第30話 時は戻らない
文字数 2,675文字
「はぁ……本当にガッカリだよ。今すぐにでもその神核片を還したいくらいだ」
言いながら白亜は血まみれの左腕を持ち上げ、天を向かせた手のひらへ鮮烈な光を灯らせる。
そこから生み出されたのは周囲に水をまとい、同時に血をも滴らせる白の発光球体。
「けれど、僕はあきらめが悪くてね?」
〝それ〟が何か。瞬時に分からなかったのは焦燥に支配されていたせいだ。
そして〝それ〟が何かを理解したとき、ヴァイスはさらなる焦燥と悪寒に襲われることになる。
「さすがにこうすれば、君もエレンフォールを殺してくれるんじゃないかなって思うのさ」
「ッや――」
あまりに美しく神々しい顔で笑って。
ヴァイスに制止の言を発する権限も与えず。
白亜は手のひら上に浮く〝それ〟を血の海に伏すエレンフォールへ落とし入れた。
刹那。
「ア」
響いた。
「ッぁ、あア、アアぁ」
苦鳴が。
「あ、っっぎッッぁひ、ああぐァッぅウウあああッ、アアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
揺り動かした。ヴァイスの聴覚を痛いほど。この幽閉部屋を激しく、この世のモノと思えない苦悶が。絶叫が。
ガクガクッ、ガクガクガクガクガクガク!!
ひどく痙攣し始めた。腹に大穴を空けられ、大量に失血し、白亜の名をつぶやくのが精いっぱいだったはずのエレンフォールの体躯が。泳いでいる。バシャバシャと己が作った血の海で。
青と黄の入り混じった美しい右目は白目をむき、引き攣れるほど上下運動。涙腺や鼻腔、口腔からは血や体液を噴出させる。
やせ細った身体は激しい痙攣によってあらゆる方向に折れ曲がり、腹に空けられた大穴はひとりでに広がっていく。治癒の能力などもはやお飾りだ。
「ヒカリ属の一部を混ぜ入れてあげたのさ」
――それを見下ろすヴァイスは茫然とするしかなかった。ゆえに禁忌の烙印が白亜の白首に三本穿たれ、すぐ消えたことにも気づかない。
「君も知っているだろう、〝混血の禁忌〟は。
生物にヒカリ属やヤミ属の血を混ぜて最大限の苦痛を与え、その魂魄まで壊してしまう最大の禁忌だよ」
エレンフォールの蒼白肌、その内側から黒き泥が漏れ出し始めた。どろり。
「ああ、あまりの苦しみに呪禍まで生じてきた」
ボコ。ドロォ、ゴポポポ、どろどろどろ――
「このまま茫然としていても彼の苦痛が長引くだけだよ?」
法外な苦痛、憎悪、怨嗟、赫怒。
あらゆる悪事象から生み出される救済なき呪い。この星に不治の傷を刻みつけてしまうほどの痛み。呪禍。
「ねぇヴァイス。さっさと殺しなよ」
それをエレンフォールが生み出している。
「もう殺す以外に、何もないよ?」
――だからこそ生まれたのだ。色が。ヴァイスのなかで。
それは黒。殺意。
殺してやる。この星から消え去れというドス黒い感情。真っ白とは真逆の色。
ゆえに拘束は無意味。
生まれたての黒はヴァイスに神核片の異常活性を行わせ、不可視の拘束を無理やり引きちぎらせた。
同時に権能〝クロノス〟を発動。近接武器形態、すなわち右手には長針たる片手槍ローセ。左手には短針たる片手剣ゼク。傍らには秒針たる浮遊短剣ゼク。
すべて刹那のうちに行われたことだ。そしてローセを突き出したのもまた刹那。
「――」
透き通った刀身は大気の抵抗も受けず鋭い先端で的確に左胸の核を刺し貫いた。エレンフォールの心臓ではない。白亜の神核片をだ。
あまりに一瞬の所業。
防御も回避も不可能、否、そう思考を巡らせることすら不可能な速度。
それゆえ白亜は、唇に笑みを鎮座させたまま粉々に神核片を打ち砕かれた。
高位存在でも神核片を粉々に打ち砕かれては死を免れない。しかもこの死はヒカリ神のもとへ還ることもできない完全なる死だ。
「う、そ」
音も余波もない。ただ部屋に響くのはエレンフォールの絶叫と白亜の短い驚愕だけ。
