第12話 執行地へ

文字数 3,300文字

 予想に反してヴァイスはなかなか帰還しなかった。

 〝罪科獣執行〟任務直後のディルが『ちょっと手間取っちまったな』と焦りながら待ち合わせ場所の裁定神殿前へ向かったにもかかわらず、彼の姿はなかった。

 しばらく待っても周囲を探しても一向に姿が見えない。

 『待ち時間の合間に育て子たちの様子でも見に行ったのか?』とヴァイスの家を訪れてもアスカとシエルしかいない。

 しかも彼らの話によると、指名勅令を受けるために出ていってからは一度も帰ってきていないという。

 ヴァイスは遊びのないヤミだ。しかし彼から悩みを打ち明けられて以降、ディルは時間を見つけてはアチコチに連れ出してやっていた。それゆえ次に見て回ったのは居住地帯にある公園や職務地帯だ。

 しかしやはりヴァイスの白い髪や長身は一度として見つからない。念のため防衛地帯も見て周り、再び裁定神殿前へ戻ってきてもその事実が変わることはなかった。

「……おかしくねぇか」

 ディルは裁定領域と防衛地帯とを分ける白壁に寄りかかりながら腕組みせざるを得なかった。

 〝魂魄執行〟は普通のヤミ属執行者でも十分程度で終わる。

 ただ生物に「自分は死んだ」と思わせればいいだけの任務であり――方法は武器で急所をつぶすのが主なので気持ちのいい仕事ではないが――その後はただ生物の魂魄を回収し、エンラに届けるだけなのだ。ディルの〝罪科獣執行〟より時間がかかるなど普通は考えられない。

「チッ。こういうとき〝神核繋ぎ〟してたら楽なんだろうな」

 真のバディ契約とも言える〝神核繋ぎ〟 これをディルとヴァイスはまだしていなかった。

 神核片を繋いでいることの恩恵は計り知れない。

 遠く離れていても可能な生存確認、神陰力の譲渡、そして念話の使用――例えば今も念話を使って状況を問えたならばディルのモヤモヤは一瞬で解決したことだろう。

 しかしそもそもヴァイスはそういうことに無頓着、ディルは何となく気恥ずかしさが勝って提案できなかったのだ。

「ま……ヴァイスのことだから大丈夫だろ。

 エンラ様に指名勅令完遂の報告がまだだし、手つかずの任務も山のようにあるだろうし。仕方ねぇが後に回すか」

 指名勅令はもとより、通常勅令にも執行期限が存在するため、ヤミ属執行者は基本的に忙しい。

 片割れが戻ってこないからといって長時間待ちぼうけているヒマはない。単独行動を許されているなら尚更だ。

 指名勅令は通常勅令より難易度が高い場合が多いものの、他ならぬ神自身によって最適な執行者が選ばれる。

 当初は何故〝魂魄執行〟がヴァイスに下りたか謎だったが、ヴァイスでなければ完遂が難しい特殊な〝魂魄執行〟だったということだろう。逆を言えばヴァイスならば難易度の高い〝魂魄執行〟も完遂可能ということだ。

「だから心配無用ってな」

 そう結論づけたディルは、壁から背を離すと裁定神殿へ向かったのだった。



 エンラへ任務完遂の報告したと同時に、ディルは〝罪科獣執行〟の通常勅令任務を一気に三件も渡された。

 見栄もあって涼しい顔で受けたものの、さすがに強敵な罪科獣を連続で、しかもひとりで執行するのは骨が折れる。

 ゆえに任務中のディルの脳裏には頻繁にヴァイスが浮かんでいた。

 コドモのときは『ひとりでいい』なんて強がっていたが、ヴァイスとのバディ行動は何だかんだで心強かった。

「任務全部、終わり。さすがにもう、帰還してんだろ」

 三件目の罪科獣を執行完了。ゼエゼエと呼吸を繰り返しながらディルはひとりごちる。

 この時点でヴァイスと分かれて三日、ディルが新たな任務に就いて既に二日が経っていた。

 もしかしたらヴァイスもディルと同様に別の任務に移っているかも知れないが、今回は意地でも帰還を待つ気でいた。

 とにかく一度ヴァイスと顔を合わせて、何らかの不平を垂れなければならないと思ったのだ。



「――ヴァイス? あれから一度も参っておらぬぞ」

 しかし、そんなディルに待ち受けていたのはヴァイスの変わらぬ不在だった。

 待ち合わせ場所にはもちろん、どこにもいない。自宅にも帰っていない。エンラのところにも参じていない。ということは、任務がまだ終わっていないということだ。

「気に留めておらなんだが、確かに不思議だのう。どんな罪科獣も瞬速で執行してくるというのに」

 裁定神殿。玉座に座り魂魄の大群に終わりのない〝裁定〟を続けるエンラは、手に持つ檜扇で悠々と自身に風を送りながら言った。その妖艶な面には何の憂慮も浮かばない。

「とはいえヴァイスのことだ。執行期限にもまだ余裕があるしのう、心配あるまい。

 それよりディル、任務完遂ご苦労であった。次の任務を与える」

 そしてすぐに次の任務をまた三件も渡され、ディルは釈然としない気持ちになりながら神殿を後にした。

 あのヴァイスが下位の執行者でも十分程度で終わる〝魂魄執行〟に三日もかかっている? 指名勅令であることを加味しても異常ではないか?

