早く声を上げてしまった。

 アスカに相対し、銃口を手で阻み。今から目の前で起きるであろうことを拒否してしまったのだ。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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