だがヴァイスの攻撃は止まらない。くるりと身体を高速回転させ勢いをつけてはクライを真横へ振り切った。
一振りと思うことなかれ。万物も切り刻めるほどの硬度、その概念を有する刀身はやはり何の抵抗も見せず、白亜の上半身と下半身に幾筋もの横線を切り描く。
さらに振り上げていたローセで脳天から股下までを一刀両断。やはりあまりに刹那。白亜は微動だにすらできず終わった。
バキ、ピキ――そこでようやく神核片の割れる音が鳴る。
同時に白亜の体躯が滑らかな切断面を見せて細かく分かれ、最後には肉が地に落ちる音が響く。
「ッエレンフォール!!」
しかしヴァイスはそれを見届けも聞き届けもしなかった。絶叫を続けるエレンフォールの傍らに急いで膝をつく。
彼の下に広がる血の海は深く、彼自身の悶絶で周囲に激しく飛び散ってもいる。ヴァイスの膝や頬にはその血の生温かさが伝わった。
さらには彼の肌から次々生まれ落ちてくる呪禍――ヴァイスの身体すべてが底冷えする。
「エレンフォール待っていて、死なないでくれ! 絶対にッ、絶対に助けるから……!!」
ヴァイスは必死に語りかけながらエレンフォールの腹に手を伸ばした。
エレンフォールは今〝混血の禁忌〟に苛まれている。この最大の禁忌こそが瀕死のエレンフォールを悶絶させ呪禍を生ませる元凶だ。ならばまずは〝混血の禁忌〟を止めなければならない。
しかし〝混血の禁忌〟を目の当たりにするのすら初めてなヴァイスには正解などあるわけもない。実際は正解がないことも知らない。
ゆえにヴァイスはまず白亜に埋めこまれた〝ヒカリ属の一部〟を取り出そうと思い立った。
「くッ」
だが取り出せない。腹に埋めこまれた〝ヒカリ属の一部〟はすでにエレンフォールと深く結合しており、むしろ触れれば触れるほど苦痛を増長させる。
「ッ〝逆行〟――!!」
だから次は大量の神陰力を練り上げて権能〝クロノス〟をエレンフォールに行使した。時の金環はエレンフォールの体躯を包みこむ。
ヴァイスの持つ権能〝クロノス〟とは対象に流れる時間を操作する能力であり、〝逆行〟は時間の巻き戻しを行うものだ。
ヴァイスはエレンフォールの状態を〝混血の禁忌〟に苛まれる前、さらに言えば白亜に攻撃を受ける前にまで逆行しようとしたのだ。
だが、時の金環は呆気なく弾け飛んだ。
〝混血の禁忌〟も腹に空いた大穴も消えず、エレンフォールは絶叫と悶絶を続けている。ドロドロとした黒泥も生まれ続けている。
権能〝クロノス〟でも〝混血の禁忌〟や〝呪禍〟はなかったことにできないのだ。ヴァイスは唇を噛む。血が出るほど深く深く。
どうしたらいい。どうしたら友を、エレンフォールを救えるんだ!!
言いながら白亜は血まみれの左腕を持ち上げ、天を向かせた手のひらへ鮮烈な光を灯らせる。
そこから生み出されたのは周囲に水をまとい、同時に血をも滴らせる白の発光球体。
「けれど、僕はあきらめが悪くてね?」
〝それ〟が何か。瞬時に分からなかったのは焦燥に支配されていたせいだ。
そして〝それ〟が何かを理解したとき、ヴァイスはさらなる焦燥と悪寒に襲われることになる。
「さすがにこうすれば、君もエレンフォールを殺してくれるんじゃないかなって思うのさ」
「ッや――」
あまりに美しく神々しい顔で笑って。
ヴァイスに制止の言を発する権限も与えず。
白亜は手のひら上に浮く〝それ〟を血の海に伏すエレンフォールへ落とし入れた。
刹那。
「ア」
響いた。
「ッぁ、あア、アアぁ」
苦鳴が。
「あ、っっぎッッぁひ、ああぐァッぅウウあああッ、アアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
揺り動かした。ヴァイスの聴覚を痛いほど。この幽閉部屋を激しく、この世のモノと思えない苦悶が。絶叫が。
ガクガクッ、ガクガクガクガクガクガク!!