「あークソッ。何なんだよ」

 だからディルは乱暴に頭を掻いたあとで紋翼を展開し、生物界に下りる。

 今しがた受けた任務のためにではない。ヴァイスの執行地へ、彼の安否を確かめるためにだ。



* * *



 ヴァイスの受けた指名勅令の執行地は、現代で言う中東だ。

 さらに人間が密集する場所、つまりそこそこ繁栄の歴史が見える街である。

 否、街の跡といった方が正しいだろう。降り立ったディルがまず目にしたものは、あちこち無惨に崩れる家屋や道が月光に照らされる様だった。

 家の中はことごとく荒らされ、往来には武器や防具の残骸、人間の遺体などが転がっている。この地域が戦の最中であることが一瞬で分かる状態だ。

 物陰にひそむ女子どもや老人は痩せ細り、誰もが怯えた目をしていた。ケガをしている者、感染症や病に伏せり放置されている者もいる。年ごろの男たちは兵士として駆り出されているのか姿が見えない。

「……」

 どこからかすすり泣く音が聞こえてくれば、ディルの心は素直に痛んだ。

 しかし〝生物の死を守る〟ことしか許されていないヤミ属は、生物の生や生き方に干渉することを固く禁じられている。

 ゆえに絶対手を差し伸べてはならない――ディルは自分にそう言い聞かせ、小高い丘の上に建つ一際大きな建築物へと紋翼を羽ばたかせる。ヴァイスの気配がそこから感じられるような気がしたからだ。

 その建築物は城でないものの、それに近い佇まいをしていた。恐らくこの邸宅を住処としている者は土地の豪族だろう。

 霊体のままのディルは門の前で鋭く目を光らせている兵士たちを通り過ぎて内部へ入っていく。

 屋内は街の様子とまったく違っていた。建物にはほぼ損壊なし、豪奢な調度品、身なりのよい男や女、かしずく家来、大量の兵士たる男たち。

 貯蔵庫には食物もある。有り余るほどではないものの、この邸宅に住まう者たちには充分な量だろう。広場で激しい模擬戦闘をさせられている兵士たちはそろって痩せ細り、身なりも粗末だったが。

 時刻は人々が少しずつ眠りに就くころ。

 証拠に兵士たちの模擬戦闘を厳しい目で見張っていた男が終了を言い渡すと、兵士たちはその場に腰を下ろしては背中を丸め、生気のない目を閉じた。

 邸宅の奥にある豪奢な部屋では身なりのよい女も美麗な意匠を施されたベッドに横たわっている。

 とにかく見張りの数が多い。ディルが十歩けば最低一人には出会うといった具合だ。

 食料も満足に与えられていないであろう彼らは、手負いの犬のごとき表情で炯々と目を光らせている。

 敵の侵入を見逃さぬための見張りだろうが、集めた兵士たちが逃げ出さぬようにという意味合いもありそうだ。

「ヴァイス……どこだよお前」

 ディルは口のなかで言いながら広い邸宅内を歩き回った。

 指名勅令の情報は指名された者にしか与えられないため、ディルの脳裏には刻まれていない。

 この地に降り立てたのは、ヴァイスが話の流れで執行地を口にしていたからだった。

 しかしあいにく執行対象は聞いていない。執行対象さえ分かればヴァイスともすぐ落ち合えるだろうが――

「!」

 そんなところでディルは目を見開いた。
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登場人物紹介

◯◆響

普通の男子高校生だった17歳。

アスカに命を狙われ、シエルに〝混血の禁忌〟を犯されて

生物とヤミ属の中間存在〝半陰〟となった結果、

生物界での居場所を根底から奪われた過去を持つ。

◆アスカ

物語当初は響の命を狙う任務に就いていたヤミ属執行者。

シエルに紋翼を奪われて執行者の資格を失ったが、

響が志願したことにより彼も執行者に復帰することとなった。

以降は響の守護を最優先の使命とする。

◇シエル

〝悪夢のなかで出会った神様〟と響が誤認した相手。

アスカの紋翼を無惨に引きちぎり、

響に〝混血の禁忌〟を犯した相手でもある。

アスカと因縁があるようだが……?

◆ヴァイス

ヤミ属執行者。

〝混血の禁忌〟に遭った響の首を切り落とそうとした。

長身かつ顔面をペストマスクで覆った容姿はシンプルに恐ろしい。

アスカの元育て親、ディルの相棒。

◆ディル

ヤミ属執行者。

しかし軍医的位置づけであるため執行行為はご無沙汰。

ヴァイスの相棒かつ響の担当医、キララの元育て親でもある。

素晴らしい薬の開発者でもあるが、ネーミングセンスがことごとくダサい。

◯乃絵莉

響の妹、だった少女。

響にとって何よりも守りたい存在。

響が〝半陰〟となって以降は一人っ子と再定義された。

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