ひどく痙攣し始めた。腹に大穴を空けられ、大量に失血し、白亜の名をつぶやくのが精いっぱいだったはずのエレンフォールの体躯が。泳いでいる。バシャバシャと己が作った血の海で。
青と黄の入り混じった美しい右目は白目をむき、引き攣れるほど上下運動。涙腺や鼻腔、口腔からは血や体液を噴出させる。
やせ細った身体は激しい痙攣によってあらゆる方向に折れ曲がり、腹に空けられた大穴はひとりでに広がっていく。治癒の能力などもはやお飾りだ。
「ヒカリ属の一部を混ぜ入れてあげたのさ」
――それを見下ろすヴァイスは茫然とするしかなかった。ゆえに禁忌の烙印が白亜の白首に三本穿たれ、すぐ消えたことにも気づかない。
「君も知っているだろう、〝混血の禁忌〟は。
生物にヒカリ属やヤミ属の血を混ぜて最大限の苦痛を与え、その魂魄まで壊してしまう最大の禁忌だよ」
エレンフォールの蒼白肌、その内側から黒き泥が漏れ出し始めた。どろり。
「ああ、あまりの苦しみに呪禍まで生じてきた」
ボコ。ドロォ、ゴポポポ、どろどろどろ――
「このまま茫然としていても彼の苦痛が長引くだけだよ?」
法外な苦痛、憎悪、怨嗟、赫怒。
あらゆる悪事象から生み出される救済なき呪い。この星に不治の傷を刻みつけてしまうほどの痛み。呪禍。
「ねぇヴァイス。さっさと殺しなよ」
それをエレンフォールが生み出している。
「もう殺す以外に、何もないよ?」
――だからこそ生まれたのだ。色が。ヴァイスのなかで。
それは黒。殺意。
殺してやる。この星から消え去れというドス黒い感情。真っ白とは真逆の色。
ゆえに拘束は無意味。
生まれたての黒はヴァイスに神核片の異常活性を行わせ、不可視の拘束を無理やり引きちぎらせた。
同時に権能〝クロノス〟を発動。近接武器形態、すなわち右手には長針たる片手槍ローセ。左手には短針たる片手剣ゼク。傍らには秒針たる浮遊短剣ゼク。
すべて刹那のうちに行われたことだ。そしてローセを突き出したのもまた刹那。
「――」
透き通った刀身は大気の抵抗も受けず鋭い先端で的確に左胸の核を刺し貫いた。エレンフォールの心臓ではない。白亜の神核片をだ。
あまりに一瞬の所業。
防御も回避も不可能、否、そう思考を巡らせることすら不可能な速度。
それゆえ白亜は、唇に笑みを鎮座させたまま粉々に神核片を打ち砕かれた。
高位存在でも神核片を粉々に打ち砕かれては死を免れない。しかもこの死はヒカリ神のもとへ還ることもできない完全なる死だ。
「う、そ」
音も余波もない。ただ部屋に響くのはエレンフォールの絶叫と白亜の短い驚愕だけ。
だがヴァイスの攻撃は止まらない。くるりと身体を高速回転させ勢いをつけてはクライを真横へ振り切った。
一振りと思うことなかれ。万物も切り刻めるほどの硬度、その概念を有する刀身はやはり何の抵抗も見せず、白亜の上半身と下半身に幾筋もの横線を切り描く。
さらに振り上げていたローセで脳天から股下までを一刀両断。やはりあまりに刹那。白亜は微動だにすらできず終わった。
バキ、ピキ――そこでようやく神核片の割れる音が鳴る。
同時に白亜の体躯が滑らかな切断面を見せて細かく分かれ、最後には肉が地に落ちる音が響く。
「ッエレンフォール!!」
しかしヴァイスはそれを見届けも聞き届けもしなかった。絶叫を続けるエレンフォールの傍らに急いで膝をつく。
彼の下に広がる血の海は深く、彼自身の悶絶で周囲に激しく飛び散ってもいる。ヴァイスの膝や頬にはその血の生温かさが伝わった。
さらには彼の肌から次々生まれ落ちてくる呪禍――ヴァイスの身体すべてが底冷えする。
「エレンフォール待っていて、死なないでくれ! 絶対にッ、絶対に助けるから……!!」
ヴァイスは必死に語りかけながらエレンフォールの腹に手を伸ばした。
エレンフォールは今〝混血の禁忌〟に苛まれている。この最大の禁忌こそが瀕死のエレンフォールを悶絶させ呪禍を生ませる元凶だ。ならばまずは〝混血の禁忌〟を止めなければならない。
しかし〝混血の禁忌〟を目の当たりにするのすら初めてなヴァイスには正解などあるわけもない。実際は正解がないことも知らない。
ゆえにヴァイスはまず白亜に埋めこまれた〝ヒカリ属の一部〟を取り出そうと思い立った。
「くッ」
だが取り出せない。腹に埋めこまれた〝ヒカリ属の一部〟はすでにエレンフォールと深く結合しており、むしろ触れれば触れるほど苦痛を増長させる。
「ッ〝逆行〟――!!」
だから次は大量の神陰力を練り上げて権能〝クロノス〟をエレンフォールに行使した。時の金環はエレンフォールの体躯を包みこむ。
ヴァイスの持つ権能〝クロノス〟とは対象に流れる時間を操作する能力であり、〝逆行〟は時間の巻き戻しを行うものだ。
ヴァイスはエレンフォールの状態を〝混血の禁忌〟に苛まれる前、さらに言えば白亜に攻撃を受ける前にまで逆行しようとしたのだ。
だが、時の金環は呆気なく弾け飛んだ。
〝混血の禁忌〟も腹に空いた大穴も消えず、エレンフォールは絶叫と悶絶を続けている。ドロドロとした黒泥も生まれ続けている。
権能〝クロノス〟でも〝混血の禁忌〟や〝呪禍〟はなかったことにできないのだ。ヴァイスは唇を噛む。血が出るほど深く深く。
どうしたらいい。どうしたら友を、エレンフォールを救えるんだ!!